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実施予定・報告  
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実施予定・報告

 


 

実施予定に関しては、人間環境学府学府ウェブページをご覧下さい。

下記の研究会は、いずれも大学院科目「学際連携研究法」の授業の一環です。

連絡先 九州大学大学院人間環境学府 学際企画室
coordinator@hes.kyushu-u.ac.jp

 

2024年3月

多分野連携プログラム「人工現実・野外環境と感覚生理」研究交流会

内容:最近取り組んでいる研究の知見の報告
参加者 9名(敬称略):増本賢治(健康・スポーツ科学コース)、古賀靖子(建築環境学コース)、光藤宏行(心理学コース)、佐々木玲仁(実践臨床心理学専攻)、神野達夫(都市共生デザイン専攻)、大学院生3名、久米祐子(学際企画室 学術研究員)
日時 2024年3月13日(水)13:00-15:30
場所 イーストゾーンE-A-102

報告
(1) 光藤宏行 大きさ・重さ錯覚についてのベイズ分析の近年の展開:アンチベイズ理論のその後
(2) 水原瑠里 シーン知覚の情報処理に対象のタイプとトークンの対称性が与える影響
(3) 古賀靖子 情報が繋ぐ人間と機械:人工生命を例に
(4) 増本賢治 スポーツ障害の予防に対する身体運動科学の貢献

質問・意見交換
報告(1)
・経験の貢献はどの程度か?
・形の要素は影響しないか?
・錯覚の測定の信頼性は?
報告(2)
・参加者の具体的な課題は?
・注意していない対象の処理について、ヒト以外の生物との比較が興味深い
・注意が苦手な人を対象とした実験はないか
・トークン判断課題を行うべき
報告(3)
・ChatGPTは人がしないようなルールの忘れ方をする
・AIは学習するか
報告(4)
・後ろ向き歩行が特殊なのか、それとも自動化されていない処理一般の話?
・ピアノ/バレエ/野球/水泳でも普段と違う動きをすることが有益な場合があるかもしれない
・平均を取らない分析の必要性
・受傷率ではなく受傷の程度は?

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多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

テーマ:不妊経験者の声から見える社会
日 時:2024年3月4日(月) 15:00〜17:30
場 所: E-B-430 ※対面のみ
講 師:白井千晶先生 (静岡大学人文社会科学部社会学科教授)
参加人数:14名(学生1名(人環)、教員8名((敬称略)田上、木下、井上、田北、野々村、岡、前原、白井)、久米(学際企画室)、その他一般4名)

今回は、不妊や出産・子育て・親子関係等について、社会学・ライフコース論の観点から研究に取り組んでいらっしゃる白井千晶先生をお迎えし、不妊を経験された当事者の声から見える社会をテーマにお話を伺った。
不妊や出産・子育て・親子関係等について、不妊治療を経験した人々の語りやその思いを分析し探求された研究成果をもとにしたご講演である。不妊という境遇に身を置いたときに生じるさまざまな感情とともに、子どもを産み、育てることが社会のなかでどのようにみなされているのか、それは社会のどういう側面、問題からくるものなのかについて、当事者の声を丁寧に聴き、分析された多くの知見の一部を紹介していただいた。概要は以下の通りである。
不妊とは何か。実はこの問いに対する多くの人々の考え方の前提には、近代家族像、すなわち「性=愛=結婚」という三者が一体でなければならないという規範が横たわっている。養子縁組や擬制的な親子関係等の慣習が存在したかつてと異なり、現代は子どもを自ら産まなければ親にはなれない特殊な時代である。そのことが、血のつながりや遺伝子を子孫に伝えることの価値観を高めることにもなる。同時に、親になるまで子どもに触れることなく大人になる人が多く、親子関係そのものを特異なものとしている。
1990年代からはそこに現代医学が介入し、人工授精や卵子提供という可能性を開いた。このことは、不妊概念の曖昧さと共に、どのような方法でどこまで不妊治療を行うのか、子どもにどう告知するのかといったことが個々の夫婦の選択の問題となり、さらにジェンダー規範の問題も絡まり、当事者を苦しめている。性や身体の多様性も、不妊治療の場においては複雑な形で機能していることも確かである。治療中の身体的、精神的負担だけではなく、出産後の、親子が似ている、似ていない、といった何気ない他人からの言葉かけも含めて、当事者にとっては大きな負担となっている。
11.6人に1人の子どもが体外受精で生まれている現在(2021年、日本産婦人科学会による)、近代家族規範による家族や親子関係の理想化は、当事者の孤立化の誘因となるばかりではなく、現実から遊離している。子どもへの告知の物語の共有や、擬制的親の慣習を残している地域・異文化に触れるなど、共感やその繋がりを通して、しんどさを分かち合うことが必要ではないか。
講演の後、参加者からは、過去の養子縁組等の慣習、不妊治療の女性への過重負担、生命のコントロールへの欲望、国や文化による親子関係や生命観の差異、人工授精や卵子提供における親子関係の不可視性、地域に残る寝屋子制度などについて質問や意見が出され、活発な議論がなされた。

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2023年11月

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

テーマ:つながる・つなげる—沖縄の子どもと支援者への関わりを通して-
日 時:2023年11月27日(月) 15:00〜17:30
場 所: E-B-430 ※対面のみ
講 師:野村れいか先生 (九州大学人間環境学研究院・実践臨床心理学専攻)
参加人数:16名(学生4名(人環・教育)、教員10名((敬称略)田上、山下、木下、杉山(高)、田北、橋彌、野々村、岡、稲葉、講師)、久米(学際企画室)、その他一般1名)

今回は、沖縄の子ども、特に若年妊産婦(10代の妊産婦)の支援、その支援者たちへの支援活動に関わってこられた野村れいか先生のお話しを伺った。病院での臨床のお仕事を軸に、小学校における児童虐待防止に関連するグループワーク、児童養護施設や児童心理治療施設、あるいは養育里親の研修等におけるさまざまな場面の具体的内容と課題についての報告である。貧困と(性)暴力や虐待が連鎖し合い、被害者と加害者の存在が未分化な状況のなかで、その渦中にあっては、悩みを言語化、意識化することも難しい場合が多い。若年妊産婦支援の場では、彼女たちの「あるがままを大事に」すること、「あるがままを受け入れる」ことが何よりも求められる。特別な技法や治療以前に、日々の生活の安心・安全や体験の提供そのものが重要である、という。支援者側の助言が、逆に被支援者を傷つける原因になることもあり、自身の価値観が常に問われ、戸惑いや葛藤を抱えている支援者も多い。そうした支援者たちの困難や迷いを整理し、関係者間の意識や活動のずれの調整などに尽力されている。若くして母となった女性たちが、自分の困っていることに気づき、自分で対処できないことは他者に助けを求めることができ、自分の生きる場所を見出していくことができるようになることに留意することが必要である。その支援者を支えるとは、について議論を深めた。参加者からの主な質問・意見は下記の通りである。

・学校との接点の持ち方について、教員とのコミュニケーションの取り方について。
・教育と福祉の距離について。
・海外の子ども支援、母親支援との相違について。
・支援の継続性、特に母親への支援の重要性について。母親は子育てができて当たり前を前提とするのではなく、支援を継続することの大切さについて。
・沖縄における家族主義と若年妊産婦支援との関係について。
・沖縄の歴史性、社会構造との関連について。
・支援活動団体数が多いことについて・
・国の制度と、民間の支援団体との関係や各々の特徴について。
・就労支援、経済的支援等のアフターケアの問題について。
・支援すべき(不足している)「体験」の具体について。
・自分を認知し肯定してくれる存在の無さ、刹那的な生活状況と若年妊娠との関係について。
・情緒的な理想とは別位相の、貧困層への教育の費用対効果の議論など、国家、社会へのインパクトの必要性について、等。
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2023年9月

多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」ミニシンポジウム

テーマ : 研究成果を発信すること〜誰に、どこに、どうやって届ける?
日 時 : 2023年 9月 25 日(月) 10:00〜12:30
場 所 : 九州大学伊都キャンパス イーストゾーン A‐215(対面開催)
企 画 : 池田 浩・内田若希・小澤永治・金子周平・古賀 聡・野村れいか・山本健太郎
参加者27名:内教員8名(敬称略)(池田・内田・小澤・金子・古賀 (聡)・野村・山本・光藤)、
研究生1名、学生17名、(学際企画室)久米。

まず、4人の話題提供者が報告し、話題提供が終わるごとに指定討論者が質問を行うという流れで実施された。話題提供者・指定討論者ともに大学院生であり、専攻・領域を超えたディスカッションが展開された。

1. 指方 賢太 (人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)から「論文投稿と学会発表を通した学びと影響」について次の話題提供をされた。

これまで行ってきた研究成果の発信方法は、(1)学会でポスター発表(2)論文投稿だった。(1)ヨーロッパのスロベニアでの学会ポスター発表は英語力が足りないため、目で見て結果が分かるようなデザインを意識して作成。尻込みせず多くの方々に話しかけることを意識した。(2) Heliyon への英語論文投稿は、査読結果は修正再審査だった。査読結果を基に修正作業を行い採択された。ポスター発表を通して研究成果をどうアピールするかについて学びが得られた。査読者や参加者に研究の弱点を指摘してもらうことで、自分ができていない部分を理解できた。研究を進めるにあたり、自分に現在必要な知識を知ることができた。

指定討論者からの質問。国際誌に出す論文と国内誌に出す論文の目的の違いをどうとらえるか。
 →国際誌に論文を出したのは、自分の研究テーマについての先行研究が国際誌の論文しかなかったから。さらに、国内の研究は海外に比べると20年~30年は遅れているといわれている。今後自分の研究を発展させようとすれば国際誌への論文投稿が良いと思う。一方で、国内に自分の研究をしているのかを知ってもらうためには今後日本語の論文投稿も必要だと思う。

2. 堤 愛美子(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)から「スポーツ場面におけるドラマチックな体験は日常にどのように溶け込むのか」について次の話題提供をされた。

現在・過去にスポーツに関わっている人またはスポーツについて悩んでいる人に研究成果を届けたい。それは教育現場、スポーツの現場にいる人たちである。生徒・学生・選手にとっては自分の視点を変えてみることの重要さを知らせることができる。教員・指導者にとっては、相手がどのように物事を受け止めるかの多様性や視野を広げるための助言ができると思うからである。そのためチャンスを多く設定するようにする。

指定討論者からの質問。現場の教員・指導者は心理学の論文を読んだりしないが「介入する」ことで、現場に入って行くと、データもとれるし教員・指導者に心理学の話もできて一石二鳥だと思うが。
→成功体験を積んでいる選手に介入する必要はないし、反対に成功しなくてショックを受けている時に介入を受け入れるのは難しいと思う。しかし、どう介入して行ったら良いかについての関心はあるので、経験を積んでいきたい。

3. 立岡 沙珠(人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)から「教育領域における他職種に向けた研究の発信について」について次の話題提供が行われた。

研究成果を学校現場へ発信しようにも職員は多忙で心理学用語なども通じない。そこで日本学校心理学会など、多職種の教育関係者が集まるコミュニティで発表する。そして、研究そのものを学校側に知ってもらうより、心理学の知見を心理職が実践に取り入れて活動する、というほうが現実に即しているし、他職種への発信だけでなく、同じ心理領域での発信も大事なのではないかと思う。

指定討論者からの質問。学校現場の先生方へ研究成果を発信して、その反応を受けてさらに研究が発展していくような経験はあるか。例えばアメリカのキャンプで、午前中は外遊びをして、午後にカウンセリングをする社会教育とスクールカウンセラーが共同して開催する多分野で問題解決していくものなどもある。
→現場の先生方からなにか反応をもらったことはない。しかし、質問者の話のキャンプはイベントとして、わかりやすい。そういう発信・実践は大事だと思った。

4. 植田 航平(行動システム専攻 心理学コース)から「実験系院生の生存戦略案」について次の話題提供が行われた。

実験心理系院生は実験データを取って論文を書くのが主である。しかし手持ちデータが無くても投稿できるチャンスはある。(ナラティブ)レビュー論文・システマティックレビュー論文・二次分析論文 Nature Reviews Psychology のジャーナルクラブなど。業績や学振のことをどうしても考えてしまう。例年DC1ならばM2の5月が提出〆切。それまでに論文を出したほうが良いと再三あちこちで聞く。 業績や学振は学術の世界にいる限り、恐らく一生ついて回る。そもそも、どうして発信・発表すべきなのかという本質はどこにあるのだろうか。

指定討論者からの質問。なんのために研究をしていくのかを考えると、自分の人生を豊かにしていくためではないだろうか。その上でその研究成果を発信していくものではないかと思うがどうだろうか。
 →博士課程は義務教育ではないので研究を無理にする必要はないが、私はいろいろな障壁のせいで研究できない時に、自分はやはり研究がしたいと思った。そのためにも学振をとることが目的の一つである。

会場の先生からの意見(光藤先生):私は実験系の研究領域にいる。M2を過ぎても学振の存在を知らなくて、その後に先輩からきいた。実験系でも、業績だけでは決まらないと個人的には思う。人の役にたつことといえば、大学院生の頃から研究ツールを作ることが好きで、それをwebで公開してそのうちのいくかはヒットしたと感じている。そういう研究ツールを作って他の人の研究の役にたつ。そうすると他の人に知ってもらえるという利点もついてくる。

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多分野連携プログラム「都市の生態学:移動・地域・生活環境」

テーマ:『都市で故郷を編む』を囲んで―沖縄・シマの近現代と社会心理学的フィールドワーク
日 時:2023年9月22日(金)14:30-17:30
場 所:附属中央図書館4Fスカイきゅうとコモンズ (対面とオンラインのハイブリッド開催)
講 師:石井宏典(茨城大学人文社会科学部,社会心理学)/指定討論:中島琢磨(法学研究院)、南博文(筑紫女学園大学)、後藤健介(東京大学出版会)
参加人数:79名(学生5名、教員11名((敬称略)野々村、藤田、山下、當眞、野村、井上、杉山(高)、宮本、太田(純)(文)、西村(友)(法)、新屋敷(法))、講師1名、久米(学際企画室)、一般61名)

「ブックラウンチ」とは著者はもとより、共に本を手掛けた編集者・出版社をはじめ、縁のありそうな人たち皆で、人社系研究の豊かな実りを示す「本」を囲み、世に出ていくことを喜び合う場です。今回初めての試みとなるブックラウンチで取り上げた本は『都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰』(東京大学出版会)でした。著者の石井宏典さんの話題提供では、沖縄の備瀬というシマから旅に出て、遠く離れた土地で故郷の縁を辿り、場を共にする経験に支えられて幾度も共同体を編み直しながら生きる人たちの1920年代から現在までの100年を駆け抜ける、34年間の研究の稔りが紹介されました。特に、備瀬というシマとの出会い、そして備瀬をめぐる研究にとっての社会心理学的フィールドワークの要点が、「対する関係・ならう姿勢・並ぶ関係」および「編集」というキーワードに触れる形で説明され、著作の要所が紹介されました。
『都市で故郷を編む』の編集者の後藤健介さん(東京大学出版会)からは、この本を「つくる」プロセスでの著者とのいくつかの逸話に加え、前著をいかに視野に置き、いかに本書の可能性をともに考えたのかをお話いただき、内容のみならず造本に至るまで細部に行き届く沁みとおるような眼差しを示していただきました。質疑応答の時間には、沖縄返還交渉史がご専門の中島琢磨さんからは、備瀬で生まれ育ち、それぞれの土地で生きた人たちという、同時代を生きた人の言葉・経験に、沖縄返還交渉のプロセスに際立った役割を果たした人たちの言葉・経験を重ね合わせることで見えて来る広がり・奥行きを示していただきました。フィールドワークの知を基礎として心理学/人文社会科学の新しい形を構想されてきた南博文さん(筑紫女学園大学学長・環境心理学)からは、これまでの著者との関わりを背景として、二冊の本における、著者の場所との関わりのあり方の対照性―「根の場所」に腰を下ろしてそこで起こることに目を凝らす前著と、「都市」と「故郷」とを行き来する跳躍(「上空飛行的な視点」)を孕んだ近著――を示し、その両方を生きる著者の眼差しについて投げかけられました。また心理学が前提としてきたがゆえに見逃してきた、アジアとその近代(化)を問う方法として、多数の声(ライフヒストリー)を編み上げる道の可能性に触れられました。これらの問いかけに応答して著者からは、新たにシマに移り暮らし始めた大事な人たちの存在と共に、ほんの少し未来の備瀬についても語られました。
オンライン配信については、開始後まもなく音声不調等の混乱もありましたが、対面参加者、オンライン参加者が共に息を詰めて見守り、無事に配信できるようになった瞬間からは、安堵と喜びを分かち合い、再び話題の成り行きに身をゆだねるような、並んで本を楽しむ場が開かれたように思います。またこのオンライン配信では、著者の石井宏典さんのご縁から、遠く備瀬からも多数のご参加をいただき、場を見守っていただきました。また、茨城大学人文社会科学部および茨城大学広報室、東京大学出版会を始めご縁をいただいた皆様にも、未知の部分の多い今回の試みにたくさんの励ましをいただきました。重ねて御礼申し上げます。
なお、本企画は人間環境学研究院多分野連携プログラム「都市の生態学」および九州大学法政学会主催のもと、開催プラットフォームを人社系協働研究・教育コモンズが担う協働企画でした。多分野連携プログラム「都市の生態学:移動・地域・生活環境」では、今後も、他部局および人社系協働研究・教育コモンズ等との連携のもとで学際的な議論の場を広げて参ります。

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2023年3月

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

テーマ:子どもの貧困問題とは?―ごはん処『おかえり』に届く子どもの「たすけて」の声をきく―
日 時 :2023年3月17日(金) 15:00〜17:30
場所:九州大学伊都キャンパス イーストゾーン E-B-430  対面開催
講師:保坂裕子先生(兵庫県立大学准教授) 
参加人数:12名(学生3名(人環・文・教育)、教員7名(敬称略)田上、山下、木下、志賀、田北、前原、野々村(人環)、久米(学際企画室)、講師)

保坂先生からは、まずは「ごはん処「おかえり」」の紹介と、このような支援のフィールドとのかかわり方や、フィールドにできることは何か、といった研究者としての向かい合い方についてのお話しがあった。その後、特徴的な事例と共に、それらから何を導き出すことができるのか、何を読み取ることができるのか等について、さらに、何が必要とされているのか、などについて示唆があった。

その後の議論では、主に次のような点について質問・意見があり、議論を深めた。

・「子ども食堂」という名称を避けていることに関し、その言葉がもってしまう活動内容や担い手のあり方、イメージ、被支援者の限定などについて。
・行政主導の支援の運営・実施の形態への違和感について。
・子どもの声をきくということの大切さと難しさ、必要なことについて、また、避けるべきことについて。
・子育てのあり方についての現在的問題、特に地域が担う役割について。
・必要な人々に来てもらうことの重要性、そのためにできること、そして必要なことについて。
・支援者(ボランティア)たちの役割や、その生き方への支援活動の意味について。

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多分野連携プログラム「都市の生態学:移動・地域・生活環境」

テーマ:移動する家族と学校/校区
日 時:2023年3月2日(木)13:30-15:00
場 所:E-B-430 対面&ZOOMによるハイブリッド開催
話題提供者:木下 寛子 先生 (本学人間環境学府教育システム専攻)
参加者20名(内教員11名(敬称略)木下、野々村、山下、田北、蕭、佐藤(正)、津守(工学)、三島(博物館)、小川、宮本、鄭、(学際企画室)久米、学生その他一般8名)

話題提供者から次のような発表がなされた。
都市の移動と暮らしに関連して、象徴的な例として海外から移住したある家族を、「環境移行」「人生移行」、特にそのなかでも「危機的移行」に注目して取り上げた。
この家族――特に子どもの移行には多重の移行が起こっていた。ひとつには小学校・中学校・高校・大学へと進学する際の、場所や周囲の人たちとの関係劇的な変化があり、これに加えて周囲からの期待や要求の変化がある。さらに国境を越え、言語・文化を越えるという変化である。子どもが直面する多重の移行は、家族全体にも大きなインパクトをもたらす。その混乱や動揺、試行錯誤を家族へのインタビューをもとに、子どもの発達過程での移行の出来事として再構成し、その内容をもとに、家族がどのような「危機」に遭遇し、それに対処するためにどのようにして助言や支援を得られる周囲の人々を見つけ、どのようにその危機に対処するための都市・地域・校区の資源を見つけていったのか、その過程を示した。

その後の議論では、主に次のような質問・意見があり、議論を深めていった。
・移動・移住の全般について、(たとえば「難民」のように)元の場所にいられなくなってやむをえず移動した場合と積極的に望んで移動するのかによっても、移動の意味は違うのではないか。
・移動するという出来事自体は特定のある期間に起こることだが、それも移動前・移動(中)・移動後というフェーズから分けてとらえると、それぞれのフェーズで(例:移動後に次の移動を考え始める、予期せぬ移動が移動中にあった場合など)他の分野にも応用できる分析ができるのではないか。
・対処に困ったときに相手に頼って助言を求めることがある。そのとき、相手の言葉が対処するうえで意味あることなのか判別がつからず、ますます困ってしまう場合もあるかもしれない。移動と移行の難しさはこういうところにも表出しそうである。

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2022年11月

多分野連携プログラム「人工現実・野外環境と感覚生理」


バーチャル・リアリティ(人工現実感)勉強会・体験会
参加者 14名(敬称略):増本賢治(健康・スポーツ科学コース)、古賀靖子(建築環境学コース)、光藤宏行(心理学コース)、大学院生9名、職員1名、久米祐子(学際企画室 学術研究員)
日時 2022年11月25日(金)14:50-17:00
場所 イーストゾーンE-A-105・建築環境実験棟2階実験室
勉強の部(光藤・古賀) 研究紹介
体験の部(古賀) VR体験

VRヘッドマウントディスプレイの原理・応用について、古賀先生と光藤より説明がなされた。その後、実験室にてVRヘッドマウントディスプレイを用いて、景観の印象評価実験の体験会が行われた。

質問・意見交換
・VRヘッドマウントディスプレイを使った実験のプログラミングはどうする?
・3D酔いの原因は何か?
・VR体験したところ、3D酔いは全く感じなかった/頭の動かし方によっては多少感じた。
・VRはコンテンツが肝

 

 

2022年9月

多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」ミニシンポジウム

テーマ : コロナ禍における心理学研究〜我々はコロナ禍をどのようにサバイブしたか
日 時 : 2022 年 9月 28 日(水) 10:00〜12:00
場 所 : 九州大学伊都キャンパス イーストゾーン A‐215(対面開催)
企 画 : 池田 浩・内田若希・小澤永治・金子周平・古賀 聡・野村れいか・山本健太郎
参加者39名:内教員9名(池田・内田・小澤・金子・古賀 (聡)・野村・山本・光藤・齊藤)、研究員1名、  
一般と学生28名、(学際企画室)久米。

まず、4人の話題提供者が報告し、話題提供が終わるごとに指定討論者が質問を行うという流れで実施された。話題提供者・指定討論者ともに大学院生であり、専攻・領域を超えたディスカッションが展開された。

1.本田真大 (行動システム専攻 心理学コース)から「コロナ禍における STEM/STEAM 教育での子どもの興味と自己調整の育成をめざす研究活動」について次の話題提供をされた。
新型コロナの流行初期は、研究活動がほとんどできなかった。そのためこの期間は、1. 現状と課題を把握する、2. 研究活動を可能な範囲で進めることを行った。次の段階では研究課題の修正や、研究方法をオンラインで行うなどの工夫をした。
指定討論者からの質問。コロナ禍によるモチベーションの低下や新しい研究方法を見い出すまでの葛藤を教えてほしい。
 →コロナ禍では「できることをする」しかない状況だったので先行研究のレビューをした。それによって研究のモチベーションが高まった。研究方法の改善では小学校で研究が行えるか不安はあったが、コロナ禍が進むにしたがって児童一人ひとりにタブレット等の端末配布になったため、オンラインを活用した研究が可能になった。

2. 當山 貴弘 (行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)から「体育授業における回避的態度に関する
研究:コロナ禍での研究活動を通して」について次の話題提供をされた。
コロナの影響によって調査ができなくなり、研究へのモチベーションが低下した。そこで対処として、文献調査と論文の執筆の時間にあてたり、同期や修士時代の先輩とオンライン研究会を持ったりするなどした。
指定討論者からの質問。コロナ禍だからこそ良かったことがあったのではないか。
→コロナ禍で、同期や修士時代の先輩とオンライン研究会をしたと話したが、オンラインでなかったら遠くて疎遠になっていたかもしれない。オンラインだからこそ、同期や修士時代の先輩と親しく交流をもつことができた。

3. 川辺 裕佳 (人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)から「臨床動作法における共在性と援助の直接性・間接性」について次の話題提供が行われた。
コロナ前は、周囲を気にせず、安心して話せるような空間で行っていたが、コロナ禍で、支援形態に大きな制限がなされ、心理支援のニーズも増えた。そこで支援の改善を行って、オンラインツール・電話・チャット等を活用した支援の発展につながった。
指定討論者からの質問。手を触れて行う動作法について、コロナ禍になった時のデメリットとメリットについて。
→コロナ禍でやはり病院やセンターなどの実践の機会が少なくなった。一方で、少なくなった実践を大切に
振り返る時間が増えて、より深く検討するようになった。

4. 恒松 聡一朗 (人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)から「コロナ禍でのインタビュー調査とアンケート:流行初期の空気感の中で」について次の話題提供が行われた。
研究のための尺度の作成や種々の心理学的特性との関連を測ろうとしていたが、コロナ禍で制限された。それで、量的研究から質的研究へ転換した。研究を進める中で、教える指導者側からの視点の先行研究が多いことが判明。教えられる選手の側の視点に立つことが必要であり、その重要性に気づくことができた。
指定討論者からの質問。オンラインでインタビューをしていくときに、自分で工夫したことがあったら教えてほしい。
 →インタビュー時に、自分側の画面をオフにしたほうが話しやすいか確認し、そうしてほしいと言われたのでオフにしたことがあった。人によっては自分の顔が見えない方が話しやすいのかもしれないと思った。

以上で2022年度「共生社会のための心理学」ミニシンポジウムを終了した。

 

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2022年8月

多分野連携プログラム「人工現実・野外環境と感覚生理」

生理実験意見交換会・勉強会
参加者 9名(敬称略):増本賢治(健康・スポーツ科学コース)、古賀靖子(建築環境学コース)、光藤宏行(心理学コース)、大学院生5名、久米祐子(学際企画室 学術研究員)
日時 2022年8月2日(火)13:30-15:00
場所 心理学コース研究室(イーストゾーン B-534)

増本先生の研究の背景、および取り組んでいる最新の研究紹介に加えて、筋運動などを測定する装置の実演、および実験手順の概略について丁寧に説明を頂いた。
1. ランニング時の選好ペースに関する研究の紹介(スライドを用いた発表 約40分)
2. 運動時の筋活動、関節角度および加速度の測定方法に関する紹介(実際の機器を用いた実習 約50分)

質問・意見交換
・体温を測ったりする?
・汗をかいたときに電極はどうなる?
・限界まで運動するときに運動を停止する要因は?
・VR機器を別の機会で見たときには酔いを強く感じた

2022年3月

多分野連携プログラム「遊びと洗練」臨書する身体―書道熟達者の臨書制作プロセスの事例研究
日 時 :2022年3月30日(水)16:00~18:00
開催形式:ZOOMによるオンライン開催
講師:野澤光先生(東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員)
参加人数:13名(内教員4名:飯嶋先生、佐々木先生、村木里志先生(芸工) 、池田美奈子先生(芸工)、学際企画室久米、学生2名、その他一般6名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
書家が臨書をするときの身体の動きを研究素材として、身体を環境ととらえ、書家の臨書する文字に対する認識を主体ととらえた研究に新鮮な驚きを覚えた。また、王献之(東晋時代)の書を後代(北宋末)の米芾(べいふつ)が臨書する時に、原本からの逸脱とそれにつづく補償的動作が現れており、この逸脱を補償する筆線によってバランスを立てなおす行為で、米芾は単に先人の模倣にとどまらない米芾独特の書に到達したことを、デザインレイアウトと、書家の身体の動きから分析されたことに、研究の独自性と深い興味を感じた。

 

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築のために」 ~福祉と教育を結ぶ領域横断的研究~

テーマ:子どもの育ちを支える協同関係の構築のために
日時:2022年4年3月14日(月)15:00~18:00  対面による講演会
場所:九州大学伊都キャンパス イーストゾーン E-A-105
講師 :神原文子氏(社会学者・博士(社会科学)、前・神戸学院大学教授)
参加人数:9名(内教員6名:山下、岡、高野、田北、木下、野々村、学際企画室久米、学生その他2名)

本講演会は、まず講師の神原文子氏から講演していただき、その後研究会が行われた。講演の概要は、以下の通りである。

【神原先生の視点による「人権」とは何か】について話された。①(国家が)すべての人に保障すべきものである。②だれにとっても生きるうえで不可欠なもので、安心・自信・自由・平等の4つが保障される。③義務をともなわないが、「他人の人権を侵害してはならない」。
【1 子どもの人権からみた子どもの育ち】子どもを排除している社会の実態はどうか、次の4点から点検してみる。まず、(1)子どもたちの「育てられ方」の中味について、子どもは、親や教師に従うものという支配され服従させられる教えがある。(2)子どもの育ちをおとなの視点で捉えてみるとどうか。「差別は学習される」ものであり、だれかが差別することを教えているのである。(3)暴力と子どもという視点で点検する。子どもたちに体罰を振るっていないだろうか?体罰による子どもへの影響は甚大であると科学的に検証されている。(4)貧困と子どもについて点検する。子どもの貧困率は2015年の調査では13.9%(年収122万円以下)で、さらに大人が一人世帯の子どもの貧困率に焦点化すると、50.8%が年収122万円以下の貧困である。
【2 育つということ】人権尊重の標識の第1は、自分が大事だと思うことであるが、意外にもそう言える大人は少ないという現状がある。そこで、(1)「子育て」と「教育」から「子(個)育ち」と「共育」へという課題がわかってくる。共育とは「子育ち・個育て(自分育て)」の支え合いであり、「子どももおとなも育ちあうこと」である。(2)「育つこと」の課題をあげられた。第1課題は、ひとりひとりが、自分育ての“主人公意識”をもつことである。第2課題は、ひとりひとりの自己評価としての“自尊感情”“自己肯定感”の育ちである。第3課題は、ひとりひとりの「エンパワメント」である。第4課題は、子どもも大人も、「個育て(自分育て)」の支え合いが広がること。第5課題は、尊厳を傷つけることは“恥ずかしい”という観念の定着である。
【3 子(個)育ち支援の課題】大人の役割とは次の七つが考えられる。(1)子どもたちの生活課題と向き合うこと。(2)子どもたちの生活課題を理解すること。(3)子どもたちの生活課題を解決する糸口を探ること。(4)子(個)育ち支援システムの提案をする。(5) 地域における子(個)育ち支援の拠点をつくる。(6)子(個)育ち支援を担う。(7) 子(個)育ち支援の今後の課題、の七つである。                         

次に、講演会を終わり研究会となった。研究会の中では、地域の機関同士の、子どものための情報交換や相互支援のためのネットワークづくりを進め、それぞれがもつ知識・技能・資源を活用しあう関係をどうつくっていくのかについて論議された。また、保育園の保護者と保育者の意識の違いは、保育所は「保育に欠ける児童」を保護者に代わって養育するという、保育所設立の基本法である児童福祉法が根底にあるからとの基本が考えられた。以上で、講演会及び研究会を終了した。

 

多分野連携プログラム「災害と学校」熊本震災に学ぶ2-避難所についてかんがえる
日時:2022年3月11日(金)15:00~17:00
形態:Zoomによるオンライン開催
報告者
吉田隼氏(広島大学大学院工学研究科建築学専攻都市・建築計画学修了)
野口雄太氏(九州大学大学院工学研究院環境社会部門 学術研究員)
コメンテータ:角倉 英明 先生(広島大学大学院工学研究科建築学専攻都市・建築計画学)
参加人数:24名(内教員9名:元兼先生、神野先生、末広先生、南先生、田北先生、志波先生、清家先生、志賀先生、重藤先生、学際企画室久米、その他14名)

 今回の「災害と学校」熊本震災に学ぶ2は、まず野口雄太氏から報告していただき、次に吉田隼氏から報告していただいた。そして角倉先生から報告に対するコメントをいただき、最後に全体でディスカッションを行うという流れで開催された。

 はじめに野口雄太氏から、熊本地震の農村地域の小学校避難所を例として、地域住民を中心とした避難所運営が報告された。避難所運営も地域住民によって担われており、学校再開に向けた取り組みも地域の日常生活に応じたものだったことが述べられた。
次に吉田隼氏から、2018年岡山県広島県豪雨・2016の熊本地震・2011年の東日本大震災を対象として、全国的規模で小・中学校などを避難所とした場合、平均的に被災後、約一か月で学校再開に向けた取り組みがなされていることが報告された。
 
二つの報告をうけて角倉先生から、災害時に対応するためには、学校空間はある程度余裕をもたせた空間があった方がよいのではないか、というコメントをいただいた。

 その後のディスカッションでは、学校と地域の関係や、地域との日常的な連携があったほうが、避難所運営がスムーズにいくのではないかという意見や、そうだとすれば、日常的な地域とのつながりのなかで学校を考える必要があるという意見などがだされ、地域と学校をめぐる議論が活発になされた。さらには、学校建築のあり方も災害時や地域連携を念頭においた設計・建築が必要とされるという、教育と建築・社会関係についての学際的な議論がおこなわれて、本プログラムを終了した。

2021年4月~2022年1月

多分野連携プログラム「トランザクションとのつきあい方」

第8回2022年1月12日(水)17:00-18:30
テーマ:「出会う場所 ̶参与と現象学」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
木下寛子先生(九州大学教育学専攻)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)

参加者29名(教員6名南先生、木下先生、野々村先生、藤田先生、菊地先生、飯嶋 先生、その他一般23名)

参加者から次のような感想が寄せられた。

現象の不思議について述べられ「在る」ものは、時間性においてそのように成るものである。トランザクションのただ中で、再発見されるものが「それ」である。「それ」が主語におかれるとき、主体になることができる。「主体になる前は無意識でもあるし、環境側でもある」という言葉の背景には、どこまでが本当の「主体」なのかということを徹底的に問いつめ、分析する視線を感じた。この8回のシリーズを通して、主体と環境の境界はあいまいなのか、と感じさせるような発言もありながら、しかし反面では「それは主体ではない」というという鋭い分析が徹底してなされていたと学ぶことができた。

第7回2021年12月15日(水)16:40-18:10
テーマ:「ワークショップの体験理解 ̶アートと関与しつつの観察」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
笠原広一先生(東京学芸⼤学)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者21名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他14名内学生1名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
南先生は今回、西田幾多郎の意識と場の哲学について、「西田は意識と対象を関係づけている。意識とは何かについて見たり思い出したりするなど、意識は対象に関係づけられたものであり、それには両者がつつまれるものがなければならず、それが「場所」なのだと西田は述べている」と言われたのには、西洋だけではなく東洋哲学についても「意識」と「場」についての言及があったのかと、驚いた。さらに、笠原先生から絵画ワークショップで、子どもが絵具と遊び、「感触が心地よくて無心に繰り返してしまい、自分と絵具の隔たりが溶解するような体験であり、世界との十全な交流ともいうべきものである。こうした自他の境界が溶け合い交じり合う体験とは「主語がない現象領域」での体験である、と報告があり、南先生の「都市の意識(無意識)」と西田の「無我(無意識)」、そして笠原先生の「境界線が明確でない溶融体験」とは、かなり共通する部分があると感銘を受けた。

第6回2021年11月10日(水)16:40-18:10
テーマ:「身振りとしてのアート-まちと大学との汽水域をつくる」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
石田陽介先生(活水女子大学)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者21名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他14名内学生2名)

参加者から次のような感想が寄せられた。

都市や街をつくる時、「誰がアクターか、何がそれを動かすのか。主体というのは幻想で主体は環境ではないのか、と」南先生が言われた時に、なるほどと思った。トランザクションは今のところカタカナで表現しているが、「相互浸透」と日本語訳すれば良いと思うと述べられ、とても分かりやすいと思った。石田先生はアートセラピー(精神科芸術療法)を実践されており、汽水域とは川の淡水と海水が交わる所で、そのように人と人とが絵画などの芸術を通して縁を結ぶ所にできないか、と江戸時代の同好者が「連」を作って芸術を通した交流を行っていたことを例として述べられたのには、説得力があると感じた。

第5回10月13日(水)16:40~18:10
テーマ「実践と研究の往還-子どもの遊び・居場所・参加-」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
山下智也先生(北九州市立大学)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者21名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他14名内学生1名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
南先生は、行動する「主体者」とは誰なのかについて話され、博多山笠に参加されて、山笠を大勢でかくとはひとり一人の個人の問題ではないのではないか、山笠の動きに歩調を合わせながら動いている。それを「山が動く」と表現されるが、それは丸山真男が『歴史意識の”古層”』で「つぎつぎに なりゆく いきほい」と書いた表現が適切だと述べられ、そういう捉え方もあるのかと興味深く感じた。山下先生の話は、土台から出現・蓄積し、そして変容していくという局面の変化を分かりやすく示され、実践と研究に携わることと、どのような方法・接近の仕方で実践を行うのかという問いは、自分にも向けられているような意義深さを感じた。

第4回7月14日(水)16:40~18:10
テーマ「フィールドと時間-トランザクションを捉える方法の探索-」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
松本光太郎先生(茨城大学准教授)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者24名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他17名内学生2名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
南先生は「まちを歩く(人は何をしているのか)」を中心に、アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』でロワイヤルの小道をデュパンと「私」が歩いていく描写を例に、主人公が歩きながら道でつまづきそうになり、そこからの古代ギリシャの人物や星座を連想するという時間(歴史)と空間(道)の関係について話された点がたいへん分かりやすかった。松本光太郎先生は、トランザクションとは「生物の進化の過程、文化・社会の変化、人間の心の成り立ち、環境のデザインはすべて人間と環境の系の変態(トランスフォーム)であると捉える」と述べられ、明快にご自分の研究を理論化されていた点がすごいなあと思った。

第3回 6月16日(水)16:40~18:10
テーマ「原風景と質的研究-体験・想起・語り-」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
呉宣児 先生 (共愛学園前橋国際大学教授)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者43名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他36名内学生5名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
南先生は、文芸評論家の奥野健男『文学としての原風景』の表紙を見せられ、これが「原風景」という言葉の発端となったと述べられた。「原風景」または「原光景」の意味として古くはフロイトの解釈があるが、現在は「普段は抑圧している(思い出さない)記憶が、ふとした瞬間に思い出すものを原風景」と呼ぶと説明され、「原風景」の意味が変化していることに気づかされた。呉先生の済州島のお話で印象深かったことは、語りの主体が「私」から「われわれ」へと場所によって変化すること。そのようなコミュニケーションによって「われわれ感」の生成がおこることに語り合いの重要性があると思った。特に済州島の事例で、かつて日本人が集まって住んだ地域を復興し、観光地化している話には大変感銘を受けた。

第2回 5月12日(水)16:40~18:10
テーマ「原点と変化と重複-軸ってなんだろう-」
場所:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
苅田知則 先生 (愛媛大学教授)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者37名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他30名内学生2名) 

参加者から次のような感想が寄せられた。
ケニス・バーグの『A Grammar of Motives』1969から南先生はトランザクションの一側面を話された。「人がなにかをしている時に、なぜそうしているのかを言うときに、そこに動機の文法が入ってくる」。それは次の五組の言葉「何が起きたのか」「それが起きた背景(状況)」「どういう人がやったのか」「どんな方法・手段で」「なんの目的で」である。要するに「なぜ、やったのか」は、「行為・目的・手段・状況(背景)・行為者」という五つの用語の間の相互関連なのであり、それが展開する時に「動機の文法」が形成されていく。言い換えれば、その関係は接触によって「相互浸透する」関係であると分かりやすく話された。苅田先生の話は、環境心理学の考え方から重症心身障害児の支援ツール(ビックマックやトーキングエイドなど)の開発をされているという画期的な話でとても興味深かった。

第1回 4月14日(水)16:40~18:10
テーマ「環境心理学の浸透と広がり」
場所:文系図書館4階きゅうとコモンズ/Zoomによるオンライン開催
話題提供者
園田美保 先生 (鹿児島女子短期大学教授)
南博文先生(都市共生デザイン専攻環境心理学)
参加者28名(教員7名 南、藤田、飯嶋、黒瀬、野々村、田北、木下、その他21名内学生2名)

参加者から次のような感想が寄せられた。
クルト・レヴィンが80代の頃、その周りの研究者と共に学ばれたという南先生の話には驚いた。トランザクションは“trans action”であり、人が歩いて行くと徐々にひらけていく景色(状況)。言い換えれば、事態が先に開かれ始めていてそこへ行った時に、行った理由を後で考えるようなものであると述べられた。特に阪神淡路大震災を契機として九大の人間環境学府ができたのも、震災で建物が倒れたり建物に埋まったりして人が亡くなったことは、人間と環境(建物など)とが密接に相互作用しあっているという理由だったことに納得した。園田先生の話も人との出会いの大切さを感じさせられ、さらに、子どもは、大人という環境を自分の内に取り込みながら育つと述べられたことに考えさせられた。

2021年9月

多分野連携プログラム 「共生社会のための心理学」

テーマ 「心理学の多様なキャリアパス:近道?回り道?」
日時:2021年9月19日(日)13時~16時
  形態:Zoomによるオンライン開催
話題提供者
中島 美鈴先生(肥前精神医療センター臨床研究部客員研究員)
孟 憲巍先生(大阪大学人間科学研究科助教)
平木 貴子先生(日本大学経済学部専任講師)
中村 浩史先生(産業能率大学准教授)

参加者68名:教員6名(古賀・内田・池田・金子・小澤・光藤)、一般と学生62名、久米(学際企画室、記録作成)

本シンポジウムは多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」の取り組みの一環であり、心理学を修めた若手研究者を招聘して、キュリアパスについて報告していただき、心理学が今の仕事にどのように活かされているのか、についてのお話をしていただいた。その概要は、以下の通りである。
    

話題提供者1:中島 美鈴先生(肥前精神医療センター臨床研究部客員研究員) テーマ「夫の転勤、不妊治療、子育て、コロナの4度のキャリア危機とそれを乗り越えた経験」
(1)独身時代 広島大学大学院修士課程までは、思春期の不登校の子どもの支援をしたいと思っていた。当時からセルフヘルプグループに関わっていて、グループ支援活動に関心があった。それが、どういう経過で現在に至ったのかを話すことにする。 第一の危機としては、当時臨床心理士の求人が出ていなかったし、心理士の就職の多くが人づてだったことだ。遠く離れてなんのつてもない、実家の福岡の就職先どうやって探すのか、ということだった。タウンページを開いて、精神科病院に1件1件電話して探した。そして、福岡でやっと民間の単科精神病院に心理療法士として就職した。ところが、とある事情から個人カウンセリングのできない状況となった。これが、第二の危機だった。 そこで、発想の転換をした。個人カウンセリングではなく、グループカウンセリングをしようと考えて、思春期デイケアや認知症病棟でグループを行うことにした。以前から希望していた肥前精神医療センターが心理療法士2名を募集していたので応募したら、約30名の応募者の中から採用された。なぜ採用されたのかを尋ねると「グループカウンセリングができる人を探していたから」ということだった。つまり、第二の危機の時に発想の転換をして、グループカウンセリングばかりをしていたことが、肥前精神医療センターの仕事につながった。第二の危機で、発想の転換をしたことが良い結果を招いた。 (2)東京時代 2008年に結婚して、夫の転勤で東京へ転居した。それをきっかけに、専業主婦をすることにした。ところが、半年ぐらいで飽きた。東京の友達は、子どもがいるか働いているかのどちらか。なのに、自分は稼いでもいないし、子どももいないので無気力になってきた。 これが、第三の危機だった。そこで、仕事をすることにした。 外資系会社の従業員向けのカウンセリングや、翻訳の仕事をもらったり、論文執筆にチャレンジしたり、聖路加国際病院の乳がん患者ケアの手伝いをしたり、 インターネットカウンセリングをするなど。そんなことをしている内に東京大学大学院総合文化研究科の学生相談所助教として雇ってもらえた。 (3)福岡時代 ところが、夫が福岡に転勤することになった。福岡大学人文学部での勤務がスタートした。ここも居心地は良かったが、不妊治療をすることになった。不妊治療は体調との関係で行われるので、スケジュール調整ができない。それで、仕事との両立ができず、それで仕事をやめた。これが第四の危機だった。幸い子どもは授かったものの切迫早産による安静指示が出たので、自宅で安静にしていたが体調は悪い時期が続いた。これが第五の危機。 そんな中でも2012年1月に無事に出産できた。子どもが6か月をすぎた頃、福岡保護観察の仕事に復帰して薬物依存症グループを担当。ところが、子どもの離乳食がうまくいかず、保育園にも預けられない。これが第六の危機。子どもとシッターさんと一緒に仕事にまわることで切り抜けた。しかし、待機児童の問題で、私の仕事が非常勤だと保育園に入れない。これが第七の危機。そこで、2014年に中島心理相談所を開設した。個人事業主になることで常勤扱いとなり、保育園に入れた。 (4)大学院に入るまでと現在 子どもが3歳のころ「成人期のADHDの認知行動療法」の翻訳を始めた。また、日本人向けの ADHDワークブック執筆を開始した。いいタイミングで、2016年に九州大学大学院の黒木先生から大学院にお誘いいただいた。だけど3年間で卒業する自信がなかったので、一年間パイロットスタディや英語の勉強をした。とはいえ、学費はだせるのか、とか夜間の託児をどうしたらよいかなどの第八の危機があった。 ちょうどそのころ、夜9時までの民間学童が設立された。また、学費は九州大学の奨学金や独自の制度があったので、切り抜けることができた。2017年4月 –2020年3月まで、九州大学大学院人間環境学府 博士後期課程でプログラム作成などを開始し、博士号をとって修了した。 しかし、新型コロナ感染拡大で仕事の多くが中止となり(第九の危機)、3か月ぐらいは仕事がなくなった。この時期をなんとか乗り越えようと、オンラインカウンセリングを活用したり、朝7時からオンライン時間管理セミナーをZoomで行うなどして、この新型コロナ感染拡大の危機を乗り越えつつあるところ。 2021年現在、 成人期ADHDの集団認知行動療法の教育システムの開発(科研費 代表)・成人期ADHDの認知行動療法統一プログラムの開発(AMED 分担)・集団認知行動療法の共通基盤スキルの開発(厚労科研 分担)・ 大麻使用少年に対する再乱用防止プログラムの開発(福岡県)の4つの大きな研究を同時進行させている。 危機を切り抜けて得たものは、「災い転じて福となす」ことです。個人カウンセリングからグループへの転換が良かったと思う。人との出会いは宝。仕事も研究もそうだった。自分に向いた生き方しかできないんだ。それでいいのだ。得意な困難もあると思う。「うらやましいな」と思うなら自分もするということが大切。 今後の夢としては、(1)成人ADHDの集団認知行動療法の診療報酬点数化。(2)臨床心理士の育成。(3)当事者や一般の人に向けた認知行動療法に関する啓発活動、などに力をいれたい。 もう一つ紹介しますが、これは最近のもので「日本人のADHDの行動療法の効果」という研究論文が、アメリカのADHDの雑誌に載った。この執筆者たちは、大きな研究団体や大学に所属している人たちではなく、私をはじめとして、地方出身の人やフリーランスの人などこれまであまり研究してきたことがない人たちが、研究をして、載ったというところが面白いと思う。 一方、臨床研究をしたいが困難もある。1. まとまった時間がとれない 2. 協力チームがいない 3. 研究費がない 4. 学術面が不安5. 参加者集まるの? 6. やる気が続かない 7. やることが多過ぎてパニック、など。 解決法としては、次の方法をとっている。1. 「まとまった時間がとれない」ことは、子どもの送迎などのスキマ時間を有効に使う。2. 協力チームは、以前からの知り合いで非常勤心理士ママたちとごはんを食べながらミーティングできる仲間と出会えるように心がけている。3. 研究費は、宝くじを当てるように民間研究助成や公的研究費にはとにかく申請する。4. 学術面は、九州大学大学院で先輩や先生に質問したりできて、これほどしっかりと学術研究を身につけられるところはなく、大学院に行ってほんとうに良かったと思う。5. 患者さんの募集は、療関係者の集まる勉強会で講師して宣伝、メーリングリスト、新聞(Webニュース)、講演会、コラム連載、ラジオ、発達障害専門会社のメルマガなどで行い、100人近くの応募があった。6. やる気が続かないことは、長期的なアウトプットである研究は、動機付けを維持するのが大変(報酬遅延)なので、短期的なゴールを設定することで、こまめに達成感を感じられるようにする。勝手に年間計画を作成し指導教官に提出して、計画をシェアする会を主催するなど短期の楽しみを作るなど。 今から結婚とか出産とか、いろいろありながらも研究者を目指される方も多いと思います。最初からあきらめずに、きれいにやらなくても、私独自のやり方でやってもいいと交渉してみたりとか、多少のずうずうしさを持っても、もう社会は意外に寛容だ、ということをお伝えしたいと思います。

質問 スケジュールの管理はデジタルなツールをお使いでしょうか?(光藤)
→デジタルツールはGoogleカレンダーでも他のものでも使えると思う。私が使用しているのは、主にガントチャートです。「月の予定」をガントチャートに書き出すこと。既に終日入っている予定を縦書きで記入する。 先月から繰り越しのプロジェクトも含めて、進行中のプロジェクトを全て書き出す。各プロジェクトの締め切りは赤い縦線「|」を引いておく。週間計画は、各プロジェクトのto do をガントチャートの締め切りの近いものプロジェクトを優先して、直近の1週間の週間バーティカルの空白時間に予定として入れていきます。上のガントチャートには、その日に行うto doの省略した仕事名を書き、進捗状況がひと目でわかるようにしておくようにしている。

質問 女性研究者が必ずぶつかるが家庭か研究かとどちらかの選択に悩むことをどう考えるか。(内田)
→他の大学の先生から、「家庭も研究もというのは贅沢。どちらかを選びなさい。」と言われたことがある。でも、私たち40代前半は過渡期で、結構家庭も研究も両立させている人がいる。別居もありかもしれないが、徐々に環境が整ってきている。あとは、旦那さんもお料理がんばりましょう、ということですね。

話題提供者2:孟 憲巍先生(大阪大学人間科学研究科)「研究がわたしを-自由-にする」      
 現在、実験心理学の手法を用いて赤ちゃん・子どもの社会性について研究されている。中国の高校在学中から「学問をしたい」と思われ、日本へ留学された。学部では臨床心理学や社会福祉を学ばれた。次に人間の社会的なこころの成り立ちに関心を持たれ、九州大学大学院人間環境学府や京都大学大学院教育学研究科で発達科学の研究に従事された。その後、同志社大学赤ちゃん学研究センター、それから大阪大学大学院人間科学科で助教として研究活動を行われてきた。 講演では、これまでの研究経験を振り返り、研究や研究者に関する考え方や、円滑に研究活動を行うための個人的なノウハウを紹介された。例えば、研究者はトップアスリートのように常にトレーニング(論文を読む・書く、他の研究者と議論するなど)を続ける必要があることや、「外の世界を知る・外の人と繋がる」ことを大事にする必要があることなどを述べられた。 最後に、これまでの研究人生については「回り道をたくさんしてきたが、結果的には近道でした」と評価され、「目標に向かって頑張っていれば、きっと道が開く」とのメッセージを参加者に送られた。

話題提供者3:平木 貴子先生(日本大学経済学部)「"働くこと"を通して学んだこと―課題への取り組みと自己変容―」  
九州大学大学院人間環境学府行動システム専攻健康・スポーツ科学コース(現)を修了した学生のキャリアパスとして、話題提供がなされた。 話題提供者は、スポーツメンタルトレーニング(SMT)指導士の資格取得を目指し、大学院に進学した。修士課程を修了後、専門学校講師、国立スポーツ科学センター(JISS)でキャリアを積み、現在は大学で保健体育科目の教員を行っている。話題提供者がこれまで研鑽を続けてきた分野は、JISS時代から行っている"アスリートに対する心理サポート活動"であり、その活動での苦労や葛藤,表面化した自身の課題への取組みなどについて話題提供を行った。そして、それらの研鑽は、取り組んでいくなかで自己の課題が顕在化し、自己理解していく過程でもあると語った。さらに。その過程で得たものは,現在,大学教員として働く中にも活かされていると述べられた。

話題提供者4:中村 浩史先生(産業能率大学)「私の中での心理学の活用-企業内人材育成と心理学-」
 自己紹介します。1975年 兵庫県の明石市生まれです。父の転勤で大阪府へ引っ越し、大阪府立北野高等学校を卒業しました。心理学との出会いは、高校の頃近くの小さな本屋にあった『マズローの心理学』を買って読んだことでした。この本の中に自己実現という言葉がでてきて、とても関心をもった。高校生の時、人の話を聴くのが好きで、兄が「人の話を聴くのが好きなんだったら、臨床心理士という仕事がある。」と勧めてくれたので、「カウンセラーになりたい」と思った。  それで、九州大学の教育学部心理学専攻へ入学した。学部時代は臨床心理学専攻した。というのも、大学1年生の頃に、阪神大震災の被災地へ先輩たちが、ボランティアとして行って活躍した話を聞いていたから、「将来はカウンセラーとして社会貢献したい」と思った。  私は、北山修先生のもとで、精神分析学を学んでいた。当時の思い出として、自身の勉強の意味もあって、心理学辞書作成のお手伝いをした。マズローの心理学に出てきた「自己実現」という言葉を担当した。そうしたら、北山先生から「自己実現」ならカレン・ホルナイを調べた方がいい、と言われてカレン・ホルナイという人物を知った。私の心の中には、常に「自己実現」という言葉があった。学びをつづけていくなかで、自己実現していそうな人がいる社会に関心が強いことが分かってきた。自己実現している人は、創造性があるとのことだったので、卒業論文のテーマは、創造的な人間についてでした。大学院時代の修士課程では、臨床心理学から社会心理学へと発展していった。そこで、古川久敬先生(社会心理学、組織心理学、組織行動論)に学ぶことになった。修士論文では、創造的問題解決におけるつまずき体験の効用をテーマとして書いた。社会の中で働いている人たちの中で、自己実現して社会貢献している人を実際に見てみたいと思うようになって、就職することにした。  私の勤務先は、産業能率大学であり、創立者は心理学も専門であった上野陽一先生です。フレデリック・テイラーの科学的管理法を日本に導入するなど、多くの海外の心理学知見を日本に入れた。科学的管理法を、「能率学」と翻訳し名付けて日本で普及させた。日本最初のマネジメントコンサルタントです。日本の経営学の端緒を開き、「能率学の父」ともいわれる。  私は、2001年に九州大学修士課程修了後に、産業能率大学経営開発本部研究開発部HRM研究センターへ就職しました。2021年現在は、産業能率大学総合研究所の経営管理研究所に在職しています。  その仕事内容は、企業や自治体における人材育成の支援です。具体的には、集合型の研修を行うこと(コロナ後はオンライン中心)。研修の中身は、社員の能力開発やマネジメント、リーダーシップ、コミュニケーション、チームワーク、組織診断・人材育成環境づくりなどがあります。そんな風に企業の中での人材育成が進むような支援をする仕事です。そういうものを作っていく時に心理学はとても役立ったと思う。最初、企業の現場のことが全然わからなかった。その企業の実態などを先輩方から、立ち話あるいは雑談を通じて学ばせてもらったことが、とても大事だったと思う。この大学は、いろいろな民間企業から転職して入ってくる人が多い職場だから、いろんな職種の実態の話が聞けた。そいう話をききながら企業の支援をしていく。企業の方々と話していると、良かったことやうまくいったことを教えてくれる。そういうやりとりを通じて、学んだことを次の支援に生かしていく。そういう意味で、企業の支援をしていく立場ではあるけれども、私の先生というのは企業の方々でもある。そういうことを通して自分自身も成長してきたと思う。  大学院の授業では、コンフリクト・マネジメント論等を担当している。仕事をする上で、心理学を学んだことが役に立っている。心理学以外でも基礎的な部分でいいですが多分野も学んでおくといい。経営学(マネジメント)、営業ノウハウ、財務、マーケティング、生産管理、イノベーション論、人事制度(評価制度)などです。他の分野も学びながら、心理学と総合的に活用するのが効果的であり、実践的です。 大学院時代を振り返って心理学を学んで良かったなと思うのことは、(1) 意外とみんな心理学に興味持っているが、全体では少数です。しっかり勉強しているとその内容を伝えられるので良いと思います。そういう意味で今、学んでいることは無駄ではない。(2) 大学院は、英語の論文に拒否反応がなくなる。論文の読み方が分かる。英語って楽しいなと思えるようになった。  私は、池田先生の論文の中で引用されていたカリフォルニア大学心理学教授のロバート・A・エモンズ博士の論文がきっかけで、エモンズ博士の書籍を読むようになった。その書籍内容に大変感銘を受けた。エモンズ博士に直接お会いする機会を得て、それを今年(2021年5月) 翻訳して『「感謝」の心理学』出版した(産業能率大学出版)。実は私が高校生の頃、大阪で最初に買ったマズローの本は、産業能率大学出版部から出された本だったという縁があった。 皆さんへ向けて。私が感じていることは、今後私たちはグローバル化の加速の中で生きていく(オンラインでさらに世界がつながりやすくなっている)ことを念頭に置いておくこと。次に新型コロナ蔓延の中で、オンライン化が進みオフィスがいらなくなってきた。それによってローカル化が加速し首都圏一極集中からの脱却して、その土地、その場所で生きていくことになるだろう。首都圏で生きていく人もあるだろうが、その土地、その土地で生きていく上で(自分の生きる場所を大事に)、多様な生き方ができるようになる。その時・その場で心理学を活用することができる。以上で、私の話を終わります。

質問 話に出てきた北山修先生は、ミュージシャンで今白鴎大学学長を務めている方と同一人物でしょうか。
→はい、同一人物です。「あのすばらしい愛をもう一度」などすばらしい日本中の方が知っている歌の歌詞をたくさん作られている方であり、今白鴎大学学長をされている。

質問 北山修先生は授業の中で音楽の話とかされたことがありますか。
→あります。私が学生時代に「あんな素晴らしい歌詞は、いつ思い浮かぶんですか」と聞いてみたりしたことがありました。

質問 社会心理学を学んで社会に生きるという強みを教えていただきたい。(古賀)
→人は他人から影響を受けるということが、一番のポイントだと思っている。企業組織を見ていくと、その企業独特の考え方をする人が多い。その組織に属することで、その影響を受けている。これは社会心理学からいえば、人は他者から影響を受けやすいということ。これは態度変容であったり対人的な認知の変化という側面。この側面は社会心理学の知識と実情をつないで理解しやすい。集団になった時に、いつの間にか自分の考えを人の考えに合わせて自分の考えがなくなっていく。こんなことも、組織だからこそ起こる。これは社会心理学から学んだ知識だと思う。

チャットから先生方へ質問 学部生の時にやっておけば良かったことはありますか。(学部2年生)
→孟先生
私はたくさんのアルバイトをやって、人生で一番有益だった気がします。いろいろな人と接することができて、みんな大変だけど頑張っていることが見えてきたから。研究に関しては、分野にかぎらずいろんな先生や先輩と話した方がいい。いろんな本も読んで。
→平木先生
エネルギーを注げる何かを真剣にやってみることだと思う。学生に「真剣にやらないとおもしろくないよ」というのですが、趣味でもなんでも良いのでエネルギーを注げるなにかに没頭する体験を学生のうちにやった方がいいと思います。
→中村先生
いろんな領域とかいろんな分野に触れる機会があるならば、時間を費やしてみたほうがいい。自分を時に相対化するというか、俯瞰的に自分の位置づけを見ることは、いくつかの領域を知ってはじめて自分の位置づけがわかる時があるから。

2021年4-7月

多分野連携プログラム 2021年度、遊びと洗練「九州大学と水俣」

テーマ 「九州大学と水俣」
日時:2021年7月10日(土)15時30分~17時30分 
形態:Zoomによるオンライン開催
司会者-岡幸江先生(人間環境学研究院教育システム教授)
話題提供者
1「事件の構造」
磯谷明憲先生(経済学研究院名誉教授)「チッソの企業体質とその特異性」
黒木俊治先生(人間環境学研究院人間共生システム教授)「水俣病の医学論争史-"奇病" を誰がいかに診断したのか-」
2「事件と表現」
高橋勤先生(言語文化研究院教授) 「『苦界浄土』と棒踊り-石牟礼道子における南九州の風土」
古賀徹先生(芸術工学研究院教授)「石牟礼道子における想起と事実」
3「事件からの学び」
飯嶋秀治先生(人間環境学研究院人間共生システム准教授)「村の生存-事件と日常に臨んで」
中山裕文先生(工学研究院准教授)「環境ストラテジスト教育における水俣問題の学習について」
4「事件の黙示」
出水薫先生(法学研究院教授)「"国策民営"の下での有機水銀汚染事件と原発事故-二つの"自由主義"の行方」

参加者68名 (教員8名、岡・磯谷・黒木・高橋・古賀・飯嶋・中山・泉、一般と学生60名)

参加者からは以下のような感想が寄せられた。

磯谷先生から、親会社のチッソは熊本県債や後には国の公的な財政支援をあてにした水俣病患者に対する補償会社として存続し、子会社が利益をあげていくという親会社と子会社の主客逆転した経営方針が1950年代早期からとられていたという基本的な会社についての戦略を教えてもらったと思う。倒産しているはずの会社がいまだに存続しているカラクリがわかった気がした。
つぎに、私が一番関心があった「九州大学医学部と水俣」について、黒木先生から池田勇人の政治介入などがあったり、原田正純先生が水俣病という「社会的・政治的な事件を医学という一分野に閉じ込めてしまったことも問題の解決を遅らせた原因の一つである」「巨大な政治的力が(水俣病を)医学的に封じ込めることに成功した」と述べられていることを聞いて、政治介入はやはりあったとしても、それを「医学だけの問題にしてしまう」ことについての限界性の指摘には、目を見開かされるものがあった。
高橋先生、古賀先生、飯嶋先生は、水俣を「語る」ことをそれぞれの角度から論じておられ、とても興味深いものを感じた。高橋先生は、石牟礼道子の思想が、水俣という「生命の根源」を、侵害し破壊する「近代」の縮図として描かれていることを魅力的に話していただいた。それに対して、古賀先生は石牟礼道子の文体(語り)に投げかけられる、作者の石牟礼の体験や感じたことを坂上という女性が話していることにしてしまうとことについての批判、一歩間違えば「騙り」となってしまう危うさ、そしてそれを「文学」といってしまうことの疑問などを述べてくださり、そういう批判もあることを教えていただき、「文学とは何か」について考えさせられた。
 お二人が石牟礼道子の文体である書き言葉としての「語り」について焦点を当てられたが、飯嶋先生は外部者として、学生たちと水俣に行って水俣の人々の生活を観察し、水俣の村人たちの生活とお互いの人間関係を、話し言葉である「語り」として捉えられたことに新鮮さを感じた。そして、水俣の人々が村の秩序を守るために「水俣病についての語り(発言)」を自分たちのタイミングと、発言場所を選ぶことで、外から水俣病について調査・研究しに来る人たちに見せて「語る(発言する)」ことで「かいならす」ことを身に付けていき、「村は終わった」ように見せているという分析は、大きな真実の大きな側面であるかもしれないと思った。
そして、出水先生からの報告を聞くことで、あくまでも操業を続けるのは民間企業のチッソであり、行政は前面に出ないことや、被害者補償も行政はチッソに責任を負わせて支援する対応を取ることなどを知った。結果として、国策の下で企業が矢面に立ち、政府は背景となる国策を遂行した責任を曖昧にしたまま、あたかも後見人や調停者のように振る舞うことができるとのこと。これが、「国策民営」の共通点であることを聞いて、原発事故について常々おかしいと思っていたが、それは戦前から続いていたチッソなどの国策民営会社の「体質」というか、国と民間会社との関係についての「仕組み」を解明していただいたように感じた。
今回は、水俣病というひとつの事象に様々な分野の研究成果から見たいろいろな側面を見せられ、一つの研究分野からでは見えない多面的な事情が絡まり合って、いまだに水俣病問題が続いていることを知ることができて良かった。

 

 

2021年3月

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

公開講義「暴力の理解社会学――沖縄の建設現場での参与観察をもとに」

報告者: 打越 正行 氏(和光大学・講師)
日時: 2021年3月18日(木)14:00~16:00
場所: オンライン開催(ZOOMで配信)

詳細はこちら

2021年2月

多分野連携プログラム「災害と学校」

オンライン研究会「学校空間をCOVID-19の視点から問い直す」

日時: 2021年2月24日(水)16:00~17:30
場所: ZOOM開催(参加自由・参加費無料)
講演者: 垣野 義典 (東京理科大学理工学部建築学科准教授,日本建築学会教育施設小委員会主査)
             関口 就(東京理科大学理工学部建築学科4年 垣野研究室)
             阪本 海人(東京理科大学理工学部建築学科4年 垣野研究室)
             徳永 理佳 (東京理科大学理工学部建築学科4年 垣野研究室)

参加者:44名(うち教員6名:元兼先生、志波先生、神野先生、田北先生、飯嶋先生、住吉先生)

シンポジウムの概要はこちら


 

2020年12月

多分野連携プログラム 「アジアの都市と市民」共催

オンラインシンポジウム 「「空飛ぶクルマ」の社会実装における社会的課題の解決に向けて」


日時 :2020年12月2日(水)15:00~18:00
場所 :オンラインによる開催(zoomで配信)
参加者:104名(最大時)

シンポジウムの概要はこちら

2020年8月

多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」

オンラインミニシンポジウム「はたらく若手心理学博士の実態と夢」

日時: 2020年8月5日(水)13:00 ~15:30
場所: Microsoft Teamsによるオンラインシンポジウム
講演者: 秋保 亮太 (大阪大学)
            内山 朋美 (長崎県警科学捜査研究所)
            堀田 亮 (近畿大学九州短期大学)
            平田 祐太朗 (鹿児島大学)

参加者:73名(うち教員7名:杉山佳生、池田浩、古賀聡、内田若希、小澤永治、金子周平、光藤宏行)

本シンポジウムは多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」の取り組みの一環で あり、心理学を修めた若手研究者を招聘して、心理学に関するキャリアをどのように形成してきたのか、また心理学が今の仕事にどのように活かされているの か、についてのお話をしていただいた。その概要は、以下の通りである。

    

・話題提供1:「研究で広がる人間の輪」(秋保先生)
 はじめに、本シンポジウムのテーマを「研究職に対する夢を持ってほしい」と読み替えた上で、未来志向の研究者の在り方についての講話がなされた。
 研究職を巡る現在の日本の実情として、研究職に対する学生の関心は一定程度以上あると思われる一方で、博士課程への進学率は減少傾向にある。秋保先生 は、その原因を大きく3つに分けて整理した。第一に、多種多様な研究手法を網羅することの困難さ、自身の能力に対する不信感といった能力的理由である。第 二に、将来に対する不安、研究室の環境に対するマイナスイメージといった感情的理由である。第三に、人間関係や経済事情、時間と地理の問題といった環境的 理由である。
 その上で、これらの原因のすべてに対して一人で対応している研究者はほとんど存在しないことが強調された。多くの場合、研究者はチームをつくりそれぞれ が能力や役割をカバーし合いながら研究活動を行っていることが述べられた。また、チームでの活動は研究のパフォーマンスを向上させるだけでなく、メンバー 同士の相互作用によって刺激を得ることもできるため、モチベーションの維持にも効果的であることが述べられた。とりわけ近年はテクノロジーの発展に伴い、 共同研究の実行可能性も高くなっていることも補足された。
 秋保先生は、「凡人」でも研究は可能であることを強調する。ご自身も大学院で過ごす中で出会った先生や先輩との縁や、研究活動を行う中で出会った研究者 との縁を大事にする中で自然と人間の輪が広がり、研究のモチベーションが維持され続けていることが述べられた。その際、自分の特徴や状況を自分が把握でき ていることと、自ら協働の機会を創出することが重要であることが述べられた。

 

・話題提供2:「捜査場面における心理学」(内山先生)
 次に、研究職として従事している職務内容の紹介を通して、心理学が仕事にどのように活かされているのか、についての講話がなされた。
 科学捜査研究所における内山先生の主な仕事は、鑑定と研究である。鑑定とは、事件や事故の資料を科学的根拠に基づいて調査することであり、例えば、呼吸 や心拍等の生理反応を測定して容疑者の事件に関する記憶の有無を検査したり、あるいは事件の発生時間、場所等や過去の研究論文を総合的に分析し、犯人の属 性や活動拠点を推定したりする。もう1つの主たる仕事である研究では、科学的な鑑定を行うための研究を行うということが述べられた。内山先生は研究を行う こと自体については意欲的であるが、実験デザインや職場内での実験方法の問題が、現在の課題としてあることが述べられた。
 内山先生は現在の職種を目指して大学院に進学したわけではなかったが、学部生の時の指導教員が科学捜査研究所出身の先生であったことや、自身の研究テー マが現在の仕事内容に偶然近かったことが、科学捜査研究所への就職に繋がったことが述べられた。元々持っていた記憶に関する研究関心とそれに根ざした研究 活動が現在の業務内容と密接に結びついていたため、仕事で求められる知識・技術や役割を理解しやすく、かつ研究の成果が仕事に活かされていることを実感で きるということが心理学を学んだ意義として語られた。

・話題提供3:「心理学を学んで-これまでとこれから」(堀田先生)
 次に、研究者としてのキャリア形成に関する講話がなされた。
 堀田先生の初発の関心は加齢に伴う認知機能の変化にあり、学部生の頃は若い人と高齢者の認知機能の差異を測定する研究を行ったことが紹介された。その経 験から、加齢に伴う認知機能の低下を抑制するにはどのようにしたらよいか、またその方法はどの程度抑制するのか、という2つの疑問が生じたため、大学院へ の進学を決意したことが述べられた。
 修士課程では主に運動や身体活動に焦点を当て、博士課程では食事や睡眠といった生活習慣全般も視野に入れて、認知機能の低下を抑制するための方法に関す る研究を行ってきたことが述べられた。その経験と成果は、国立長寿医療センターに就職してからも活かされており、身体活動を通して高齢者の認知機能の低下 を抑制するためのプロジェクトに携わってきたことが述べられた。
 堀田先生は現在、近畿大学九州短期大学の保育科に所属している。そのきっかけとして、第一に生活習慣は人生の積み重ねであることを踏まえたときに乳幼児 期という最初期のプロセスの重要性を認識したからであり、第二にご自身の育児経験から子どもの健康に関心が出てきたからであることが述べられた。
 このように、学生時代から現在進行形で研究関心が発展している堀田先生からは、様々なことに興味や疑問を持ち、多くのことを考えながら学生生活を過ごしてほしい、というメッセージが講話の最後に学生へ送られた。

・話題提供4:「学校臨床実践から研究を考える」(平田先生)
 最後に、臨床に従事する心理学者のキャリア形成に関する講話がなされた。
 平田先生は、学部生の頃に障害を持っている児童の支援を行うボランティア活動を行っており、その時にその児童の保護者のニーズと教師の対応との間に感じたギャップが原風景として語られ、またその時の問題意識は現在にも引き継がれていることが述べられた。
 心理士を目指して大学院に進学してからは、相談員として学校や病院で実務研修を行ったり、ケースカンファレンスへ参加したり、ボランティア活動に参加し たり等、多様な実践に積極的に参加していたことが述べられた。また、大学院の先輩に実務家研究者としてのモデルを見出しており、実践の積み重ねと先輩方の 交流を通じて多様な人間の見方について学んだことが述べられた。そうした中で、生活している場所によって児童生徒が抱えている問題が質的に異なることを感 じ取るようになり、教育の場で求められる臨床の在り方についてより深く考えるようになったことが述べられた。
 当初は障害を有する児童生徒の問題を、保護者と教師の相互不理解によるディスコミニケーションの問題として捉えてその解消を試みていたが、上記のような 経験を経てからは両者を「橋渡し」する支援の重要性に気づいた。しかしながら、こうした「橋渡し」といった概念あるいは役割がいまだ抽象的に感じられたた め、それを具体化するために定性的研究に取り組むようになったことが述べられた。現在も学校現場と関わりながら教育の場における臨床の在り方のモデル化を 試みているが、このような研究と実践とが連動しており、またそこでの成果や経験を学生に伝えることで研究・臨床・教育がうまく循環していると感じられるこ とが今の仕事のやりがいになっていることが述べられた。

・総合討論
参加者との質疑応答という形で総合討論が行われた。

(1)修士課程へ進学することを決めた際にどのようなことをしていたのか。
→院試の過去問を把握してその対策、英語の勉強をする、心理学の基本的な概念を整理、ゼミに参加して雰囲気をつかむ。

(2)研究職の魅力とは何か。
→実践から距離を取ることで自身の経験や臨床知を対象化できること。
わからないことがわかるようになることと同時にわからないことが増えていくこと。
心理的な側面から研究できること。
自分にしかできないことができることとその成果が社会貢献につながること。

(3)進学を考えているが九州大学に進学するか現在の大学に進学するか迷っている。
→九州大学には幅広い先生がいるため、ゼミの垣根を越えて多様なことを学ぶ機会があることはメリットだと考えられる。また博士課程の院生も多いため、身近に研究者としてのモデルがいることも九州大学のメリットとして大きい。

(4)自分の興味だけで大学院ではやっていけるのか。
→自分の興味があることだけをやってはいなかった。実践でも研究でも自身の研究関心とは異なることも行ってきたしその他の雑務も経験したが、これらの経験 は現在の自身のキャリアに活かされていると実感できるため、幅広い意味で土台をつくるような感覚で大学院生活を過ごすのがよいかと思われる。一方で、適宜 自分の興味も振り返る時間も大事にしてほしい。

(5)実践と研究とを両立させるための工夫について。
→研究するための時間を設けて、その時間はそれ以外の予定は入れないように努めている。

(6)科学捜査研究所の心理職にはどのようなバックグラウンドの人が勤めているのか。
→様々な人が勤めていて、例えば認知・知覚・臨床・社会心理・犯罪心理を研究していた人もいれば人類学を専門に研究していた人もいる。他にも、カウンセ ラーや臨床心理士から転職する人もいる。心理職に関わることができそうであればどのような領域でも携わることは可能であるが、実験心理を専門にしていると 業務内容を理解しやすいことが考えられる。


 

2019年10月

多分野連携プログラム「遊びと洗練」

「まなざしのデザイン:モノの見方を変えるとは?」

日時: 2019年10月7日(月)16:30~18:30
場所: 九州大学大橋キャンパス デザインコモン2F
講演者:ハナムラ チカヒロ氏(大阪府立大学経済学研究科准教授・緑地環境計画)

出席者:52名(うち教員4名:飯嶋准教授、藤田准教授、南教授、古賀(徹)准教授)

多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、芸術工学府の所在する大橋キャンパスにて、 未来構想デザインコースと共催で、企画を行った。大阪府立大学のハナムラチカヒロ先生にご来学いただいた。ハナムラ先生は、『まなざしのデザイン:<世界 の見方>を変える方法』を上梓されている。
ご発表の概要は、以下のとおりである。

 ランドスケープという言葉は、景観、すなわち「景」と「観」に分けられるが、それは 土地・空間という環境と、それを眺める人との関係性で成り立っている。見る人と環境との関係性が固定化されてしまうと風景は意識されなくなる。そこで、こ の関係性を様々な方法でずらし、異化することで、新しい風景を生み出すことができる。それを「風景異化」と呼び、その実践として様々な表現を行っている。 例えば日常の風景にミニチュア人形を並べる子どもたちとのワークショップ、そして、山の中にプラスチックの造花を差し込むアートインスタレーションなどで ある。
こうした理論と実践を社会にどう役立てるかという観点で行った一つの事例として、病院の吹き抜けにシャボン玉を降らせて人々のコミュニケーションを生み出 した作品を紹介した。病院は、人の体を治すことが最優先される空間であるが、治療機能が中心になりすぎて、コミュニケーションが置き去りになることで孤独 な人々が多数集る場所になりがちである。そこで病棟の中心に光取りの空間として設けられていた吹き抜けに着目し、病院内の全員がコミュニケーションの場に 変える試みを行った。闘病生活の中で不安な心をケアすることは病院にも必要であるが、将来こうした取り組みが芸術ではなく、医療だと言われるようになるこ とが、本当の意味で人々のまなざしが変わることだと考えている。芸術家はその創造性を使って、これまでに見たことがないものを提示することで、人々の想像 力の制限を外す役割を持つのではないか。
バングラデシュで開催された国際アートプロジェクトでは、危険な川の堤防内に住む貧困コミュニティのために、“彫刻作品”として巨大な蛇のカタチで堤防の 補修を試みた。堤防は一部しか完成せず、それも壊れてしまったが、作品を見た政治家が、そのコミュニティの状況を知り、解決策を提示してくれた。アートは 世界を変えることはできないが、人の心を変え、まなざしを変えることはできるのではないか。
デザインとアートの違いは、デザインが機能にもとづき役に立つものを生み出したり、課題を解決していく動機を持つこと(ソリューション)に対して、アート は必ずしも明確な機能や有用性を動機として持つわけではない。しかしその表現の中にはしばしば問い(クエスチョン)を突きつける役割が含まれていることが ある。そうした表現によって社会で共有されている意味や価値を見直し、時にそれらが解体されるきっかけとなることがある。こうして意味や価値を見直すため には、まなざしをニュートラルに持つことが必要だが、人間は自我に合わせて物事を見るため、まなざしが固定化されがちである。しかもそれは、多くの場合、 無意識化されている。そこにアートが果たせる役割があるのではないかと考えている。
人間は、進化の過程で、身体を変容させるのではなく、道具を作る、すなわちモノをデザインすることによって、環境を改変してきた。しかしその結果として今 の文明に様々な歪みが生じている。だから次にデザインしなければならないのは、我々自身の意識や心なのではないか。心をいかに進化させていくかという問い に対して、まなざしのデザインを紡いでいきたいと思っている。

 続いて、教員から、以下のようにコメントや質問が出された。

飯嶋先生

  • バングラデシュの事例などが紹介されていたが、現場に立ち会ったときに、彼らが 何を必要しているのかのチューニングを間違うと、表面的なものを作ってしまう。現場に行ったときに、病院の全体や、バングラデシュの宗教や民族への高い共 感度が必要だと思う。ハナムラ先生は、共感性をどこかで磨かれてきたからこそ、現場で共感できるのだと思うが、その共感性はどうやって獲得されたのか。

南先生

  • 発表の前半の実践の事例と、後半の自我の話はどのように重なり合っているのか。
  • アートも人類学も、実践やフィールドが基礎にあるという点で、共通している。 1960年代のカリフォルニアで自然界と人間界を合わせて、フィールドの中で考えていくというスタンスが生まれた。人間性が変わらなければ生態系も変わら ない。ベイトソンのいう「精神の生態学」とハナムラ先生の主張には、どのような違いがあるのか。

藤田先生

  • バングラデシュや病院でのインスタレーションでは、思考よりもコミュニケーションから、作品を組み替えている。現実やアートの問題と、身体、心の関係を知りたい。
  • 「風景異化」を提案されていたが、それと同時に「風景連関」がある。今まで関係ないと思っていたものが繋がるという現象が起きるが、それはどう表現されているか。

古賀先生

  • まなざしを構築することがデザインで、解体することがアートといわれていたが、 デザインのなかにも解体があるし、アートのなかにも構築と解体が一体となっている場合もある。デザインも、人々の直接的ニーズに直接的に答えるのではな く、切断があり、それがないと質の高いコミュニケーションにならない。
  • 解体の契機をどうやって養えばよいのか。

その後、フロアからの質問と、ハナムラ先生からの応答がなされた。
参加者

  • バングラデシュの事例では、堤防を作るつもりで国際アートシンポジウムに参加されたのか。

ハナムラ先生

  • バングラデシュに関しては、もともと堤防を作るつもりではなかった。病院でのイ ンスタレーションでも、最初はシャボン玉も飛ばそうと思ってはいなかった。自らがそこで何をしたいのかではなく、その場の文脈や環境が自分にどういう役割 を求めているのかに従ってアウトプットを生み出しているような感覚がある。
  • クライアントの真の問題や課題を捉えることが重要である。表面的なニーズに直接 応えることは、時にその解決を陳腐なものにしてしまうことがある。クライアント自身が問題を取り違えている場合もあるため、対話を通じて無意識を探ってい くことを大切にしている。クライアントの欲求に同化してしまうことから切断する勇気が必要で、問題を解体して、掘り下げた上で、一歩外側から新しい解答を 出したいと考えている。
  • 今、大きく社会が変化しようとしている。そんな節目こそ冷静に自分たちが一体何をしているのかを見つめ、本当にこの方向で良いのかと問いながら、まなざしを己に向け返すことが必要になる。

参加者

  • まなざしの解体はエネルギーがかかる。自分が安全地帯と感じられるからそこにいるのであって、自分から、あるいは外のものを使って解体するのは、安全地帯が壊されることでもある。どうやってまなざしを解体して再構築したらいいのか。
  • 自分のまなざしが正義だと思っていて、まなざしを全く解体しない相手がいるときに、どうすればいいか。寛容度が低い相手にどう振る舞うのか。

ハナムラ先生

  • 人は見たいものしか見ようとしない。そして今の社会は我々が見たいものや欲望を 先回りして提示する傾向が強く、これまで以上に自分のまなざしを解体することにエネルギーが必要になっている。一方で、自分の知らない自分へと解体される ことの気持ちよさを覚えると、自ずと解体への道が開けるようになると考えている。自我とは、ずっと固定されたものではなく、文脈によって変化しうるもので あり、自分の意識の持ち方を見なおすことが一つの方法ではないか。
  • 人を変えようとしても無駄であるし、人のまなざしをデザインすることは不毛である。ただ、自分のまなざしを変えることで、相手に影響がおよんで間接的に変えられることがある。

参加者

  • 社会のあり方も思い込みでできあがっている部分も多い。社会の無意識をどうしたらいいのか。個人が変われば変われるのか。

ハナムラ先生

  • 人間とは協力する集団的な自我を持っている。20世紀に出てきた法人格も、個人 の人格とは異なる大きな集団的な自我であり、それを持って困難な状況を切り開き物事を前に進めてきた。だが、今世紀に入り、徐々に法人格と個人の人格のず れが大きくなっている。皆が豊かになりつつあり、それまでの協力して豊かになるという共通の目標が失われつつある。それぞれが異なる豊かさを追い求めるよ うになったので集団的自我を個人にまで解体するべきときが来ているのかもしれない。そんな社会では多様性を認めることは大事ではあるが、多様性のある自我 を尊重することだけに重点を置かれると争いが生じる。普遍的な何かを共有していることへの意識が重要だと思う。

参加者

  • 体の中には100兆くらいの細胞があって一緒に生きている。自我の解体は、そもそも100兆と一緒に住んでいるということを起点にできないかと考えている。新しい時代のデザイナーが、そもそも集合体なんだという視点からデザインをする上での考えを聞きたい。

ハナムラ先生

  • 一人の人間が一つの自我や精神を持った存在であるというのは壮大な妄想であると 思う。我々には無数の自我があり、“私はこういうものである”という認識は想像力や意識の産物である。なぜそうやって一つの生命体としての意識が必要なの かというと100兆の細胞が、バラバラだと生きていけないからであり、その点で法人格と同じように一つの集団的自我を持つことでうまくまとまろうとする。 しかし今、そうしたまとまりが危うくなっている。体のなかも細胞同士が不調和を起こせば壊れてしまうが、同じことがが地球全体でも起きていることを危惧し ている。

参加者

  • アーティストとデザイナーの違いについての説明があったが、アーティストは時としてデザイナーよりデザインをしていると思う。
  • バングラデシュの子どもたちは、国際アートプロジェクトのアーティストがしていたことの価値を認識していたのだろうか。その瞬間は楽しかったとしても、将来に影響を与えたのだろうか。

ハナムラ先生

  • アーティストとデザイナーを分けることに特別意味があるとは思っていない。アー トとデザインをその根底にある動機の違いから便宜的に分けたが、その境界領域は解けてきている気がする。アーティストでもデザイン行為はするし、デザイ ナーがアート作品をつくることもある。デザインすることとデザイナーというアイデンティティが必ずしも一致しなくてもいいのではないか。
  • バングラデシュでは、関わってしまった村の問題を放置したくなかったので、日本 に帰国後も堤防の建設を進めように心を砕き、あちこちに呼びかけた。しかし結果的にはうまく行かずに何も問題を解決しなかったので、デザインとしては失敗 したと言えるのかもしれない。ただ、その彫刻堤防をつくったことで、それを見た政治家、つまり問題を解決できる人の心に問いを投げることができたのではな いか。それが結果として問題を解決することになったと言えるかもしれない。

 

 

 

2019年9月

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて

~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 講演会

報告者:野辺陽子氏 (大妻女子大学・准教授・社会学)


タイトル:特別養子縁組から見えてきた 「多様な親子」と支援の課題


日時:2019年9月24日(火)14:00-16:00
場所:福岡市赤煉瓦文化館 会議室
出席者: 学内外から17名
(内教員3名:野々村淑子教授、山下亜紀子准教授、田北雅裕講師)


内容:
大妻女子大学の野辺陽子氏を講師とし、公開講演会を行った。野辺氏は、2018年に刊行された『養子縁組の社会学―<日本人>にとっ て<血縁>とはなにか』(新曜社)において、日本社会学会2019年度学会奨励賞、第5回福祉社会学会賞を受賞しており、時宜にかなったテー マとして、本書の内容のほか、特別養子縁組に対する支援のあり方などについてのお話がなされた。
参加者との質疑応答では、「回復の脚本」や「多様な支援」についての関心が多く、この点について多くの議論がなされた。またインタビューの解釈の仕方など の研究手法、支援のデザイン、実際の支援のあり方、回復そのものの意味、血縁や家族の意味付けなどについて議論がなされ、多領域の観点から有意義なディス カッションが行われた。

 


多分野連携プログラム「アジアの都市と人」

国際シンポジウム「The Politics of War-related Heritage in Contemporary Asia (アジアの戦争関連「遺産」をめぐる政治力学)」


日時:2019年9月5日(木)9:15 ~18:50
    2019年9月6日(金)9:20 ~16:50
場所:九州大学西新プラザ
発表者:国内外24名
出席者:40名程度(発表者含む)

本シンポジウムは多分野連携プログラム「アジアの都市と人」が後援したものである。シンポジウムは六つのセクション(各日は3セクションずつ)に分けて行った。各セクションのテーマは以下のとおりである。また、初日の最後にドキュメンタリー上映会があった。

Session 1: History, Historiography and Public Culture歴史、歴史学、公共文化
Session 2: Commemorating Conflict: Education, State Propaganda and Museums 紛争を記念する:教育、国家によるプロパガンダと博物館
Session 3: The ‘Comfort Women’ Issue as Contested Heritage 「慰安婦」をめぐる紛争遺産問題
Film Screening: SHUSENJO (主戦場) – The Main Battleground of the Comfort Women Issue (2019)

Session 4: Conflict Heritage, Tourism and the Built Environment 紛争の遺産、観光と建築環境
Session 5: Politics, Diplomacy and Conflict-related Heritage 政治、外交、紛争に関連する遺産
Session 6: Civil Society, Grassroots Movements and Conflict Commemoration 市民社会、草の根運動、紛争記念

本シンポジウムでは、歴史学、政治学、建築学、社会学などの視点から、アジアにおける 戦争に関連する「遺産」をめぐって議論することができた。多くの「遺産」は都市に残り、あるいは都市は「遺産」論争の舞台になるため、本シンポジウムは歴 史−現代、戦争−記念、空間−文化の葛藤から、アジアにおける都市と人の関係の多層性と複雑性に示唆を提示した。

Programme


2019年7月

多分野連携プログラム「人間諸科学における『進化』と『文化』」「遊びと洗練」合同企画

Whitehouse et al. (2019)「道徳神と社会的複雑性」論文を読む

日時:2019年7月25日(木)18:15-20:30
会場:九州大学伊都キャンパスイースト1号館1F E-A-103

 


 

多分野連携プログラム「遊びと洗練」研究会

「ゴミ at Work」

日時:2019年7月12日(金)15:00~18:00
場所:九州大学伊都キャンパス E-B-328(KASAルーム)集合
講演者: 羽下大信氏(臨床心理士)

出席者:飯嶋准教授、金子准教授、南教授、藤田准教授、高橋沙奈美講師、大森(学際企画室)、および学部生、院生等、合計12名。

臨床心理士の羽下大信氏を招聘し、「ゴミ at Work」と題してゴミのインスタレーションを行うワークショップを開催した。冒頭で、羽下氏よりワークショップの主旨と要領について説明があった。羽下 氏からは、自分が普段使ってない部分を使って、意外な面を育ててシェアしていくというコンセプトが示された。それによって、お互いの違った面や普段は見え ない自分が見えることが重要であり、感受性のトレーニングであると説明された。「ゴミ」は「持って帰れるもの」という基準で集めてくる。目に入ったもの、 気に入ったものを拾ってくることと指示があった。
30分程度の採集後、部屋に戻り、模造紙一枚の上に、それぞれの作品を制作した。タイトルをつけ、休憩後、参加者全員が一人ずつ、作品と自分の関係について言葉にして説明を行った。
以下は、各参加者の作品についての説明とその後の質問である。

〇「ジェンガ」
作品のバランスをとりながら制作していると、友人とジェンガで遊んでいたときのことを思い出した。一番下の部分は、石で固定している。微妙なバランスで立っていて、一つの枝を動かすと崩壊してしまう。
(コメント)
・つなぎ目はどうやってつないでいるのか?
―基本的には枝同士を重ねているだけ。一番上だけ、バトミントンの羽を利用している。
・分かれた枝は、あまりないようだ。
―後で気づいたが、二本ほどしかない。一つは、他の枝を支えるように伸びている。

〇「ゴミの再就職」
図書館のあたりを探した。一度捨てられたゴミたちを、もう一度再生して仕事を与えたという意味で、「ゴミの再就職」というタイトルにした。白の丸いもの は、何かの卵のかけら。緑のものは、マグネットで、ゴミではないかもしれないので、円環から外した。全体は、飛び出した円い部分が鼻で、緑のマグネットが 目を表していて、何かの生き物を表している。

▼「ジェンガ」                            ▼「ゴミの再就職」

〇「無邪気」
イースト館の裏の駐車場(?)の近くでフェンスの針金を見つけた。持って行ってよいか悩んだが、使われていないことを確認して、杭を持ってきた。羽を見つ けたときは、とても嬉しかった。並べるときは、深く考えずに、そのままの形でインスタレーションを行った。
(コメント)
・角度を変えると、とてもカラフルに見える。
・真ん中で虫が飛び跳ねている。

〇「タブローを破壊する一撃」
ゴミを集めるときに、人工物を探そうと思った。人間の動きが読み込めそうなものを拾った。例えば、(テープを)折りたたんでいる人、タイヤのはしが切れて 困っている人、レッドブルを飲む学生。空き缶のように、ゴミらしく存在しているものは拾えなかった。ゴミではないと認識していたものとゴミであるもので分 類して並べた。クローバーは、もともとゴミではなかったが、集めているうちに、ゴミになってしまったので、境界線においた。透明なものは、初めゴミとして 認識していなかったので、どこに置くべきか悩んだ。
(コメント)
・全部がパーツという感じがするが、「一撃」というタイトルの言葉がいい。
・右側がウルトラマンの顔に見える。
・自分の作品は動かせないので、完成してから触れるんだなと思った。

▼「無邪気」                           ▼「タブローを破壊する一撃」

〇「閉じた者/物たち」
ウエスト1号館で採集をしたが、見つけたものの半分は使わなかった。傘立てが、檻や刑務所に見えた。宇宙全体から考えると我々がやっていることは小さなこ とだと考えていて、作品では、宇宙と我々を表したかった。空白の部分は宇宙を表している。
(コメント)
・残ったものはゴミの中のゴミ。
・残ったものも作品になってる。
・鉄の感じとキラキラ光っている感じが格好いい

〇「そこにいる人」
捨てるときに面倒くさいなと拾うときに思って、全部燃えるゴミにした。拾ってきたものを考えずに形を作った。被災地支援をしているが、7年間、誰にも会え ていない引きこもりの人がいる。その人がこの中にいるという設定で作った。外側からキャップをしたり、たばこをあげたりして機嫌をとっているが、反応がな い。普段は失礼かな、求めていないかなと思ってあまり考えないようにしているが、この時間はその人のことをずっと考えていた。長いものだと広がりすぎるの で、模造紙に収まるように縦にした。バリケードというほど精密なものではないが、本当に入れない家。
(コメント)
・下から見上げた巣のように見えた
・端にある板は、表札のようだ。
・たばこの持つ意味は何か?
―中の人は男の人。好きかどうかわからないけど置いてる。でも吸われずに置かれている。有難迷惑かもしれないが、関心を持ち続けてしまっていることを表している。

▼「閉じた者/物たち」                     ▼「そこにいる人」

〇「ぜいたくな旅立ち」
自分の子どもがするように大きな枝を拾ってみた。自分が行かないところに行ってみようと思ったが、センターゾーンに行くときれいで何も落ちていなかった。 自転車置き場でキャンパスクリーンスイッチが入ってしまい、飲みかけのジュースなど拾い始めた。パーカーはゴミかどうか迷ったが、蜘蛛の巣になっていたの で拾った。冬物の帽子や手袋などもあった。拾っていて困ったのは、ジュースのパックの中が虫の巣になっていたこと。立体的なインストレーションを作りた かったが、他の人のように石などがなかったので、万歳させて持っているようにさせた。虫が酷かったので贅沢パインミルクだけを持たせて、万歳して元気さを 表現した。
(コメント)
・どこに旅に出るのか?
―宇宙。
・枠から出ているのが印象的。
―収めようとしたが、自分はよく元気だねと人に言われる。元気だけが取り柄なので、それを表している。ライターなどたくさん袋に入れて贅沢に出かけていく。
・旅立ちとあるが、男女どちらかのイメージがあるのか?
―ジェンダーフリーで、男の子というイメージは特になかった。

〇「枯山水?」
同じものをずっと拾っていた。枯れ葉拾いから始まり、草むらで枝や石を拾った。自然のものにまぎれて、人工物も落ちており、同じ形のものを拾った。枝を 拾っているときに紐を、石を拾っているときにキャップを。長い枝で川の流れをつくった。紐で囲っているものが島を表している。島の中では、同じ様子を持っ た人たちが一緒に住んでいる。一つは、狭い島の中でたくさんの人が身を寄せ合っており、人口密度が高い。それぞれのコミュニティによって違いがある。他の 島では、強い権力をもった人と支配される人たちを大きな石と小石で表した。もう一つの島では、緑の葉っぱが悠々自適に暮らしている。
(コメント)
・気に入ったところは?
―葉っぱを集め、並べるのが楽しかった。Lカフェの中庭で集めた。
・公認会計士のチラシ?公認会計士は支配者ではないか?
・魚に見える。川から飛び出したみたい。

▼「ぜいたくな旅立ち」                    ▼“I remember you’s”   

〇“I remember you’s”
ゴミなんて落ちていないと思いながら探していて、小さいものが見つかった。順々に、どこで拾ったか覚えていて、道のように並べた。手袋が見つかったときう れしかった。途中からゴミは必ず持って帰らなきゃと思うようになった。誰かの名刺、鉄筋の一部、大橋と書かれたものがあった。一点一点覚えており、ゴミと 言いながら、一つ一つと向き合っていた。
(コメント)
・自分は、マスクを拾うのをためらった。生々しいものは駄目だった。
・その意味で、たばこを拾えたのは、すごいなあ。
・釘にリボンが結んであるのが良い。
・「大橋」と書かれた紙を見て、キャンパスって新しくできたイメージがあるが、こんなにボロボロになっていることに驚いた。新しいキャンパスでも時間は経っている。
・コグニティブマップのようだ。

〇“PREMIUM”
普段、行かないところへ行こうと思い、自身は運転しないので、駐車場に行ってみた。海の漂着物学会というものがあるが、山にも海辺があるんだと思った。駐 車場の端は、吹き曝しになって、端っこにごみが集まっていることが大発見だった。誰が捨てたのか知らないが、名刺がある。Premiumの王冠を見つけ て、これを見せるために作った作品。影が欲しかった、洞穴的なものが欲しかったので、テーブルの下に作った。拾う段階で、生々しいのが苦手で、何でも拾う という感じにならなかった。駐車場の端っこに白いものが点々とあったが、よく見たら全部白くなったダンゴムシの死骸だった。
(コメント)
・眼鏡を落とした人はショックだっただろう。
・駐車場は、気分転換に何か捨ててしまったりするところなのかな。
・重力はかかっているのか?
―奥が吹き溜まりを表している。
・名刺の持ち主は発見しやすい。

▼“PREMIUM”                          ▼ 「その先に・・・」

〇「その先に・・・」
キャンパスに慣れておらず、帰れなくなったら困るので、バス停やカフェの裏に行った。何も考えずに手の動くままに置いたが、これからどうやって生きていく んだろうという心模様が出たと思う。ビニールは、拾うために持って行ったビニール。覆い隠されている部分と明らかに出ている部分があって、流れ着く先があ るのだろうか。
(コメント)
・別の角度から見ると面白い形をしている。キャッチしているみたい。
―魚のようだとも思う。周りから回遊魚みたいと言われていて、行き着く先はどこなんだろうと思う。
・その先に「違反」。意図したわけではなかった?
・色のトーンがまとまっているが、質感はバリエーションがある。ジーっと見たくなる形。
・結ぶというのはどういう意味があるのか?
―連携という意味。支援を結ぶ活動をしている。結ぶとかキャップを締めるとかの行為が好き。
・木の皮の部分はどういう意味か?抑えているのか、覆いから飛び出してきたのか?
―入っていくのかもしれない。テーマはなく、手が動くままに作った。
・小さく結んでいるところなどが、器用だと思った。
・キャンパス内には、違反駐車の張り紙など、厳しめのコメントが落ちている。破り捨てたくなるのかもしれない。

最後に感想をシェアリングした。

・まとまっていない。自分が何を考えているのかもわからなくなってきた。
・本当の意味での体験型ワークショップに参加したのは初めて。自分が作るのは楽しかった。それ以上に、捨てたとき、落としたときその人の思い入れはなかったと思うが、皆さんの拾うときの思い入れがあって聞いていて面白かった。
・話を聞いているうちに結構疲れてきた。ゴミの背景もたくさんあるし、インストレーションをした人の体験がいっぱいあるなと。これからこのゴミをどうにか することを考えるともうひとワークあるなと。自分と全然違う側面、全部拾うぞとか、並べるときは自然に出たままでいいじゃないかとか、普段の自分が意識し ていないところが発見できた。
・目についたものを集めるというのは結構難しい。どう配置しようか考えたりして、難しかった。高校生のとき、ふもとの岩を山頂に持っていくということをし ていた。今日のワークで、地上にあるものを三階の部屋に持ってくるというのも面白かった。これからまた捨てられることを考えると、ゴミたちに期待だけさせ て申し訳ない。
・探しているときはゴミをゴミとして探すのではなく、利用可能なものとして探していたのが楽しかった。触れられるかどうかという基準で探していた。みなさんのゴミを拾う姿が、周囲に目撃されていたのだろうと思うと面白かった。
・今日の感覚は美術館に行った感じに似ている。リフレッシュできた。
・説明をしなきゃいけないと思って、作っていたときあまり考えていなかったことに意味を見出していた。他の人の作品を見ていて、ゴミの一個一個に価値を見 つけている人など、違いがあると気付いた。自分は、一つ一つのパーツに意味はないが、集めて何か作ろうという感じだった。
・自身のイメージでは、インスタレーションは、立体的なものだと思っていたが、他の人の平面的な作品を見て、衝撃を受けた。
・作品を作った後の時間に、皆さんが静かに椅子に座っていた時間が面白かった。静けさが印象的で、自分の作品に向かって瞑想しているようだった。

 

 


 
 

多分野連携プログラム「アジアの都市と人」

シンポジウム「アジアの都市化と生活者」
日時:2019年7月11日(木)13:00 ~15:00
場所:伊都キャンパス稲盛ホール
講演者:是澤優氏(国連ハビタット福岡本部・本部長)、唐寅氏(福岡市アジア都市研究所・主任研究員)
指定討論者:後小路雅弘教授(人文科学研究院)、南博文教授(人間環境学研究院)、大賀哲准教授(法学研究院)、藤井秀道准教授(経済学研究院)
出席者:50名程度(発表者含む)

本シンポジュウムは多分野連携プログラム「アジアの都市と人」が後援し、人社系コモンズとアジア・オセアニア研究教育機構の都市クラスターが共同主催したものです。シンポジュウムの講演および討論概要は、以下のとおりである。

講演1:「都市化・人口移動と人間居住問題」是澤本部長
本講演はグロバールな視点から、世界の都市化とそれに伴う課題と対応を説明した。主な要点は以下の六点。①世界の都市化の進行状況と所得水準や地域により 異なる特徴を持つこと。②都市化の要因は都市人口の自然増加、農村から都市への人口移動、都市の空間的拡大の三点が取り上げられること。③都市化が経済発 展に結び付く例として、中国における都市化が生産性向上に寄与すること。④都市化の課題は、都市の貧困と中間層の出現、都市の拡大による都市計画や土地管 理・規制問題、交通問題、都市環境問題、災害への脆弱性などがあること。⑤国際社会の対応、特に国連が都市化に伴うさまざまな課題に対して推進している関 連政策があること。

講演2:「地域づくりと外国人住民」唐主任研究員
本講演はローカルな視点から、福岡市の国際化と留学生を含む外国人住民のための支援政策など行政の対応を紹介した。主な要点は三点。①福岡市の国際化にお いて三つのキーワードとして「留学生」、「観光客」、「中国」のそれぞれの背景と現状。②市が提供する留学生向けの奨学金、就職支援、在留資格に関する規 制緩和、創業支援と日常生活サポート。③多文化共生社会の実現のための政策と展望。

指定討論者1:後小路雅弘教授(人文科学研究院)
現代美術学の視点から、難民問題、分断や境界、共同体、土地の記憶、芸術と社会問題の関わり、歴史を語る権力などを提起し、福岡アジア美術館を例として、多文化共生のモデルを議論した。

指定討論者2:南博文教授(人間環境学研究院)
環境心理学の視点から、日本の移住世代と都市居住の経験をどう活かすかについて議論し、都市=脳、脳の外在化、意識優位社会への懸念を提起し、どこでも生 活できる横にスライドする生活はできるかについて「new urban identity」という新たなコンセプトを紹介した。

指定討論者3:大賀哲准教授(法学研究院)
国際政治学の視点から、都市化の中で生存権へのアクセスを保証する制度をどう考えるかについて中心に議論し、外国人居住者への教育、言語、生活支援が国内 の都市で差があること、労働就業支援には専門スタッフが少ないこと、医療へのアクセスには言語の壁があることを指摘した。

指定討論者4:藤井秀道准教授(経済学研究院)

環境経済学の視点から、都市の持続可能性と豊かさの評価についての研究を紹介し、客観的データで人の生活満足度をどこまで把握できるかという点を疑問視し、主観的な意見を集めることも重要であることを提案した。

 
2019年3月

多分野連携プログラム

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

「統計・社会・教育―19世紀道徳統計論史から」

日時:2019年3月14日(木)16:00~18:00
場所:伊都キャンパスイースト1号館2階 学際研究・教育コーディネータ室(E-A-213)
報告者:山岸利次氏(宮城大学)

出席者:11名(内、教員3名。発表者含む。) 野々村教授、江口准教授、山下准教授、田中(学術協力研究員)、大森(学際企画室)、および院生等。

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」は、伊都キャンパス イースト1号館2階 学際研究・教育コーディネータ室にて、研究会を開催した。宮城大学より山岸利次先生に来学いただいた。
発表の概要は、以下のとおりである。

 

はじめに―<「道徳」=「社会」>を問うこと、そして「教育」

はじめに、道徳統計という統計学の領域の歴史を振り返って社会や教育について考えていくことが、今回の発表のテーマであるとされた。
冒頭で、デュルケームの社会学構想によれば、「社会的なるもの」の知は、「道徳」との関係で生成したということが指摘された。また、共和国少年福祉法にお ける「子どもの教育への権利」条項の例からは、「社会的成熟(Gesellschaftlich)のための教育」と「人倫的(sittlich)教育」が 互換的に用いられるように、「社会的なるもの」と「教育」の結びつきには、それを準備した「道徳」と「教育」とを結び付ける独自の思想が生成していること が指摘された。
社会学を準備した「道徳統計」の歴史的展開について、4つの時期に区分して、説明がなされた。本報告は、「社会的なるもの」と「教育」を「統計的教育思想」においてリンクさせる試みであるそうだ。

 

Ⅰ道徳統計前史―統計学の成立


道徳統計の前史として、①国家記述としての統計学、②人口統計、③確率論について展開が論じられた。「①国家記述としての統計学」では、統計学のそもそも の出発点が国家を記述する知であるということが示された。17世紀ドイツにおける「国状論」や同時期のイギリスの「政治算術」がそれに当たる。前者の「国 状論」は「実際的政治学」でも言うべきものであり、統計学は発生期において国家統治に有用な知を精選、分析することを目指した。後者の政治算術(代表的な 論者としてウィリアム・ペティ)では、資源を数え上げることで国力を測り、そこから国家福祉の増進を企図するものであったという。17世紀イギリスでは、 ベーコンの学問論を背景に、王立協会の科学を反映し、政治算術が定着した。
18世紀中ごろから、国家に収まらない、国家から独立した独自の秩序、法則を持つものとして人口が見出され、統計が用いられるようになった(「②人口統 計」)。国力の源泉として、そして統治の対象として「人口」が発見された。報告では、ジュースミルヒの『神の秩序』が引用され、人口統計の背後に宗教が存 在していたことは大きいことが指摘された。そして、ラプラスによって、人口現象に確率論が適用された(「③確率論」)が、そこでは、規則性を摂理とする従 来の説明を否定し、神学的世界観からの離脱が起きたという。

 

Ⅱ道徳統計の誕生―ゲリーとケトレー


報告の後半では、「道徳統計の誕生」について、まずゲリーとケトレーを挙げられた。A・M・ゲリー(Guerry, A.M.(1802-1866))は、『道徳統計試論』(1833年)において、パリの地図上に犯罪の状況と学校をプロットし、比較を行った。当時のフラ ンスでは、教育が普及すれば犯罪は減るという前提のもと、公教育を普及させようとう動きがあったが、ゲリーの『試論』では、実際はこうした前提とは裏腹に 犯罪が減少していないということが明らかになる。「観察」が道徳現象に適用され、教育の普及がそのまま犯罪を抑止するわけではないことが、実証的に明らか にされたのである。また、自由意思は最終的に否定されるということをゲリーが議論している点が指摘された。
次に、ケトレーの道徳統計論においては、「社会物理学」というものが構想されていたが、そこでは必ずしも社会は固有の現実を持ったものではなく、個人の集 合以上の意味を基本的には持ちえなかったことが指摘された。ケトレーは、「平均人」という法則の概念を独創したが、そこで集団(=社会)は、平均人を導出 するためのものであったという。

 

Ⅲドイツにおける道徳統計の成立と展開

最後に、ルター派神学者のエッティンゲンの「社会倫理学」について、述べられた。エッティンゲンの構想した「社会倫 理学」においては、統計に現れる規則性は、「社会倫理」の現れだと理解されたという。規範と個人の関係の3つの位相として、エッティンゲンは、「超越的次 元」「経験・社会的次元」「個人の内面的次元」を想定するが、個人と超越的な次元を媒介するものとして、「ジットリッヒカイト (Sittlichkeit)」を位置づけている。ジットリッヒカイトは社会規範たる「慣習(Sitte)」と連関する道徳性のあり方だが、こうした <Sitte-Sittlikeit>連関こそが、「社会」概念の母体となったのである。こうした概念連関により、<社会的なるもの>が統計に位置づけら れたのである。「社会」は個人と規範を媒介し、「慣習」として個人の前に立ち現れる。統計に表れる法則性、規則性を社会の領域のものとして引き取っていっ たことが、エッティンゲンの特異な点であったと述べられた。

 

Ⅴおわりに

おわりに、エッティンゲンに見られるような統計的教育思想が、デュルケームの社会学的教育思想のプロトタイプとなっ ていると述べられた。集団としての社会を通じて個人を道徳化する、社会の教育力が現れてくる。「道徳」や「社会的なるもの」の実証によって科学化するもの として道徳統計は位置づき、そこから道徳化としての教育が立ち上がってくるのではないか、と提起された。ケトレーが、社会について基本的には考えていな かったのに対し、社会規範の内在化としての教育を位置づけたのはエッティンゲンであるとまとめられた。

 

その後、質疑応答が行われた。以下、主な議論を掲載する。

質疑応答
参加者:
自身は、社会学を専攻している。道徳統計について知らなかったので、科学史的な関心から興味深かった。神が作りだした秩序として生物を捉えていたのが、ダーウィンの進化論で神から解放されていった。社会学でも同じような経緯を辿っていくのだと思った。

参加者:
超越的なるものによって構成されていたものから離れて、それぞれが個別に捉えられ平均化されるようになる。そのとき、神との関係は、どのように考えたらよいのか。

山岸先生:
基本的には、世俗化によって神との関係は消えていく。1860年代にケトレーの議論が紹介されたが、自由意志論争に参加していた統計学者などは、宗教的な 議論はしない。宗教性に関していえば、エッティンゲンは例外である。ルター派は、社会倫理学の議論のなかで、神との二項対立ではなく、宗教的道徳を社会レ ベルで議論する。エッティンゲンだからこそ、社会というところにうまく統計的な現象を位置づけるような仕事ができた。しかし、社会という概念が作られてい き、社会というところで規則性が位置づいてしまうと、神を必要としなくなる。法則が認識されてしまうと、神学的な世界は消えてしまう。

山岸先生:
1860年代にケトレー統計学が、ドイツに入って来たときに自由意志論争が起きた。そこで、カントにとっては、様々な外的要因があっても自分の意志を変え ない、ぶれないことが自由意志であった。その点、ドロービッシュにおいては、統計に現れるものは、「法則」ではなく、「規則性」である。しかも、人間の 「意志」ではなく、「恣意」における「規則性」だった。対して、エッティンゲンは、個人というのは、「法則」に従うというが、それはケトレー的なアプリオ リな法則ではない。規則性の原因は何なのかというと、慣習という形で現れる。規則正しい生活をすることが習慣になり、道徳的規範を形成していく。人間を道 徳化する<社会的なるもの>を見出したところに、エッティンゲンの面白さがある。

参加者:
主意主義は、デュルケームよりウェーバー的な印象がある。デュルケームには、あまり宗教性は感じない。

山岸先生:
社会学でも方法的個人主義と集団主義でウェーバーとデュルケームは比較される。エッティンゲンの社会概念は、そういう意味では集団主義にコミットしてい る。道徳統計を社会学史のなかでどう位置づけるのかは、難しい。当時の社会学の潮流をみても、ドイツとフランスは区別があるにしても、国を超えて様々な関 係が出てくるので、ドイツ社会学だからこう、フランス社会学だからこう、とは言えない。その辺りの系譜をどう位置づけるかは、難しい課題である。

 
2019年2月

多分野連携プログラム「共生社会のための心理学」


「共生社会とコミュニケーション」


日時:2019年2月18日(月) 13:00~16:00
場所:九州大学伊都キャンパスイースト1号館A棟1階プレゼンスペース
出席者:27名(内、教員7名、報告者9名)
光藤准教授、古賀准教授、池田准教授、内田講師、金子准教授、小澤准教授、當眞教授

最初に、光藤先生より、趣旨説明がされた。
ミニシンポジウム「共生社会とコミュニケーション」は、人間環境学府の学際的な取組の一つとして行っており、心理学を専攻とする者同士で、専攻・コースを超えた繋がりを深めて欲しいという期待が述べられた。

ミニシンポジウムは、前半13:00~14:00と、後半14:30~15:30にポスターセッションの形式で行われた。前半の発表者の氏名・専攻、テーマと概要は、以下のとおり。

茶谷研吾(行動システム専攻心理学コース)
テーマ:微細な表情のコミュニケーション -目が笑ってないことに気づけるのは何故か-
研究テーマは、「微表情」。この表情は、日常生活の中で表出しているが、通常は気づかれにくい。ただ、意識的に気づくことはできないだけで、その情報を利用しているのではないかということを実験的に検討した。

久保昂大(行動システム専攻健康・スポーツ科学コース)
テーマ:スポーツ選手の感謝と組織市民行動の関係について
感謝されることと組織市民行動が、チームスポーツにいかに影響しているのか。先行研究のまとめと仮説を発表した。

荒川美沙貴(実践臨床心理学専攻 2年)
テーマ:社会的養護当事者が自らの経験を公共の場で講演するプロセスにおける心理的体験の検討
社会的養護で育った人が、成人した後、当事者講演を支援者向けに話す際の、講演者自身の体験のプロセスをまとめた。

後藤凜子(行動システム専攻心理学コース 修士課程2年)
テーマ:活力あふれる職場とは?―職場集団における対人相互作用に着目して―
産業組織心理学という領域で、実際に働いている人や組織を対象とした研究。ワーク・エンゲージメント(WE)に焦点を当てて、集団やチームのなかで働くこ とによって、WEがいかに変動するのかを明らかにした。WEは、従来、モチベーションなどとして捉えられてきた概念に、さらに人々のポジティブな感情や健 康状態を加味した新しい概念である。

榊原有紀(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士課程2年)
テーマ:統合失調症者の余剰現実世界とコミュニケーション
報告者自身は、精神科臨床に携わっており、統合失調症者と関わってきた。独得の世界観を持つため、関わりが難しいと思われる場合もある人々とのコミュニケーションを紹介し、統合失調症について理解を深めたい。

後半の発表は、以下のとおり。

雷陽(行動システム専攻心理学コース)
テーマ:清潔行為と罪悪感
身体化認知とは、情動、判断や思考など、高次な認知処理が感覚や動作といった身体の働きを基盤にしているという認知理論の一つである。身体に清潔行為を行 うとき、罪悪感が減少する研究は従来なされてきたが、物に清潔行為を行う研究はまだない。本研究は、物に清潔行為を行うとき、罪悪感が緩和されるかどうか を検討した。

田中将司(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士後期課程2年)
テーマ:LGB当事者の語りによるアイデンティティの交差性への一考察
性的志向マイノリティとされるLGB当事者のアイデンティティについての研究を行った。特に交差性、すなわち社会的アイデンティティと性的志向アイデン ティティが交わってどのような評価や態度を本人が持っているかを検討した。70年代の男性にインタビューを行った結果から一考察を行った。

森 陽平(実践臨床心理学専攻 専門職学位課程2年)
テーマ:友人の自傷行為と向き合う
研究テーマは、自傷行為の支援。近年着目されている、友人を介して大人につないでいく、つなぎかたのプロセスを検討した。

丸山明子(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士課程2年)
テーマ:発達障害者の就労とコミュニケーション
臨床で発達障害者と関わってきた経験を踏まえて、研究テーマとして自閉スペクトラム障害の就労支援を検討した。ASD当事者が社会と繋がりつづけ、働き続 けるためにどのような思いをし、どのようなことを考え、そこから何を得ていったか、インタビュー調査でまとめた。

 

多分野連携プログラム「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会


「認知宗教学の可能性:宗教・道徳的信念に関する文化的・発達的視点」


日時:2019年2月8日(金)16:00~18:30
場所:九州大学伊都キャンパスイーストゾーン イースト1号館A棟A105
出席者:教員5名(橋彌准教授、Vickers教授、山本講師、飯嶋准教授、Sevilla准教授(基幹))、学内15名、学外3名(東京大学、京都大学、九州女子大学)

企画:
九州大学人間環境学研究院 特任助教 中分遥
九州大学人間環境学研究院 准教授 橋彌和秀

概要
宗教に関する研究は、古くから人文社会科学において行われてきた。認知宗教学 (Cognitive science of religion) とは、近年の認知科学・神経科学によって理解が深まったヒトの行動や知覚のメカニズムに基づき「宗教とよばれるヒトの持つ文化現象」に関して科学的に研究 する学問であり、フィールド研究や実験研究、儀式や神話のデータアーカイブを用いた研究が盛んに行われている。ジンポジウムの冒頭で中分(九州大学・人間 環境学研究院)が認知宗教学のアプローチを簡単に紹介した、認知宗教学に関連し3人の異なる研究領域・目的をもったゲストが公演した。

1. 宍戸俊悟(奥出雲町教育委員会)地域実践者

表題:CODAMA: Citizen Oriented Digital Achieve of Mythology and Anthropology 共同発表者:佐藤鮎美(島根大学人間科学部)
地域実践者と研究者が協働で行う「神楽や神話といった文化遺産のデジタルアーカイブ化プロジェクト」であるCODAMA (Citizen-Oriented Digital Archive of Mythology and Anthropology)について説明した。特に具体的に神話の聞き取りをおこなう過程や、成果にもとづく観光利用の実施、そして郷土教育に関して現在 行っている活動を紹介し、地域実践者と研究者の協力が双方にとって利益をもたらすことを指摘した。

2. Mark Stanford (University of Oxford) 社会人類学者

表題:‘Great’ and ‘Little’ religious traditions sustain complementary dimensions of moral psychology: Evidence from Burmese Buddhists
ミャンマーにおける信仰のあり方がどのように道徳に影響を及ぼすのか、質的なフィールドワークと量的な実験を組み合わせたアプローチについて紹介した。宗 教学における「大きな伝統」に相当する仏教とnatと呼ばれる神を信仰する「小さな伝統」があり、これらの伝統はそれぞれ異なる道徳的側面を持ち相互に補 完し合っていることをフィールド調査・実験によって示した(「大きな伝統」はより社会全体に対する協力、「小さな伝統」は家族に対する協力を強化)

3. Rohan Kapitany (University of Oxford) 心理学者

表題:The Child’s Pantheon: Children’s Hierarchical Belief Structure in Real and Non-Real figures
「幽霊・サンタクロース」といった架空の存在に対する信念の発達的変化する過程について述べた。実験では、「幽霊は本当にいるのか?」といった質問を、実 在する人物(芸能人)、文化的キャラクター(サンタクロース・歯の妖精)、物語のキャラクター(アニメーション映画の主人公)について尋ねた。その結果、 年齢が上がるにつれて物語のキャラクターに関しては、実在しないとする回答が増えたが、同じように架空の存在である文化的キャラクターに関しては比較的存 在するという信念が維持された。これらの信念の維持は、サンタクロースや歯の妖精が実際にいるかのように振る舞う「儀式」が関わっていることを議論した。

総合討論:
会場には心理学、倫理学、宗教学、教育学、人類学といった多彩な研究者からの質問があり。心理学的研究におけるフィールド調査の意義、今後の地域実践者と 研究者の可能性に関して議論が行われ、宍戸氏がさらなる協働の可能性について議論した。また、研究に関しては倫理学や人類学の観点からコメント・質問が あった。倫理学の観点から、これまで心理学における道徳理論として道徳基盤理論が存在しており、その文化普遍性に疑問を持っていたが、Stanford氏 らが用いた道徳理論はフィールド調査等に合致しており、実証的な道徳理論に人類学の観点からオルタナティブな主張がでることを歓迎するコメントが寄せられ た。また、Kapitany氏が研究で用いた「儀式」の操作的な定義と、これまで人文社会科学で用いられた「儀式」の定義の違いなどが議論され、認知宗教 学の実証的の知見が伝統的な宗教学や文化人類学にどのような影響を与えることができるのか議論された。

 

 

2018年11月


多分野連携プログラム「災害と学校」


『熊本震災に学ぶ』


日時:2018年11月22日(木)15:00~16:30
場所:コミュニティラーニング・スペース(イースト1号館2F)

出席者:教員(元兼教授、南 教授、神野教授、田北講師、志波助教)、学術協力研究員(藤原)、学術研究員(大森)、その他院生・学部生等、計30名(報告者含む)

報告者:元兼正浩教授、神野達夫教授、五通康形(空間システム専攻 修士課程1年)、河崎 生(空間システム専攻 修士課程1年)、原北祥悟(教育システム専攻 博士課程3年)、木村栞太(教育システム専攻 博士課程2年)、鄭 修娟(教育システム専攻 博士課程2年)

冒頭で研究代表者の元兼先生より、多分野連携プログラム「災害と学校」について、これまでの経緯と主旨説明がなされ、次いで、本日の流れについて説明された。前半は神野研究室、後半は元兼研究室による報告がなされ、それぞれに質疑を受け、最後に総括討論が行われた。

建築学の視点からの報告
神野達夫 先生
研究室で一連の研究として取り組んでいる「阿蘇一の宮における特徴的な地震動はなぜ生じたのか」という講演のテーマとその概略が紹介された。熊本地震の実 態については、2016年4月14日と4月16日に熊本県益城町で地震が2回発生し、通常、16日が本震と呼ばれる。人的被害としては、関連死を含めて 267名が亡くなり、建物の被害としては、全壊8,673棟、半壊34,726棟、さらに、一部損壊162,499棟である。この地域は、沖縄トラフに よって、南南東方向に地面が動き、さらに、フィリピン海プレートの潜り込みで西に向かって動いた。そのため、中央あたりに南北方向に引っ張られる力が生 じ、この力が限界に達した結果が、今回の地震であるとの説明がなされた。
結果として、1981年以前に建設された旧耐震基準の木造の建物には、大きな被害が生じた。一方、2000年以降に建設された新耐震基準の新しい建物につ いては、比較的被害が少なかった。学校校舎の被害については、中学校の渡り廊下が奥行き方向に傾いており、旧耐震の建物であると思われる。さらに、2階の 棟が傾いている。
次に、研究対象である阿蘇神社は、国の重要文化財の楼門、拝殿が完全に崩壊した。被害があったのは、この二つの建物のみで、周辺の建物や社務所には被害は なかったことが大きな特徴である。地震の観測記録によると、‘3秒’のところに非常に大きなピークがあり、地震動として想定されている揺れをはるかに超え る揺れが3秒後に生じていることが判明した。このような地震は、過去にあまり例がない。今回は、なぜそれほど大きい3秒振が生じたのか、この記録は、阿蘇 神社から1.8km離れている地点の記録であるが、阿蘇神社でも同じ揺れがおきたのか、なぜ阿蘇神社の拝殿は、これほど壊れたのか、以上の点について報告 したい。

五通康形(修士課程1年)
上記のテーマについて、‘地盤からのアプローチ’を行った。観測点の地盤がどのような特性をもっているのかを表わす、地盤振動特性に着目した研究である。 本研究では、観測点で地震動がどのように増幅されたのか、地盤の構造を推定することによって調べた。具体的には、地盤の構造を把握するため地震計を3つ配 置した微動アレイを用いた。この微動探査は、簡便で安価に行える観測方法であり、9個の微動アレイを用いて調査を行った。その後、記録した微動データから 位相速度を算出した。地盤の構造から位相速度を計算することができるが、今回の調査では、位相速度が一致しているので、信頼性は高いと考えられる。
以上、地盤特性から考察すると、阿蘇一の宮の強震観測点は周期‘3秒’を増幅する地盤を持つという結果が得られた。

河崎 (修士課程1年)
次いで、‘震源からのアプローチ’を行った。地震動を評価する方法としては、半経験的手法を用いた。具体的には、過去の中小地震の観測記録を用いて、大地 震を推定する。すなわち、大地震の断層面を小地震の断層面で分割して、小地震の記録を適用する。面積が同じでも滑りが異なるので、滑りを補正した上で合成 する。このように、一様ではない滑りの分布を示したものを断層モデルという。研究では、特性化震源モデルという、震源断層面上ですべりの特に大きい部分を 強震動生成域でモデル化し単純化したもの(A-model)を用いた。
結果として、波形を確認していくと、波形の周期が約3秒であるということが明らかになった。フーリエスペクトルとは、どのような波でも複数の波の組み合わせでできているとして、それを整理したものである。この加速度フーリエスペクトルからも、周期が約3秒のところで卓越していることが確認された。すなわち、震源から地震動が出た時点で、周期約3秒の成分を含んでいたということがわかる。五通さんの研究結果と合わせると、周期約3秒の成分がさらに地盤によって増幅されたという結論になった。

質疑応答
「周期‘3秒’」に質疑が集中した。
今回の研究は、‘3秒’を引き出したのではなく、‘3秒’を前提として行った研究なのか、震源の段階で‘3秒’ということは事前にはわからなかったのか (いずれも南先生)という質問に、神野先生からは、震源周囲のさまざまな観測点の記録を震源モデル、断層モデルを適用した結果から、阿蘇をシュミレーショ ンすると、ⅰ)周期‘3秒’の振動が震源の段階で発生したこと、ⅱ)地盤特性から阿蘇という地点で大きく増幅されたことが明らかになったと回答された。また、「周期‘3秒’」と新耐震の学校校舎の被害の関係についての質問(志波先生)には、新耐震基準の建物には影響しないと回答された。

教育学の視点からの報告
元兼正浩 先生
「熊本地震における<学校再開プロセス>の記録化と活用」という研究テーマとその背景、動機が紹介された。まず、背景として学校の危機管理に関しての研究 はこれまでにもあったが、熊本地震においては学術的知見が活用できなかったという反省がある。
本研究では、(1)危機発生時の初期対応、(2)避難所経営、(3)学校再開までを<学校再開プロセス>と位置づけて、当時の記録と記憶を渉猟し、リスクマネジメントに活用するという研究目的が示された。
東日本大震災(2011)のときは、教育学会関係者も重く受け止め、学校再開のプロセス研究が展開された。しかしながら、2016年の熊本地震の際に学校 がそうした蓄積を活用できたかというと必ずしもそうならなかった。逆に、役に立つ情報がなかったという現実があった。これにはいくつか理由があり、一つに は、地震は、発生時刻により危機の実態が異なるということがあげられる。熊本では、夜間に発生したため、避難所となった学校の施設責任者として、管理職の リーダーシップのスタイルが問われた。また、熊本地震の発生時期が年度初めであったため、学校の管理職と地域との関係の在り方が課題となった。結果とし て、校長自身のポテンシャルだけで対応しなければならなかったという問題があった。また、熊本地震の特徴として、軒先避難が多かったということがあげられ る。以上のように、これまでの知見とは異なる点が確認された。
その一方で、熊本地震はマスメディアの報道も少なく、すでに鎮静化しているともいえる状態である。しかし、これまで、研究室では学校の危機管理について継 続して研究していたこと、また、九州、福岡という立ち位置からすれば、九州大学としては、この問題を放置すべきではないとの研究の動機が説明された。

原北祥悟(博士課程3年)
はじめに、熊本地震による被害状況について報告する。今回の地震は、震度7の地震が28時間以内に2回発生し(観測史上初)、断続的な余震の影響から、車 中泊を選択する被災者が多数いたことから、避難者の実態把握が困難であった。また、益城町に被害が集中したため、地震による被害に「局所性」があったとい える。次に、学校に焦点を当てると、公立学校の394校(66%)が被災しており、同時に公立学校の223校(37%)が避難所となった。
次いで、教育学における震災研究の共通点と課題について、日本教育行政学会、日本教育学会、日本教育経営学会の先行研究について報告された。まず、日本教 育行政学会では、子どもたちをリスクから守るために、学校・教育委員会・自治体は何をなすべきか、教育行政・教育行政学が取り組むべき課題を探ることが課 題として挙げられている。次に、日本教育学会では、日本社会全体の中で教育をめぐって何が変わったのか、というところに主たる関心がある。日本教育経営学 会は、学校の動きがインタビューなどで記録にとどめられている。三学会の共通点は、震災後の課題を提示することに焦点が当てられていることである。また、 記録することの重要性を認識した上で、研究者の社会的使命として記録化を実施している点も共通点に挙げられる。一方、課題としては、記録が避難所運営や学 校災害時の問題に傾斜しており、初期対応に関する記録が不十分であったことがあげられる。また、記録をアーカイブするということにとどめられており、今 後、この記録を、研究者がどのように解釈するかが課題として挙げられている。
したがって、本報告では、初期対応にも焦点を当てながら、<学校再開プロセス>全体を記録、検討していきたいと考えている。具体的な調査の概要としては、 特に震災の被害の大きかった熊本市東区に加えて、益城町の小、中学校の管理職と教育行政へのインタビュー調査を実施した。
続いて、初期対応についての検討に移る。本報告では、<学校再開プロセス>を5月10日までに設定している。なお、現実には学校再開について再三見直しが 行われたが、その背景には、通学路の確保など、児童生徒の安全をめぐる項目などをクリアするのに時間がかかったということが要因として挙げられている。具 体的な初期対応における課題としては、1)管理職の職住近接(職場と住居の近接状況が初期対応に影響する)、2)体育館など学校施設の鍵の管理体制、3) 教職員・児童生徒への連絡体制の構築(安心メールを早期に登録させておくことが必要。また、職員への連絡では、LINEなどのアプリが有効に機能した)、 4)備蓄量の不足(水害のための備蓄は行われていたが、量が不十分であった)、以上の4点が指摘された。

木村栞太(博士課程2年)
続いて、避難所が開設されてから授業再開までの過程の検討を行う。具体的には、授業再開までの避難所運営の機能的変遷として、第一期から第三期までに区分 した。第一期:開設直後の避難所運営体制の構築に取り組む時期(教育機能の一時休止、支援物資の受け入れ作業)、第二期:避難所運営の円滑化に取り組む時 期(外部の避難所運営の支援団体が学校支援に来る)、第三期:学校再開に向けて最終調整する時期(教育委員会と学校、また学校間の連携を通して、どのよう な学校再開をしていくのか、ハード・ソフト両面から教育活動の復旧作業)。
その結果、授業再開に向けた5つの課題が析出された。具体的には、1)教育施設の被害状況の管理、2)学校再開に関する調整業務、3)転出入など被災に伴 う児童・生徒情報の管理、4)教職員の勤怠に関する事務処理、5)児童生徒の通学方法の確保に関する業務である。
考察としては、まず、危機対応(有事)における教員の専門性について検討した。学校とは、本来、教育を行う場であるが、有事においては、社会福祉を担う場 として機能する。その結果、避難所運営を取り巻く条件整備の主体は、形式的には一般行政にシフトするのだが、実質的に教職員が主体とならざるを得ない。課 題として、教員は、地方公務員と教育者として二つの役割を持ち合わせているがゆえに、有事における負担や責任が無限定に拡大するという現実がある。ここか ら導き出される示唆として、他の専門家(集団)との協働の必要性があげられる。すなわち、避難所運営において、教員が果たすべき役割とほかの専門家集団に 委嘱すべき業務の明確化が必要である。すなわち、教職員には、外部支援の受け入れを判断する能力が今後求められてくる。外部団体の支援受け入れについての 事例をあげると、益城町のF小学校の場合は、校長の自発的な働きかけのもと、外部団体の潤沢な支援の受け入れに成功した。しかしながらその結果、F小学校 と他の学校との間に支援の格差が発生するという事態が生じた。今後の課題といえよう。

修娟(博士課程2年)
次に、データの取り扱いに関する考察に入りたい。今回の研究では、当事者のインタビューだけではなく、当時の出来事が記載された‘記録’として教員個人のメモや日誌を収集し、当時の先生方の記憶を掘り起こす作業を試みた。個人の‘記憶’と いう観念には、過去の出来事について当事者だけが記憶に近づくことができ、再生することができるという共通理解が前提となる。記憶は過去を「保存」し「再 生」することではなく、現在の視点から過去を「再構成」するという行為である。特に今回の報告で対象としている学校の管理職は、様々な集団のなかに身を置 く立場にある。管理職の持つ記憶は、その当時の社会的事情や要請によって規定される管理職像に影響されながら、再構成されている可能性が高い。これは、震 災が起きた直後、学校の責任や管理職の役割が大きく問われる初期段階において特に重要であり、大きな説得力を持つ。
ここで、集合的記憶と個人の記憶の関係を念頭に置けば、震災後について語られる個人の記憶は、ある意味で多様なバイアスがかかる恐れがあり、それをできる だけ除去し、そのときの記憶を可能な限り保存しておく必要があると考えている。そこで、個人が残している当時のメモや日誌を収集し検討を試みた。従来の先 行研究では、メモや行政資料、当事者の語りを一次資料として取り扱い、それをアーカイブし記録化することによって、最終的に知見を析出して社会に情報を発 信する枠組みで研究がなされてきた。今回の研究では、従来の一次資料をさらに、一次資料(メモや日誌)と二次資料(行政資料と語り)に分けて、知見の析出 を試みた。
震災直後のA中学校の校長のメモの分析によると、一次資料は、事実や意思決定に関するメモが残されている傾向がある。その場で何を感じたかという点では、 より多くの情報を含んだ資料といえる。もう一つの事例として、C小学校長が残したメモの分析を踏まえると、具体的な校務に関する細かな問題や個人の感情 は、インタビュー調査では引き出せなかった情報であることが明らかになった。すなわち、メモや日誌だからこそ見つけ出せる事実であるといえる。
以上のように、震災研究における調査デザインは、「記憶」から「事実」を聞き取る際のバイアスが存在するという限界があることから、今後は、「どのように 語られたか」までを記述の対象とするなど、アプローチの方法を再検討する必要がある。そのためには、一次資料を調査協力者とともに振り返ることなど、今後 は、追跡調査を行っていく必要もあると考えている。

元兼正浩先生
本報告の成果と課題として、先行研究で手薄と言われていた初期対応については、情報が少なく、「記録’」と「‘記憶’」両方の面から収集が困難であった。なかでも、「記憶」から事実を聞き取る際のバイアスの存在は悩ましく、調査に入ること自体がバイアスをかけているといえる。特にインタビュー調査を多く受けた校長は、すでに作られたストーリーを語ってしまう。すなわち、記憶の再構成をどのように扱うかが課題であるといえる。忘れがたいが語らない(語れない、語りたくない)という被災者個人の感情を考慮すれば、研究者が入ること自体が暴力的な形になる。研究の距離感と倫理性をどう考えるかは今後の課題である。
熊本の場合は、震災以降、記憶をいかに可視化するかという議論が行われておらず、特に学校現場では、すでに被災時の状態が語られなくなっているという状況が生じており、至急、研究を纏める必要性を痛感している。

質疑応答
田北先生からは、ご自身のご経験からの意見が出された。
まず、初期対応を学校が抱え込むのではなく、初期に地域の人と関わりあう状況をどうやって作れるのかが重要である。報告されたような管理職の職住近接、学 校・施設の鍵の管理を地域の人に依頼すること、避難所を地域の人がマネジメントするなど、学校の管理職が担うべきところと、地域のリーダーが担うべきとこ ろがあるが、学校の教職員がストレス、コンフリクトに感じるところは、地域とのつながりであり、地域住民の役割が明確になれば、そのストレスが緩和される と述べられた。
現実には、ボランティアの受け皿は、社会教育であるボランティア・センターが担っており、役場と社会教育が連携して、いかに学校に外部団体を送るかが重要になる。
次に、一次資料の活用については、当事者の語りを位置付けるという意味では、あり(有意義)だと思う。サポートした人達が客観的に捉えて語れるという可能 性がある。今後は、学校関係以外の人達を知恵の蓄積にいかに関与させるかが、重要なポイントになると述べられた。
これに対して、元兼先生から、以下のように補足説明、および、意見が述べられた。
初期対応に関していうと、東日本大震災の経験が、熊本では必ずしも生かされていなかったのではないかという状況があった。年度初めで地域との関係性が作れ ていなかったことは大きかった。また、地域のキーパーソンが被災していて、頼れなかったケースもあった。学校は、避難所運営の主体ではないが、期待されて しまうということが現実の問題でもある。本来の姿といえる、地域が避難所運営を担い、授業再開に先生が専念できるようなバトンタッチができなかった。報告 にあった第二期は、学校再開に向けて子どもたちを受け入れる準備をしなければならないが、教室を避難所に使用している場合は、文科省から被災者を追い出さ ないようにという通知もあり、現場は二重の板挟みにあっていた。教師の公務員役割と教育者役割をどう整理するかが課題である。さらに、田北先生からは、現 実的には現場の教員が、避難所経営などの役割も担うことになることを地域に理解してもらうための訓練の必要性が述べられた。元兼先生からは、学校の危機管 理のための教職員の研修が必要となると、働き方改革と逆方向に進んでしまい、教員の負担増になることから、今後は社会教育やボランテイア・センターまで調 査対象を広げる必要性とその初期の記録化の計画があるとの回答がなされた。

総括討論
◇南 先生
‘記録’と‘記憶’という大きな視点で、二つの報告の接点を考えてみてはどうか。地震の発生は、熊本の場合、歴史的にどのくらいの頻度で起きているのか、自然界の記録というスケールで考えてみてはどうだろうか。

◇神野 先生
東北の地震や最近、懸念されている南海トラフの地震は、プレートの境界で起きる地震であるが、100年~200年くらいの時間間隔で起きる。短い場合は、 数十年なので、一人の人が、その一生の間に2回経験することもあり、前の記憶が残っている。東北の地震は、100年くらいの間に何度も繰り返されているの で、記憶の伝承ができる。逆に、熊本地震のような内陸活断層で起きる地震は、1000年に一回、あるいは一万年に一回という周期で繰り返されている。以前 に、そのエリアでいつ地震が起きたかがわからない活断層は多くある。人間の一生や建造物の耐用年数で考えても、同じ建物、同じ人が、同じ活断層の地震を二 度経験するということはかなりレアのケースである。熊本でこの規模の地震が起きたのは、何千年も前のことである。次に起こるのはそれほど近い将来ではな い。そのため、活断層の地震の場合、記憶の伝承を考えていくのは難しい。だが、日本全体で見れば、どこかで何年かに一度は起きるので、それをいかに全国レ ベルで共有するのかが重要になる。東北の3.11の記録が熊本に生かされていないというのは、全国レベルでの共有化が不十分だったということの表れである と思う。

◇田北 先生
東北の場合は、津波を想定して、学校の位置を設定したり、建物を海岸線に向けて垂直に立てるなどしている。しかし、九州の場合は、学校だから避難所にする という程度の認識である。今回の報告に即して言えば、神社が倒れた原因が、特徴的な地震動が生じたことにあるのだとすると、その上に避難所があると危険だ ということである。専門的な知識から、大きな被害が起こるということがわかれば、そこに近い学校を避難所として設定することが危険だということは予測でき る。

◇神野 先生
地震の分布や被害についての研究はあるが、現実にはその場所を避難所に指定しないということは難しい。そもそも、そこに学校を作るなということになる。し かし、学校は子どもの数がそれなりにいれば作らざるを得ない。そうすると、建ててもよいが、強度を高めるという方向に話が変わってくる。現在は、地域の地 震動を精査して、学校を建てるというところまではいっていないが、将来的には一律の基準で耐震補強するのではなく、それぞれの場所の特性を把握した上で建 物を建てて、基準をクリアしているから避難所にしてよいというようなプロセスが重要である。

◇志波 先生
ハザードマップはあるが、それを避けて学校を建てるということができない。どこまでそれを現実問題として扱えるのか。

◇元兼 先生
そもそも、学校は避難所としてふさわしいのかという議論があった。冷暖房などの問題はあるにも関わらず他に方法がなく、第一次避難所にならざるを得ない。 ただ、学校建築が、どれほど避難所になることを想定して、体育館など設計されているのかの疑問がある。

◇志波 先生
基本的に学校は、一次的な避難所として想定されている。通常の建物の基準よりは、強く作られてはいる。

◇神野 先生
学校を避難所として使うということは、ある時期に、すなわち、学校再開に伴って閉鎖されることになることが地域の人に理解されていないというのは、問題の 一つとしてある。学校は学校で、地域は地域で、別々に研修・教育が行われていても、お互い理解できないという状況が生まれている。実際に被害が起きたとき には、地域と学校が一体になって進めていかなければならない。それぞれの教育が別々にされていることが、うまくいかない一因ではないか。地域と学校の防災 教育を一緒にやると学校の立場を地域住民も理解し、地域の人が何を求めているかを学校もわかる。災害の現場で何が起きているかを皆で共有できることが重要 である。

◇元兼 先生
熊本地震が1000年に一回という時間間隔であるとすれば、熊本だけにとどめるのではなく、いかに空間的に広げていけるかということを考えていかなければ ならない。建築の立場からは、熊本の傷口を残す方向性はないのか。神社は修復してしまうのか。神社は記憶を残すために良い場所だと思うが、阿蘇一の宮はそ ういう場所ではないのか。

◇神野 先生
断層がそこにあるとわかったのは、今回が初めてである。阿蘇は、カルデラで有名だが、火山灰が堆積していて、どこに断層があるのかわからない。今回初め て、カルデラの中まで震源断層についての議論ができた。今回のような大きな地震が起きなければ、わからなかった。

◇田北 先生
起こるはずはないと思っていた状況が、ここ何年かで起きている。記録とか記憶に頼れない現象が起きている。インターネットが普及したことで、記録と記憶の 構造が変わってきた。それがどのように災害の記録と記憶に関わるのか。以前よりも記録が残るようになっているのではないか。

◇元兼 先生
ハザードマップを信じるなということか。記録と記憶があると安心してしまうという話か。

◇田北 先生
何が起こるかわからないという構えは必要だと思う。子どもは、通学路で一人のときにどのような行動をしないといけないのかを考えなければならない。想定外 のことが起きたときにどういった対応をしなければいけないのかという教育を行わなければならない。記録や記憶に依存した教育ではない。想像を超えた状況に 対応できる構えが必要である。

◇南 先生
むしろ、過去に頼るわけではなく、リスク、不測の事体に対応できる教育も必要だという意味ではないか。記憶する装置が、人間の脳からインターネットに取っ て替わられた。直接自分が知っているわけではなくても、ネットで調べると情報を使えるという形になってきた。

◇神野 先生
ネットは、人間の脳より多くの情報をとどめているという点でありがたいが、情報が多すぎるがゆえに、被災した混乱状況で一つ一つアクセスして、有用かどうかを判別するのは、大変難しい。
情報を平常時に再構築しておかなければ使えない。どこかで経験をした人の記憶のほうが、説得力があるのではないか。

◇田北 先生
どういった情報が必要なのかを考えて、得られた情報を再構築し、重要な情報を取り出すためのインターフェイスを研究することは可能性がある。

まとめ
まず、(ⅰ)研究の方向性に関する提案(①)、その後、(ⅱ)熊本地震の特殊性についての追加説明とその活かし方(②、⑨、⑩)、(ⅲ)学校を避難所にすることに関する問題点(③、④、⑤、⑥、⑦、⑧)、最後に、(ⅳ)記録と記憶の残し方、活用の方法(⑪、⑫、⑬、⑭、⑮、⑯)について、活発な意見交換がなされた。
最後に、元兼先生が以下のようにまとめられた。
情報をいかに知に昇華させていくかが重要である。「人間環境学の知見の構築」が多分野連携のテーマに掲げられているように、各専門分野の知識・情報・スキ ルをいかに知見に変換して、現場に届けるかを今後検討したい。今回の報告会をスタートアップの機会として、今後も研究会を進めていきたい。

今後に向けて
今回は、熊本地震の特殊性 、すなわち、「連続した2回の地震‘前震と本震’」、「‘周期3秒’の‘1000年に一度’の‘増幅された大地震’」、「局所的な被害」が確認され、研究分野を超えて共有されたこと、次いで、研究手法として「メモという個人の記録を一次資料」として、‘記録’と‘記憶’という視点で今後に生かす可能性がみえたことが成果といえる。
次に、研究会の形式として、外部講師による講演や対談などではなく、自らの研究をもとに他の研究分野の教員や院生に対して、院生自身が発表したことが、大きな成果といえる。
全く異なる分野の2つの研究室の発表は、感想文にも表れていたが、相互の知見の獲得はもちろんのこと、研究視点、研究方法の設定等、教員、および院生に とっても大きな刺激になり、研究意欲を高め、多分野連携研究を実感する機会となったことは大きな意義があるといえる。

今回、得られた知見、すなわち、2つの研究分野の‘記憶’と‘記録’を整理して、さらに他の研究室の知見を加えて、「災害と学校」の研究を進める必要があろう。

 


「遊びと洗練」研究会

スピンオフ企画<学問における評価とは?>


日時:2018年11月21日(水)17:00~18:30
場所:九州大学伊都キャンパスE-A1階オープンスペース
出席者:飯嶋准教授、金子准教授、南教授、藤井准教授(インスティテューショナル・リサーチ室)、菊池係長(企画部評価係)、大森(学際企画室)、および院生等、合計12名。

多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第四回研究会を伊都キャンパスイースト1号館1階オープンスペースで行った。ゲスト講師として、インスティテューショナル・リサーチ室の藤井都百先生と企画部評価係の菊池美祐先生を迎えた。

冒頭で、飯嶋先生より、遊びと洗練の今年度の取り組みについての説明をいただいた。今回は、スピンオフとして「評価」をテーマとした企画を行った。前半は、教員として評価する立場、後半は、教員として評価される立場から議論を進めていく。

  • 金子先生「事の始まり」

まず、金子先生より「事の始まり」についてのお話しがあった。「事の始ま り」は、人間性心理学会で、パトリシア・オミディアンという文化人類学者によるレジリエンス(しなやかさと強さ)という心理学的な手法を用いた、人類学調 査についての著書” Reaching Resilience”を翻訳、紹介するという企画であった1。 金子先生自身は、評価の章を担当し、統計的な心理療法、質問項目、効果の可否が論じられると想定していたが、予想に反して、統計的とは言えないような評価 の仕方、その大雑把な評価に驚いた。近年では、前後での変化がとらえきれないような心理療法は下火になってきて、行動面に焦点を当てたもののほうがエビデ ンスがあるとされ、隆盛している。心理療法と統計の関係は、より密接になっているという。全てが統計で示せるはずがないにも関わらず、それに囚われてい る。評価とはなにか、科学的であるとは何かを考える機会になることを期待する、として今回の企画のきっかけと意図をご説明された。

  • 飯嶋先生「事の始まり」の補足

 そこで、「事の始まり」について、飯嶋先生から補足された。パトリシ ア・オミディアンの評価の仕方があまりに雑駁であることが、学会で話題になったのであるが、そこには2通りの解釈があるという。一つは、人類学者は数学を 理解しておらず、有意水準・無意水準について、人類学者は無知であり、単純にパットもそれをやってしまった可能性(ネガティブな解釈)。もう一つの解釈 は、人類学は数が一つの可能性でしかないことに気づいていて、細部まで記述するしかないと考えている。あえて、数で比較をしないという人類学者の態度の表 れであるという可能性である(ポジティブな解釈)。例として、『ピダハン』という数詞が存在しない南米先住民についての研究が挙げられた2
金子先生の専門領域と越境する話題として、臨床心理学者カール・ロジャースと科学哲学者マイケル・ポラニーの対談がある。カウンセリングで有名なロジャー スは、カウンセリングをどう科学的に評価したらよいか、に悩んでいた。それに対してマイケル・ポラニーは、科学が何かなんて気にしなくていい、科学者も科 学が何かなんてわかっていないのだと応答したことがあった
3。人間が求めているのは、秩序感覚であり、それを知ることが使命なのだと4。しかし、ユニークネスを数値に還元しようとすること自体が、間違っている。人類学は根本的にユニークネスを求めているために、オミディアンのような境界的な仕事は、ambiguity(曖昧さ)が出てしまう。

  • 南先生「橋渡し」

 南先生からは、二つのトピックが提示された。まず、一つめのトピック は、目標がないと、どのようなルート(手段)を取り、それが目標地点に近づいているのかどうか判断できないという、ナビゲーションの問題である。例えば、 自分がどこにいるのか、認知地図を描いてみると、個々人によって描かれる地図は異なるが、地図の正確さは、それ自体が目的ではない。それによって何が実行 されるかによって「良い」地図の性質・特性は異なる。評価は、目標の関数であり、目標がないと決められないという点が指摘された。
二つめのトピックは、Tamara Dembo氏によって論じられた固有価値“asset value”と比較価値”comparative value”の視点である。
5Dembo 氏によれば、人は、回復できない障害を負うと自分自身の価値がなくなるように感じてしまう。健康な状態に価値をおく人たちは、元の状態に戻れなければ、決 して満足しない。しかし、第二次世界大戦の後に、障害を負った人が大量に生じた。障害を負った人々の満足を回復するためには、比較価値から固有価値に変わ るしかないという。固有価値”asset value”とは、すなわち、「それしかない」価値である。障害を持つ人たちが価値を適応・修正(adjust)していく。戦争によって発生した大量の障 害をもった人たちが、不適応で不幸せになり、その人たちを価値損失が取り巻く。それをどうやって転換するか、という解消策として、固有価値への適応が考え られるという点を提起された。

  • フリートーク

 その後、フリートークが行われた。

金子先生

  • ロジャースは、ビデオカメラをカウンセリング室に持ち込み、効果を見出そうとし た。しかし、そのカウンセリング手法が道具としてどれだけ優れているか、が見いだされても、そのセラピストにどれくらいの能力があるかは疑問である。エビ デンスがあるといっても、それはどれほどのものだろうか。
  • また、行動療法はよりエビデンスが高いと現在、言われているが、それ以外を求めて来る人がいる。同じ尺度でどちらの心理療法がよいか、という競争だけではなく、複数の立場の心理療法がある方が、人々の心に対応できるのではないか。
  • ロジャース自身、大学での自身の評価に悩んでおり、評価されるために業績を出さなければならないという面はあったが、基本的にロジャーズも外的な評価、数的な評価よりは、自分はこれが重要だと思うという内的な評価を大切にする信念は持っていた6

飯嶋先生

  • ロジャーズが外的評価を語るときは、やはり比較価値を持ち出さなければならなかった。価値評価だけでは人間はやっていけないということでもあると思う。限られたリソースの中で競争に巻き込まれていくというシチュエーションに社会的にはある。

金子先生

  • 統計的な部分より、付録の自由記述欄を読んで初めてわかること、おもしろいことがある。説得力、実践に意味があったかを直感的に理解するためには、数字はインパクトがないと感じるときもある。

南先生

  • 固有価値”asset value”と比較価値“comparative value”は別々ではない。例えば、医者に行くときに、その個人の固有価値に惹かれるというよりも、治るかどうかを考えており、その時に数字が効いてく る。そこで、際立った人が見えなくなっていく。今や臨床心理学はエビデンスを言わないと社会的に評価されず、むしろその傾向は、加速している。しかし、こ れは臨床心理学の固有性“asset”、ユニークネスを失ってしまうことになる。

金子先生

  • 固有性”Asset”を持つため、近づいていくためには、土台がしっかりしていないと働くことすらままならないということを考えると、比較価値”comparative value”の中に身を置いて大きくならないといけないという状況がある。

飯嶋先生

  • 金子先生の意見は、共通部分を身につけてからユニークネスを身につけたらよいのであって、最初からユニークでなくてもよいという主張だと思う。

南先生

  • 臨床心理学は、いくつかの心理療法が出てきたなかで、どれがいいかというところから始まっているので。どちらのほうが有効かということを調べなくてはいけなくなったのだろう。

飯嶋先生

  • 南先生の意見は、評価がいろんな味を薄めてきたという側面があるということだと思う。

金子先生

  • 評価一辺倒ではなくて、あるところまで振れ幅が行き着くところまでいったら返ってくるのでは。数的な評価だけでは不十分だという方向に徐々に変化していくことに期待したい。
  • 藤井先生「企画部企画課評価係の概要」

 会の後半では、企画部の先生方から、大学評価について、概要と実務についてのお話をいただいた。まず、藤井先生からは、大学評価の概要について、ご説明いただいた。
大学評価には、以下4つの、義務づけられた評価と自発的な評価がある。
1)「国立大学法人評価」:国立大学は、国立大学法人になった際に、「国立大学法人評価」が義務付けられた。
2)「機関別認証評価」:これも、国公私立大学に義務づけられている。
3)「専門職大学院認証評価」:国公立私立の専門職大学院に課せられている。
以上が法的に義務付けられたものである。
4)「外部評価報告書」:これは自己評価であり、自発的に行っているものである。

1)の「国立大学法人評価」は、毎年度ごとに実績報告書を文部科学省におかれた国立大 学法人評価委員会に提出している。毎年度(現在は第三期)年度計画を立てて、達成度を評価している。掲げた目標・目的を達成したか、という観点で見る。こ れは、南先生の話にあったとおり、目標がないと評価はできないからである。もう一つの観点は、大学として必要な基準を満たしているかというもので、2)、 3)の認証評価で用いられる。
PDCAサイクルの中に、大学の法人評価は基づいており、自発的に内部評価を行い、自ら問題を発見し、改善していく仕組みとなっている。大学の内部質保証 を目的としたもので、悪いところがあれば改善し、良いところは維持していく。このような評価は、“健康診断”ととらえることができる。大学評価は、なぜ必 要なのかと問うと、学生が入学しない、定員充足率が悪いという流れになりがちだが、そうではない。標準値よりどこが悪いか、を指摘するためのもので、大学 評価は敵ではないということを理解していただきたい。大学としての予算を国から文科省経由で配分されているため、報告を行う義務がある。大学として取り組 みが優れていれば、運営費交付金の傾斜配分がなされる。国立大学が慢心した経営をしないようにという目的をもったものでもある。

  • 菊池先生「企画部評価係の実務」

 大学内での企画部企画課の位置づけ、続いて評価実施体制についてご説明をいただいた。
企画部企画課は、大学全体をとりまとめる事務局のもとにある。企画部企画課の構成としては、企画部長、企画課長、課長補佐のもとに4係が置かれ、その一つとして評価係が配置されている。
企画部企画課で扱っている評価としては、以下の5つがある。
1)「国立大学法人評価」:6年間の中期目標・計画の達成のために毎年度、4年目終了時、中期目標期間終了時に達成度について、自己点検・評価する。

  • 「認証評価」:教育研究活動の質保証が目的。認証評価機関が評価を行う。
  • 「教員活動評価」:九大独自の制度。教員が自身の活動向上や部局の将来構想に役立てるもの。
  • 「内部質保証のための自己点検・評価」:年度計画の自己点検・評価を行うもの。
  • 「5年目評価、10年以内組織見直し」:九大独自。中期目標期間中の5年目に評価を実施している。

1)~4)が、評価係の業務であるが、実際に評価を行うところは、文科省や大学改革支援・学位授与機構及び学内に置かれた評価委員会等であり、評価係が直接評価するわけではない。評価係は橋渡し役をしており、それぞれの委員会の先生方に自己点検評価を行っていただく。
次に、学内の評価実施体制では、まず大学評価委員会があり、委員長は総長が務める。大学評価委員会では、部局からは全ての部局長が集まる。さらに、その下 に専門委員会として、1)教員活動評価委員会、2)大学評価委員会、3)部局評価委員会(部局の自己点検や中期目標・中期計画を作成するため)が置かれて いる。

  • フリートーク

飯嶋先生

  • 「健康診断」という言い方は面白いが、「健康診断」に引っかかってしまうところ があったときが問題。教員たちは学生の知らないところで毎年毎年、評価項目として論文、委員会、科研の実績を報告するが、そのデータを総長から文科省へと 上げる。この評価の仕組みは、ロジャーズと繋がっていて、限られたリソースをどう配分するかという論点に行き着く。興味深いのはそこまでいくと質的になっ ていて、数量では評価できない面がある。

藤井先生

  • 大学法人評価は、第一期で大学が示したものがあまりに定性的で、数量で示しにく い計画目標だったので、第二期では計画・目標の個数を減らすように指示があった。数値目標を掲げるようにという指示だったが、達成できるかどうかが明らか になってしまうため、大学としては、数値目標を上げにくい。
  • 各大学での数値目標をカウントすると、九大は他大学よりも少ないという結果が出た。大学によっては50を超える数値目標を掲げていた。年俸制教員(60歳以上は一年雇用)、テニュア教員の数の数値目標など。

南先生

  • 評価する側は、評価される側に恨まれるような関係が発生するが、実は評価する側は、守るためにやっている。文科省から大学を守るためにやっているという構造である。

参加者

  • 前半の議論で、ユニークネスや固有価値“asset value”がキーワードとなったが、大学評価においてはどのようにユニークネスや固有価値を図るのか。

藤井先生

  • 各大学の取組をアピールすることができる。例えば、九州大学では、29年度に共創学部の設置が認可され、30年度にスタートしたことをアピールした。

参加者

  • 修士課程の最初の研究で、目標が固まらないままデータを集めてしまい、それをどうやって評価するかで悩んでいた。想定していた結果が出なかったが、有意ではないことを知れた研究だった。こうなるはずだというロジックが組めていると、そうではないことが受け入れられた。

参加者

  • 前半で数を数えられない民族・ピダハンについての話があったが、他の民族と貿易をするときにだまされないのか?民族が滅びる要因とならないか。

飯嶋先生

  • 数に厳格だった古代マヤ民族も滅びた。必ずしもそれは因果関係ではない。

参加者

  • 現在、修士論文に取り組んでいるが、文化人類学の手法を用いて、インタビューを行っている。最初に質問や基準を設定するが、インタビューする中で、10人に1人は想定とかなり異なった答えをする人がいる場合、基準から大きくずれた一人をどのように扱うかに悩んでいる。

飯嶋先生

  • 補足すると、彼女は、血縁地縁を重視する老華僑と、友達を重視する新華僑との違いについて研究している。

参加者

  • 美術史を専門としており、現在、大学に所属していないが、外の目から見ると、大学が、外の文科省からの評価に答えようとしているのは、大変だと思った。
  • 美術品の評価の良し悪しは、どう決まるのか、が自身の大きなテーマである。あの人が言うことだから信じる、という目利きの評価に美術品の価値は評価される。

参加者

  • 大学のコンピュータの授業で、学生の状況は、パソコンのみで管理し、自分自身が コンピュータになったような気分になった。学生対応は、メールのみであった。そもそも評価とは何なのか、考えさせられた経験である。出欠を機械的に管理す ることに疑いを持たずに教員が入っていくことは、どういうことなのか。
  • asset valueをどうとらえるか。南先生は、固有価値と訳されていたが、資産価値という意味も含まれているのではないか。資産であれば、交換のなかで用いられ る。資産価値にしても、比較価値にしても、どちらも交換のなかで自分がどういう価値があるのか、という視点を持っており、表裏一体の部分を見ていかないと 危ない。「価値ではないもの」が見えなくなる。「価値がない/価値がある」だけになってしまえば、価値に絡めとられてしまう。

南先生

  • Tamara Demboは、英語ネイティブではなく、assetをドイツ語で考えていたのではないかと思う。日本語の固有価値という意味で考えたほうがよい。

金子先生

  • 数的な評価を与えることは、力を持っている。評価を「健康診断」と表現されたの は、示唆的で医者も高い倫理性がないとバランスがとれない。評価は、上下関係ではなく、町医者のように相談できる「健康診断」であるべきである。評価と セットでないといけないのは、倫理性なのではないか。

1 Omidian, Patricia O. and Team 2017 Reaching Resilience: A Training Manual for Community Wellness. Createspace Independent Publishing Platform.
2 エヴェレット,ダニエルL.2012(2008)『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』屋代道子訳 みすず書房。数詞に関しては特にpp.167-168参照。
3 Kirschenbaum,Howard & Valerie E. Henderson eds.1990 Carl Rogers Dialogues.Constable and Company Ltd. マイケル・ポラニーとの対談はpp.153-175で対談自体は1968年に公になっている。“let’s forget about science”の発言はp.159にみられる。
4 ポラニー、マイケル1985(1958)『個人的知識―脱批判哲学をめざして』長尾史郎訳 ハーベスト社。特に第3章「秩序」を参照。
5 Dembo, T., Leviton, G.L., & Wright, B. (1975). Adjustment to misfortune: A problem of social-psychological rehabilitation. Rehabilitation Psychology, Vol. 22, No. 1.
6 Rogers, C. R. (1964). Toward a Modern Approach to Values: The Valuing Process in the Mature Person. Journal of Abnormal and Social Psychology, 68(2), 160-167. 伊藤博・村山正治(完訳)(2001).価値に対する現代的アプローチ—成熟した人間における価値づけの過程 『ロジャーズ選集(上)』,誠信書房,206-227.

 

 
2018年7月

「遊びと洗練」研究会

「英語構造の発生と伸張」
日時:2018年7月6日(金)17:30~19:00
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部棟1階Café Hako
出席者:教員(飯嶋准教授、金子准教授)、学術研究員(大森)、および院生、学部生等、合計10名。

内容:
多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第三回研究会を箱崎キャンパス文学部棟1階Café Hakoで行った。ゲスト講師として、放送大学客員教授の佐藤良明先生を迎えた。
当日は、悪天候のため会場までお越しいただくことが叶わず、会場でスライドを示しながら、神戸市内から電話を通じて講義を行っていただいた。
冒頭に、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』のカニの甲羅の講義を引き合いに出し、「言語は生きた世界の断片であることを文法構造から証明できるか」というテーマが提示された。
ひまわりの発生の動画を視聴し、植物の成長では、一つのパターンが変形を伴って繰り返されることが示された。2枚ずつ同じパターンの葉が発生し、ある時点 で萼ができ、花びらが形成される。このような植物の成長は、一つのパターンが変形を伴って繰り返される英語文の成長と類似していると指摘がなされた。例え ば、“I got it.”という英文には、動詞の前後に“I”と“it”が現れ、文が発芽している。詳細を並べて(〜が、〜に、〜を、〜で)、相手との関係を慮って述語を 置く日本語とは、異なる文の構造である。
日本の英語教育では、5文型(S-V, S-V-O, S-V-C, S-V-O-O, S-V-O-C)を教えるが、この文法は日本独特のものであることが指摘された。5文型の認識は、個別の要素の数を重視し、OとCを異なる要素として扱っ ている。しかしながら、SVCとSVOに構造の違いはなく、ネイティブ・スピーカーにとっても違いを認識しにくい。そこで、全体を発芽の形で、左右に葉が 分かれていくものとして定義する必要があり、そう捉えれば、5文型でなく1文型で済むという。
オットー・イエスペルセンの<ネクサス>=連結の説明によれば、次のような文章はOの中に[SVO]が含み込まれていると捉えられる。I saw [her eat chicken]. このように主述が一つの目的語の中に含まれる構造は、葉が萼になる際に造りが単純化される植物のコントラクションと同じである。萼や花弁は葉ではあるが、 葉ではない。「Aかつ非A」というのは自然の倫理である。例えば、“You make me feel good.”という文は、同様に主述のコントラクションが起きている構造なのであるが、5文型では説明することができない。成長が終わるはずの花軸からさ らに伸びて葉や花をつけるように、文と節もthat , whenever, whether…といくらでもSVの文章が積み上がっていく。
次に、完了・未然・進行と現在時制・過去時制についての捉え方が示された。ネクサスの内部の動詞にも、以下のように未然・進行・完了の三態が機能している。

  • I’ll get [John to do it]. – John is going to do it. 未然
  • I see [John doing it]. - John is doing it.  進行
  • I’ve [got it done]. – It is done.  完了

 さらに、現在時制と過去時制が存在する。これらを掛け合わせて、6つの構造が英文には存在することになる。
未来形は時制ではない。ニュートン以前に時制を過去から未来へ向かう一直線として捉えることは一般的ではなく、英語に未来形は存在しなかったのである。未然にtoがつくのは「これから起こること」に向かう矢印の表現である。
すなわち、英語文法は、1文型(SVX+α)、2時制(現在と過去)、3態(未然、進行、完了)として捉え直すことが可能である。
逆に、英語習得のために5文型の学習が孕む限界として、「同じさが失われること」であると指摘された。機会と部品の認識論や、最小構成要素にこだわる思考 ではなく、生きた世界を動かすパターンをみる視力を鍛えることの重要性が強調された。最後に、本研究会のテーマである「遊びと洗練」に関連して、今回の講 義では、「遊び」を「ルールを作り変える自由」として捉え、学問のルールを書き換えるということ、ベイトソンを遊ぶことを試みたと締めくくられた。
その後、参加者からの質疑と議論が行われた。

  • 日本語のように助詞で文章をつないでいくような文章も、植物のメタファーで捉えることは可能か。
    • 日本語は、発芽しない。文をつないでいって、最後に相手の表情を慮る構造に なっている。例えば、“Do not drink.”という英文に対して、日本語では「飲み水ではありません。」と表記される。命令、依頼は最後の言葉にかかっており、逆立ちしたような構造で ある。
  • フラクタル理論では、変形がどのようにして起きるのか十分に説明されていない。葉や萼に何が変化を起こさせるのか。
    • 原生動物は球の形をしている。情報が入ると対称に、さらに情報がはいると非 対称のものが生成される。足が二本生えている奇形の昆虫に対して、「発生途中で情報が失われたから」という説明をベイトソンはするが、「情報」がパターン の繰り返しを調整すると考えていたようである。
  • 中動態(能動でも受動でもない)をどうとらえるか?
    • 中動態という言葉はあまり用いないが、英語は他動詞が多いので、無生物主語も多い。日本語であれば、主語は生物であることが基本だが、英語ではSに何でもあてることができる。
  • キリスト教以前に、他動詞的ではない世界はあったのか?
    • 英語も、もともとSVOが強かったわけではない。I think ではなくMe thinksと言っていた時代もあったが、徐々にSVOに変化してきた。
  • 解剖学者の三木成夫が、『胎児の世界』で、植物は内臓を反転させたものと語っていた。植物の形態と文法の進化論のイマジネーションは通じるところがあった。
  • 生物は、非対称を生み出すルールがなかったところに、外的な要因を受けて非対称を獲得し、進化してきたという話があった。英語において発芽する動詞が生まれ、非対称なものを切り分けることができるようになった外的要因とは何だったのか?
    • 実証的にやる必要がある。面白いのは、ドイツ語と英語は、元は一つの言語だ が、完了形の使い方が異なる点である。ドイツ語は、haveが先に来て、動詞は最後に置かれる分離動詞である。英語的発想とどのような関係で起きているの かわかれば、英語思考の空間の変化を捉えることができるだろう。
  • 英語圏の方と日本人がコミュニケーションをとるための提案があれば教えてほしい。
    • 一方で日本人は英語を崇拝するが、英語を上手に話す日本人を許さない傾向がある。世間が日本人に英語を話させないようにしている。ルールをやぶることをすればコミュニケーションは上手くいくのかもしれない。

 

 
2018年6月

「遊びと洗練」研究会

日時:2018年6月15日(金)15:30~18:30
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部会議室
出席者:教員(南教授、飯嶋准教授、金子准教授)、学術研究員(大森)、および院生、学部生等、合計12名。

内容:
多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第二回研究会を箱崎キャンパス文学部棟4階文学部会議室で行った。ゲスト講師として、臨床心理士・住吉心理オ フィスの羽下大信先生を迎えた。今回は、参加者の主体的な参加をメインとした、音楽を使ったワークショップを行った。冒頭に、音楽を聴く上で、注目すべき 観点について説明があった。以下の観点が示された。
(1)何をどんなふうに聴いていたか、そのときの連想を言葉にしてみる。歌詞(何を言っているか)、音色(声や楽器の響き)、リズム、メロディ、特異の音 やフレーズ。(2)浮かんできた風景。(3)音楽に伴って起きる体の感覚運動(どこが、どのように)。(4)好き/嫌い(どのように)。
(1)では、音の感覚を言葉にすること、(2)では、想像される風景を、(3)では、体がどう刺激されるか、(4)では、どのように好きか、嫌いかを意識 しながら聴くことを念頭におくよう指示された。人によってどう違うか、違いを知る面白さがあると指摘され、参加者一人一人に上記の感想を聞いた。
各曲について出された意見の一部を以下に抜粋する。

Brian Asawa “The dark is my delight” (ソプラノ男性の歌曲)

  • 英語の歌詞だ、高音がつらい。
  • 頭の上あたりに刺激を感じる。
  • ピアノとのメロディの掛け合いを聴いていた。
  • 雲間から光が差し込んでいるイメージ。

Ru Cooder “Paris, Texas”

  • 危険でついていかない方がいい感じ。
  • 荒野。
  • 小動物が動くイメージ。
  • 酔いしれて演奏しているイメージ。
  • タイの寺院。
  • アフリカの原住民。
  • 荒野に立つかっこいい人。

Vinicius+Bethania+Toquinho “En La Fusa (Mar Del Plata)”

  • 乗り物に乗っていると過ぎ去っていくイメージ。
  • 耳に気持ちいい。
  • 体に引っかからない何も来ず、通り過ぎる感じ。

Dino Saluzzi “Cité de la Musique” モダンジャズ

  • 城下町で踊りながら女の子が歩いているイメージ。
  • 疲れてきた。
  • 暗闇で何かが蠢いているがよく見えない森のイメージから、突然開けて村にたどり着いたような情景。
  • 友人がアコーディオンを弾いているのを想像した。

ジェゴグ!「大地の響き」(神前での戦いの音楽)

  • 低音が何の楽器か、声かわからなかった。イメージは男性っぽい。
  • 中国の少数民族の音楽を、演奏者は自信を持って演奏しているが、周りの人は興味を持っていない情景を思い浮かべた。
  • 自分が演奏しているような感じがした。
  • ぐねぐねした宇宙のイメージ

King’s Singers

  • ビートルズのアレンジがいつもと違うので、気をとられた。
  • 渋谷のスクランブル交差点をイメージした。
  • 黒人の人が教会で歌っている風景が浮かんだ。
  • 何人が歌っているのか考えていた。
  • 原曲を知っていると物足りなさを感じる。
  • ロウテンポのときは黒人の労働歌、アップテンポになるとミュージカルのようだ。

最後に、参加者の感想のヒアリングが行われた。音を聴いてシェアすることの魅力や、同 じ曲を聴いても人によって全く異なる感じ方をしていることへの驚きが共有された。絵画と音楽が比較され、絵画を言語化するよりも音楽は抽象度が高いため、 共通の理解を得にくいが、同じ楽譜を見ても全く異なる解釈がありうるなどの可能性が示された。

 

2018年5月


「遊びと洗練」研究会

日時:2018年5月14日(月)17:00~18:30

場所:箱崎文系キャンパスCaféハコ

出席者:13名

内容:

(文責:飯嶋秀治)

多分野連携遊びと洗練では第一回研究会を箱崎キャンパ ス文学部棟1階Hako Caféで行った。ゲスト教師は九州大学芸術工学研究院の杉本美貴先生をお迎えし、参加者は全体で13名。うち、多分野連携担当の飯嶋秀治、金子周平、南 博文先生に加え芸術工学研究院の古賀徹先生も参加いただいた。人間環境学研究学府の学生は4名、OB・OGが2名、外部からの一般参加も2名あった。
杉本先生からは「デザインについて」「行為とデザイン」「授業の紹介」の3点を60分ほどでお伺いした。杉本先生は芸術工学部を卒業し、パナソニックに 20年ほど勤め、年間20前後の製品をデザインするなかで博士号を取得。そののち九州大学芸術工学研究院教員として授業を行ってきている。そのなかでは学 生を中心にしたノートの開発が2017年にグッドデザイン賞を受賞するなどの実績も上げている。

美には唯一絶対的な美がある訳ではないのだが、デザインには何かを表現することで問題解決や問題提起をする力があることを様々な実例を伴って紹介していただき、また授業では教員も学生もデザインをするという地点ではどちらが上も下もないという立場で行ってきたという。
お話の後には、飯嶋より人文学や自然科学とは異なり学問的な拘束性が強くないように見えるが、そのなかでも当たり外れのようなことはあるのかどうか、南先 生からは100%ユーザーを理解しておらずともだいたいのところでデザインできることについて、金子先生からは行為の観察は無限にありそうなのでそのうち のどれが重要でどれが重要でないかはどのように判別するのかという点について質問があった。また古賀先生からは学生の質の違いについて質問が寄せられた。
教員との質疑で時間が尽きてしまったため、参加者からは1人1人質問をしてもらい、杉本先生の感性に引っかかったものを答えてもらうようにし、15分ほど の延長で終了していただいた。今回は「行為のデザイン」をテーマとして遊びと洗練を考えたが、次回は「言葉のデザイン」をテーマに遊びと洗練を行う予定で ある。

 

2018年3月

「共生社会のための心理学」2017年度ミニシンポジウム
テーマ:個と集団
日時:2018年3月9日
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部会議室
出席者:教員(杉山教授、古賀准教授、光藤准教授、池田准教授、内田講師、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計29名。


趣旨説明:光藤宏行
人間環境学府はさまざまな学問領域を扱っていて、心理学にもいろいろある。その心理学のさまざまなジャンルを集めたミニシンポジウムを例年開催していて、今回は「個と集団」というテーマを扱うという企画趣旨が述べられた。


仕事における他者志向の効果:有吉 美恵(行動システム専攻 心理学コース)
ワークモチベーションを規定する要因としての他者志向に焦点を当てて質問紙やインタビューで検討を行った。定型業務では他者への貢献が感じられないことや 自己の成長、達成感が感じられないことでワークモチベーションが低下することが示された。また、仕事の中で役に立てたと感じる、他者とうまく連携できるこ とがワークモチベーションにつながることが示された。上司からの褒めや感謝が有用であることも示された。さらに、他者への役立ち経験を振り返る取り組みを すると、部分的にではあるが社会的貢献感が高まることが示された。


スポーツ指導者の「集団」を考慮した「個」へのアプローチ:神力 亮太(九州工業大学)
SL理論(Situational Leadership Theory)ではフォロワーのレディネスを意欲、能力それぞれの高低の組み合わせで4種類に分けている。このレディネスの観点から運動部活動における指 導のあり方について検討を行った。選手個々人のレディネスによって、教示的なリーダーシップと支援的なリーダシップを使い分ける必要があるとのことであ る。実際に関わっている運動部ではレベル別にチームが分かれており、チームによって目標が異なり、個人によってレディネスが異なるため「どのチームの、 誰」ということを考慮に入れることが大切であるという観点が示された。


男性の育休取得を阻んでいる一因とは?-間違った思い込みから生まれる心理的壁-:宮島 健(行動システム専攻 心理学コース)
男性の育休取得が進まない背景として「多元的無知」が働いているのではないかという仮説を検証した。つまり「自分は育休を取ることに肯定的だけれど他の人 たちは否定的に違いない」といった誤った思い込みがあるのではということである。20代~40代の既婚男性を対象にした質問紙調査はこの仮説を支持した。 取得を促進するためには教育が効果的であることや「多くの人が取得したいと思っている」という正しい認識をフィードバックすることが有用である可能性が示 唆された。


進化心理学の視点から考える第三者罰:森本 光一(行動システム専攻 心理学コース)
誰かを不当に扱う者を無関係な第三者が罰すること(たとえばかつあげの現場に介入して犯人を取り押さえるなど)を第三者罰という。第三者罰とそれに対する 報復についてシミュレーションで検証を行った。その結果、報復することによる利得が大きくなるほど、報復する個人が増えるだろうことが示唆された。報復す ることで相手のリソースを自分自身のものにできる、報復をすることにより「あの人は強い」という評判を形成することなどが報復の理由としてあり得る可能性 が示された。


ファミリー・グループにおける参加者の心理的プロセスに関する研究 ―期待と評価に着目して―:新村 信貴(人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)
ファミリー・グループ(FG)とは子どものいる家族が集まって3泊4日で自然体験活動、レクリエーションなどを行うエンカウンター・グループの一種であ る。このFGについて画像などで紹介が行われ、またそれについて保護者がどう感じたかについてのアンケート結果とその考察が述べられた。ファミリー・グ ループは子どもの親としての保護者と、個人としての保護者、その双方に価値(FGを体験して良かったこと)を提供できること、その価値はグループ内の経験 それ自体として認知されるものと、参加によって何らかの心理的な変化が得られるというものとがあり、またそれらの価値やその背景にあるグループの構造に は、主催者側が計画したものと、グループ内で無意図的に自然発生したものとがあることが示された。


発達障碍のある人への支援における「個」と「集団」:五位塚 和也(大阪大谷大学)
発達障碍のある人の「現存する他者」と「表象としての他者」に焦点を当てた取り組みが紹介された。表象としての他者とはたとえば「下の兄弟と喧嘩が絶えな かったので年下の他者は苦手」というようなものであり、現存する他者との関わりに影響を与える。発達障碍のある人への「個」へのアプローチと「集団」での アプローチの事例二例が報告された。「個」へのアプローチでは表象としての他者に働きかけることで現存する他者への認識の変容を促し、「集団」でのアプ ローチでは現存する他者との関わりを通して表象としての他者あり方の変容を促すことが示された。


総合討論
フロアの方々や当プログラム担当教員の方々により下記のような話題で活発な討論が展開された。
・研究結果を現場の研修(上司と部下など)にどのように持ち込むか。そのような場では具体的な答えを求められることが多いがどのように答えるか。
・レディネスについて、指導者評価と自己評価に齟齬がある場合は。
・レディネスの自己評価以外の評価方法は。
・個々のパフォーマンスの集積でチームとしてのパフォーマンスが測れるか。
・どういう集団が強いと言えるのか。チームとしての総合力と、その中での個々人の役割との関連性とは。
・研究者は「これがいい」と言いたくなる性質があるが「いい」とは何か、多様な人を見ないといけないというジレンマを抱えながら生きていかないといけない。

個と集団 個と集団

個と集団 個と集団

個と集団 個と集団

2018年2月

「通学路の研究」研究会  [担当:元兼正浩・南 博文・田北雅裕・志波文彦]
タイトル:災害と通学路の安全
 
 《 対談 》
熊本県上益城郡益城町立益城中学校   校長 松本 正文
熊本県上益城郡益城町立益城中央小学校 教頭 松永 陽一
                   ×
福岡市立堅粕小学校        校長 入江 誠剛         
福岡県那珂川町立岩戸小学校 校長 福島 隆幸
                     (※福岡市立舞鶴小中学校 校長 武田 祐子氏急病のため代理)
◇司会 人間環境学研究院 教育学部門 教授 元兼正浩

日時:2018年2月20日15:00-16:30
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階 教育学部会議室
出席者:教員(元兼教授、南教授、神野教授、田北講師、志波助教)、学術協力研究員(藤原)テクニカルスタッフ(大沼)、院生・新聞社他、合計27名。


内容:司会の元兼先生が多分野連携プログラムの趣旨説明と「通学路研究」の三年間の振り返りを行い、登壇されている4名の教員の紹介をされた後、益城町の 2名の教員から報告がなされた。続いて、福岡県の2名の教員からの質疑応答、その後、フロアから意見や感想が述べられた。
まず、松永陽一教頭から勤務校の被災の実態と学校再開の過程について報告された。益城中央小学校は、330名余りの児童のうち、被災しなかった児童は20 名という極めて大きな被害を受けた地域にある。従前から、コミュニティ・スクールとして地域の人々との交流があることが大きな特徴であり、学習支援、環 境・食育等各分野で年間延べ3,000人もの地域の方々がボランティアとして児童と関わりを持ってきたという土壌があった。今回の熊本地震では校舎、通学 路とも大きな被害を受けたことが多くの現場写真と共に紹介された。また、すぐ隣で被災した木山中学校、第五保育所が同居することになったことの困難性が あった一方、学校が避難所となったが、避難者の人たちが避難所を自主運営してくれたことで、教員が学校の復旧に注力することができて、学校側(教員)の負 担が軽減され、避難所は大きな混乱もなく8月に閉所されたことなどが報告された。
また、学校再開における課題を、1)水の確保(下水)、2)通学路の確保、3)児童の心のケアと位置づけ、通学路に関しては、危険箇所を通らねばならない 地区の児童のスクールバス使用が決定されたこと、親による送迎を認めるようになったこと、登下校時の安全を見守るボランティアを募ったこと、さらにそれら の実施を巡る諸問題やその解決策等について詳細に報告された。なかでも、保護者の児童の送迎において、学校周囲の農道が役に立ったという報告は地域特有の 利点であったといえる。
さらに、スクールバス導入の問題点としては、1)乗り遅れ、2)友だち間のトラブル、3)添乗者の確保、4)時間の打ち合わせ、5)駐車場、乗り降りの安 全、6)スクールバス担当者の決定、7)目的外使用の要求等、多種多様な問題が明らかにされた。加えて、学校待機児童のために放課後の活動に制約があるこ と、付き添い職員のために、全教員揃っての職員会議や職員研修ができにくいという問題点が指摘された。通学路は、現在、工事だらけの状況であるが、コミュ ニティ・スクールとしてのボランティアも復活してきており、本年度は1,000名近くの協力者があった。最後に、避難所を閉所するに当たって避難者の方た ちからお礼の気持ちを示されたこと、児童の心のケアはまだ必要な状態が続いていることが述べられてしめくくられた。
次いで、松本正文校長から勤務校の被災の実態について報告がなされた。益城中学校は前震と本震の震源地の中間に位置しており、地盤沈下が激しく、建物は1 棟(7教室)が使用禁止になり、6教室はプレハブの仮校舎を使用、校舎建て替えのため、現在、グラウンドにプレハブ校舎を建設中で、3月に引っ越しの予定 である。
まず、地震後の取り組みで意識したこととして、‘校内の意思統一’、‘方針や指示の明確化’、‘気持ちを前に向ける’、‘心のケア’等があげられ、具体的 に(1)地震直後の取り組みでは、生徒・教職員の安否確認、校舎の被害状況把握と修復、地域の被害状況の把握、支援団体との連携などが挙げられたが、町全 体で毎週一回校長会が開催され、発信を統一したことがスムースな学校再開に繋がったとのこと。また、(2)学校再開後の取り組みとしては、職員研修の後、 生徒の心のケアに取り組み、登校時間を段階的に早くして、生徒たちの生活リズムを徐々に元に戻し、中学校では特に重要視されている学校行事も延期しつつも 実施するなど、日常を取り戻すことを重視されたことを述べられた。通学路に関しては、多くの現場写真と共に「安全な道はどこにもない」ことを示され、車送 迎、バス通学、自転車通学の申し出に柔軟に対応したことに加えて、「子どもたち自身が危険性を判断し、考え、回避する行動」が重要であるとの話は中学校な らではの指導姿勢であろう。
また、学校が川に挟まれているという立地条件から、周辺のかなり多くの道路が全面通行止めとなり、その復旧工事に伴い、通学路の変更や生徒が出入りできる 校門の位置の変更を余儀なくされた状況について詳細に報告された。そして学んだこととして、1)自然災害への備えの大切さ(「まさか」への準備等)、2) 学校(組織)の雰囲気と教育活動の積み重ねの大切さ(職員室のよい雰囲気づくり等)、3)町行政や町教育委員会、組織間の連携は重要、4)生徒・教職員間 の危機意識が生み出す力、心のケアは大切、5)人のつながりや支援に頼る、6)ピンチはチャンスであり大切なものに気づく、と纏められた。なかでも、‘頼 る’ことの重要性に関しては、日本人特有ともいえる他人に迷惑をかけることに対するマイナスイメージを払拭すべきということを意味するともいえる。
小、中学校を比較すると、小学校では、児童の心や身体のケアに重点がおかれたのに対して、中学校では、心のケアに加えて、生徒が学校行事や部活動に取り組 むことを支援する、すなわち、生徒たち自身が目標を掲げ、困難を乗り越え、達成感や自己肯定感を高めることを目途とした方向性が大きな成果を得たことの報 告は、平常時の指導にも示唆を与えるといえる。なお、益城中学校の吹奏楽部は、地震が発生した2016年も含めて連続優勝して3連覇を達成しており、地域 の方々に大きな勇気を与えたと報告された。
お二人の報告を受けて、入江誠剛先生が松永先生へ「通常、難しいと言われる避難所の自主運営は珍しいが、どういう土壌があったのか」という質問、松本先生 へ「保護者からの要望はどういうものがあったのか」という質問を投げかけられた。これに対して松永先生は「健康な人は大半が車中泊で、避難所には車イスや 高齢者が避難していたが、互いに顔見知りでコミュニケーションがとれていたこと、リーダーシップを取る人がいたことで円滑に運営されており、ときには、被 災した教員が支援物資を頂くこともあった」と回答され、松本先生は「学校の校舎は安全なのか、簡易給食では足りないのではないかといった声があったが、放 課後、学年ごとに学校見学会を開催し、その後、学級懇談会を開催して、保護者が校舎を確認する機会を設けた。また、心のケアは重要で、県外からのSCの応 援や養護教員の加配は極めて効果的であった」と回答された。
次いで福島隆幸先生が、地震が発生したときのことを想定する際に、これまで‘通学路’という発想はなかったと述べられ、地域に子どもが見えることの大切 さ、学校とは地域づくりの拠点である、地域に元気を与える機能があることに気付いたとして、学校と通学路を心臓と血管に喩えてコメントをされた後、2名の 先生に「学校を再開して地域はどのように変わったか」という質問を投げかけられた。これに対して、松永先生は「地域の人たちが活動していた公民館がすべて 被災したため、学校がその機能を代替し、茶道や書道、生け花等、地域の方々の力を発揮できる場になっており、子どもたちの支援活動を通して、学校に通って くる人たち自身も、まだ学べる、活躍できるということに気づいた」と述べられた。また、松本先生は「復旧への歯車が回り始めた。子どもたちが学校に通うこ とで、従来からコンクールで高い成績を収めてきた吹奏楽の練習の音が響き、地域の人が元気づけられ、日常生活を取り戻す気持ちになった」と回答され、昨年 の卒業式での生徒会長の答辞が読み上げられた。また、支援者を支援することも大切として、教員達とおもちゃ作りを通じて、教員同士で癒しのイベントを実施 したことが報告された。
その後、フロアからの質問やコメントの時間となり、下記のような話題が展開された。
南先生:心理学の視点から、通学路を通じてルーティンの重要性が、それが途切れるという契機を通して見えてきた。学校の役目は「社会関係資本」であり、顔 見知りという人間どうしの「関係資本」が培われていたことが、益城では避難所が立ち上がることで可視化され、地域復旧の拠点として学校が機能したが、都心 部で地震が起きたときには同じようにはいかないのではと問題が投げかけられた。これに対して、入江校長からは、熊本地震時に、博多駅に極めて近い勤務校で も避難所開設の指示があったが避難者はなかった。しかし、東北の事例では650人の収容能力の小学校に2,500人が押し寄せたというケースもあり、ま た、ビルが多いという状況で、果たして、益城町のように子どもを守れるのかという不安もあると回答された。
田北先生:通学路を子どもが学校に通う道という以上の意味があることに気付いた。また、通学路が復旧しないと学校が復旧しないというプロセスとしての考え 方もあることに気付かされた。被災を通じて、これまで学校と接点がなかった、すなわち、学校と新しくつながった方々にとっての「通学路」としての観念が見 いだされたとも考えられ、新たなエネルギーの源にもなり得る。そういう気づきが得られたことに感謝したい。災害時だけでなく日常の風景を注意深く眺めるこ とが重要であることに気付いた。
志波先生:「日常を取り戻す」という言葉から、子どもの通学風景やブラスバンドの音色を作り出す装置や空間としての通学路の重要性を感じた。これまで、子 どもの道草や通学路における防犯をテーマに取り組んできたが、今回は、通学路の主たる利用者ではない者にとっての意義をあらためて確認する機会となった。
元兼先生:日常のつながりの大切さという視点で通学路を見直してゆくことが必要である。子どもたちにとっての未来への‘希望の道’として通学路を位置づけ てきたが、通学路を使う児童生徒だけでなく、地域にとっての通学路の重要性を確認することができた。また、研究室における研究活動においても、学校再開と いうターニングポイントとしての捉え方の必要性を感じた。今回は通学路という切り口の重要性を共有し再認識することができて、意義のある研究会となったと 纏められた。
なお、本研究会は、西日本新聞(2018.2.21付朝刊)、毎日新聞(2018.2.28付朝刊)に掲載された。

通学路研究会

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「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:呪いと祈り
日時:2018年2月16日15:00-17:30
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階教育学部会議室
出席者:教員(坂元教授、野々村教授、ヴィッカーズ教授、橋彌准教授、藤田准教授、岡准教授、山田(祐)准教授、池田准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計36名。


内容:最初に中分遥先生(Univ. Oxford/九州大学)が「宗教と道徳の認知的基盤:民話を用いた文化進化論的アプローチ」と題して話題提供を行った。まず「宗教の認知科学」として、 宗教とは何か、なぜ人は宗教を持つのかということについての研究史の概観を説明された。これまでの研究でも宗教と道徳の認知的基盤はあまりよくわかってい ないとのことである。それを受けて、ご自身の研究紹介を行った。多くの民話を分析することで「超自然的存在」と「道徳」とは結びついて伝達されるのかを調 べるというものであった。結果としてそれらのあいだに有意な関連は見られなかったことで、「超自然的存在」と「道徳」とはそれぞれが人気があるので民話と して伝わってきたのであって両者には関連性がないという仮説が支持されたことが示された。最後に、宗教と人間の社会的階層についての関連性について現在考 えていることを述べられた。
次いで、浜本先生(九州大学)の「悪い言葉:ケニア・ドゥルマ社会における呪詛と妖術」と題した話題提供に移った。浜本先生はご自身のフィールドワークの 経験を元に、ケニア・ドゥルマ社会において呪詛と妖術がどのように行われているかについて紹介された。さまざまな超自然的な力を頼る行為の中での妖術と呪 詛の位置づけ、また呪詛にはどのような種類があるのかということについて表で整理して詳しく述べられた。呪詛はその手段、誰がターゲットになるか、その解 除方法などによって細かく分けられる。また、呪詛の効果を信じていることを反映していると思われる現地住民からの聞き取り内容も紹介された。また、ドゥル マとは異なる、ルグバラにおける呪詛のあり方についても詳しく紹介された。ルグバラでは共通の祖霊を祀る人々という出自集団があり、その中で何か悪いこと があると、長老の怒りに祖霊が応えたものと捉えられているということである。
これらの話題提供を受けて飯嶋先生(九州大学)がコメントを述べられた。宗教はどの程度普遍に語れるのかという問題意識の元で宗教史を概観し、普遍論と相 対論について紹介された。その上で中分先生には「宗教の中には道徳的な人ばかりではないのでは」浜本先生には「祈り、祝いの文脈においたときの呪いの論理 とは」という質問を投げかけられた。
中分先生はそれに対して、宗教の発祥には統合失調症的なものもあり、それがどうやって道徳性を備えてゆくかという視点を提示された。浜本先生は、ドゥルマ の祈りの言葉には乞う言葉がない、祈りは希望の表現であってそれを叶えるエージェントとしての神などは想定されていないことを述べられた。
その後も「『宗教心』と『宗教』はどのように考えられるか」「ドゥルマでは個人からの呪いなのか悪霊のしわざと考えるのかについての判断に何か違いはある のか」「昔の人と今の人では本当に共通の認知基盤があるのか」といった話題で活発に討論が行われた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」公開研究会

タイトル:健康な学校と健康な子ども-19世紀後半から20世紀初めにおけるドイツの学校衛生
日時:2018年2月3日(土)

報告者:梅原秀元氏
慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程単位取得退学
デュッセルドルフ大学哲学部歴史学科
同大学医学史学科に留学、Dr. phil.(ドイツ近現代史)取得
現在、慶應義塾大学経済学部 講師(非常勤)など

14:00~16:00 講演会
16:00~17:30 ディスカッション
於:教育哲学教育史合同研究室(予定)

 出席者:教員2名、博士課程院生3名、修士課程院生2名、研究生1名、計8名。

本講演では、19世紀から20世紀初頭におけるドイツの学校衛生の歴史について、 ドイツ西部のライン=ルール地方の中心都市デュッセルドルフ市を事例に、ここでの学校衛生の歴史を解明した博士論文をもとに、その展開が紹介された。19 世紀から20世紀初頭のドイツにおける子ども、とくに就学義務年齢の子どもの社会福祉領域-学校教育、救貧、医療衛生-の専門知がどのように形成されたの か、それに基づいた実践がどのように推移したのかを詳細に解明される。初期においては学校や教室の衛生状態、明るさ、机や椅子など、学校自体の衛生が議論 されていたが、次第に、生徒個々人の健康状態や衛生問題を医学(小児科学や精神医学)的、衛生学的な測定、予防へと学校衛生の議論の大勢が変化したことが 指摘された。そのうえで、学校衛生は、健康な子どものために、健康な学校を実現し、健康な国民の育成に貢献する、そのための専門知と専門家の集積および、 実践とその実践のための装置と人、それらの集合体、ネットワークとしてとらえることができるということ、そしてそれらの結びつきや重なり、緊張関係こそが 重要である、ということが結論として提示された。
さらにディスカッションの部で、講演内容について、それらの実際、経緯、当時の子どもをめぐる生活、疾病の状況とその対応などについて質疑応答がなされ た。その後、ドイツの学校衛生の歴史的検証から得られることをもとに、学校衛生史研究の可能性や、それを含めた教育や児童福祉などの領域研究について活発 な議論を行った。
文責:野々村

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて公開研究会 子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて公開研究会

2017年9月

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」公開講義

タイトル:近代家族規範の中の優生思想、児童養護 -子どもを産むこと、保護することをめぐる戦後史-
日時:2017年9月5日(火)16:00-17:30
場所:箱崎文系キャンパス講義棟207室
出席者:教員(野々村教授、藤田准教授、飯嶋准教授、山下准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生、学部生他、合計26名。
内容:徳島大学の土屋敦先生の集中講義の一部を公開講義とするという形で行われた。
まず、これまでの研究経歴などの自己紹介が行われた。脳研究などを含めてさまざまな研究に関与してきたが、その中でも優生思想と児童養護が軸となってきた とのことである。「産むこと」の規範の逸脱に関与する優生思想と、「育てること」の規範の逸脱に関与する児童養護とは接点があるという視点を示され、その ような規範の成立やそこからの排除が起こってきた過程を批判的に検証するという立場であることを述べられた。
次いで、優生思想と児童養護に関して、近代の動向を概観しつつ、戦後の日本のあり方を中心にデータや資料を図示して解説された。優生思想はむしろ戦後に一 般に普及したこと、戦災孤児という親を失った子どもの受け入れ先であった養護施設が、家庭内の問題によって育てられない子どもの受け入れ先へと変遷して いったことなどが紹介された。
そのような数多くのトピックの中で、1950年代以降、家族計画が「量から質」へと変わっていった過程、また1960年代以降、胎児期からの健康管理が強 調されるようになったり「不幸な子どもの生まれない運動」といったスローガンが各地に定着していたりしたという状況について特に詳しく述べられた。
その後、下記のような話題について質疑応答が行われた。
・戦前、子どもの育て方、捨て子に対する対応には、地域による違いがあったのか(西日本と東日本など)。
・児童養護施設は宗教系のところもある。児童養護と宗教との関係とはどのようなものか。
・優生思想と児童養護の状況について「批判的に検証」の「批判」はどのようなスタンスなのか。
・優生思想と児童養護はどのような関係にあると考えて研究されているのか。
・相模原事件のように社会に噴出する優生思想と、医療者と親とのあいだでの閉じられた優生思想という「見える/見えない」の両極端があると思うがそのような点についてはどのように考えるか。
・アナ・フロイトとボウルビィが児童養護施設の子どもについて研究した結果がよく知られているが、それらはたとえばその後の犯罪率などのデータを巻き込みながら検証されたのか。
・優生思想と経済との関係性は。産む・産まないなどの選択に経済が関わる状況についてどう思うか。
・「産む」「育てる」ということと「将来をよりよいものへ」ということとの連続性についてどう考えるか。
・1900年代初頭から「実母が育てるのが望ましい」という規範が強まった理由は。
特に「批判」ということについて、大文字の権力ではなく、社会通念、社会制度に形成され内在化している差別の構造を解明し、自覚的、自発的、内なる差別意 識や思考を問う、宙づりにするということを念頭においているという説明があった。子育て、教育について考えるとき、良きものが無前提で語られることがしば しばある。そのこと自体を一旦立ち止まって考えることの重要性を改めて自覚させられる講義であった。

土屋先生著書

 

2017年7月

「遊びと洗練」2017年 第1回研究会

タイトル:環境にローンを返そう -エコロジカル・アプローチの形而上学-(関係のサイエンスとアート 人間と環境の原理を考える)
日時:2017年7月14日16:00-18:00
場所:箱崎文系キャンパスCaféハコ
出席者:教員(菊地教授、南教授、末廣准教授、橋彌准教授、藤田准教授、倉田准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計21名。
内容:
高千穂大学の染谷昌義先生を招聘して開催された。
まず、染谷先生が著書『知覚経験の生態学 哲学へのエコロジカル・アプローチ』に沿って話題提供を行った。生物は周囲(環境)を資源として、周囲に作ら れ、周囲を使用して生きている。従来、人間の中に周囲を認識するメカニズムを求めるという、人間の主体に負荷をかけるような考え方が主流であった。しかし 周囲の側にその負荷を返すべきではないかというのが先生の主張である。それはJames J. Gibsonが切り開いたエコロジカル・アプローチを根拠にしている。Gibsonのアプローチでは、知覚の成立を、人間が頭の中で環境の青写真を作る過 程ではなく「空気中に充満している刺激(情報)を、身体を動かしてとりに行く過程」と見なす。また環境内には行動を動機づける「アフォーダンス」が豊かに ある。認識と行動の主要な根拠は環境にあるとする見方である。
話題提供を受けて、参加された先生方が、自身の研究の紹介を織り交ぜつつ、エコロジカル・アプローチやアフォーダンスという概念について思うところを述べ、討論を行った。
・飯嶋先生:人類学の視点。狩猟採集民の日常生活、児童福祉施設での暴力調査、被災地における環境の持続性が変化した場合、それぞれのアフォーダンスに思い当たる。これを具体的に教育の場面で活かせないか。
・倉田先生:哲学の視点。自分としては社会的文化的な世界はアフォーダンスで説明できないのでは、と思うが、染谷さんの大学院時代の葛藤を話してもらえたら院生にも学ぶところが大きいのではないか。
・末廣先生:建築学の視点。建築が設計時に考えていなかった使われ方をされることがある。そうした場面でアフォーダンスを持つものを作りたいというところがある。
・南先生:環境心理学の視点。人の実感に基づく「はかりきれない単位」とアフォーダンスの関係。ある町の情景を切り取った写真に見られるアフォーダンスで 説明できるところとしにくいところ。「ない」ということをアフォーダンス論で拾えるのか。
・橋彌先生:進化心理学の視点。アフォーダンスという概念がなくてはいけないのか。エコロジーやアフォーダンスといった概念が拡散していないか。
・菊地先生:建築の視点。この30年間、建築学でアフォーダンスの考え方を取り入れた問題意識の盛衰がある。
・藤田先生:哲学の視点。アフォーダンスは相互作用として見るというのが妥当ではないか。
上記以外にも話題は多岐にわたり、活発な意見交換が行われた。

遊びと洗練研究会 遊びと洗練研究会

 

.}2017年4月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:The hows and whys living in groups: Perspectives from birds and apes(集団で暮らすことのHowとWhy:鳥類と類人猿の研究から)
日時:2017年4月11日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(橋彌准教授、上田准教授、當眞教授、谷口教授)、院生他、合計14名
内容:
講演及び質疑応答はすべて英語で行われた。
まず、”wisdom of cloud(群衆の知恵)”という概念について、例をあげながら説明が行われた。例えば、アリの群れが迷路の先にあるエサへのルートの最適解を見つけ出す ことなどが挙げられた。その後、「なぜ集団に所属するのか?」という問題を提起され、その答えとして、「知識の共有」「大規模な建築」「大きな獲物の狩 猟」などが考えられるだろうと話された。また、その問いを受けて、Biro先生の行われた2つの研究について紹介が行われた。
1つ目はハトの研究で、ハトの背中にGPSをつけ、ある地点から巣へと飛ぶルートを調査するものであった。ハトは何度も飛ぶうちに自らのお気に入りのルー トを確立するが、集団になると、さらに他個体のルートへの追従などが行われ、個体よりもより直線的なルートが確立されることが紹介された。また、集団が大 きくなると意思決定にヒエラルキーが生まれ、ミスリードをしたリーダーは排除されるとことが話された。こういった多様性が有益であるとき、それは「文化」 であると語られた。
2つ目はチンパンジーの研究で、チンパンジーによる「ナッツ砕き」が文化的行動として紹介された。ナッツ砕きはアフリカに住むチンパンジーの中でも地域に よって行われたり行われなかったりする文化で、集団の中で大人から若者へ伝えられていくことが話された。一方でイノベーション(未知のナッツを砕く)は若 者の方が頻繁に行うことや、外来者(違う群れから来た個体)が知識を拡散していくことなども語られた。
講演後は、文化の一般化、文化を持つ他の種、外来者はマイノリティだがなぜ知識が拡散するのか(マジョリティを好むという前提で)等、活発な質疑応答が行われた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

進化心理学研究会 進化心理学研究会

 

2017年3月

「共生社会のための心理学」2016年度ミニシンポジウム

テーマ:何が良くなる?!スキルアップし感性を磨く心理学
日時:2017年3月9日
場所:九州大学箱崎文系地区  文・教育・人環研究棟2階会議室
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、金子准教授、池田准教授、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計31名。

趣旨説明:光藤宏行
人間環境学府では多様な学問領域を扱っており、心理学だけでもさまざまなジャンルがある、それらが集まる場にしたいという企画趣旨が述べられた。

阿吽の呼吸で行われるチーム活動:秋保 亮太(行動システム専攻 心理学コース)
現代社会であらゆる領域にあるチームワークに関して、近年注目されている「暗黙の協調」に焦点を当てた研究の紹介が行われた。理論ベースの研究が先行して いるため、実証研究を行ったとのことである。大学祭の模擬店を出した団体へのアンケートによる研究、および実際にゲームによる協力場面を作って実験を行っ た研究により、暗黙の協調が備わるには、メンタルモデル(そのチームワークに関する体系化された理解、知識、イメージ)の共有が重要であること、チームで 活動を振り返ることが必要であることの可能性が示唆された。

名画と駄作の潜在的評価:長 潔容江(行動システム専攻 心理学コース)
人は純粋に名画を好んでいるのか、それとも「名画」とされているから好むのか。絵画作品の評価について調査する場合、顕在的な意識をみる質問紙法が使われ ることが多いが、知識や文脈などさまざまなバイアスが混入する可能性を排除できないため、潜在的な評価や態度を測れるImplicit Association Test(IAT)を用いて研究を行ったとのことである。名画と駄作に対する顕在評価および潜在評価を測定する二つの実験の結果、顕在的にも潜在的にも名 画が選好されている可能性が示唆された。

社交不安傾向と家庭養育環境の関係性:古賀 なな子(実践臨床心理学専攻)
他者からの批判を極度におそれ、他人を避けるという社交不安症についての、大学生および患者に対するアンケート調査による研究が紹介された。大学生におけ る結果では、家庭の愛情が低く、過干渉であったと認識している人ほど社交不安傾向が高いことなどが示された。患者の自由記述においては、学齢期以前の家庭 や生活歴、病院を受診する経緯、発症のきっかけといった記述が多いことなどが示された。これらの結果から親への心理教育や子どもへの認知の変容の促しなど が必要なことが示唆された。

イップスに対する動作法を用いた臨床心理学的アプローチ:向 晃佑(人間共生システム専攻)
スポーツ選手が通常できていた動作ができなくなるイップスについて、臨床心理学の見地から動作法を用いてアプローチした研究を行ったとのことである。動作 法は脳性マヒの治療から他の領域にも使われるようになった方法で、過剰な緊張をゆるめ、思い通りに動かすことを推進する方法である。野球選手に対して、ま ず面接での聞き取りを行い、次いで動作法を用いて症状の解消をはかった事例研究が紹介された。まだ取り組み中の事例ではあるが、動作法の効果が出つつある とのことである。また、この事例ではイップスの発症に他者からの影響の受けやすさが影響している(きびしい指導によって萎縮した)可能性が示唆された。

イップスの経験を通したスポーツ選手の心理的成長:松田 晃二郎(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)
イップスについて、先行研究では原因や対処方法を主に扱ってきたが、イップスという経験の意味が心理学的に捉えられていないという観点から行った研究が紹 介された。五つの大学の野球部員に対して行ったアンケート調査により、イップスの経験は「自己把握」「自律的達成傾向」「精神的安定性」「身体的統制感」 に影響をもたらすという結果が示された。これらの結果から、選手はイップスを克服することにより、イップスという経験への肯定的な意味づけが行われ、それ によって心理的成長がもたらされるという過程をたどることが示唆された。

大学生スポーツ選手の動機づけスタイルとアスリート・バーンアウトとの関係性:池本 雄基(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)
スポーツ選手のバーンアウト問題が深刻化している現状を受けて、動機づけスタイルとバーンアウトとの関連性を明確にするべく研究を行ったとのことである。 従来大きく「外発的」「内発的」と捉えられていた動機づけを細分化し、大学の運動部に所属する選手に行ったアンケート調査の結果、高動機づけ、非統制的動 機づけ、他者回避動機づけ、無動機づけの四つの動機づけスタイルがあること、スタイルにより異なるバーンアウト傾向があることが示された。このことによ り、スポーツ選手の動機づけについて多面的に捉えてゆくことが必要であることが示唆された。

総合討論(司会:古賀聡・金子周平
下記のような話題で活発な討論が展開された。
・スポーツのチームと社会場面でのチームとの違いは。
・イップス独特の心理的成長とは何か。
・たとえば臨床心理学の現場では、状況によってチームの性質がさまざまだが、そこにはどのようなプロセスがあるのか。
最後に金子先生が全体に通じるテーマとして「効率化の裏表、プラスマイナス」という視点を提示され、また古賀先生が「症状や問題の消去ないし緩和と、スキルや感性をアップすることとの関係性」という視点を提示されてしめくくられた。

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

 

2017年2月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:感覚間一致の比較認知科学
日時:2017年2月21日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(浜本教授、橋彌准教授、山田准教授、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計16名。

内容:
京都大学霊長類研究所の足立幾麿先生が、豊富な画像等を含めたパワーポイントを用いて講演を行った。
まず京都大学霊長類研究所の簡単な紹介が行われ、次いで比較認知科学とは「ヒトを知るためにヒト以外の動物との比較をする」という学問であることが説明された。先生は主としてチンパンジーを対象に各種研究を行ってこられたということである。
次に今回のテーマである「感覚間一致」について説明が行われた。その内の一つ「共感覚的知覚」とは、明るい色と高い音、暗い色と低い音がイメージ的に結び つきやすいといったものである。もう一つの「概念メタファー」とは、地位といった抽象的な概念を高い低いなどの空間を指す概念であらわすといったことであ る。これらは言語との結びつきが強く、人間の言語と共に進化してきたと従来考えられてきた。
しかし、先生が手法を工夫して実験を行ったところ「チンパンジーにも明るい色と高い音、暗い色と低い音の結びつきがある」ことが示唆され(アカゲザルには 見られない)、さらに「チンパンジー個体間の地位の上下は空間的な高低と結びついて表象されている」ことも示唆された(アカゲザルにも見られる)。
このことから「共感的知覚は、言語と共進化したわけではない。チンパンジーやヒトは感覚が未分化な状態で生まれてきて、それが分化してゆく『刈り込み期』 があるが、その刈り込み期に分化しきれず残ったものである」という可能性が示された。また「概念メタファーも言語に基づいているわけではなく、進化の過程 で社会的順序などの抽象的な情報を処理する必要が高まったために生じてきた」という可能性が示された。
講演後は、チンパンジーやヒトが未分化な状態で生まれてくることの進化上の意味、抽象的概念を空間であらわすのは時間系列にも及ぶのか、社会的地位がはっ きりしていない動物種ではどうなのか、共感覚的経験は脳内のどこで起こるのか、共感覚や概念メタファーは普遍性のあるものなのか文化固有性があるものなの か、地位については自分との相対関係が重要なのか、暗い色と高い音というように普通とは逆に連結するケースはあるのか、地下や水中の生物では地位と空間の 概念は変わるのか、共感覚の発達的変化は、など、さまざまな話題について活発な討論が行われた。

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「通学路の研究 -家庭から校門までの長い道のり-」講演会

タイトル:通学路の安全をかんがえる
講師:吉村英祐氏 (大阪工業大学教授:建築人間工学、建築安全計画)
日時:2017年2月17日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階 教育学部会議室
出席者:教員(元兼教授、南教授、志賀准教授、田北講師、志波助教、兼安助教)、テクニカルスタッフ(大沼)、学術協力研究員(藤原)、院生等、新聞記者1名、合計20名。

内容:
まず、研究会代表の元兼先生から、多分野連携プログラムの趣旨説明、「通学路の研究」プログラムの紹介、および講師の吉村英祐先生の紹介がなされ、その後、参加者全員が簡単な自己紹介を行った。
次いで、吉村先生が、阪神大震災や池田小学校事件を契機に‘学校’が研究対象に加わった経緯を含めて自己紹介をされ、その後、詳細なデータおよび豊富な画像のパワーポイントおよび配付資料を用いて講演が行われた。
ヨーロッパでは小学生が1人で登校することは考えられないが、自動販売機の設置が海外からは驚かれるほどの高い安全性を持つわが国でも、近年、通学中の交 通事故や児童を狙った犯罪が発生している現状を受けて、M市教育委員会から調査依頼を受けた報告書が今回の発表とのことである。M市では2つの小学校が統 合され、さらに2年後に中学校と統合されて小中一貫校になるのに伴い、児童の通学路が変化して幹線道路の横断の必要が生じてきたということが調査の背景に あった。アンケート用紙は、2つの小学校の児童経由で保護者に一所帯一部を配布し、70%台後半から80%台後半という高い回収率をを得た。調査項目は通 学路の「交通不安」、および「犯罪不安」についての保護者の認識を問うもので、具体的には交通安全要素と防犯資源要素の五段階評価の後、上の2つの「不 安」を感じる場所を通学路が示された白地図にそれぞれマッピングさせ、その理由を選択肢から選択させた。アンケートの集計結果は、白地図に個々の不安箇所 が重ねられて、回答数が多い箇所は色が濃く示されており、その道路の写真と共に詳細かつビジュアルなデータが示された。
まず、「交通不安」については、不安箇所が交差点、特に直角に交差していない道路や幹線道路の交差点などに集中していること、理由としては、車・自転車の 交通量の多さや急な飛び出しがあげられ、その他には信号がない道路、路側帯のみの道路、歩道橋、車線の多い道路があげられている。事故対策としては、集団 登校や見守り活動などのソフト面に加えて、歩道、スクールゾーンで安心感が促進されることなどが示された。
次いで、「犯罪不安」については、公園、細い街路、鉄道の高架下、歩道橋や入り組んだ街路、六差路などがあげられ、さらに不法投棄や落書きのある箇所など が指摘され、その理由として、人気がない、見通しが悪い、夜間暗い、不審者情報があるなどがあげられ、小学校周辺道路も夜間暗いことや若者がたむろするこ とで不安箇所にあげられている。ここで、商店街が「不安のない場所」として浮かび上がってきたことから、街路に対して開かれている店舗などからの自然な状 態での見守りの効果の大きさが指摘され、住宅街にも一定数の店舗の混在の必要性が示された。さらに、地域一斉パトロールや防犯声かけパトロールの参加者へ のヒアリング調査も示され、防犯対策としては、「交通不安」と同様に、集団登校、付き添い登校・見守り活動に加えて、調査仮説の「店舗や住宅からの見守り」、すなわち地域施設による自然監視の効果が立証され、まちづくり計画にも示唆を与えるといえる。今後の課題として、店舗内部と道路のつながり、ファサード、業種、開店時間との関係等があげられた。
最後に、アンケート調査の実施方法や質問項目作成時の注意点などについても触れられた。具体的には、仮説を立て、分析方法から設問を決め、文字の大きさや 配布方法にも配慮しなければ、高い回収率と信頼できるデータは得られないこと等、アンケートの設計方法にも話題が及び、研究領域を超えた意義のある講演で あった。
講演後は、学校の統廃合が進むことなどからの通学距離と通学時間の増加がみられるなか、保護者の体感と実際の危険箇所のずれがあるのではないかとの問題提起がなされ、以下のような活発な質疑・討議が行われた。
○昨年の水月氏の講演にみられたように子どもが道草で好むタイプの道と安全性との関係
・怖いけどおもしろいと感じる子どもの視点…保護者の不安マッピングとの関係性
○朝と夕方の通学路の危険の性質の違い
・登校時:交通事故(ドライバーの責任) ・下校時:犯罪不安、交通事故(子どもの責任)
○安全・安心マップ   ・アンケートは通学路に限定した
○子ども110番の家の安全性  
・犯罪者には抑止力となるが本当に安心か  ・保護者は効果があると認識している
○24時間営業のコンビニ店の安全への効果  ・減少傾向にある、犯罪を誘発する可能性も
○見守り活動と地域の特徴との関係性
・卒業生を含む保護者以外の方…保護者が気付かない問題点を指摘している
○アンケート調査の設計、調査に対する関係者や学校の教師の反応
・地域からの信頼もあったし、結果を地域に還元すべきと考えている
・充分な事前調査の後にアンケート作成をすべき ⇒ 今回は仮説が立証できた
・今回はワークショップに関与していたために、アンケートの回収率が高かった
・複数回答はクロス集計を想定して選択肢を準備している
・学校の教師は不審者やセキュリテイなどの校内環境には関心が高いが、校区外に住む教師が多い事もあり、まちづくりに熱心とはいえない
最後に南先生が「通学路」は多面性を持つが、「子どもの安心・安全」に的を絞れば、議論が可能である。商店街は道草にも関連があり、その建物が通学路の安 全、ひいては、街や学校の安全につながるという今回の実証研究は極めて意義深い。すなわち、「通学路」は人間の環境にとって象徴的な場所であるという総括 のコメントを述べられ、また元兼先生が通学路研究の今後の展望を述べられてしめくくられた。

通学路の研究 通学路の研究

通学路の研究 通学路の研究

通学路の研究 通学路の研究

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」研究会

タイトル:ドイツにおける教育福祉専門職の発展とその養成課程―ゾツィアルアルバイター(ソーシャルワーカー)職とゾツィアルペダゴーゲ(社会的教育者)職の統合をめぐって―
日時:2017年2月5日
場所:箱崎文系キャンパス人間環境学府教育系会議室
出席者:教員(野々村教授、松﨑教授、高野教授、岡准教授、山下准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生、学部生等、合計13名。

内容:
京都府立大学の吉岡真佐樹先生が、配付資料を用いて講演を行った。
まずご自身の研究分野や勤務先である京都府立大学公共政策学部福祉社会学科の成り立ちなどに関して、先生の自己紹介が行われた。現代の日本では教育福祉の 観点から子どもや青少年を援助する統一的な職種がない、あるいはそのための統一的な養成制度がないという問題点がある。他方ドイツでは、そういった職種の 資格・養成制度が確立しており、その経緯や現状について報告したいということであった。
次いで、ドイツの教育福祉専門職について下記の順序でお話しされた。
1.ドイツにおける青少年育成・制度
2.ゾツィアルペダゴーゲの4つの沿革
3.第2次大戦後の福祉職の養成・資格制度の発展
4.ゾツィアルペダゴーゲあるいは「総合社会活動職」の職務と養成
5.ゾツィアルペダゴギークの学的性格をめぐって
6.ゾツィアルペダゴーゲあるいは「総合福祉活動職」の特徴と意義
[補]「社会的教育(学)」か「社会教育(学)」か
ドイツならではの歴史的条件や、ドイツは各州に文部省があるなどの制度的特徴、ドイツの教育制度は能力・適性に応じて進路が決まり職業資格をとる形になっていることなど、非常に多岐にわたる内容を含んだお話であった。
講演後は、ドイツの教育福祉と関係学会のあり方、ドイツでの教育福祉専門職のカリキュラムの実際や就職との結びつき、またそれらについての日本の状況との 比較、教育における家庭の責任についての捉え方の日本とドイツの違い、日本でのスクールソーシャルワークのあり方、青少年を「社会で面倒を見る」という方 向に今後日本は進むのか、などについて活発な討論が行われた。

子どもの育ち研究会 子どもの育ち研究会

 

2016年11月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」共催研究会

タイトル:優生思想と教育の歴史─20世紀転換期イギリスを中心に─
日時:2016年11月15日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(野々村教授、橋彌准教授、藤田准教授、董助教)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、高校生3名、合計17名。
〔なお,本研究会は各プログラム代表者の了承のもと,教育学部主催の高大連携事業「高校生のためのリサーチトライアルin九大教育学部」に参加した高校生の参加を可とした。〕

【発表要旨】

■小学教員から精神分析家へ:
エラ・F・シャープの階層横断と優生思想を乗り越える<演技>
松本由起子(北海道医療大学)

エラ・フリーマン・シャープ(1875-1947)は、前半生 を教員、後半生を精神分析家として生きた、戦間期英国精神分析界の重鎮である。知名度は低いが、生前刊行された著書 Dream Analysis (1937)はフロイト派夢分析のすぐれたマニュアルとして「古典」であり、フランスの分析家ラカンが注目し引用したことでも知られる。しかしシャープの 伝記的情報は少なく、相互に引用しあう状況にあり、本人が意図的に挿入・改変したと見られる誤報も混ざる。そこで史料調査によって十九世紀末のテンペラン ス運動におけるコーヒーハウス運動と小学教員養成を背景にシャープの動きを辿り、中産階級による啓蒙と効率性の追求が上層労働者階級の向上心と手を結ぶ場 に育ち、労働者階級に根ざしながら中産階級的倫理と振る舞いを求められる小学教員界に身を置いたシャープが、どのような演技を求められ、優生学的言説を背 に、どのように自己犠牲を称揚する愛国教育に向かったか、また、その後の展開に照らして、どのように他者の欲望を<演じる>ことを捉えていたかを考える。

■20世紀初頭イギリスにおける優生思想の展開と子ども
-優生教育教会の活動に着目して-
草野舞(教育システム専攻博士後期課程2年)

本発表は、「よく産み」「よく育てる」といった、子どもを産み育てる際の自明性が形成され始める際における優生学の役割の一端を解明するものである。
周知の通り、優生学は人種の改良を目指す「科学」として、フランシス・ゴルトンによって1883年に提唱されたものである。イギリスでは1907年に優生 教育協会(Eugenics Education Society)が設立された。国民一般に対する優生学的知識の普及を目的として設立された協会は、1909年創刊の機関誌『優生評論(the Eugenics Review)』や講演会を通じて、啓蒙運動や政治活動を活発に行っていたとされている。本発表では、20世紀初頭のイギリスにおける優生学の展開に着目し、優生学的知によって「よい産み方」「よい育て方」が規定され、それが国民一般に普及されようとする過程を明らかにする。
史料としては、優生教育協会の年次報告書(1908)や『優生評論』(1909)を用いる。協会のなかでの子どもの産み方・育て方の語られ方や、その実現 のために協会が必要としたものに着目し、その分析を行う。この分析によって、当時の優生学なるものの「科学」の曖昧さや、その曖昧さを協会がどのような論 理を用いて克服しようとしたのかが明らかとなる。
教育という営みを考える際にはすでに子どもの存在が想定されており、子どもは「よく産むもの」「よく育てるもの」であるということは自明視されている。し かし、なぜ「よく産み」「よく育てる」ことが当然であり規範となっているのか、そのプロセスについては充分に解明されていないといえる。本発表は「よく産 み」「よく育てる」という、子どもを考える際の前提となっているものがいかにして構築されてきたのか、その過程を優生学の展開とともに検証するものであ る。

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内容:
発表①
北海道医療大学の松本由起子先生が「小学教員から精神分析家へ:エラ・F・シャープの階層横断と優生思想を乗り越える<演技>」と題して、豊富な画像等を含めたパワーポイントを使用して発表された。
エラ・F・シャープはイギリスで、教員から精神分析家となり両大戦間の時期に活躍した人であるが、両親ともに労働者階級の出身であるという生い立ちについ て語られた。両親は最初エイバーヒルで絹織物に関係する産業に従事していたが、ノッティンガムに移動して飲食業で成功をおさめ、実質中産階級の仲間入りを 果たしたとのことである。エラは当時の労働者階級出身の女子として唯一中産階級を目指す道として開かれていたピューピル・ティーチャーという職につき、実 力が認められて校長相当の立場となり、その後精神分析に転身した。しかし自らの出自や親(特に父親)について経歴を詐称していたと思われる記録が残ってい る。エラは中産階級に適応するべく<演技>をしたが、自らが納得できていれば現実でも幻想でもいいのだといった趣旨の言葉も残している。こういったエラの 背景には、当時のイギリスの階級意識やそれに関連しての教育のあり方などが複雑に関わっているということである。イギリスにおいては「優生学」は人種の問 題ではなく、階級の人口分布問題として捉えられていたのである。
発表②
人間環境学府の草野舞さんが「20世紀初頭イギリスにおける優生思想の展開と子ども   -優生教育協会の活動に着目して-」と題して、配布資料を使用して発表された。
イギリスに今世紀初頭に設立された優生教育協会、およびその機関誌『優生評論』についてまず紹介がされた。また、当時のイギリスでは、国家的危機を背景に 「子ども」に着目する動きが高まったことが次いで紹介された。国民の「質を低下」させないために優れた子どもを産み育てるという観点から優生学が推進され たとのことである。
次いで、草野さんの研究について紹介された。優生教育協会の唱える「科学」が多様な学問の雑多な寄せ集めだったこと、また、国民に対して啓蒙をする際に、 科学的と言いつつも、「人間の本能」の規定や、それを「親の本能」に結び付け親のあり方を啓発しようとする論の流れには矛盾や不正確さがあったということ を指摘された。
発表後には、本能という言葉の当時と現在の使われ方、精神分析で子どもが対象になるのはいつ頃からか、精神分析と優生学の分岐点、優生学が成立した当時の 科学のあり方、優生学を創始したゴルトンとダーウィンの関係、積極的優生学と消極的優生学の分水嶺はどういったところか、生物学と優生学との関係、国家を 家族と見なすメタファーの古さはどのくらいか、優生学が推進された頃から現在の「皆平等」という観点にどのように入れ替わったのか、障害児教育はどういう 方向に向かうのがよいのか、等について活発な意見交換がなされた。

進化心理学子どもの育ち共催研究会 進化心理学子どもの育ち共催研究会

進化心理学子どもの育ち共催研究会


 

2016年10月

「遊びと洗練」2016年 第2回研究会「家・小屋と私‐あなたを呼ぶのはどれか‐」

日時:2016年10月28日(金)14:00-17:00
場所:箱崎キャンパス21世紀交流プラザⅠ
出席者:教員(南教授、三島准教授、飯嶋准教授)、金子准教授他、合計11名。

内容:
臨床心理士でありアーティストである羽下大信先生をお招きしてワークショップを開催した。
最初に、飯嶋准教授より企画趣旨の説明があり、人間環境学府、多分野連携、第1回の概要を説明し、三島准教授と南教授から自己紹介、研究紹介、このワークショップに対する質疑や期待が述べられた。
講師の羽下大信先生からは、何を感じかという課題を出すと言葉にしにくい人も、対象があると言葉にしやすいこともあり、家や小屋の写真を観察して、自分をひきつけるもの、という主題にしてみた、とお話しがあった。
前半は、10枚ほどの写真が壁面に掲示され、しばらく観察したあと、そのうち数枚、自分が惹かれるものを選び、一つ一つの写真について、それを選んだ人になぜそれを選んだのか、また、選ばない人にも何をどう見出したのか、を共有していった。
複数の人間で、同じ写真を見ていると、自分が見ていた特徴以外を見出す参加者がおり、自然に笑いもこぼれるようになり、前半の「ウォーミングアップ」を終えた。
10分ほどの休息の後、壁には前半とはまた異なる10枚ほどの写真が壁面に掲示され、今度はそのうち1~2枚を選び、自分がその家や小屋に住んでいる、あ るいは使っているということを想像してその家や小屋の物語を書く、という主題が出された。
その後、1人1人が物語を読みあげ、共有してゆくのだが、11名の参加者のうち、5名が同じ写真を選ぶことになり、しかもそれぞれが長短のみならず、家や小屋との接し方、距離の取り方が異なっており、笑いがこぼれた。
最後に、南教授から、全体のワークショップを振り返るコメントをもらった。もともと人間環境学が生じた時には神戸の大震災とオウム真理教事件かあり、人間 と環境との関係を大きく見直しを迫られることが起こったのだが、今日こうしてワークショップに参加しそれぞれのコメントを聞きあうと、そこから逆に自分が 出ていると感じるところがあり、気恥ずかしいものもあったものの、この場そのものが人間環境的であることを実感した、との言葉があった。

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2016年 第1回研究会

概要:東京大学のTeresa Romero先生をお招きして講演が行われた。
タイトル:The Role of Oxytocin on Cooperative Associations and Sociality
(協力的連合および社会性にオキシトシンが果たす役割)
日時:2016年10月20日
場所:箱崎文系キャンパス教育心理研究棟2階心理演習室
出席者:教員(橋彌先生、當眞先生、山本先生)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、医学部からの参加も含め合計15名。

講演及び質疑応答はすべて英語で行われた。
まず、Romero先生の研究テーマは動物の社会的行動や社会的関係であること、研究手法は観察と実験であることが紹介された。
次いで、オキシトシンというホルモンが動物の社会的関係に及ぼす影響については母子間や男女間について多く研究されているが、それ以外の関係にも影響があ るのではないかという視点について話された。その視点に立って、Romero先生が行った実験とその結果が紹介された。最初に紹介された実験はイヌとその 飼い主、および仲間のイヌを実験室内に置いて相互のAffiliationを調べ、オキシトシンとの関係を見るものである。結果として、オキシトシンはイ ヌの社会的絆を促進することが示されたとのことである。次に紹介された実験は、イヌにとっての不公平状態の解消という状況を作り出すものであった。ここで も不公平状態の解消とオキシトシンとは関連していた。
さらに、オキシトシンと、向社会的傾向の個体差に着目したニホンザルでの研究が紹介された。グルーミングの頻度と、オキシトシンとは関連があったということである。
講演後は、オキシトシン以外のホルモン産生と行動の関係、イヌとオオカミのヒトとの関係性における相違点、飼い主のタイプによる違い、乳幼児の発達との関連について等、活発な質疑応答が行われた。

 

2016年6月

「遊びと洗練」2016年 第1回研究会「見知らぬ知覚体験へ」

日時:2016年6月24日
場所:総合研究博物館展示室→本館二階
出席者:教員(南教授、三島准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計22名。

内容:
サイエンス&アート研究者・芸術政策研究者である石黒敦彦先生を招聘して開催された。
まず、総合研究博物館展示室にて、総合博物館を自由見学してもらった後、石黒先生の紹介が行われた。石黒先生からは導入に、博物館展示のあり方への問いかけがされた。
次いで、本館二階の一室に移動し、ワークショップとトークが行われた。
ワークショップでは、サッカーボール型の炭素の分子構造(フラーレン、カーボンナノチューブ)の模型、さらに同じ六角形と五角形の構造である測地線ドーム を紙で作る作業を通して、材料科学=幾何学=デザイン=民俗学が一挙につながる学際的な「ワークショップ」の可能性を学んだ。さらに後半には「回転する円 の現象学」として、最初期のアニメーションから現在のストロボ照明まで使われる、円板上の画像と視覚の関係を体験した。
①白黒のみでパターンが描かれたコマや円盤を回すと錯視で色が見えたり、②コマに点滅する色光をあてることで円板上に生まれる効果、③スリットがあって模 様のついた円板を鏡の前で回しスリット越しに鏡を見ると絵が動いて見える作画などが行われた。
この他、竹を組み合わせた立方八面体のフレーム「ベクトル平衡体」の中に舞踏家が入ってそれを多様な立体構造に変えながら踊る舞踏「シナジェティック・ダ ンス」のビデオ(鎌倉近代美術館「B.フラー展」2001)や、百人の子どもを対象にした「四角を十字に」という創造的な幾何学のワークショップのビデオ が提示された。
トークは、参加者の質問やコメントに回答するという形で行われた。まず石黒先生が学際的な時代に対応する「ワークショップ」の意義について、集客目当ての 教育普及の枠に押し込めるのではなく、もっと創造的な、参加する子どもたちの創発性を促す体験として提供するべきであり、体験した内の一人でも将来の発明 や発見につながる何かを見つけるきっかけになればいい、という見解を述べられた。そのあと、探究するサイエンスに対しそれを人類社会を広く統合する文系と いう人文系の存在意義が話題となった。「あやとり」という人類最古のテクノロジーと高度な数学との結びつき、人間の高い直観のレベルとコンピュータ技術と のバランス、障害者に対するアートセラピーの意味、色や形のセラピー効果、幾何学と日本文化の中の五・六芒星形、ゲーテの色彩論・錬金術を追試することの 重要性、A.ポー「メールシュトレーム」における科学と文学研究の共鳴など、石黒先生の幅広い興味と知識の幅を反映した多彩な話題が展開された。
最後に第二部10月28日羽下大信先生による音楽と言葉のワークショップが告げられた。

石黒先生研究会 石黒先生研究会

石黒先生研究会

2016年3月

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~ 研究会「戦後の子ども問題と教育福祉を考える」

日程 2016年3月27日(日)10:30~17:30
場所 教育学系会議室 九州大学箱崎キャンパス貝塚地区 教育学部棟2階243号室
参加者:10名

本研究会は、現在、教育学分野において再び注目を集めつつある教育福祉論について理解を深 めることを目的に開催された。3名の発表をもとに、戦後の教育と福祉がどのように議論され実践を捉えてきたのか、あるいはそうした議論を受け、実践を支え てきたのかについて議論を行った。

午前の部:10:30~12:00
田中友佳子(九州大学人間環境学研究院)
「教育福祉の系譜について」

「教育福祉」は戦後使われ始めた言葉である。しかし、教育と福祉に関する着目は、すでに戦前においても存在した。社会問題の解決策として、一部の要保護者 の慈善救済から一般民衆の社会教化へと拡大したことが、戦前期の特徴といえる。日清・日露戦争以降工業化が進み、社会問題と治安問題が噴出した際、井上友 一をはじめとする戦前日本の内務官僚は、公的救済を極力抑えた教化中心の社会事業を志向したのである。そもそも社会保障において国家が不在であり教育がそ れを埋めていた状態から、戦後日本の教育と福祉の関係が始まったといえる。
戦後、最も早い時期に教育福祉について書かれた論考として、石川二郎「教育福祉とその戦後における展開」(『文部時報』文部省編, 第961号, 1957年9月号)が挙げられる。文部省官僚である石川が権利保障を基礎にして、教育の機会均等の実質的保障の必要性を論じていることは興味深い。一方 で、教育福祉の実施内容は就学に関することに限られ、また教育福祉の対象となる多様な子どもにいかに対応すべきか述べられていない。限定的ではあるもの の、戦後教育福祉論の先駆けとして位置づけられる。さらに、1960年代以降の教育福祉論の主要な三派について説明を行った。①小川利夫による学習権保障 論、②市川昭午 ・持田栄一による福祉国家論(の見直し論)的教育福祉論(午後の稲井発表の中で詳しい説明がなされた)、③村上尚三郎の学校社会事業である。三者の論点の 比較と認識のずれについて紹介し、理解を深めた。

午後の部①:13:00~15:15
稲井智義(福井大学)
「教育福祉論のアンラーニングから持田教育学の方へ―1970~80年代日本教育学史試論」
 
持田栄一(1925-1978)は、戦後日本の教育学者である(東京大学教育学部教育行政学科助手~教授)。持田の理論については、教育行政学における 「忘れられた理論」と言われるとともに、近年「見直しの機運がある」 という。日本で1970年代以降に台頭する教育福祉論の分野においても「忘れられた理論」と言える、持田による教育と福祉に関する理論構想とその思想史的 意義を素描することが本発表の目的であった。
まず冷戦期教育学における福祉国家と公教育をめぐる論争に関する確認が行われた。1970年前後の堀尾・持田論争の論点は、「国民の教育権・子どもの学習 権」が「私事の組織化」によって保障することができるかという点にある。堀尾の理論構想に対して持田は、国家を支える家族・学校イデオロギーを批判的に捉 え、それすらも組み替える必要性を提起した。また、1970年代から福祉教育論を展開した小川利夫に対しても、子ども・青年の学習権・教育権保障を中核と する教育福祉論であると批判的に捉えていた。
学習権論、福祉国家論が盛んに主張された時代に、持田はこれらを批判し、独自の理論を打ち立てていく。その具体例であり、また持田が1970年代前後に 「中核的な課題」とみなすようになった幼保一元化問題を本発表は最後に取り上げた。持田は、実践を直接担う教師と園経営者を区別する「重層構造」を批判 し、園経営の集団体制の確立を「幼保一元化」への道の必要条件と位置づけた。親と教育専門家・市民が共同して子どもの教育にあたるための「ひろば」が構築 されることと、幼保一元化という大きな課題の解決を、持田は一貫するものとして考えていたことが確認された。

午後の部②:15:30~17:30
久米祐子(九州大学大学院博士後期課程)
「障害児教育・福祉と教育-占領下の日本の障害児教育」

1950年代日本における障害児統合教育の言説変化に関する説明の前に、まずはアメリカの統合教育の歴史についての概説がなされた。1970年代アメリカ では「全障害児教育法」が制定され、障害児全員の就学、統合教育が実現した。障害児の通う特殊学校から普通児の学校へという流れではなく、施設における分 離保護から地域の学校教育への移行が目指されたのである。アメリカでは「カスケイドシステム」に基づく統合教育が推進された。カスケイドシステムとは「可 能な限り早く普通児と共に教育を受けられるようにし、大いに必要な時のみ分離し特別な学校で教育を行う」という教育方針である。
アメリカの統合教育は1970年代に実を結ぶものの、戦後日本において統合教育と類似した勧告が1950年第二次米国使節団報告書においてなされたことは 注目すべきである。その勧告は“Extended Educational Opportunities and Additional Services”という項目の中にあり、英語の原文と日本語訳の意味が微妙に異なっている。原文ではできるかぎり普通学校の教育に参加すると書かれてい るものの、日本語訳では「正規の学校教育計画に参加する」という不明瞭な内容であった。こうしたアメリカからの(おそらく本国に先んじる)統合教育の流れ は、戦後教育を創ろうとした人々に少なからず影響を与えた。中央教育審議会委員で特殊教育や給食実施に携わった遺伝学者・医者の木田文夫もその一人と考え られる。木田は1951年度第1回日本教職員組合教育研究全国集会の中で「普通教育のなかの特殊教育」というタイトルで講演を行った。戦後教育の生成期に おけるアメリカの統合教育の影響について、今後の研究が期待される。

戦後の子ども問題と教育福祉を考える 戦後の子ども問題と教育福祉を考える

 

「共生社会のための心理学」2015年度ミニシンポジウム

テーマ:身体の動きと、こころの働き
日時:2016年3月10日
場所:21世紀交流プラザ共通講義室2
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、内田講師)、テクニカルスタッフ(董)および院生等、合計45名。

趣旨説明(行動システム専攻・光藤宏行)
人環は、教育学、心理学など様々な分野によって分かれており、その上さらに様々な分野が専攻ごとに分かれていることを紹介し、本シンポジウムの企画趣旨は 専攻ごとに分かれた心理学分野に対して、学問的な交流の場を設けることであるとの説明が行われた。また今回は第2回目の企画であり、前回はテーマを設けな かったが、今回はシンポジウムのテーマ「身体の動きと、こころの働き」を設けたことも話した。

受傷アスリートにおけるリハビリテーションアドヒアランスに影響を及ぼす要因の検討(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース・髙井 真佐代)
本発表は、リハビリテーションアドヒアランスに影響を及ぼす要因を時間経過を捉えながら検討し、受傷アスリートのリハビリテーションアドヒアランスの向上 に有効な心理的サポートのあり方を提案した。具体的には、リハビリテーションを4つの期間①受傷期②回復期③運動充実期④競技復帰期と分けて、①では受傷 に伴う負の影響の認知が阻害要因となり、その時期については、競技目標の設定をすること、復帰までの見通しの認識が可能なリハビリテーションを計画作成す ること、および現状に適応するための認知的再評価の促しのあり方が提案された。②ではリハビリテーションの継続を促す心理的サポートとして、心身の状態に 即したリハビリテーションプログラムのコントロール能力の向上、リハビリテーションに関する情報サポートの強化、自身の状態への気づきを高めることがあげ られた。③では競技復帰に対する過度な焦燥を感じている人に対しては、いま何ができるかに目を向けさせ、今後にどう生かすかに焦点を当てること、またポジ ティブな言葉や思考により、焦りや不安を解消することが提案された。

イップスを経験した野球選手の心理的成長プロセス(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース・松田 晃二郎)
イップスを経験した選手の心理的な変容を調べた先行研究はネガティブな心理的側面のみに着目してきたことに対して、本研究はイップスを経験した野球選手の 心理的成長プロセスを検討することを目的とした。その心理的成長のプロセスを解明するために、ナラティブ・アプローチ(各選手がスポーツの中で経験する出 来事をいかに語り、いかに意味付けるかを調べることが重要)という手法を用いた。結果は、イップスを発症した直後の選手には先行研究と同様にネガティブな 情動の喚起が確かめられたが、選手がそのネガティブな感情と向き合う過程で、心理的成長につながっていくという一連のプロセスを明らかにした。

脳性マヒ児の動作と情動のコントロールを目指した動作法 ~集中宿泊療育キャンプの事例を通して~(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース・岩男 尚美)
まず動作法の誕生及び発展について紹介した。本報告において非対称性緊張性頚反射(ATNR)を有するアテトーゼ型脳性まひ児を対象に4日間の動作療法を 行ったことが紹紹介された。その事例療法の経過より、座位課題のための環境調整の在り方の重要性、動作のコントロール感の獲得と言語面及び対人面の発達の 関連の可能性が指摘された。

マレーシアにおける動作法の展開 ~比較臨床心理学の視点から~(マレーシア国立大学・人間環境学府附属総合臨床心理センター外国人客員教員・ガン チュンホン)
発表の前に、古賀先生がガン先生を紹介した。ガン先生は主にマレーシアにおける動作法の広がり状況やその問題及び課題を紹介された。1990年日本人研究 者がマレーシアの障害者施設に動作法を紹介した。しかし住み込みの施設という限られた場所での実践であったため、長い間その動作法を広められなかった。ま た、マレーシアでは福祉局の施設では、一般的に発達障害の子どもに心理療法を用いていた。近年になって発達障害の子どもに動作法を導入したという。また地 域で動作法を導入する試みもあり、動作法が広がりつつあるという。発表のなかでは、天災によって子どもの遊び場を無くした小学校に動作法を導入した例を挙 げて、動作法は心理療法ができなかったことを可能にするというメリットを指摘した。しかし、宗教によって、男性が女性の体に触れることが禁止されている現 実があることも指摘した。

高齢者を対象とした健康動作法グループの実践報告(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース・清島 恵)
まず動作法の適用対象が、脳性まひ児・者以外の発達障害児の療育や精神疾患の治療などへ広がったことを紹介した。本報告は参加者の内省報告と参加者に対す る支援事例から、高齢者への健康動作法の会の意義を検討することを目的としている。参加者の内省報告の検討を通して、身体と向き合うことや人にあわせても らうことで自分を労わる場としての意義、情報交換や他者に受け入れられることの交流の場としての意義が確認された。そして参加者に対する支援事例から、身 体機能の改善のみならず、高齢者の抱える心理的な課題にアプローチできる可能性が示唆された。

目を閉じることが記憶に与える影響(行動システム専攻心理学コース・内山 朋美)
出来事の想起時に目を閉じると、目を開けたままでいるときよりも記憶成績が高くなることを閉眼効果という。本研究では、閉眼効果の生起要因を調べた。具体 的には、記銘時と再認時の情報の呈示モダリティを操作して実験を行った。その結果、視覚再認課題時は、記銘情報の呈示モダリティに関わらず、目を閉じると 成績が向上した。一方、聴覚再認課題時は、記銘情報の呈示モダリティに関わらず、目を閉じると成績が低下した。これらのことから、閉眼は視覚化を促進し、 リハーサル時の視覚的再符号化を促すことが示唆された。

行為がもたらす感情と感情がもたらす行為(行動システム専攻心理学コース・佐々木 恭志郎)
思考や感情などの抽象的なものは身体で体験可能な感覚や運動と心内で結びついている(心的メタファ)。そのような心的メタファの一つが上下の空間と感情の 快不快の連合である(上=快,下=不快)。本研究では、上下の空間と感情が心内でどのように結びついているのかを解明することが目的であった。具体的に は,感情と上下方向の運動感覚が双方向的に影響を与え合うかを実験により検討した。その結果,感情は上下方向の運動感覚に影響を与え,さらに上下方向の運 動が感情に影響を与えることが明らかになった。さらに,このような感情などの抽象概念と感覚や運動などの具体的な表象の双方向的な連合の形成過程について 身体化認知の観点から考察され,両者が共起体験の学習を通して結びついたことが示唆された。

総合討論(司会:古賀聡・内田若希)
・行為あるいは行動が感情に影響をもたらすと指摘しているが、実際どの程度の大きさで影響を及ぼすのか。
・イップスの対象者について教えてほしい。また、心理的成長が見られたその結果は、実際どういうふうに身体の改善と結び付いているのか。
・内山さんの発表に論じられた記憶作成が、スポーツ学習の場面においてもあったりするのではないか。
・文字をみるまたは読むことが、体が根になっている。感情の上下というのも、体がなければ上下という概念も誕生しなかった。そういう意味で今回の発表者皆 がテーマに沿った発表を行われたと思うし、卒業生である私にとってとてもいい体験をさせていただいた。

ミニシンポジウム ミニシンポジウム

ミニシンポジウム

 

2016年1月

「通学路の研究 -家庭から校門までの長い道のり-」講演会

タイトル:通学路での道草が人生を豊かにする
日時:2016年1月25日
場所:教育系会議室
司会:志波先生
出席者:教員(元兼、南、志波、田北)学術協力研究員(藤原)テクニカルスタッフ(大沼)他、院生等、合計19名

挨拶:元兼先生
これまで学際に携わってきた経緯について述べられ、さらに、今年度から立ち上げた多分野連携プログラム「通学路の研究」について、通学距離で規定されてい た通学区に‘通学時間’が追加されたことから通学の実態が変化するなど、今、通学路を研究する意義についての説明がなされ、講演会の口火がきられた。
講師紹介:南先生
講師が本学の人間環境学府に在学当時の指導教官であった南先生から、ご著書の「子どもの道くさ」の紹介とともに道草研究者としての水月氏、宗教家としての水月氏の2つの顔を持たれる講師の多才な活動について紹介された。
講演内容:
まず、水月氏から、自己紹介がなされ、その中で主な研究テーマが「無用の用」であると述べられた。そのことが、子どもの道草研究をはじめとして、ALS患 者についての研究や、『高学歴ワーキングプア』という本の出版などの多彩で多様な活動に繋がったと語られた。
次いで、本題に入り、「通学路」の魅力について、ご自身が撮影された多くの写真によって実例を紹介しながら講演が進行されていった。道草の効用とは「子ど もは身体によって街を記憶している」「道草の中で考え、精神力を鍛えている」「道草を通して社会化されている」「地域の大人たちとふれあう貴重な機会」と いう点にあるとのことである。しかし、近年、子どもが巻き込まれる事件が相次いだことから、安全・安心を重視する声が高まった。その結果、子どもは監視さ れるようになり、通学路での子どものあいだで成立する遊びの文化が危うくなってきた。その実例としては、よい行為という意味ではないが‘ピンポーン・ダッ シュ’がある。また、行政が整備した公園は、子どもの遊び場にはなりにくい。いわゆる「遊びの3間」、すなわち、‘仲間’‘空間’‘時間’が揃っていない ことによるが、道草は、その条件を満たしている。道草と安全・安心が対立している構図から、水月氏はフィールドでの調査を行う動機を得たとのことである。 子どもがどんな道を好むのかについて、通学路の整備の前後に実際に子どもと行動を共にして調べたところ、大人が安全・安心を考えて整備した通学路より、む しろ子どもは、臨時の通学路である狭かったり曲がっていたりする雑然とした道を楽しむことがわかった。また、道草の軽視は地域環境の軽視につながる、地域 と子どもが離れ、子どもの発達のサポートが失われるという視点も示された。そして、キーワードとして「地域と道草と原風景」を挙げられた。事例として紹介 された40代のある女性と、その女性が子ども時代を過ごした町を一緒に歩く調査を行い、電柱をきっかけに思い出語りが始まったことなどから、子ども時代の 思い出倉庫としての場所や環境という捉え方が示された。
最後に、道草は無駄ではなく、発達のサポート、遊び文化、記憶装置、原風景、社会問題を考えるフィールドとして存在するのだということを指摘されて、講演をしめくくられた。
発表後は参加した院生や学生、コメンテーターの田北先生、参加された先生方からの下記のような質問、話題をもとに活発な討論が行われた。
・なぜ通学路というテーマにたどり着いたのか。
・学校でも家でもない通学路という空間には特殊性がある。
・子どもが自然に危険かどうかを学べるような通学路があるとよい。
・大人にとっては安全安心が大事だが、子どもにとっては何が大事なのか。
・ふるさとへの愛着概念についてもっと知りたい。
・通学路以外にも道草はあると思うが、通学路である意味は。
・道草とはそもそも何か。定義できるのか。ほどよい道草というものがあるのか。
・大人になって、道草はできるのか。
・子どもたちとのフィールドワークでは、子どもたちに研究の趣旨を伝えていたのか。 研究に適する対象学年は。
・大人が関与する方法は変えることができる。
・無用の用を、環境をどのように作るかという計画論に持ち込めるのかという究極の問いがある。
・建築の人間はいわゆる「遊び場」「通学路」を作ってしまうが、大人が考えたものを子どもの想像力は飛び越えてしまう。‘もの’を作ってゆくうえで、今日お話しされたような価値観を知っているかいないかでは違いがある。
最後に学術協力研究員の藤原さんがお礼の言葉を述べて閉会した。
講演終了後、立ち去り難い雰囲気もある中、参加者からは、「大人と子どもの視点の違いは興味深かった」「子ども時代を懐かしく思い出した」「道草の教育的 意味を考えさせられた」「卒論に向けて勉強するいい機会になった」「道草を通じて社会化されていくということが印象深かった」などに加えて、留学生からは 「日本の学校の周囲にある『止まれ』や『通学路』等の表示に関心があった」などの多くの感想が寄せられた。少人数ながらも、予定時間をオーバーした盛り上 がった講演会を象徴しており、今後の活動への期待が感じられた。

水月先生講演会 水月先生講演会

水月先生講演会

2015年11月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて」2015年 第2回研究会

タイトル: 犯罪加害者臨床のフロンティア -刑事司法と医療・福祉・教育の連携-
日時:2015年11月4日
場所:教育学系会議室(教育学部2階)
出席者:教員(野々村教授、岡准教授、藤田准教授、飯嶋准教授、田北講師、田中助教)テクニカルスタッフ(大沼、董)合計9名。

内容:
パワーポイントを用いて話題提供が行われた。参考資料も配付された。
まず、柴田先生の建築分野における研究として、住宅地の安全安心、コミュニティのあり方等に関する活動内容の紹介が行われた。
次いで、メインの話題である犯罪加害者臨床についてのお話をされた。犯罪加害者について、近年は厳罰化を求める世論が強まってきている。そのため、加害者 の更生・社会復帰を重視する“人権派弁護士”等との間で、対立軸が生じている。しかし柴田先生は、たとえばDVやストーカーにおいては、厳罰化だけでは犯 罪を防ぎきれない、被害者を守るためにこそ罰とは別の手段での加害者対策が必要との思いから、心に歪みを抱えた加害者のカウンセリングなどについて、専門 家を繋ぐ活動を行っている。加害者臨床を行うことにより、加害者の社会復帰をとおして被害者を守るような第三のミチを模索しているとのことであった。
一方で、日本のカウンセラーとの対話をとおして、カウンセリングをうける加害者の情報を一般のカウンセリングと同様の守秘義務として守るのではなく、被害 者の安全を再優先し時には加害者に関する情報を被害者側に伝える必要があることを訴え、そのあり方を模索している。
話題提供終了後は、お話の内容についてのみならず、研究者としての視点の持ち方や研究の位置づけのあり方など、様々な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

柴田先生研究会 柴田先生研究会

 

2015年10月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2015年 第2回研究会

概要:
人間環境学府行動システム専攻の橋彌先生が講演を行った。
タイトル: 自然淘汰概念の継承と展開:進化を「きほんのき」から振り返る
日時:2015年10月7日
場所:教育学部会議室
出席者:教員(南教授、浜本教授、坂元教授、谷口教授、當眞教授、野々村教授、藤田准教授、田中助教)テクニカルスタッフ(董、大沼)および院生等、合計23名。

内容:
ここでの「きほんのき」とは、ダーウィンの「ノートB」に描かれた系統樹のことである。ダーウィンの経歴や業績について簡単な紹介をおこない、それに絡め て、一般的によく図などに出るサルからヒトへの直線的な進化のイメージは間違いであり、進化は分岐的になされてゆくこと、進化は単純なものから複雑なもの に進むというわけではないことなどが説明された。
その後に、ダーウィン以前の進化についての考え方(生物は神の創造であり進化はない/キュビエの天変地異による変化という説/ラマルクの用不用説)の概略 が紹介され、その後ダーウィンの「自然淘汰」の基本原理が示された。有利な形質を持つ個体が平均的に多くの子を残し、その形質が次の世代に引き継がれるも のであれば(当時は遺伝という概念はまだなかった)、集団内でその形質をそなえた個体の割合が高くなる。これが「種の起源」であるということである。ただ し、環境が変化すればそれまで適応的だった形質がそうでなくなる場合もある。すなわち進化には目的や方向性があるわけではなく、物質があらゆる存在の基盤 であるとした点で、ダーウィンの理論はラディカルなものであったということである。
まとめとして進化≠進歩であるということが確認された。進化は社会や集団の「ために」起こるのではなく、過程であり価値を含まないということである。
さらにダーウィン以降の進化論についても様々な学者の研究をとりあげられた。20世紀の進化論は個体と環境の相互作用のみでなく個体間の相互作用を対象に するようになった。社会や文化に遺伝子淘汰の理論的枠組みを適用することから起きた社会生物学論争などの話題にも触れられた。
その上で、1990年代以降の「進化心理学」の出現について述べられ、橋彌先生ご自身の「自他がまざるシステム(共感)」というものへの関心、それを調べるための子どもの表情認知の実験について説明されて締めくくられた。
講演終了後は下記のような話題について活発な質疑応答、討論がなされた。
・テレビなどでは進化という言葉はよい方向に行っているというイメージで使われている。
・価値を含まない進化論を、どのように価値を含む社会的なことに適用するのか。
・進化という言葉の価値的なイメージから逃れる必要がある。人は意図や方向性のあるものの方が解釈しやすいという性質がある。
・18世紀に人種をランキングするという考え方があった。スペンサーの社会進化論を森有礼が参考にしている。
・イギリス史では、人間を自然の一部とする進化論はドラスティックな変化だった。
・野生児を人間に組み込むかどうかが問題にされたことがあった。
・脳科学でなされている共感の研究との関係は。共感尺度のあり方とは。
・共感回路はどのような条件下でシャットダウンするのか(同胞の虐殺などの文脈で)。
・内集団と外集団の区別にはあやうさがある。
・人は状況に物語をidentifyすることで共感と結び付ける(ライオンが主人公のテレビを観ているとライオンの狩りが成功すればいいと思い、インパラが主人公だとライオンに狩られるとかわいそうだと思う)。
・共感は生物学的なものか、社会的なものか。
・幼い子どもが表情の動画を見ると真似る実験があるが、静止画ではどうか。
・ジェンダーと生物学的、社会学的条件との関係は。
・自閉症の子どもを使った共感実験の際、アイコンタクトをしない子どもにはどのように対処するのか。

橋彌先生講演会 橋彌先生講演会

橋彌先生講演会

 

2015年9月

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて

日時:9月22日(火)13:00~15:00
テーマ:「教育福祉援助職の問題から教育と福祉のあいだを考える ~アメリカ20世紀前半のビジティング・ティーチャー(SSWの前身)の歴史から~」(*SSW=スクール・ソーシャル・ワーカー)
講師:倉石一郎先生(京都大学)
場所:講義棟204号室
参加者:31名
概要:
パワーポイントを用いて、先生ご自身の著書『アメリカ教育福祉社会序説:ビジティング・ティーチャーとその時代』(春風社、2014年)の内容を中心に発表が行われた。発表資料も全員に配布された。
著書は序章と終章を含めて6章から構成されているとのことである。ビジティング・ティーチャー(Visiting Teacher  SSWの前身  以下VT)とは、革新主義期のアメリカ合衆国において誕生し、学校に基盤を置きながら、長期欠席や怠学、学業不振、家庭の貧困や親による放棄、疾病や障 害、文化間葛藤や差別、非行など種々の困難に苦しむ子どもたちの救済、ケア、支援に奔走した人たちであり、誕生以来長く、女性が占める割合が非常に高かっ たという。
先生は、なぜVTに魅せられたのか(あるいは著書の意義)について、以下のように、理由を三つに分けて説明された。
まずは「教育と福祉の間」という境界領域への関心があることを取り上げられた。Reese(1986/2002)は、革新主義期(20世紀初めから第一次 大戦まで)、アメリカの四つの都市(Toledo、Rochester、Milwaukee、Kansas  City)を舞台に、冷たい改革(教育行政の集権化、エリート専門家による支配)とあたたかい改革(学校機能の福祉化、ソーシャルサーヴィスの拠点化)が 緊張をはらみながら接合していくありようを活写している。そして先生は、VTは20世紀初頭のこうした新秩序成立のキーマンあるいは立役者という存在では なく、その役割はもっとつつましいものであったが、逆に言えばこうした動向の主要な局面のどこにおいても万遍なく顔を見せていると指摘する。つまり、VT の姿を追うことで、福祉と教育の接合断面が鮮やかに浮き彫りにできるとのことであった。同時に、福祉と教育の関係は、順接的、相補的なものばかりではな く、対立的、逆接的な面もあることを指摘した。また、本書で取り上げられたRochesterはVTの公費雇用が最も早かった都市の1つであったという。
そして、二点目の理由を、SSWの前身として専門職と呼ぶにはまだ未分化な存在であった草創期のVTには、その未熟さ故に、豊かな可能性が宿されていたこ とにあると述べた。VTの名に“teacher”を冠しているが、それは「教育について経験や見識を持つ人物」というほどの意味であり、自身が授業をする ことはない。しかし、単に児童福祉に携わるソーシャルワーカーというだけの存在でもなかった。学校に根をおろし、学校のあり方を揺さぶり、変容させる力の ある存在だった。具体的には、もともとは市民活動家による学校への訪問から始まったが、PEA(ニューヨーク市公教育協会)が仲介をはかり、次第に家庭、 地域の訪問へと広がり、より組織的な活動に発展していく。そしてVTの機能も、子どもたちが学業を進めていく上で正常、あるいはより有益となるよう、個々 の生活条件を調整することを担うようになった。このように、VTの役割の一つは「学校の常勤スタッフを『社会化(socialize)』すること、即ち子 どもたちの「不適応」原因の多様性に、教師がもっと「敏感になる」よう促すこと」であった。教育と福祉が未分化(福祉専門職が未確立)な時代だったゆえ に、教育や学校のあり方について臆せずモノは言えたこと、VTがまだ教育行政に完全に取り込まれていないために学校・教師との間に適度の距離、緊張感があ り、異文化、異者としての学校、教師からVTが何事かを「学ぶ」というモメントがあったことがVTの未熟さゆえの豊かさであったとのことである。
三つめの理由として「全体主義社会に対する警鐘として意義」があることを指摘した。VTの活動により、子育てといった「私的なるもの」が「公共的関心」の 対象となった。こうして私たちの生活世界が「「社会的なるもの」によって真綿で首を絞めるように取り巻かれた状況」になったのである。つまり、教育と福祉 との接近、相互浸透化という現象は危機に瀕した体制が、社会の全構成員を巻き込んでの何らかの秩序の再編、再構築に乗り出す際のサインのようなものと解釈 できるかもしれないとのことであった。
最後に、先生が、今日の社会に教育と福祉の連携がうたわれ、SSWに熱い視線が注がれていることを、「何らかの「全体主義的状況」到来の前兆かもしれな い」と予見し、この「全体主義」に亀裂を入れるような葛藤、緊張感の存在、そこにこそ、未熟で混沌とした初期のSSWの歴史を参照する理由があるとして講 義を締めくくった。

◯発表後は以下のような話題で活発な討論が行われた。
・自身の児童福祉施設でのアルバイト経験の中で、明らかに学校に適応できない子どもであることが分かっても、学校に戻させようとした例がある。この時期のアメリカに似たような例があったのか。
・当時、学校以外(例えば労働に行かせること)の方向への対策を考えられていなかったのか。
・福祉と教育との接近という時代をどう捉えられているのか。
・福祉と教育という領域のあいだに、接合―分離―接合という複雑な流れがあったのではないのか。
・教育と福祉について、「教育」とは何を指すのか、「福祉」とは何を指すのか。それは、領域と機能を指しているのか、あるいは視点のことを指しているのか。
・福祉国家体制が増幅していく時代の中で、福祉国家の結晶ともいうべきものは「社会的なもの」が確立されていくことである。それに対して、「監視」的な眼差してみているのか。

倉石先生著書 倉石先生著書

 

2015年7月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2015年 第1回研究会

概要:
自治医科大学の永澤美保先生をお招きし、研究を紹介していただいた。
タイトル: イヌの社会性 -ヒトとイヌとの絆形成-
日時:2015年7月29日
場所:教育心理学棟2F 心理演習室
出席者:教員(黒木教授、橋彌准教授、藤田准教授)テクニカルスタッフ(大沼)および院生、学部生、職員等、合計14名。

内容:
動画も含めたパワーポイントを用いて話題提供が行われた。
まず研究対象となっているイヌ(普通に飼われているイヌたち)の紹介が行われた。次いで家畜としてのイヌの歴史についても簡単に触れられた。イヌは最古の 家畜であるが、1990年代後半からようやく社会的認知能力についての研究が盛んになってきたとのことである。先行研究によって、イヌの先祖であるオオカ ミや、人間に近いとされるチンパンジーが持たないようなコミュニケーションスキルをイヌが持っていることなどがわかっており、ヒトとイヌとは寛容性の高 さ、恐怖をあまり感じない性質などを共有することから、同じ環境を共有して共生するように進化してきたことが示唆された。
続いて、先生ご自身の、ヒトとイヌとの「絆」についての研究の紹介が行われた。実験的手法を用いて、ヒトとイヌの行動やオキシトシン(愛着、養育行動と関 係する)分泌などを見ることによって、同種の親子や配偶者間に見られるような絆(Biological Bonding)に相当するものがヒト(飼い主)とイヌのあいだにも見られるケースがあることが示された。
また、付加的な話題として、アジア犬種は遺伝子の面でオオカミに比較的近く、実験結果もそれを裏付けていることについても述べられた。
話題提供終了後は、イヌとヒトとに、ヒトどうしでは見られるような「共同注視」はあるのか、目の形態的な違い(白目の有無等)は視線によるコミュニケー ションにどう影響するか、ヒトからイヌへの愛着行動としてもっとも意味があるのは視線なのか接触なのか、さまざまな犬種による違いや、ヒトとイヌとの関わ り方の文化の違いについても検討する必要があるのでは、他、様々な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

2015年3月

「共生社会のための心理学」2014年度ミニシンポジウム

日時:2015年3月23日
場所:講義棟103教室
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、内田講師)、テクニカルスタッフ(董、大沼)および院生等、合計38名。

趣旨説明(行動システム専攻・光藤宏行)
人環では5つのコースで心理学が扱われていることが紹介され、学問の細分化は悪い意味での伝統芸能化、社会からの遊離を招くという見解が述べられた。そう いったことを回避し、心理学の広がりを楽しむことが今回の企画趣旨であるとの説明が行われた。

自閉症スペクトラム障碍児の対人認知の特異性とその支援(人間共生システム専攻・五位塚和也)
自閉症スペクトラム障碍(ASD)の、人との関わりに困難をきたす特徴等が紹介された。会話場面の吹き出しにせりふを記入させ、発話の意図を問うという手 法を用いた実証的研究により、ASDは他者の心を理解する際に、他者と共有されにくい主観を手がかりとし、関係性を手がかりとしないことなどが示された。 また、象徴遊び(見立てを用いた遊び、ごっこ遊びなど)を用いた事例研究により、象徴遊びをうまく展開してゆくことによって対人関係も発展してゆくことが 示された。

脳性マヒ者の生涯発達支援としての心理リハビリテイション(総合臨床心理センター子ども発達相談部門主任・細野康文)
脳性マヒは脳の病変による運動や姿勢の異常であることが説明された。九州大学で開発された、言葉ではなく動作を行うことにより心理的に働きかけを行う動作 法、またそれを用いたキャンプなどの活動が紹介された。次いで、脳性マヒ者の加齢に伴う問題(身体的な不自由度が増す、心理的に将来への不安が増すなど) が説明された。加えて、二件の比較的年長のクライエントについての事例研究が報告された。いずれも、動作法を行うことによって、過緊張や緊張の慢性化に気 づき、身体の感じを明確化できたという良い効果が得られたものであった。

大脳半球の左右差が空間性注意機能に与える影響(行動システム専攻・古川香)
リハビリテーション療法士の仕事の中で空間性注意機能の障害の患者さんを対象としているとのことである。その中で半側空間無視は、右脳損傷者に多く見ら れ、左側を全く無視してしまうという症状が出る。その症状はBITというテストにより診断されるが、有効視野課題により、より細かく左右大脳の機能を検討 したいという目的で実施した研究が紹介された。画面の四隅に提示された数字を検出、同定できるかという課題を用いて検討した結果、空間性注意機能障害には 右脳の影響が大きいという従来の説が支持された。有効視野課題が空間性注意機能障害の評価方法として使える可能性も示唆された。

凶器注目効果と有効視野の関係(行動システム専攻・原田佑規)
事件などの目撃場面で凶器が存在すると犯人の顔などの記憶成績が低下するという凶器注目効果の概念が紹介された。この効果は有効視野の狭窄が原因となって いるという仮説があるが実証的研究は少ないとのことである。凶器を含んだ画像または含まない画像を見た直後、注視点から一定の角度離れた位置に出現する数 字を検出、同定できるかという課題を用いて行った研究の結果、凶器がある条件ではない条件より有効視野が狭窄していることが示唆され、仮説が支持されたこ とが示された。

運動・スポーツ場面での主体的な学習者—自己調整学習の視点から—(行動システム専攻・須﨑康臣)
報告者は、学習方略と動機づけを統合した理論である自己調整学習について説明をした。そして、この自己調整学習を用いて、先行研究で指摘されていた大学生 における留年、休学、退学の増加問題に対する方策について説明をした。その方策は、大学生の学校不適応問題は学校適応感の低さが関連しており、この学校適 応感と関連する対人関係面と学習面の2つの側面を含む体育授業を用いたものであった。そして、学校適応感を促すための体育授業の在り方として自己調整学習 の視点から説明を行った。具体的な内容としては、体育授業における自己調整学習方略の使用と体育適応感との関連についての調査と分析であった。分析の結果 から、自己調整学習方略の獲得を促すための学習支援が重要であることを指摘し、さらに大学への不適応に対する改善アプローチとして、体育授業が有効である 可能性を提示した。

学校臨床における臨床心理学的コンサルテーション(人間共生システム専攻・中村美穂)
コンサルテーションの必要性または有用性を強く感じたことが、一度学校現場で働いた報告者が再び大学に戻って勉強する契機となった。それは報告者が臨床心 理士として現場をよく分かったからこその志であったとのことである。報告者が目指す臨床心理学的コンサルテーション過程とは、児童生徒・学生保護者と教 師、臨床心理士による協議、試行、点検というサイクル化(円環的かつ統合的なコンサルテーション過程へと発展する)であっった。

福祉実習による心理変化~福祉学部大学生へのインタビュー調査を通して~(行動システム専攻・小松智子)
報告者は、「福祉実習におけるどのような体験が、どのような心理変化をもたらすかを、インタビュー調査により質的に整理」し、「また心理変化に影響を及ぼ す他の要因、福祉実習で測定可能な自己効力感を探索的に検討する」ことを研究の目的としている。そのために、N大学社会福祉学科に在籍し、社会福祉士養成 にかかわる相談援助実習を終了した男女学生12名を調査の対象とした。調査の結果は、先行研究と類似する指摘も得られたが、学生らが実体験や観察すること を通して、福祉職に求められる資質やスキルを学んでいたことが明らかとなった。一方、進学動機が受動的で気遣いしやすい者は、福祉職に対する自信が低く なったり、不安が高まったりしていたという結果も得られた。また、実習で体験する学びに対する自己効力感を測定する尺度を作成し、進学動機や進路意志との 関連性について、データ数を増やして明らかにしていくことにより、学生の個別性に応じた福祉実習教育に貢献する資料が得られる可能性があると指摘した。

総合討論(司会:古賀聡・内田若希)
・半側空間無視者は、誰かの促しによって自覚できるのか。
・自覚がない患者と医者の間で支援策は難しいのでは。
・ASDに対する支援の困難さとは。
・大学適応感を促すには、対人関係面と学習面の2つの側面からの支援が重要と主張しているが、この報告にはあまり対人関係面について説明されていないと思うが。
・大学に体育授業は必要だと思う。では、「大学の体育授業とは何か」を考えられているのか。例えば障がいがある人等、大学では様々な学生さんがいる。今後どのように体育授業を考えられているか。またどのように進んでいくか。
・最後は報告者全員が今回のミニシンポに参加した感想を一言ずつ話した。

ミニシンポジウム ミニシンポジウム

ミニシンポジウム 

2014年11月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて」2014年第2回研究会

概要:SFD21JAPAN代表の小野本道治氏およびメンバーの宇薄拓海氏を招聘して、SFD21JAPANの活動について紹介していただき、またその活動の中での経験や思いについてトークバトルをしていただいた。

タイトル:元非行少年! 言魂トークバトル「福岡市西区における非行少年の立ち直り支援について」
日時:2014年11月7日
場所:教育学系会議室

内容:
まず小野本氏がパワーポイントを用いて、SFD21JAPANの経歴、活動内容について講演された。最初は体力増進を目的とした任意団体として始まった が、ある母親から息子をみてほしいと頼まれたことがきっかけとなり非行少年との関わりが始まったとのことである。非行少年の居場所作りということに携わる ようになり、平成16年にNPO法人SFD21JAPANとなった。非行少年にははっきりとした組織作りが必要なこと、いろいろなことに参加してもらい役 割を与えることが大事なこと等が説明された。また活動の実際として、他団体との交流、農園、ボランティア活動、ジムなどが紹介された。とりわけアームレス リングに関しては好成績をおさめているということである。そのような話の中で、非行少年は人どうしとしての関わりを求めていること、かかわってくれた人の ためにはがんばることなどがポイントとして示された。少年たちからのメッセージや活動の様子を示したビデオも紹介された。
次に、小野本氏と宇薄氏のトークバトルが展開された。主として宇薄氏自身の非行少年としての経歴およびSFDに関わるようになってからの経験にからめて、 小野本氏がそのときどきの気持ち等を尋ねてゆくという形である。老人ホームでのボランティアや、学校との関わり方、警察との関わりの中である人ととてもよ い交流ができたこと、少年院から出てきた少年が再犯するのはなぜか、糸島地区での九大生とのバイトの口をめぐる競争関係、地域との交流のあり方等、話題は 多岐にわたった。その中でもやはり重要なポイントは、きちんと人として関わる人の存在、居場所があるということが大切になるということだと思われる。
トークバトル終了後は、宇薄氏がSFDに参加してから人との関わりがどう変化したか、宇薄氏の将来の夢はどのようなものか、非行少年の親の交流会はどんな 場か、学校の先生と小野本氏との関わり方、アームレスリングが得意でない子はどうするのか、兄弟の関係性と非行との関連、SFDの運営上の課題、他世代と の交流、他、多様な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

出席者:教員(野々村教授、松﨑教授、岡准教授、稲葉准教授、田北講師、柴田助教)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計13名。

小野本先生研究会1 小野本先生研究会2

2014年10月

「建築災害と生理・心理」2014年 第1回研究会

概要:
東北大学大学院工学研究科の久田真先生にお願いして、東日本大震災で発生した災害廃棄物の処理と有効活用の実例ならびに今後の展望について講演いただいた。
タイトル: 東日本大震災で発生した災害廃棄物の処理と利活用の推進
日時:2014年10月30日
場所:箱崎理系キャンパス 建築1番教室

内容:
久田先生は、東日本大震災で発生した災害廃棄物処理を「がれき処理コンソーシアム」代表として実際に指揮する立場の方であり、本講演会では、その立場から実態と実例、問題点、今後の課題と展望について話していただいた。
講演の概要は以下の通りである。
◇新聞記事等でみる発災からの変遷
◇災害廃棄物処理の経過と実態
◇新たに開発された技術
◇再生利用推進のための課題
◇骨材・コンクリート需要への対応
◇学協会の取組みについて
◇震災廃棄物の処理計画の有り方
新聞記事等による発災からの変遷については、主に地方新聞紙『河北新報』にこの三年間記載されたがれき処理関係、資材調達関係、その他(復興まちづくり、 仮設住宅、最終処分)に関する記事から数字を挙げて紹介した。また、がれきの処理が3年間を要すること、がれき処理にかけた金額の問題、資材不足による調 達の難しさ、仮設住宅の老朽化などの記事から読み取れるこれらの課題を指摘した。
前例の関東大震災と阪神大震災のがれきは埋立ての処理をとったが、東日本大震災のがれき処理に関しては、環境省が資源性廃棄物を徹底利用することで最先端 の循環ビジネス拠点として東北地方を再生することを方針とした。近年の建設業界の流れからも、東日本大震災の震災がれきを有効利用することの可能性が十分 にあった。ゆえに資金と時間をかけてでも再利用を選択したという。
がれきは自治体が自ら処理することになるので、地域の状況によって処理の違いが大きい。久田先生が紹介したように、岩手県は太平洋セメント(株)が大船渡 市に,三菱マテリアル(株)が一関市にセメント工場を稼働させていたが、宮城県にはセメント工場がなかったため専用の焼却設備を多数建設する必要があっ た。がれきの分別は、手作業で丁寧に行われ,また、写真や個人所有物は出来るだけ所有者に戻るよう配慮がなされた。一方で、こうした取組みの中で、新たに 開発された技術もいくつかあった。例えば、現地処理が必要な震災がれき―コンクリートがれき、がれき焼却残渣、津波堆積土砂の有効利用に関する技術開発で ある。また、久田先生は、震災がれきの有効活用技術の例もいくつか画像で紹介された。さらに、再生利用推進のための課題には、ニーズとシーズのマッチン グ<時間>(利用時のために資材化がれきの保管が必要)、ニーズとシーズのマッチング<場所>(運搬費用の発生による天然資材と の拮抗)、ニーズとシーズのマッチング<組織>(ニーズとシーズの出会い)をあげられた。がれき処理コンソーシアムの体制についてはwebで 公開されている。
骨材・コンクリート需要への対応に関しては、以下のような知見が示された。良質な天然資源等をいかに効率よく利用するか、生コン、プレキャスト製品など、 事業規模拡大を最小限にしていかに需要に応えていくか、環境基準等の制度を順守しながら、いかに品質を確保していくかなどである。また、「学」のシナジー 効果については各々学協会の取組みを紹介した。
がれき処理・利活用を通じて得られた教訓とは、東日本の2000万トンのがれき処理が、3年の時間と1兆円の費用を費やしたことである。南海トラフに関し ては、最大2億トンのがれきが予想され、同じ規模で処理すれば30年が必要、10倍の規模で処理すれば10兆円が必要とされる。取組みによって得られた山 積する課題のなかで、震災廃棄物処理計画の有り方が課題であると指摘された。また、日本での処理技術を輸出する方法も考えるべきとの見方が示された。
発表後は、セメント工場が西日本は福岡に6工場、大分に1工場あるが、その可能性について、廃棄物処理業者にとってメリットがあるのかなど、多様な話題について活発な討論がなされた。

出席者:教員(久田教授、清家准教授、小山准教授、光藤准教授)、テクニカルスタッフ(董)および院生、学生等、合計17名。

久田先生講演会 久田先生講演会

 

「学校トイレで多分野連携アプローチの可能性をさぐる」講演会

概要:
NPO法人日本を美しくする会の相談役で、イエローハットの創業者でもある鍵山秀三郎先生を招聘して、ご自身の生き方を通じて、これまで取り組んでこられた掃除の活動やその意義等についてご講演いただいた。

タイトル:凡事徹底 –トイレ掃除は心磨き-
日時:2014年10月24日
場所:人環研究棟2階会議室

内容:
まず、ホワイトボードを用いて、鍵山先生ご自身の生い立ちや職業経験を背景に「凡事徹底」の意義についてお話しいただいた。「何もないこと」を武器に、つ らい経験もプラスにとらえて乗り越えてきたことをディズレーリの言葉「如何なる教育も逆境から学んだものには敵わない」等を引用されながら紹介され、「大 きな努力で小さな成果」という信条や「誰にでもできる簡単なことを誰にでもできないほど続けてきた」というご自身の実体験に基づいた説得力のあるお話しを いただいた。
次に、豊富な画像のパワーポイントを用いて、先生が実践なさってきた「掃除道」の実際を詳しくご紹介していただいた。掃除道具を事前にきちんと整えておく こと、グレイチングやごみ置き場の掃除の実際、落ち葉を集めて堆肥にすること、トイレ掃除の方法、日本各地に加えて海外でも始まっている「便教会」の活 動、基地周辺や河川敷の清掃活動等々、具体的で多様な活動内容が紹介された。それらに交えて「凡事徹底」の意味(特に大事なのは言動一致ということ)、 「割れた窓」理論(大きな問題解決の前に、目の前の小さな問題解決を図る方が先決)を意識すること等、人生における大切な心構えについてもお話しいただい た。
最後に「三つの幸せ」についてお話しいただいた。もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せの中で最上のものはあげる幸せとのことである。
掃除の範疇を越え、世の中をよくするのは一人一人の心がけが大事というのが全体に通底したメッセージであったと思われる。講演後は、トイレ掃除に素手を推 奨する理由、反対運動やいやがらせをする人を変えることはできるのか、学生をうまく掃除に集めるには、掃除はどのくらいの時期から意識的に始められたの か、等の活発な質疑応答が行われた。

昼食をとりながらの座談会では、参加者の方々と大学側のスタッフが自己紹介し、その後、それぞれ自身の経験(研究、仕事、生き方など)と実感的に結びつけた感想を述べ、それについて鍵山先生がコメントをされた。

出席者:約80名(福岡市教育センター、小中学校教員、他大学 関係者、福岡便教会会員および一般参加者を含む) なお、学内の学生・院生は他学部も含めて40名が参加し、座席を追加するほどの盛会で、それぞれに意義 が大きかったことが感想文等からもうかがえた。※座談会は14名(学外3名)の参加。

学校トイレ研究会講演会 学校トイレ研究会講演会

 

2014年9月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2014年 第1回研究会

概要:
総合研究大学院大学先導科学研究科の中尾央先生をお招きし、研究を紹介していただいた。
タイトル: Ready to Teach or Ready to Learn: A Critique of the Natural Pedagogy Theory
日時:2014年9月29日
場所:教育心理学棟2F 心理演習室

内容:

本研究会では、中尾先生が今年Rev.Phil.Psyc誌に発表されたタイトル論文についてお話を頂きました。出席者には事前にこの論文をメール配布し、各自で読んだ上で開催された研究会であったため、アットホームな雰囲気の研究会となりました。
中尾先生は、近年 CsibraとGergelyが提唱し、進化心理学、発達心理学分野を中心に活発な議論が繰り広げられている「ナチュラル・ペダゴジー説」に対して批判的 な立場から、ナチュラル・ペダゴジー説を支持すると考えられている実験の解釈についても、様々な問題点を指摘しました。
ナチュラル・ペダゴジー説によると、ヒトはヒト以外の動物には見られない、教育に特化した認知的適応形質(ナチュラル・ペダゴジー)を進化させてきたとさ れます。さらに、この適応形質の進化なしには、数百万年前からその使用が拡大し始めたと考えられている複雑な道具が、忠実に次世代へ受け継がれていくよう なことがありえなかっただろうとも考えられています。中尾先生は,このようなナチュラル・ペダゴジー説が主張する明示的なシグナルostensive signalsが子どもの模倣学習を喚起するという図式に対して,そのシグナルが誰から発せられたかということ,さらにはどのような振る舞いとともに発せ られたかによって,模倣学習の度合いが異なるということを述べられました。
発表後は、18ヵ月の子どもと3-5才の子どもを対象とした実験をとりあげつつ、新生児模倣のようなmimicとimitationによる模倣学習との間 に違いがみられるかどうか、あるいは模倣学習における教える側と受け方側の「ずれ」などにナチュラル・ペダゴジー説は応えることができるかという問題な ど、多様な話題について活発な討論がなされました。

出席者:教員(浜本教授、橋弥准教授、藤田准教授)、学術協力研究員、テクニカルスタッフ(董)および院生等、合計14名。

 

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 2014年第1回研究会

概要: 人間環境学府人間共生システム専攻の山下亜紀子先生にお願いして、本研究会で研究を紹介していただいた。

タイトル:発達障害児の母親の生活実態に関する社会学的研究
日時:2014年9月16日
場所:教育学系会議室

内容:
発達障害児の母親の生活実態はどのようなものかについて、山下先生が宮崎県都城市にある発達障害児の親の会における茶話会の会話を録音し、分析した内容が 発表された。分析の結果、母親の生活困難として「障害児の言動による生活の困難」「子育てモデルがなく、日々模索し、試行錯誤している状況」「支援環境と の物理的心理的距離感」「良好ではない周囲との関係性」「日常的に生じる心理的負担感や葛藤」の5カテゴリーが導き出された。これらのカテゴリーの詳細な 内容も一部紹介された。また、同じく茶話会でのデータをもとにソーシャル・サポートについて質的分析を行った結果、「家族」「インフォーマルな関係性」 「専門機関」「その他」の4つに分類される計13のサポート源があることが判明したが、これらは数としても少なく、サポート内容にも限定性があるというこ とである。総括として、母親自身の抱えている困難さは、子どもの問題を前に潜在化してしまいケアが行き届きにくいこと、母親へのサポートが少なく非常に孤 立しやすいことが述べられた。最後に、録音された音声の一部も紹介された。
発表後は、親の会の存在の意義やあり方、研究者としての現場への関わり方、この研究では直接見えてきにくいサポート源の存在の可能性、父親の側の悩みへの サポートの方法、育児の負荷が母親に偏るようになっている社会構造の問題など、多様な話題について活発な討論がなされた。

出席者:教員(野々村教授、田上教授、岡准教授、藤田准教授、田北講師、柴田助教)、テクニカルスタッフ(大沼、董)および院生等、合計12名。

2014年4月

「共生社会のための心理学」特別セミナー 報告

タイトル:“Oh great!”: You don’t have to be British to understand sarcasm?
日時:2014年4月18日(金)15:00〜16:00
場所:文学部心理学演習室
講師:Maki Rooksby (Lancaster University)
概要:
イギリス・ランカスター大学のMaki Rooksby先生に、本研究会で研究を紹介していただいた。子どもの皮肉の理解において、文化の異なるイギリスと日本では違いが見られるのか。Maki Rooksby先生はぬいぐるみのキャラクターを用いたストーリーを子どもたちの前で演じることによって実験を行った。その結果、以下のようなことが示さ れた。イギリスの子どもも日本の子どもも同じように皮肉が理解できる。しかしその一方でいわゆる「心の理論」(キャラクターの勘違いを理解できるか)につ いては理解が不十分であり、また、その点についてはイギリスの子どもたちより日本の子どもたちの方が若干理解が遅い傾向がある。加えて、皮肉の理解と「心 の理論」との間にはリンクが見られなかった。
発表後、15分程度にわたって活発な質疑応答が行われた。

出席者:實藤准教授、光藤准教授、テクニカルスタッフ(大沼)および学生、合計15名。

 

2013年5月

水俣を通じて人間と環境の関係を考える
飯嶋秀治・岡幸恵・當眞千賀子

文脈
1956年の水俣病の公式確認から2013年で57年にもなる。熊本県内では小学校時代に訪問し、しばしば報道もされる水俣も、熊本県外では「過去の事 件」のように考えられていることが多い。ところが「工場の環境汚染によって食物連鎖を通じて起こったこと」「胎盤を通じて胎児性水俣病が発生したこと」で 「人類史上初の事件」[原田2004:12、13]と言われる水俣市には、57年生き続けてきた胎児性水俣病患者の人びとが暮らしてきている。
問題は一面的ではない。
水俣市には山間部もあり、この事件に「水俣」という地名がつけられたことに迷惑感を持つ市民もいる。実際に水俣は山林や温泉も豊かな土地である。他方で加 害企業とされる現JNC(Japan New Chisso)の主要生産品である液晶は、時計やコンピューター、ディスプレイの形で日本中の人々が恩恵に預かっているといってよく、私たちは身の周りの 製品を通じて、この問題に連なっているのである。
こうした問題の一つ一つをどのように扱ってゆけばいいのか。
パウロが書いた「コリントスにある神の教会へ、第一」の手紙には、「あなた方をおそった試練で人間的でないものはない。神は真実であって、あなた方が耐え られないような試練をあなた方に容認することはない。試練とともに、それを耐えることができるような出口を用意して下さるであろう」[田川 2007:44-45](第10章13節)という言葉があるが、試練が人間的なものである限り、出口は自動的に実現されるのではなく、人間が関わり続ける ことのなかで姿を顕わすのであろう。実際、これまで水俣病をめぐって多数多様な関わりがあった。写真、文学、研究、映像、絵画、芝居、能、彫像などは、そ うした関わりのなかで生まれてきた多様な表象の群れである。
この多分野連携では、水俣病を核としてそこから生じた様々な余波(illness experience of Minamata disease)の断片を、人間(科学)、教育(学)、建築(学)それぞれの立場で人間環境の未来に向けて考えてゆきたいと思う。

実施プログラム実績
①5/7(火)6時間目、Cafe Haco:事前ディスカッション(学内参加者5名)
②5/12(日)午後、九大箱崎キャンパス中講義室:「水俣・福岡展協賛企画映像セミナー 水俣から人間環境の未来を学ぶ」(学内外参加者102名)
③5/15(水)6限目、Cafe Haco:②を受けてのディスカッション(学内参加者8名)
④5/15(水)-27(月)、JR博多シティ:水俣福岡展(チケット240枚配布)
⑤5/24(金)、6時間目、Cafe Haco:④を受けてのディスカッション(学内参加者10名)

映像セミナー概要およびアンケート・コメント等(PDFファイル)

内省‐人間環境学の視点から
「人間環境」という言葉が国際的に広く認知され始めたのは1972年国連の人間環境会議がストックホルムで開催され、その直前にローマ・クラブの『成長の 限界』が報告され、日本からは水俣病患者が出かけていった時からであったであろう。その意味で、「人間環境」という言葉の核の一つに、水俣病はあった。
こうした人間環境問題が持ち上がった時、厳しい批判に晒されたのは、近代科学の核にあった「還元論」であり、当時はその対極として個々の要素に還元できな い「全体論」が称揚され、その個々の要素に還元できない全体としての性質を齎すプロセスとして「相互作用」が注目されたのであった。こうした経緯から振り 返った時、人間環境学はその重みをしっかりと受け止めていると言えるかどうか。
本イベントの評価は複数の視点からなされねばなるまい。まず福岡西部地区五大学連携講座の一環として、西南学院大学や福岡大学からの履修者が出たくらいで あったので、殆ど評価はし難いと言えよう。次に、九州大学P&Pに採用された「フィールド人間環境学プログラムへの基礎的研究」(代表:飯嶋秀 治)の公開会議としては、対外的には評価されたように思われるので、まずまずの評価がされよう。しかし、人間環境学府多分野連携プログラムの一部として は、その前後のイベント参加者が、10名以下であり数的にはあまり評価はし難い。ただし、そこに教育学部門、人間科学部門、都市・建築学部門のみならず、 ユーザー感性サイエンスの学生などが集ったので、質的な相互作用には一定の評価がされよう。
水俣では確かに、人間と環境の相互作用の累積が、水俣病を生み、地域の断絶を生み、地域を超えた連携を生み、新たな環境と人間との相互作用の芽を生んだ。 けれども、学問としての人間環境学は、いまだにそこには追い付いていないように思われる。フィールドから頂いた「大きな宿題」(當眞)を果たすにはどのよ うに、そしてどこから私たちの学問をやり直すべきなのか。それがこれからの人間環境学の課題となるであろう。

 

水俣映像セミナー1 水俣映像セミナー2

水俣映像セミナー3

2012年12月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

2012年度 公開講演会&研究会

2012年12月15日  於:教育システム専攻 社会人演習室
「地域包括支援ネットワークの現状と課題 大牟田市の事例から」
特別養護老人ホーム鐘ケ丘ホーム 岡山隆二氏
(元大牟田市役所中央地域包括支援センター)

 今回は、公開研究会として、元大牟田市役所中央地域包括支援センターの岡山隆二氏をお招きし、大牟田市での活動事例をもとに、高齢者を中心とした地域包括支援ネットワークの成果についてお話しをうかがいました。
本研究会では、子どもの育ちを社会的に支えるために必要な環境、その存立、維持条件などについて検討を重ねてきました。子どもは、異世代の多様な人々が暮 らす地域のなかで生活し、成長し、その地域を支える一員となっていきます。しかし、このいわば当然のことが、なかなか実現できず、子どもは家族や学校のな かに、いわば閉じ込められている事態となっているようです。子どもだけに限らずそれぞれの世代が、ごく小さな範囲のなかで閉塞し、個人化状況が進む中で、 大牟田市では、これまで高齢者だけの問題として捉えられがちであった認知症の方々を、多世代の交流を図りながら地域全体で支える取り組みを進めています。 岡山氏は、絵本を使った子どもたちの認知症理解を深める取り組み、小中学生も参加する高齢者等SOSネットワークによる徘徊模擬訓練といった取り組みを紹 介されつつ、認知症コーディネータという独自資格制度、小規模多機能型施設と地域交流施設の併設など、認知症に対する理解を深める取り組みを構造的に支え る体制づくりが展開されてきたことを強調されました。
こうした取り組みは、地域包括ケアのモデルとも考えられています。地域包括ケアは、個別のニーズに対応した生活を支えるサービスが提供されること、保健医 療と福祉サービスの福祉専門機関の連携はいうまでもなく、町内会自治会、老人クラブ、婦人会などの地域組織、学校、企業、ボランティア、NPOといった中 間集団が関係を深めていくこと、そして、地域に暮らす人々が地域の福祉課題に気づき、自らの問題として考えていくこと、などによって実現されると考えられ ています。岡山氏は、これらの点をふまえて、認知症問題はあくまでもきっかけであり、地域社会の再構築を図ること、いわば、認知症を柱にしたまちづくりが 求められていると指摘され、大牟田市の地域包括ケアの方向性を提示されました。報告後の質疑応答でも、実に様々な論点が提示されました。
大牟田市は、石炭産業の衰退に伴う急激な人口流出によって、いわば強いられたともいえる高齢社会状態にあるといえますが、こうした社会的な背景のなかで、 子どもを含め様々な世代の参加と協働をキーワードとした地域包括ケアの現状と課題が浮き彫りとなる貴重な機会となりました。

公開講演会1 公開講演会2

公開講演会3

 

2012年11月

「学校トイレで多分野連携アプローチの可能性をさぐる」
古川浩代先生をお招きしての講演会

2012年11月8日 箱崎文系キャンパス講義棟204教室

「学校トイレの環境学」

学校トイレの環境学チラシ 

2012年7月

「子どもや地域を犯罪から守るための異分野連携研究」
小泉令三先生・大上渉先生をお招きしての講演会

2012年7月21日 国際ホール

「子どもと犯罪を考える心理学」

子どもと犯罪を考える心理学ポスター 

2011年10月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」
日置真世氏をお招きして -公開講演会&研究会-

2011年10月15日  於:九州大学人環会議室/教育系会議室

「子どもの育ちを支える協同関係の構築とは ―地域の声から始まる“場づくり”の実践から―」

10月15日、初の県外講師として日置真世さんをおまねきし、第一部:公開講座、第二部: 研究会、第三部交流会と終日にわたる研究協議の場をもたせていただきました。日置さんは北海道釧路市で、長女の障がいをきっかけに親の会活動にかかわり、 その延長上で2000年NPO法人地域生活支援ネットワークサロンをたちあげ、数々の市民活動や事業に携わってきた方です。本NPOは現在20拠点・年間 予算規模5億まで拡大しています。
彼女の活動の特徴を一言で言うなら「場づくり」そして「まぜこぜ」。属性や役割による縦割りを排除し、人々の多様な想いをつなぎながら市民活動からビジネ スモデルまで多様な実践をおこしていく「場づくり」をあらゆる場面で実践してこられました。また平成23年3月まで3年間、北海道大学の助教としての活動 では、研究の世界と活動の世界をつなぐ役割にも踏み出されています。
既に各方面から注目されている日置さんの話を聞こうと熊本や北九州からも一般参加者が集まった当日、彼女の冒頭の一言は「子どもをというより、人を育てる 場を」でした。彼女いわく自分の地域づくり実践のポイントは<①あきらかざるをえない状況からの、ニーズの顕在化><②たまり場(異な る文化の対話・協働の機会づくり)><③実験事業><④人・制度・お金・つながりを活かす>とのこと。とりわけ「たまり 場」(≒共有の場)について、それは場所でなく人が育つ「しかけ」または「機会」であるとして、対等な対話を重んじた人と事業を育てるメカニズムが明快に 語られました。また私たちの研究会に関わり深い実践として「コミュニティハウス冬月荘」、特に中3生支援の「みんなで高校行こう会」が紹介され、ビデオの 向こうの中学生たちが自分の変化を語る声が印象的に伝えられました。
彼女の実践や発想は「球」のような多面性をもつだけに、まさに「多分野連携」の議論にふさわしく、講演後の質疑応答も、またその後の研究会も、組織への基 本的な考え方、マニュアル化の問題、スタッフの働き方、ビジネスとの接点、果ては日置さんの生活背景まで非常に多様な論点や質問が出されました。福祉から 教育まで、実践から研究まで、立場を問わずそれぞれが現在足元でかかえる課題や関心が日置実践を通して透かしだされて、思わず聴かずにいられない、といっ たタイプの発言が多かったのが個人的には非常に印象的でした。さらに今回同行されたNPOスタッフの高橋さんはまったくの異分野から参加し短期間で第一線 スタッフへ成長したリアルモデルであり、その声は今回の会に貴重なものとなりました。

当日議論の中で何か集約的な論点が浮かび上がったわけではありませんでしたが、それぞれの生活・研究実践の深いところに迫ってくるものがあり、いったんそ れぞれが時間をかけて自分の頭と手足をくぐらせてから再度議論すると新たなものが生まれていくのでは?そんな感をもった研究会となりました。

日置講演1 日置講演2

 

2011年9月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第4回研究会

2011年9月27日(火)13時~16時       於:子どもの村会議室

木村康三さん(福岡市里親会会長・たんぽぽホーム代表理事)
「子どもと共に育つ」 

今回は、福岡市小学校、養護学校の教員を退職後、2006年里親登録以降6名を受託、2010年小規模住居型児童養育事業たんぽぽホームを設立された木村康三さんにお話しを伺った。
たんぽぽホームは、養育者3名、補助者7名、ボランティア数名のもと、児童相談所、里親会、関連NPOとの連携のなかで活動されている。最も大切とご自身 が強調されたのが、ホームを擁する自然そのものである。のどかな里山、そこに生きる動植物や昆虫。子どもも大人も、里山の命と触れあい、命を育む。のどか な風景ではあるが、山の木々は手を入れずに野放しで保全はできない。里山に住むとは、そうした自然への関わりが必要なのである。ネグレクト(耕作放棄)さ れた里山は、荒れてしまう。子どもも同じなのである。
それぞれが深刻な問題(過去)を抱えている子どもたちにとって、里親を始め周りの人々との関係を新たにつくることが重要である。「『つながり』の再構築」 として提示されたのが、たんぽぽホームを囲む様々な人々や関係機関のネットワークである。まずはホームのある地域に住む人々。高齢化が進む地域ではある が、またそれ故にそこで生活する子どもが増えることをとても喜び、地域の子どもとして共に育ててくれる大切な存在である。また、近隣の児童養護施設との連 携、合同行事、要保護児童対策地域協議会、児童相談所、民生委員、木村さんご自身が会長をつとめられている「福岡市里親会(つくしんぼ会)」の「すだちの 基金」やサロンなどの活動、「子どもの村福岡」、「青少年の自立を支える福岡の会」による自立援助ホーム「かんらん舎」、青少年自立支援室「いっしょふく おか」子どもシェルター「そだちの樹」、など、社会的養護の下にある子どもたちとその自立を支える様々な団体や機関との連携、協同は、福岡の特筆すべき特 徴であるとのことである。
子どもたちとの日常は、綱渡りのような凄まじさを孕んでいる。それを素晴らしいものにしていかなければならない。文化や自然に触れさせ、学習支援をし、対 人関係等様々な能力を身につけさせる。実親の抱える問題をも丸ごと受け止め、その子どもに最も望ましい関係のあり様を模索しつつ、関わる。里親になると は、自分の度量、器の大きさ、懐の深さが問われることだという言葉からは、その厳しさと共に、改めて木村さん、そして木村さんと共に養育に携る奥様やご子 息、関係の方々の人間力の大きさを感じた次第である。
実親との関係、子どもの気持ちやその現れの実際など様々な具体について、また関係諸機関との連携などについて質疑が行われた。学校の教師の「君は輝いているよ!」という言葉によって救われたA君の話は、非常に深く私の心に刻まれている。

参考:木村先生によるパワーポイントの資料1 資料2 資料3 資料4

木村先生講演会1 木村先生講演会2


2011年7月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2011年度第2回研究会

日時: 7月26日(火) 17:30-19:30
場所: 教育心理棟2F 「心理学演習室」
話題提供: 平石界 先生
(京都大学・こころの未来研究センター)
タイトル: 「進化心理学における遺伝と個人差」

参加者 教員4名(取組教員3名、他1名)
学生他14名 計18名

概要:ヒト以外の動物を主たる対象に、進化的視点から研究する行動生態学 (Behavioral Ecology)の発展は、いわば必然的に人間行動研究へと拡張され「進化心理学」と「人間行動生態学」という二つの流れを生みだした。この二つのアプ ローチのうち、特に前者においては「人間の心の仕組みの普遍性」が強調される傾向が強かった。しかし近年、進化心理学においても個人差への注目が高まりつ つある。こうした動きは、人間行動の個人差に生物学的アプローチをする行動遺伝学との連携にも繋がりつつある。本報告では、進化心理学と人間行動生態学に ついて簡単なイントロダクションを行った上で、報告者が「進化」「遺伝」「個人差」の境界で進めている研究を紹介し、聴衆の皆さんと議論したい。

最初に進化心理学についての簡潔な紹介の後、平石先生自身の研究が紹介された。
「知能や性格が遺伝する」という言い方があるが、それは正確に言えば、知能や性格(開放的、協調的、外交的 etc.)における個人差の何パーセントが遺伝的差異にもとづくという意味であることであり、ダーウィン型の進化が淘汰によってむしろ遺伝的な個人差を縮 減するアルゴリズムであることを踏まえると、こうした遺伝的な個人差が消えずに残り続けていることの方がむしろ説明されるべき問いなのだとされる。こうし た遺伝的な個人差が残りつづけることを説明するさまざまな仮説が紹介され、検討された。
また一般的信頼度の個人差が、性格の個人差と関係がある(後者が前者の原因)という可能性が示された。
発表に対しては会場から活発な質問が出され、個人差と文化差の関係などをめぐって突っ込んだ議論がなされた。
研究会後、講師の平石先生を囲んで懇親会が開かれた(参加者8名)

次回、合同研究会の予定は10月中。
霊長類研究所の山本先生による話題提供になる予定。

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第3回研究会

2011年7月25日18時~21時 於:感性学府会議室

田北雅裕先生(九州大学)
「まちづくりと子ども」

今回は、まちづくり、人が住む風景のデザインに取り組んでこられた田北雅裕先生のお話しを伺った。
まず、建築・土木、ランドスケープなどの専門領域を学びつつ、ご自身の原体験である故郷の「橋の下」のデザインという目的を追求すべく、活動を続けてこら れた軌跡から紹介された。そのなかで、田北先生が強調されたのは、トリビア(trivia)、他人(自分)からみるとちっぽけだが、自分(他人)にとって は大切な風景に目を向け、専門性にとらわれずにその風景をつくっていくということである。
まちづくりという概念は、1960年代からの急激な都市化の中で、トップダウンのハード整備ではなく「住民自治」「住民参加」の社会運動の推進において使 われるようになり、浸透してきたという。そのコンセプトは、①まちの住民となり、「自然(環境・人・風土)」に生かされている諒解の下に、次の世代に希望 をつなげる協同の実践、③適正規模、住民の「幸せ」を育て、見守り、共有し続けることを目的として、目指すべき状況と他者の在り方から手段と協働主体を決 定する、②特に小さき側の立場に立つこと、そして全ての価値判断が人間の感情に基づく以上、コミュニケーションの在り方に重きを置く。杖立温泉や、南阿蘇 えほんのくに等、沢山の田北先生によるデザインの数々の魅力の原点は、このような住民、なかでも声の小さな住民の声を聞き取り、それに応える手法や人間力 (まなざし、共感、コミュニケーション…)とデザインの創造にある。
熊本慈恵病院「こうのとりのゆりかご」の相談窓口ウェブサイトデザインも、このコンセプトによって取組まれているところである。新生児相談という本来の業 務を重視し、複雑な援助の仕組みを把握したうえで、一次接触メディアとしてのウェブサイトの強みをいかに活かせるかということに留意されている。相談者の 感情、交流や共感への誘いも含め、理解しやすくかつ精確な情報伝達のデザインは、福祉とデザインを繋ぐ可能性として大きな意義をもっているといえよう。相 談に関わるウェブサイトのデザインによる、相談窓口の組織や業務体制のデザイン自体への提案、行政の福祉体制とのコラボレーション、インターネットであれ ば悩みを打ちあけられるというニーズへの応答の重要性、また、田北先生の活動の次世代伝達の方法や、まちづくりのなかでの専門領域化の問題などについて、 活発な意見交換が行われた。

※田北先生の報告内容についてご覧になりたい方は別途コーディネータまでご連絡ください。


2011年6月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第2回研究会

2011年6月15日17時~20時 於:教育学系会議室

田上哲先生(九州大学)
「授業・教育実践と子ども-小中連携や家庭・地域との連携を見据えて」 

第2回めは、個を育てる授業分析、授業研究に取り組んでこられた田上哲先生に、ご自身が関わってこられた学級づくり、授業づくりに取り組む多くの実践事例をもとに、その研究の軌跡をお話しいただき、子どもの育ちを支える協同関係の有り様を探った。
まず、田上先生の授業研究の背景である、重松鷹泰と上田薫の研究の視座と、その意志を受け継ぐ「社会科の初志をつらぬく会(個を育てる教師のつどい)」の 活動経緯について紹介があった。田上先生は、当会西部地区代表でもある。この会は「問題解決学習」によって「個を育てる教育」をめざすという志のもとで、 53年間の活動を継続させてきた。
「問題解決学習」とは、それぞれの子どもの切実な問題、課題を、学級のメンバー皆で考えていくという方法である。教師は、個々の子どものくらしの深いとこ ろまで理解し、その子どもの課題探究と解決へのプロセスを助けていく。例として、休日の朝食というテーマの実践が紹介された。子ども達のこのような表現が 可能とするには、教師がともかく子どもの話を聞くことが何よりも重要だということだった。個々の切実な問題を学級の皆で考えていくというプロセスは、とき に子ども同士の厳しい対話を生まれさせることも多い。信頼関係がなければ成り立たない、このような「聴く」場、集団づくりについて議論があり、朝の会での 聞きあいの活動等についての紹介があった。
この、個々の子どもの問題に深く関わる授業実践は、重松鷹泰の授業分析の手法にその源流があるとのことである。重松の授業記録は、生徒の個人名が明記され ている。その子どもがどこでどのような発言をし、授業に参加したのか、ということが分析の対象となるわけである。子どもの学級での役割は偏りがあり、それ こそが学級運営の主要な要素となるが、その様子を明らかにするような授業データの提示方法が摸索されている。
子どもは、学校、家庭、またその他の場所で、いろいろな顔を持ち、生活をしている。子どものそうした多面性の尊重、また、そのための、教師(権力関係から 逃れることが困難)や親(宿命に支配される)との二者関係だけではないナナメの関係の重視、子どもが自立し大人になっていくことを支える関係性の構築、 ネットワーク化などについての議論が出された。地域という言葉は、このような関係構築においてよく用いられる。しかし、地域とは何を指すのか、地域との連 携とは誰と繋がることなのか。

次回は、この地域を考える手がかりを、まちづくりに関わってきた田北先生に伺う予定である。

参考:田上先生による発表資料(PDF)

2011年5月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2011年度第1回合同研究会

日時: 5月10日(火) 18:30~20:00
場所: 文学部・心理学演習室
話題提供: 箱田裕司 先生
「進化心理学と領域固有性・一般性」

出席者:教員6名、学生他15名

認知心理学の立場から、認知心理学と進化心理学は、同じ頂(解明すべき問題)を目指してそ れぞれ山の反対側から登ってきて、出会ったのだという見解が示されました。人間の心(脳)は、特定の領域を対象とした作業に特化した複数のモジュールから なるスイスアーミーナイフに喩えられ、こうした領域固有性の存在について、いくつかの事例をあげて説明がなされました。それぞれの領域固有な心の働き方に は、独特の癖(制約)があり、それらがダーウィン的進化の産物であることが指摘され、最後に先生自身の研究が紹介されました。ある画像を変化させたとき、 何かを元の画像に付け加えた変化と、何かを元の画像から削除した変化のどちらが気づかれやすいかという問題をめぐり、一般的に見られる付け加え変化の方が 気づかれやすいという傾向性が進化から説明できることが明らかにされた後、ネコと鳥の画像についてのみ、削除の方が注意を引きやすいという先生の研究の結 果が報告され、そこに感情的要因(哀れみ)が大きく関係していることが示唆されました。
その後の質疑応答では、最後の点についてとりわけ突っ込んだ議論が交わされました。

2011年4月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第1回研究会

2011年4月6日14時~18時 於:「子どもの村福岡」たまごホール

松﨑佳子先生(九州大学)
「地域における子どもへの支援 子どもの村福岡の試み」 

第1回は、松﨑佳子先生にご自身が関わってこられた「子どもの村福岡」が設立されるまでの背景や経緯、そして現在までの取組についてお話しを伺った。
まずは、社会的養護のなかで里親制度が着目される背景、制度的推移、養護形態の現状として、諸外国に比べて里親委託への関心と児童数が少ない日本の状況を 説明された。国連子どもの権利条約(1989)、国連「子どものためのオルタナティブ・ケア(代替的養育)ガイドライン」(2010)等の国際動向によ り、日本においても関心が向けられつつある。
児童福祉相談所ご勤務時代より関わっておられる、「子どもNPOセンター福岡」の「新しい絆プロジェクト“ファミリーシップふくおか”」のご経験をもと に、NPO法人「子どもの村福岡を設立する会」を設立、「子どもの村」(SOSキンダードルフ:1949年オーストリアチロル地方のインスブルグに設立) 日本支部としての動きとともに、「子どもの村」設立にむけた後援会等の組織、人材養成研修、地域住民の方への公開フォーラムやチャリティコンサートなどを 重ね、2010年4月の開村に至った。専門家(小児科医、精神科医、臨床心理士、社会福祉士、幼児教育家、保健師など)、企業(賛助、協力)、建築家(村 の家の建築設計)などによる企画、支援のための組織化はもとより、「子どもの村」を支える児童相談所、児童養護施設、医療機関等とともに、今津という地域 に子どもと養親が生活をしていくためには地域住民との共存は欠かせない。これまで徐々に時間をかけて築いてきた地域の自治組織や委員、住民の人々、福祉村 とのネットワークを引き続きあたため、今後につないでいく活動に取り組んでいる。地域の行事への参加等も重要である。現在、設立経緯を冊子にまとめている 最中である。
オーストリアの本部、またベトナム等の組織や取組の紹介もあり、今後の課題、方向性についての展望も示された。
育親(里親)になるために必要とされること、そのための研修、マッチング問題、実親とのつなぎ方の問題、行政機能との関係性等について、活発な質疑応答が 行われた。なかでも、学校との関係は非常に重要なポイントとなることは明らかである。「子どもの村」がどのように学校と連携していくかという方向のみなら ず、むしろ学校が、地域の子どもたちの多様な生活をふまえた学校・学級づくり、カリキュラム開発をはかっていく契機ととらえる方向性が示された。次回(5 月)はそのテーマで田上哲先生にお話しをいただく。

参考:松﨑先生によるパワーポイントの資料    感想集

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2010年12月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第5回合同研究会

日時: 12月22日(水) 15:00-17:00
場所: 教育システム「社会人演習室」
話題提供:土戸 敏彦(人間環境学研究院・教授・教育哲学)
       宮川 幸奈(教育システム・M1)

タイトル:「ダニエル・デネットの哲学的進化論」

参加者 教員4名 学生他13名 計17名

概要:ダニエル・デネット著『ダーウィンの危険な思想』をめぐって、 デネットの進化論的アルゴリズムの考え方を紹介し、彼の議論の 中で人間主体の超越性がどのような位置を与えられているかを中 心に、批判的な検討が行われた。
発表後のディスカッションでは、議論を最終的には遺伝子のレベル に落として考える進化心理学の傾向について、さまざまな立場から意見が交換された。
終了後、人環学際サロンで発表者を囲んでの懇親会が開催された。

研究会画像

2010年10月

「建築災害と生理・心理」 科学研究費補助金への申請

科学研究費補助金挑戦的萌芽研究に2件応募申請を行いました。

・生理・心理学的要因を考慮した建築災害の低減に関する研究
 清家規・光藤宏行・小山田英弘
・生理・心理学的要因を考慮した夏期の建築施工品質低下の抑制研究
 小山智幸・林直亨・光藤宏行

「人環の叡智で学校の危機を管理する」報告書の発行

2010年度前期に実施した「人環の叡智で学校の危機を管理する」プログラムの実践報告書(PDF)が発行されました。

2010年9月

九州大学大学院人間環境学府多分野連携プログラム「建築災害と生理・心理」
+(社)日本建築学会九州支部災害委員会
合同研究シンポジウム「建築分野における災害研究」

日本建築学会災害委員会と合同で研究シンポジウムを開催しました。

日時:2010年9月28日(火)14:30~17:00
場所:文・教育・人環研究棟2階会議室
対象:九州大学人間環境学研究院教員、(社)日本建築学会会員、災害研究を行う学生等

司会:九州大学 助教 友清衣利子
1.開会挨拶  九州大学 教授 前田 潤滋
2.研究報告
 1)自然災害時の避難と復興
  防災とヒューマンファクター
   九州大学 准教授 山口 裕幸
  豪雨による浸水被害からの復興
   九州工業大学 准教授 徳田 光弘
  玄界島の震災復興計画のあり方
   佐賀大学 准教授 後藤隆太郎
  第一部 意見交換
2)労働災害と現場環境、生理
  建設労働災害について
   九州大学 助 教 小山田英弘
  コンクリート品質に及ぼす建設作業環境の影響
   九州大学 准教授 小山 智幸
  高所作業における視覚情報処理について
   九州大学 講 師 光藤 宏行
  第二部 意見交換
3.総括   九州大学 教授 浜本 満

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第4回合同研究会

概要:
文学部の集中講義に来られた、東京大学・総合文化研究科・教授の長谷川寿一氏にお願いして、本研究会で研究を紹介していただいた。

タイトル:「こころの進化 ―人間はどのように特別なチンパンジーか―」
日時:9月8日(火)
場所:文学部2F・心理学演習室

内容:
遡って見ることのできない「こころの進化」をどのようにとらえるのか。霊長類との比較研究、発達・障害研究、文化比較を通じての普遍性の発見、進化理論に 基づく仮説検証研究などの方法論について紹介された後、特に第一の比較研究を中心に、チンパンジーとヒトに共通し他の類人猿には見られない特徴、ヒトには 見られるがチンパンジーには見られない特徴を手掛かりにすることによって、ヒトのこころの特徴が共同繁殖社会における適応の産物であることが説得的に提示 された。
その後30分にわたって活発な質疑応答が行われた。

出席者:
教員(本取組メンバーの箱田教授、土戸教授、谷口教授、坂元教授、橋彌准教授、浜本の6名に加えて、三浦教授、中村准教授、光藤講師ら多数。)および学生、合計33名。

研究会画像

2010年7月

「建築災害と生理・心理」建築現場見学会(博多駅)

学部と合同で,現在建設中の博多駅建築現場の見学を行いました。品質や安全に関して討論を行いました。

日時:2010年7月13日(火),20日(火)13:30~16:30
場所:博多駅工事現場
参加者:教職員9名 学生:(修士)15名,(学部生)67名,他大学2名

見学会画像 見学会画像

見学会画像

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第3回合同研究会

日時 2010年7月17日(土) 15:00〜17:00

場所 文学部棟2F比較宗教学演習室

テーマ 文化人類学からの理解と疑問—進化と文化のインターフェイスを考える—

発表者 (1)後藤晴子(文化人類学・博士課程) 「家族の作られ方」

    (2)清原一行(宗教人類学・博士課程)「宗教を生み出す心/宗教を生きる心」

    (3)浜本 満(文化人類学) 「進化のアルゴリズムと目的論的語り口」

参加者 19名(教員5名、学生その他14名)

進化心理学の外側から、進化心理学についての理解と疑問を提示する試みとして、今回は 文化人類学の3名による話題提供がなされた。(1)では1976年にアメリカの人類学者サーリンズによってなされた「社会生物学」批判を紹介し、家族、血 縁制度の領域で、進化心理学がカバーできる領域と文化人類学の議論との境界が考察された。(2)では、近年の文化人類学における進化心理学再評価のさきが けとなったボイヤーの研究を取り上げ、宗教的諸概念を人間が進化の過程で獲得した脳の情報処理系(推論システム群)の産物と見る見方を評価しつつも、そう した説明だけでは実際の生活や人生のなかでそれらの概念が生きられ、生活や人生を意味づけていく仕方の理解には不十分であることが論じられた。(3)で は、進化理論の強みである非目的論的アルゴリズムが、一種の比喩的な目的論的語りと並存していることの問題点について、進化心理学が文化的制度の説明にお いてしばしば陥る議論を例にとって論じられた。その後の質疑応答では、生態学的説明の性格についての確認や、目的概念について、哲学的な立場からの進化理 論の理解についてなど活発な議論が展開された。

研究会画像

 

2010年6月

「人間環境実践知の構築」合同研究会

福祉社会学会のシンポジウムをふまえた合同研究会を開催しました。

日時:6月19日(土) 13:00~16:00
会場:教育システム専攻 社会人演習室
参加人数:40名(教員含む)

受講生によるレポート(予め全員に配布済み)を中心に、シンポジウムテーマである「小規模・高齢化集落(「限界 集落」)の現状と課題」を軸に、研究の前提、現状や課題のとらえ方、研究者の集落への関与の仕方、さらに、学際的な視野とは何か、社会と大学との関係はい かにあるべきか、等々の問題について、主に受講生を中心とした活発な議論がなされました。
さらに、後期の「『動的』指導体制」(昨年から続く)、およびインターネットを利用した議論の案内をし、引き続き、学際的なネットワークの重要性を確認し ました。それは、専門分野を超えた自由な語らいの場をつくり、他の研究者、他の専門分野の意見に触れ、触発され、自分の思考の枠組を揺さぶられ、自らの課 題に向かい直すエネルギーに転換するという、いわば「知の共同体」を楽しむ空間です。
実践知の構築もまた、そうした自由な発想と動的な関係を大学のなかにつくりだしてこそ可能になるのではないか。このようなことを確認してひとまず散会した次第です。

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第2回合同研究会

日時 6月5日(土)15:00-17:30

場所 教育心理棟2F 心理学演習室

話題提供 坂口菊恵 先生(東京大学教養学部附属教養教育高度化機構・助教)

タイトル 「男女関係を進化心理学で考える」

参加者 26名(教員5名、学生他21名)

話題提供概要 ヒトの性行動や男女間の葛藤について進化心理学・内分泌行動学のパラダイムで検討を行ってきた。 なぜそういった研究を志すに至ったのか自己紹介をかねて述べ、進化心理的なアプローチのユニークさについて論じる。次に、発表者がこれまで行ってきた研究 内容の概要と、関連する著名な先行研究を紹介し、こうした研究成果を一般社会に伝える際に生じる問題点について述べる。さらに、昨年著書「ナンパを科学す る」を出版した際の経緯と、出版社・マスコミ・一般読者の反応を紹介する。最後に、進化心理学はこれからどこに向かうのか、展望と懸念について論じたい。

研究会概要 著書「ナンパを科学する」(東京書籍)の内容を中心に、遺伝的にコードされた、ヒトにおける二つの 異なる配偶戦略について、最先端の進化心理学・内分泌行動学の見地から説明がなされた。これについて参加者から文化的制度との関係、ジェンダー・アイデン ティティ、意識などとの関係などについて突っ込んだ質問がなされ、予定時間を超えて活発な討論が行われた。また、研究会後、講師の坂口先生を囲んで懇親会 が開かれた(参加者8名)。

2010年5月

「人間環境実践知の構築」研究会

福祉社会学会のシンポジウムに参加しました。

日時:5月30日(日) 13:30~16:30
会場:101教室(九州大学 箱崎文系キャンパス)
司会:杉岡直人先生(北星学園大学)
報告者:
1.過疎高齢者の生活構造と社会参加活動   高野和良(九州大学)
2.小規模・高齢集落の高齢者と地域福祉-長野県泰阜村の高齢者生活調査から-
                     小磯明(日本文化厚生農業協同組合連合会)
3.『生活農業論』と『T型集落点検』    徳野貞雄(熊本大学)
討論者:永井彰(東北大学)
参加人数:40名(教員含む)

シンポジウムの趣旨は、人口減少社会、縮小型社会の「縮図」としての小規模・高齢化集落(限界集落)の現状と課 題を確認した上で、「限界」「消滅」といった一面的な見方ではなく、農業経済的な視点では見落とされてきた生活の場としての集落を維持するために必要な方 法論を検討するものとして企画されたものです。上記の三人のシンポジストによる報告をもとに、集落の維持を可能にする条件と、それらを支える具体的な方法 論について検討がなされました。
シンポジウム開始前に、多分野連携プロジェクトの趣旨を説明させていただきました。シンポジストの先生方の熱意あふれるご発表に、参加者一同感謝いたします。
受講生は、この議論をふまえたレポートを6月9日締め切りで提出、合同研究会に備えました。

「異分野交流・学際教育研究の促進される大学キャンパス」打ち合わせ(26日): 第一回目の会合を行いました。

2010年4月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第1回合同研究会

日時 4月24日(土)13:00-15:30

場所 教育心理棟2F 心理学演習室

話題提供 橋彌 和秀先生

タイトル 「進化心理学前夜 -ダーウィンの自然淘汰理論と20世紀におけるその展開-」

参加者 25名(内訳:学生他19名、教員6名)

ダーウィン以降の進化理論の展開、とりわけハミルトンの包括適応度の概念、血縁淘汰の理論、その後のメイナー ド・スミスらによるゲーム理論の導入などによる、一大革新について分かりやすい説明がなされ、その後、進化心理学の主張と、他の人間諸科学の主張との関係 をめぐって学生からの質問も交えて、予定していた時間を超えて活発な議論が交わされた。

研究会終了後、教員のみで集まって、今後の研究会の日程や進め方について意見交換があった。

 

「建築災害と生理・心理」第1回ワークショップ

当プログラムのキックオフミーティングとして,担当教員各自の研究テーマの紹介と討論を行いました。

日時:2010年4月15日(木)12:30~14:30
会場:工学部建築学科2番講義室
司会:小山智幸
参加者:教員8名,3名

1.開会
2.担当教員の研究テーマ紹介(五十音順,*はコーディネータ)
  空間システム専攻(建築施工学)        小山田 英弘
  都市共生デザイン専攻(強風防災)      友清 衣利子
  空間システム専攻(建築生産学)        蜷川 利彦
  行動システム専攻(身体適応学)        林  直亨
  都市共生デザイン専攻(強風防災)      前田 潤滋
  行動システム専攻(知覚心理学)        光藤 宏行
  行動システム専攻(集団力学)          山口 裕幸
  都市共生デザイン専攻(災害情報管理学) 清家 規*
  空間システム専攻(建築材料学)       小山 智幸*
3.ディスカッション
4.閉会

 ワークショップ画像1 ワークショップ画像2