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実施予定・報告

実施予定

「統計・社会・教育―19世紀道徳統計論史から」

多分野連携プログラム「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて ~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」
日時:2019年3月14日(木)16:00~18:00
場所:伊都キャンパスイースト1号館2階 学際研究・教育コーディネータ室(E-A-213)
報告者:山岸利次(宮城大学)

 

 


実施報告

2019年2月

共生社会のための心理学
「共生社会とコミュニケーション」
日時:2019年2月18日(月) 13:00~16:00
場所:九州大学伊都キャンパスイースト1号館A棟1階プレゼンスペース
出席者:27名(内、教員7名、報告者9名)
光藤准教授、古賀准教授、池田准教授、内田講師、金子准教授、小澤准教授、當眞教授

最初に、光藤先生より、趣旨説明がされた。
ミニシンポジウム「共生社会とコミュニケーション」は、人間環境学府の学際的な取組の一つとして行っており、心理学を専攻とする者同士で、専攻・コースを超えた繋がりを深めて欲しいという期待が述べられた。

ミニシンポジウムは、前半13:00~14:00と、後半14:30~15:30にポスターセッションの形式で行われた。前半の発表者の氏名・専攻、テーマと概要は、以下のとおり。

茶谷研吾(行動システム専攻心理学コース)
テーマ:微細な表情のコミュニケーション -目が笑ってないことに気づけるのは何故か-
研究テーマは、「微表情」。この表情は、日常生活の中で表出しているが、通常は気づかれにくい。ただ、意識的に気づくことはできないだけで、その情報を利用しているのではないかということを実験的に検討した。

久保昂大(行動システム専攻健康・スポーツ科学コース)
テーマ:スポーツ選手の感謝と組織市民行動の関係について
感謝されることと組織市民行動が、チームスポーツにいかに影響しているのか。先行研究のまとめと仮説を発表した。

荒川美沙貴(実践臨床心理学専攻 2年)
テーマ:社会的養護当事者が自らの経験を公共の場で講演するプロセスにおける心理的体験の検討
社会的養護で育った人が、成人した後、当事者講演を支援者向けに話す際の、講演者自身の体験のプロセスをまとめた。

後藤凜子(行動システム専攻心理学コース 修士課程2年)
テーマ:活力あふれる職場とは?―職場集団における対人相互作用に着目して―
産業組織心理学という領域で、実際に働いている人や組織を対象とした研究。ワーク・エンゲージメント(WE)に焦点を当てて、集団やチームのなかで働くことによって、WEがいかに変動するのかを明らかにした。WEは、従来、モチベーションなどとして捉えられてきた概念に、さらに人々のポジティブな感情や健康状態を加味した新しい概念である。

榊原有紀(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士課程2年)
テーマ:統合失調症者の余剰現実世界とコミュニケーション
報告者自身は、精神科臨床に携わっており、統合失調症者と関わってきた。独得の世界観を持つため、関わりが難しいと思われる場合もある人々とのコミュニケーションを紹介し、統合失調症について理解を深めたい。

後半の発表は、以下のとおり。

雷陽(行動システム専攻心理学コース)
テーマ:清潔行為と罪悪感
身体化認知とは、情動、判断や思考など、高次な認知処理が感覚や動作といった身体の働きを基盤にしているという認知理論の一つである。身体に清潔行為を行うとき、罪悪感が減少する研究は従来なされてきたが、物に清潔行為を行う研究はまだない。本研究は、物に清潔行為を行うとき、罪悪感が緩和されるかどうかを検討した。

田中将司(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士後期課程2年)
テーマ:LGB当事者の語りによるアイデンティティの交差性への一考察
性的志向マイノリティとされるLGB当事者のアイデンティティについての研究を行った。特に交差性、すなわち社会的アイデンティティと性的志向アイデンティティが交わってどのような評価や態度を本人が持っているかを検討した。70年代の男性にインタビューを行った結果から一考察を行った。

森 陽平(実践臨床心理学専攻 専門職学位課程2年)
テーマ:友人の自傷行為と向き合う
研究テーマは、自傷行為の支援。近年着目されている、友人を介して大人につないでいく、つなぎかたのプロセスを検討した。

丸山明子(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース 博士課程2年)
テーマ:発達障害者の就労とコミュニケーション
臨床で発達障害者と関わってきた経験を踏まえて、研究テーマとして自閉スペクトラム障害の就労支援を検討した。ASD当事者が社会と繋がりつづけ、働き続けるためにどのような思いをし、どのようなことを考え、そこから何を得ていったか、インタビュー調査でまとめた。

 
2019年2月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会
テーマ:「認知宗教学の可能性:宗教・道徳的信念に関する文化的・発達的視点」
日時:2019年2月8日(金)16:00~18:30
場所:九州大学伊都キャンパスイーストゾーン イースト1号館A棟A105
出席者:教員5名(橋彌准教授、Vickers教授、山本講師、飯嶋准教授、Sevilla准教授(基幹))、学内15名、学外3名(東京大学、京都大学、九州女子大学)

企画:
九州大学人間環境学研究院 特任助教 中分遥
九州大学人間環境学研究院 准教授 橋彌和秀

概要
宗教に関する研究は、古くから人文社会科学において行われてきた。認知宗教学 (Cognitive science of religion) とは、近年の認知科学・神経科学によって理解が深まったヒトの行動や知覚のメカニズムに基づき「宗教とよばれるヒトの持つ文化現象」に関して科学的に研究する学問であり、フィールド研究や実験研究、儀式や神話のデータアーカイブを用いた研究が盛んに行われている。ジンポジウムの冒頭で中分(九州大学・人間環境学研究院)が認知宗教学のアプローチを簡単に紹介した、認知宗教学に関連し3人の異なる研究領域・目的をもったゲストが公演した。

1. 宍戸俊悟(奥出雲町教育委員会)地域実践者

表題:CODAMA: Citizen Oriented Digital Achieve of Mythology and Anthropology 共同発表者:佐藤鮎美(島根大学人間科学部)
地域実践者と研究者が協働で行う「神楽や神話といった文化遺産のデジタルアーカイブ化プロジェクト」であるCODAMA (Citizen-Oriented Digital Archive of Mythology and Anthropology)について説明した。特に具体的に神話の聞き取りをおこなう過程や、成果にもとづく観光利用の実施、そして郷土教育に関して現在行っている活動を紹介し、地域実践者と研究者の協力が双方にとって利益をもたらすことを指摘した。

2. Mark Stanford (University of Oxford) 社会人類学者

表題:‘Great’ and ‘Little’ religious traditions sustain complementary dimensions of moral psychology: Evidence from Burmese Buddhists
ミャンマーにおける信仰のあり方がどのように道徳に影響を及ぼすのか、質的なフィールドワークと量的な実験を組み合わせたアプローチについて紹介した。宗教学における「大きな伝統」に相当する仏教とnatと呼ばれる神を信仰する「小さな伝統」があり、これらの伝統はそれぞれ異なる道徳的側面を持ち相互に補完し合っていることをフィールド調査・実験によって示した(「大きな伝統」はより社会全体に対する協力、「小さな伝統」は家族に対する協力を強化)

3. Rohan Kapitany (University of Oxford) 心理学者

表題:The Child’s Pantheon: Children’s Hierarchical Belief Structure in Real and Non-Real figures
「幽霊・サンタクロース」といった架空の存在に対する信念の発達的変化する過程について述べた。実験では、「幽霊は本当にいるのか?」といった質問を、実在する人物(芸能人)、文化的キャラクター(サンタクロース・歯の妖精)、物語のキャラクター(アニメーション映画の主人公)について尋ねた。その結果、年齢が上がるにつれて物語のキャラクターに関しては、実在しないとする回答が増えたが、同じように架空の存在である文化的キャラクターに関しては比較的存在するという信念が維持された。これらの信念の維持は、サンタクロースや歯の妖精が実際にいるかのように振る舞う「儀式」が関わっていることを議論した。

総合討論:
会場には心理学、倫理学、宗教学、教育学、人類学といった多彩な研究者からの質問があり。心理学的研究におけるフィールド調査の意義、今後の地域実践者と研究者の可能性に関して議論が行われ、宍戸氏がさらなる協働の可能性について議論した。また、研究に関しては倫理学や人類学の観点からコメント・質問があった。倫理学の観点から、これまで心理学における道徳理論として道徳基盤理論が存在しており、その文化普遍性に疑問を持っていたが、Stanford氏らが用いた道徳理論はフィールド調査等に合致しており、実証的な道徳理論に人類学の観点からオルタナティブな主張がでることを歓迎するコメントが寄せられた。また、Kapitany氏が研究で用いた「儀式」の操作的な定義と、これまで人文社会科学で用いられた「儀式」の定義の違いなどが議論され、認知宗教学の実証的の知見が伝統的な宗教学や文化人類学にどのような影響を与えることができるのか議論された。

 

 

2018年11月


多分野連携プログラム「災害と学校」
『熊本震災に学ぶ』
日時:2018年11月22日(木)15:00~16:30
場所:コミュニティラーニング・スペース(イースト1号館2F)

出席者:教員(元兼教授、南 教授、神野教授、田北講師、志波助教)、学術協力研究員(藤原)、学術研究員(大森)、その他院生・学部生等、計30名(報告者含む)

報告者:元兼正浩教授、神野達夫教授、五通康形(空間システム専攻 修士課程1年)、河崎 生(空間システム専攻 修士課程1年)、原北祥悟(教育システム専攻 博士課程3年)、木村栞太(教育システム専攻 博士課程2年)、鄭 修娟(教育システム専攻 博士課程2年)

冒頭で研究代表者の元兼先生より、多分野連携プログラム「災害と学校」について、これまでの経緯と主旨説明がなされ、次いで、本日の流れについて説明された。前半は神野研究室、後半は元兼研究室による報告がなされ、それぞれに質疑を受け、最後に総括討論が行われた。

建築学の視点からの報告
神野達夫 先生
研究室で一連の研究として取り組んでいる「阿蘇一の宮における特徴的な地震動はなぜ生じたのか」という講演のテーマとその概略が紹介された。熊本地震の実態については、2016年4月14日と4月16日に熊本県益城町で地震が2回発生し、通常、16日が本震と呼ばれる。人的被害としては、関連死を含めて267名が亡くなり、建物の被害としては、全壊8,673棟、半壊34,726棟、さらに、一部損壊162,499棟である。この地域は、沖縄トラフによって、南南東方向に地面が動き、さらに、フィリピン海プレートの潜り込みで西に向かって動いた。そのため、中央あたりに南北方向に引っ張られる力が生じ、この力が限界に達した結果が、今回の地震であるとの説明がなされた。
結果として、1981年以前に建設された旧耐震基準の木造の建物には、大きな被害が生じた。一方、2000年以降に建設された新耐震基準の新しい建物については、比較的被害が少なかった。学校校舎の被害については、中学校の渡り廊下が奥行き方向に傾いており、旧耐震の建物であると思われる。さらに、2階の棟が傾いている。
次に、研究対象である阿蘇神社は、国の重要文化財の楼門、拝殿が完全に崩壊した。被害があったのは、この二つの建物のみで、周辺の建物や社務所には被害はなかったことが大きな特徴である。地震の観測記録によると、‘3秒’のところに非常に大きなピークがあり、地震動として想定されている揺れをはるかに超える揺れが3秒後に生じていることが判明した。このような地震は、過去にあまり例がない。今回は、なぜそれほど大きい3秒振が生じたのか、この記録は、阿蘇神社から1.8km離れている地点の記録であるが、阿蘇神社でも同じ揺れがおきたのか、なぜ阿蘇神社の拝殿は、これほど壊れたのか、以上の点について報告したい。

五通康形(修士課程1年)
上記のテーマについて、‘地盤からのアプローチ’を行った。観測点の地盤がどのような特性をもっているのかを表わす、地盤振動特性に着目した研究である。本研究では、観測点で地震動がどのように増幅されたのか、地盤の構造を推定することによって調べた。具体的には、地盤の構造を把握するため地震計を3つ配置した微動アレイを用いた。この微動探査は、簡便で安価に行える観測方法であり、9個の微動アレイを用いて調査を行った。その後、記録した微動データから位相速度を算出した。地盤の構造から位相速度を計算することができるが、今回の調査では、位相速度が一致しているので、信頼性は高いと考えられる。
以上、地盤特性から考察すると、阿蘇一の宮の強震観測点は周期‘3秒’を増幅する地盤を持つという結果が得られた。

河崎 (修士課程1年)
次いで、‘震源からのアプローチ’を行った。地震動を評価する方法としては、半経験的手法を用いた。具体的には、過去の中小地震の観測記録を用いて、大地震を推定する。すなわち、大地震の断層面を小地震の断層面で分割して、小地震の記録を適用する。面積が同じでも滑りが異なるので、滑りを補正した上で合成する。このように、一様ではない滑りの分布を示したものを断層モデルという。研究では、特性化震源モデルという、震源断層面上ですべりの特に大きい部分を強震動生成域でモデル化し単純化したもの(A-model)を用いた。
結果として、波形を確認していくと、波形の周期が約3秒であるということが明らかになった。フーリエスペクトルとは、どのような波でも複数の波の組み合わせでできているとして、それを整理したものである。この加速度フーリエスペクトルからも、周期が約3秒のところで卓越していることが確認された。すなわち、震源から地震動が出た時点で、周期約3秒の成分を含んでいたということがわかる。五通さんの研究結果と合わせると、周期約3秒の成分がさらに地盤によって増幅されたという結論になった。

質疑応答
「周期‘3秒’」に質疑が集中した。
今回の研究は、‘3秒’を引き出したのではなく、‘3秒’を前提として行った研究なのか、震源の段階で‘3秒’ということは事前にはわからなかったのか(いずれも南先生)という質問に、神野先生からは、震源周囲のさまざまな観測点の記録を震源モデル、断層モデルを適用した結果から、阿蘇をシュミレーションすると、ⅰ)周期‘3秒’の振動が震源の段階で発生したこと、ⅱ)地盤特性から阿蘇という地点で大きく増幅されたことが明らかになったと回答された。また、「周期‘3秒’」と新耐震の学校校舎の被害の関係についての質問(志波先生)には、新耐震基準の建物には影響しないと回答された。

教育学の視点からの報告
元兼正浩 先生
「熊本地震における<学校再開プロセス>の記録化と活用」という研究テーマとその背景、動機が紹介された。まず、背景として学校の危機管理に関しての研究はこれまでにもあったが、熊本地震においては学術的知見が活用できなかったという反省がある。
本研究では、(1)危機発生時の初期対応、(2)避難所経営、(3)学校再開までを<学校再開プロセス>と位置づけて、当時の記録と記憶を渉猟し、リスクマネジメントに活用するという研究目的が示された。
東日本大震災(2011)のときは、教育学会関係者も重く受け止め、学校再開のプロセス研究が展開された。しかしながら、2016年の熊本地震の際に学校がそうした蓄積を活用できたかというと必ずしもそうならなかった。逆に、役に立つ情報がなかったという現実があった。これにはいくつか理由があり、一つには、地震は、発生時刻により危機の実態が異なるということがあげられる。熊本では、夜間に発生したため、避難所となった学校の施設責任者として、管理職のリーダーシップのスタイルが問われた。また、熊本地震の発生時期が年度初めであったため、学校の管理職と地域との関係の在り方が課題となった。結果として、校長自身のポテンシャルだけで対応しなければならなかったという問題があった。また、熊本地震の特徴として、軒先避難が多かったということがあげられる。以上のように、これまでの知見とは異なる点が確認された。
その一方で、熊本地震はマスメディアの報道も少なく、すでに鎮静化しているともいえる状態である。しかし、これまで、研究室では学校の危機管理について継続して研究していたこと、また、九州、福岡という立ち位置からすれば、九州大学としては、この問題を放置すべきではないとの研究の動機が説明された。

原北祥悟(博士課程3年)
はじめに、熊本地震による被害状況について報告する。今回の地震は、震度7の地震が28時間以内に2回発生し(観測史上初)、断続的な余震の影響から、車中泊を選択する被災者が多数いたことから、避難者の実態把握が困難であった。また、益城町に被害が集中したため、地震による被害に「局所性」があったといえる。次に、学校に焦点を当てると、公立学校の394校(66%)が被災しており、同時に公立学校の223校(37%)が避難所となった。
次いで、教育学における震災研究の共通点と課題について、日本教育行政学会、日本教育学会、日本教育経営学会の先行研究について報告された。まず、日本教育行政学会では、子どもたちをリスクから守るために、学校・教育委員会・自治体は何をなすべきか、教育行政・教育行政学が取り組むべき課題を探ることが課題として挙げられている。次に、日本教育学会では、日本社会全体の中で教育をめぐって何が変わったのか、というところに主たる関心がある。日本教育経営学会は、学校の動きがインタビューなどで記録にとどめられている。三学会の共通点は、震災後の課題を提示することに焦点が当てられていることである。また、記録することの重要性を認識した上で、研究者の社会的使命として記録化を実施している点も共通点に挙げられる。一方、課題としては、記録が避難所運営や学校災害時の問題に傾斜しており、初期対応に関する記録が不十分であったことがあげられる。また、記録をアーカイブするということにとどめられており、今後、この記録を、研究者がどのように解釈するかが課題として挙げられている。
したがって、本報告では、初期対応にも焦点を当てながら、<学校再開プロセス>全体を記録、検討していきたいと考えている。具体的な調査の概要としては、特に震災の被害の大きかった熊本市東区に加えて、益城町の小、中学校の管理職と教育行政へのインタビュー調査を実施した。
続いて、初期対応についての検討に移る。本報告では、<学校再開プロセス>を5月10日までに設定している。なお、現実には学校再開について再三見直しが行われたが、その背景には、通学路の確保など、児童生徒の安全をめぐる項目などをクリアするのに時間がかかったということが要因として挙げられている。具体的な初期対応における課題としては、1)管理職の職住近接(職場と住居の近接状況が初期対応に影響する)、2)体育館など学校施設の鍵の管理体制、3)教職員・児童生徒への連絡体制の構築(安心メールを早期に登録させておくことが必要。また、職員への連絡では、LINEなどのアプリが有効に機能した)、4)備蓄量の不足(水害のための備蓄は行われていたが、量が不十分であった)、以上の4点が指摘された。

木村栞太(博士課程2年)
続いて、避難所が開設されてから授業再開までの過程の検討を行う。具体的には、授業再開までの避難所運営の機能的変遷として、第一期から第三期までに区分した。第一期:開設直後の避難所運営体制の構築に取り組む時期(教育機能の一時休止、支援物資の受け入れ作業)、第二期:避難所運営の円滑化に取り組む時期(外部の避難所運営の支援団体が学校支援に来る)、第三期:学校再開に向けて最終調整する時期(教育委員会と学校、また学校間の連携を通して、どのような学校再開をしていくのか、ハード・ソフト両面から教育活動の復旧作業)。
その結果、授業再開に向けた5つの課題が析出された。具体的には、1)教育施設の被害状況の管理、2)学校再開に関する調整業務、3)転出入など被災に伴う児童・生徒情報の管理、4)教職員の勤怠に関する事務処理、5)児童生徒の通学方法の確保に関する業務である。
考察としては、まず、危機対応(有事)における教員の専門性について検討した。学校とは、本来、教育を行う場であるが、有事においては、社会福祉を担う場として機能する。その結果、避難所運営を取り巻く条件整備の主体は、形式的には一般行政にシフトするのだが、実質的に教職員が主体とならざるを得ない。課題として、教員は、地方公務員と教育者として二つの役割を持ち合わせているがゆえに、有事における負担や責任が無限定に拡大するという現実がある。ここから導き出される示唆として、他の専門家(集団)との協働の必要性があげられる。すなわち、避難所運営において、教員が果たすべき役割とほかの専門家集団に委嘱すべき業務の明確化が必要である。すなわち、教職員には、外部支援の受け入れを判断する能力が今後求められてくる。外部団体の支援受け入れについての事例をあげると、益城町のF小学校の場合は、校長の自発的な働きかけのもと、外部団体の潤沢な支援の受け入れに成功した。しかしながらその結果、F小学校と他の学校との間に支援の格差が発生するという事態が生じた。今後の課題といえよう。

修娟(博士課程2年)
次に、データの取り扱いに関する考察に入りたい。今回の研究では、当事者のインタビューだけではなく、当時の出来事が記載された‘記録’として教員個人のメモや日誌を収集し、当時の先生方の記憶を掘り起こす作業を試みた。個人の‘記憶’という観念には、過去の出来事について当事者だけが記憶に近づくことができ、再生することができるという共通理解が前提となる。記憶は過去を「保存」し「再生」することではなく、現在の視点から過去を「再構成」するという行為である。特に今回の報告で対象としている学校の管理職は、様々な集団のなかに身を置く立場にある。管理職の持つ記憶は、その当時の社会的事情や要請によって規定される管理職像に影響されながら、再構成されている可能性が高い。これは、震災が起きた直後、学校の責任や管理職の役割が大きく問われる初期段階において特に重要であり、大きな説得力を持つ。
ここで、集合的記憶と個人の記憶の関係を念頭に置けば、震災後について語られる個人の記憶は、ある意味で多様なバイアスがかかる恐れがあり、それをできるだけ除去し、そのときの記憶を可能な限り保存しておく必要があると考えている。そこで、個人が残している当時のメモや日誌を収集し検討を試みた。従来の先行研究では、メモや行政資料、当事者の語りを一次資料として取り扱い、それをアーカイブし記録化することによって、最終的に知見を析出して社会に情報を発信する枠組みで研究がなされてきた。今回の研究では、従来の一次資料をさらに、一次資料(メモや日誌)と二次資料(行政資料と語り)に分けて、知見の析出を試みた。
震災直後のA中学校の校長のメモの分析によると、一次資料は、事実や意思決定に関するメモが残されている傾向がある。その場で何を感じたかという点では、より多くの情報を含んだ資料といえる。もう一つの事例として、C小学校長が残したメモの分析を踏まえると、具体的な校務に関する細かな問題や個人の感情は、インタビュー調査では引き出せなかった情報であることが明らかになった。すなわち、メモや日誌だからこそ見つけ出せる事実であるといえる。
以上のように、震災研究における調査デザインは、「記憶」から「事実」を聞き取る際のバイアスが存在するという限界があることから、今後は、「どのように語られたか」までを記述の対象とするなど、アプローチの方法を再検討する必要がある。そのためには、一次資料を調査協力者とともに振り返ることなど、今後は、追跡調査を行っていく必要もあると考えている。

元兼正浩先生
本報告の成果と課題として、先行研究で手薄と言われていた初期対応については、情報が少なく、「記録’」と「‘記憶’」両方の面から収集が困難であった。なかでも、「記憶」から事実を聞き取る際のバイアスの存在は悩ましく、調査に入ること自体がバイアスをかけているといえる。特にインタビュー調査を多く受けた校長は、すでに作られたストーリーを語ってしまう。すなわち、記憶の再構成をどのように扱うかが課題であるといえる。忘れがたいが語らない(語れない、語りたくない)という被災者個人の感情を考慮すれば、研究者が入ること自体が暴力的な形になる。研究の距離感と倫理性をどう考えるかは今後の課題である。
熊本の場合は、震災以降、記憶をいかに可視化するかという議論が行われておらず、特に学校現場では、すでに被災時の状態が語られなくなっているという状況が生じており、至急、研究を纏める必要性を痛感している。

質疑応答
田北先生からは、ご自身のご経験からの意見が出された。
まず、初期対応を学校が抱え込むのではなく、初期に地域の人と関わりあう状況をどうやって作れるのかが重要である。報告されたような管理職の職住近接、学校・施設の鍵の管理を地域の人に依頼すること、避難所を地域の人がマネジメントするなど、学校の管理職が担うべきところと、地域のリーダーが担うべきところがあるが、学校の教職員がストレス、コンフリクトに感じるところは、地域とのつながりであり、地域住民の役割が明確になれば、そのストレスが緩和されると述べられた。
現実には、ボランティアの受け皿は、社会教育であるボランティア・センターが担っており、役場と社会教育が連携して、いかに学校に外部団体を送るかが重要になる。
次に、一次資料の活用については、当事者の語りを位置付けるという意味では、あり(有意義)だと思う。サポートした人達が客観的に捉えて語れるという可能性がある。今後は、学校関係以外の人達を知恵の蓄積にいかに関与させるかが、重要なポイントになると述べられた。
これに対して、元兼先生から、以下のように補足説明、および、意見が述べられた。
初期対応に関していうと、東日本大震災の経験が、熊本では必ずしも生かされていなかったのではないかという状況があった。年度初めで地域との関係性が作れていなかったことは大きかった。また、地域のキーパーソンが被災していて、頼れなかったケースもあった。学校は、避難所運営の主体ではないが、期待されてしまうということが現実の問題でもある。本来の姿といえる、地域が避難所運営を担い、授業再開に先生が専念できるようなバトンタッチができなかった。報告にあった第二期は、学校再開に向けて子どもたちを受け入れる準備をしなければならないが、教室を避難所に使用している場合は、文科省から被災者を追い出さないようにという通知もあり、現場は二重の板挟みにあっていた。教師の公務員役割と教育者役割をどう整理するかが課題である。さらに、田北先生からは、現実的には現場の教員が、避難所経営などの役割も担うことになることを地域に理解してもらうための訓練の必要性が述べられた。元兼先生からは、学校の危機管理のための教職員の研修が必要となると、働き方改革と逆方向に進んでしまい、教員の負担増になることから、今後は社会教育やボランテイア・センターまで調査対象を広げる必要性とその初期の記録化の計画があるとの回答がなされた。

総括討論
◇南 先生
‘記録’と‘記憶’という大きな視点で、二つの報告の接点を考えてみてはどうか。地震の発生は、熊本の場合、歴史的にどのくらいの頻度で起きているのか、自然界の記録というスケールで考えてみてはどうだろうか。

◇神野 先生
東北の地震や最近、懸念されている南海トラフの地震は、プレートの境界で起きる地震であるが、100年~200年くらいの時間間隔で起きる。短い場合は、数十年なので、一人の人が、その一生の間に2回経験することもあり、前の記憶が残っている。東北の地震は、100年くらいの間に何度も繰り返されているので、記憶の伝承ができる。逆に、熊本地震のような内陸活断層で起きる地震は、1000年に一回、あるいは一万年に一回という周期で繰り返されている。以前に、そのエリアでいつ地震が起きたかがわからない活断層は多くある。人間の一生や建造物の耐用年数で考えても、同じ建物、同じ人が、同じ活断層の地震を二度経験するということはかなりレアのケースである。熊本でこの規模の地震が起きたのは、何千年も前のことである。次に起こるのはそれほど近い将来ではない。そのため、活断層の地震の場合、記憶の伝承を考えていくのは難しい。だが、日本全体で見れば、どこかで何年かに一度は起きるので、それをいかに全国レベルで共有するのかが重要になる。東北の3.11の記録が熊本に生かされていないというのは、全国レベルでの共有化が不十分だったということの表れであると思う。

◇田北 先生
東北の場合は、津波を想定して、学校の位置を設定したり、建物を海岸線に向けて垂直に立てるなどしている。しかし、九州の場合は、学校だから避難所にするという程度の認識である。今回の報告に即して言えば、神社が倒れた原因が、特徴的な地震動が生じたことにあるのだとすると、その上に避難所があると危険だということである。専門的な知識から、大きな被害が起こるということがわかれば、そこに近い学校を避難所として設定することが危険だということは予測できる。

◇神野 先生
地震の分布や被害についての研究はあるが、現実にはその場所を避難所に指定しないということは難しい。そもそも、そこに学校を作るなということになる。しかし、学校は子どもの数がそれなりにいれば作らざるを得ない。そうすると、建ててもよいが、強度を高めるという方向に話が変わってくる。現在は、地域の地震動を精査して、学校を建てるというところまではいっていないが、将来的には一律の基準で耐震補強するのではなく、それぞれの場所の特性を把握した上で建物を建てて、基準をクリアしているから避難所にしてよいというようなプロセスが重要である。

◇志波 先生
ハザードマップはあるが、それを避けて学校を建てるということができない。どこまでそれを現実問題として扱えるのか。

◇元兼 先生
そもそも、学校は避難所としてふさわしいのかという議論があった。冷暖房などの問題はあるにも関わらず他に方法がなく、第一次避難所にならざるを得ない。ただ、学校建築が、どれほど避難所になることを想定して、体育館など設計されているのかの疑問がある。

◇志波 先生
基本的に学校は、一次的な避難所として想定されている。通常の建物の基準よりは、強く作られてはいる。

◇神野 先生
学校を避難所として使うということは、ある時期に、すなわち、学校再開に伴って閉鎖されることになることが地域の人に理解されていないというのは、問題の一つとしてある。学校は学校で、地域は地域で、別々に研修・教育が行われていても、お互い理解できないという状況が生まれている。実際に被害が起きたときには、地域と学校が一体になって進めていかなければならない。それぞれの教育が別々にされていることが、うまくいかない一因ではないか。地域と学校の防災教育を一緒にやると学校の立場を地域住民も理解し、地域の人が何を求めているかを学校もわかる。災害の現場で何が起きているかを皆で共有できることが重要である。

◇元兼 先生
熊本地震が1000年に一回という時間間隔であるとすれば、熊本だけにとどめるのではなく、いかに空間的に広げていけるかということを考えていかなければならない。建築の立場からは、熊本の傷口を残す方向性はないのか。神社は修復してしまうのか。神社は記憶を残すために良い場所だと思うが、阿蘇一の宮はそういう場所ではないのか。

◇神野 先生
断層がそこにあるとわかったのは、今回が初めてである。阿蘇は、カルデラで有名だが、火山灰が堆積していて、どこに断層があるのかわからない。今回初めて、カルデラの中まで震源断層についての議論ができた。今回のような大きな地震が起きなければ、わからなかった。

◇田北 先生
起こるはずはないと思っていた状況が、ここ何年かで起きている。記録とか記憶に頼れない現象が起きている。インターネットが普及したことで、記録と記憶の構造が変わってきた。それがどのように災害の記録と記憶に関わるのか。以前よりも記録が残るようになっているのではないか。

◇元兼 先生
ハザードマップを信じるなということか。記録と記憶があると安心してしまうという話か。

◇田北 先生
何が起こるかわからないという構えは必要だと思う。子どもは、通学路で一人のときにどのような行動をしないといけないのかを考えなければならない。想定外のことが起きたときにどういった対応をしなければいけないのかという教育を行わなければならない。記録や記憶に依存した教育ではない。想像を超えた状況に対応できる構えが必要である。

◇南 先生
むしろ、過去に頼るわけではなく、リスク、不測の事体に対応できる教育も必要だという意味ではないか。記憶する装置が、人間の脳からインターネットに取って替わられた。直接自分が知っているわけではなくても、ネットで調べると情報を使えるという形になってきた。

◇神野 先生
ネットは、人間の脳より多くの情報をとどめているという点でありがたいが、情報が多すぎるがゆえに、被災した混乱状況で一つ一つアクセスして、有用かどうかを判別するのは、大変難しい。
情報を平常時に再構築しておかなければ使えない。どこかで経験をした人の記憶のほうが、説得力があるのではないか。

◇田北 先生
どういった情報が必要なのかを考えて、得られた情報を再構築し、重要な情報を取り出すためのインターフェイスを研究することは可能性がある。

まとめ
まず、(ⅰ)研究の方向性に関する提案(①)、その後、(ⅱ)熊本地震の特殊性についての追加説明とその活かし方(②、⑨、⑩)、(ⅲ)学校を避難所にすることに関する問題点(③、④、⑤、⑥、⑦、⑧)、最後に、(ⅳ)記録と記憶の残し方、活用の方法(⑪、⑫、⑬、⑭、⑮、⑯)について、活発な意見交換がなされた。
最後に、元兼先生が以下のようにまとめられた。
情報をいかに知に昇華させていくかが重要である。「人間環境学の知見の構築」が多分野連携のテーマに掲げられているように、各専門分野の知識・情報・スキルをいかに知見に変換して、現場に届けるかを今後検討したい。今回の報告会をスタートアップの機会として、今後も研究会を進めていきたい。

今後に向けて
今回は、熊本地震の特殊性 、すなわち、「連続した2回の地震‘前震と本震’」、「‘周期3秒’の‘1000年に一度’の‘増幅された大地震’」、「局所的な被害」が確認され、研究分野を超えて共有されたこと、次いで、研究手法として「メモという個人の記録を一次資料」として、‘記録’と‘記憶’という視点で今後に生かす可能性がみえたことが成果といえる。
次に、研究会の形式として、外部講師による講演や対談などではなく、自らの研究をもとに他の研究分野の教員や院生に対して、院生自身が発表したことが、大きな成果といえる。
全く異なる分野の2つの研究室の発表は、感想文にも表れていたが、相互の知見の獲得はもちろんのこと、研究視点、研究方法の設定等、教員、および院生にとっても大きな刺激になり、研究意欲を高め、多分野連携研究を実感する機会となったことは大きな意義があるといえる。

今回、得られた知見、すなわち、2つの研究分野の‘記憶’と‘記録’を整理して、さらに他の研究室の知見を加えて、「災害と学校」の研究を進める必要があろう。

 

2018年11月

「遊びと洗練」研究会

テーマ:スピンオフ企画<学問における評価とは?>
日時:2018年11月21日(水)17:00~18:30
場所:九州大学伊都キャンパスE-A1階オープンスペース
出席者:飯嶋准教授、金子准教授、南教授、藤井准教授(インスティテューショナル・リサーチ室)、菊池係長(企画部評価係)、大森(学際企画室)、および院生等、合計12名。

多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第四回研究会を伊都キャンパスイースト1号館1階オープンスペースで行った。ゲスト講師として、インスティテューショナル・リサーチ室の藤井都百先生と企画部評価係の菊池美祐先生を迎えた。

冒頭で、飯嶋先生より、遊びと洗練の今年度の取り組みについての説明をいただいた。今回は、スピンオフとして「評価」をテーマとした企画を行った。前半は、教員として評価する立場、後半は、教員として評価される立場から議論を進めていく。

  • 金子先生「事の始まり」

まず、金子先生より「事の始まり」についてのお話しがあった。「事の始まり」は、人間性心理学会で、パトリシア・オミディアンという文化人類学者によるレジリエンス(しなやかさと強さ)という心理学的な手法を用いた、人類学調査についての著書” Reaching Resilience”を翻訳、紹介するという企画であった1。金子先生自身は、評価の章を担当し、統計的な心理療法、質問項目、効果の可否が論じられると想定していたが、予想に反して、統計的とは言えないような評価の仕方、その大雑把な評価に驚いた。近年では、前後での変化がとらえきれないような心理療法は下火になってきて、行動面に焦点を当てたもののほうがエビデンスがあるとされ、隆盛している。心理療法と統計の関係は、より密接になっているという。全てが統計で示せるはずがないにも関わらず、それに囚われている。評価とはなにか、科学的であるとは何かを考える機会になることを期待する、として今回の企画のきっかけと意図をご説明された。

  • 飯嶋先生「事の始まり」の補足

 そこで、「事の始まり」について、飯嶋先生から補足された。パトリシア・オミディアンの評価の仕方があまりに雑駁であることが、学会で話題になったのであるが、そこには2通りの解釈があるという。一つは、人類学者は数学を理解しておらず、有意水準・無意水準について、人類学者は無知であり、単純にパットもそれをやってしまった可能性(ネガティブな解釈)。もう一つの解釈は、人類学は数が一つの可能性でしかないことに気づいていて、細部まで記述するしかないと考えている。あえて、数で比較をしないという人類学者の態度の表れであるという可能性である(ポジティブな解釈)。例として、『ピダハン』という数詞が存在しない南米先住民についての研究が挙げられた2
金子先生の専門領域と越境する話題として、臨床心理学者カール・ロジャースと科学哲学者マイケル・ポラニーの対談がある。カウンセリングで有名なロジャースは、カウンセリングをどう科学的に評価したらよいか、に悩んでいた。それに対してマイケル・ポラニーは、科学が何かなんて気にしなくていい、科学者も科学が何かなんてわかっていないのだと応答したことがあった
3。人間が求めているのは、秩序感覚であり、それを知ることが使命なのだと4。しかし、ユニークネスを数値に還元しようとすること自体が、間違っている。人類学は根本的にユニークネスを求めているために、オミディアンのような境界的な仕事は、ambiguity(曖昧さ)が出てしまう。

  • 南先生「橋渡し」

 南先生からは、二つのトピックが提示された。まず、一つめのトピックは、目標がないと、どのようなルート(手段)を取り、それが目標地点に近づいているのかどうか判断できないという、ナビゲーションの問題である。例えば、自分がどこにいるのか、認知地図を描いてみると、個々人によって描かれる地図は異なるが、地図の正確さは、それ自体が目的ではない。それによって何が実行されるかによって「良い」地図の性質・特性は異なる。評価は、目標の関数であり、目標がないと決められないという点が指摘された。
二つめのトピックは、Tamara Dembo氏によって論じられた固有価値“asset value”と比較価値”comparative value”の視点である。
5Dembo氏によれば、人は、回復できない障害を負うと自分自身の価値がなくなるように感じてしまう。健康な状態に価値をおく人たちは、元の状態に戻れなければ、決して満足しない。しかし、第二次世界大戦の後に、障害を負った人が大量に生じた。障害を負った人々の満足を回復するためには、比較価値から固有価値に変わるしかないという。固有価値”asset value”とは、すなわち、「それしかない」価値である。障害を持つ人たちが価値を適応・修正(adjust)していく。戦争によって発生した大量の障害をもった人たちが、不適応で不幸せになり、その人たちを価値損失が取り巻く。それをどうやって転換するか、という解消策として、固有価値への適応が考えられるという点を提起された。

  • フリートーク

 その後、フリートークが行われた。

金子先生

  • ロジャースは、ビデオカメラをカウンセリング室に持ち込み、効果を見出そうとした。しかし、そのカウンセリング手法が道具としてどれだけ優れているか、が見いだされても、そのセラピストにどれくらいの能力があるかは疑問である。エビデンスがあるといっても、それはどれほどのものだろうか。
  • また、行動療法はよりエビデンスが高いと現在、言われているが、それ以外を求めて来る人がいる。同じ尺度でどちらの心理療法がよいか、という競争だけではなく、複数の立場の心理療法がある方が、人々の心に対応できるのではないか。
  • ロジャース自身、大学での自身の評価に悩んでおり、評価されるために業績を出さなければならないという面はあったが、基本的にロジャーズも外的な評価、数的な評価よりは、自分はこれが重要だと思うという内的な評価を大切にする信念は持っていた6

飯嶋先生

  • ロジャーズが外的評価を語るときは、やはり比較価値を持ち出さなければならなかった。価値評価だけでは人間はやっていけないということでもあると思う。限られたリソースの中で競争に巻き込まれていくというシチュエーションに社会的にはある。

金子先生

  • 統計的な部分より、付録の自由記述欄を読んで初めてわかること、おもしろいことがある。説得力、実践に意味があったかを直感的に理解するためには、数字はインパクトがないと感じるときもある。

南先生

  • 固有価値”asset value”と比較価値“comparative value”は別々ではない。例えば、医者に行くときに、その個人の固有価値に惹かれるというよりも、治るかどうかを考えており、その時に数字が効いてくる。そこで、際立った人が見えなくなっていく。今や臨床心理学はエビデンスを言わないと社会的に評価されず、むしろその傾向は、加速している。しかし、これは臨床心理学の固有性“asset”、ユニークネスを失ってしまうことになる。

金子先生

  • 固有性”Asset”を持つため、近づいていくためには、土台がしっかりしていないと働くことすらままならないということを考えると、比較価値”comparative value”の中に身を置いて大きくならないといけないという状況がある。

飯嶋先生

  • 金子先生の意見は、共通部分を身につけてからユニークネスを身につけたらよいのであって、最初からユニークでなくてもよいという主張だと思う。

南先生

  • 臨床心理学は、いくつかの心理療法が出てきたなかで、どれがいいかというところから始まっているので。どちらのほうが有効かということを調べなくてはいけなくなったのだろう。

飯嶋先生

  • 南先生の意見は、評価がいろんな味を薄めてきたという側面があるということだと思う。

金子先生

  • 評価一辺倒ではなくて、あるところまで振れ幅が行き着くところまでいったら返ってくるのでは。数的な評価だけでは不十分だという方向に徐々に変化していくことに期待したい。
  • 藤井先生「企画部企画課評価係の概要」

 会の後半では、企画部の先生方から、大学評価について、概要と実務についてのお話をいただいた。まず、藤井先生からは、大学評価の概要について、ご説明いただいた。
大学評価には、以下4つの、義務づけられた評価と自発的な評価がある。
1)「国立大学法人評価」:国立大学は、国立大学法人になった際に、「国立大学法人評価」が義務付けられた。
2)「機関別認証評価」:これも、国公私立大学に義務づけられている。
3)「専門職大学院認証評価」:国公立私立の専門職大学院に課せられている。
以上が法的に義務付けられたものである。
4)「外部評価報告書」:これは自己評価であり、自発的に行っているものである。

1)の「国立大学法人評価」は、毎年度ごとに実績報告書を文部科学省におかれた国立大学法人評価委員会に提出している。毎年度(現在は第三期)年度計画を立てて、達成度を評価している。掲げた目標・目的を達成したか、という観点で見る。これは、南先生の話にあったとおり、目標がないと評価はできないからである。もう一つの観点は、大学として必要な基準を満たしているかというもので、2)、3)の認証評価で用いられる。
PDCAサイクルの中に、大学の法人評価は基づいており、自発的に内部評価を行い、自ら問題を発見し、改善していく仕組みとなっている。大学の内部質保証を目的としたもので、悪いところがあれば改善し、良いところは維持していく。このような評価は、“健康診断”ととらえることができる。大学評価は、なぜ必要なのかと問うと、学生が入学しない、定員充足率が悪いという流れになりがちだが、そうではない。標準値よりどこが悪いか、を指摘するためのもので、大学評価は敵ではないということを理解していただきたい。大学としての予算を国から文科省経由で配分されているため、報告を行う義務がある。大学として取り組みが優れていれば、運営費交付金の傾斜配分がなされる。国立大学が慢心した経営をしないようにという目的をもったものでもある。

  • 菊池先生「企画部評価係の実務」

 大学内での企画部企画課の位置づけ、続いて評価実施体制についてご説明をいただいた。
企画部企画課は、大学全体をとりまとめる事務局のもとにある。企画部企画課の構成としては、企画部長、企画課長、課長補佐のもとに4係が置かれ、その一つとして評価係が配置されている。
企画部企画課で扱っている評価としては、以下の5つがある。
1)「国立大学法人評価」:6年間の中期目標・計画の達成のために毎年度、4年目終了時、中期目標期間終了時に達成度について、自己点検・評価する。

  • 「認証評価」:教育研究活動の質保証が目的。認証評価機関が評価を行う。
  • 「教員活動評価」:九大独自の制度。教員が自身の活動向上や部局の将来構想に役立てるもの。
  • 「内部質保証のための自己点検・評価」:年度計画の自己点検・評価を行うもの。
  • 「5年目評価、10年以内組織見直し」:九大独自。中期目標期間中の5年目に評価を実施している。

1)~4)が、評価係の業務であるが、実際に評価を行うところは、文科省や大学改革支援・学位授与機構及び学内に置かれた評価委員会等であり、評価係が直接評価するわけではない。評価係は橋渡し役をしており、それぞれの委員会の先生方に自己点検評価を行っていただく。
次に、学内の評価実施体制では、まず大学評価委員会があり、委員長は総長が務める。大学評価委員会では、部局からは全ての部局長が集まる。さらに、その下に専門委員会として、1)教員活動評価委員会、2)大学評価委員会、3)部局評価委員会(部局の自己点検や中期目標・中期計画を作成するため)が置かれている。

  • フリートーク

飯嶋先生

  • 「健康診断」という言い方は面白いが、「健康診断」に引っかかってしまうところがあったときが問題。教員たちは学生の知らないところで毎年毎年、評価項目として論文、委員会、科研の実績を報告するが、そのデータを総長から文科省へと上げる。この評価の仕組みは、ロジャーズと繋がっていて、限られたリソースをどう配分するかという論点に行き着く。興味深いのはそこまでいくと質的になっていて、数量では評価できない面がある。

藤井先生

  • 大学法人評価は、第一期で大学が示したものがあまりに定性的で、数量で示しにくい計画目標だったので、第二期では計画・目標の個数を減らすように指示があった。数値目標を掲げるようにという指示だったが、達成できるかどうかが明らかになってしまうため、大学としては、数値目標を上げにくい。
  • 各大学での数値目標をカウントすると、九大は他大学よりも少ないという結果が出た。大学によっては50を超える数値目標を掲げていた。年俸制教員(60歳以上は一年雇用)、テニュア教員の数の数値目標など。

南先生

  • 評価する側は、評価される側に恨まれるような関係が発生するが、実は評価する側は、守るためにやっている。文科省から大学を守るためにやっているという構造である。

参加者

  • 前半の議論で、ユニークネスや固有価値“asset value”がキーワードとなったが、大学評価においてはどのようにユニークネスや固有価値を図るのか。

藤井先生

  • 各大学の取組をアピールすることができる。例えば、九州大学では、29年度に共創学部の設置が認可され、30年度にスタートしたことをアピールした。

参加者

  • 修士課程の最初の研究で、目標が固まらないままデータを集めてしまい、それをどうやって評価するかで悩んでいた。想定していた結果が出なかったが、有意ではないことを知れた研究だった。こうなるはずだというロジックが組めていると、そうではないことが受け入れられた。

参加者

  • 前半で数を数えられない民族・ピダハンについての話があったが、他の民族と貿易をするときにだまされないのか?民族が滅びる要因とならないか。

飯嶋先生

  • 数に厳格だった古代マヤ民族も滅びた。必ずしもそれは因果関係ではない。

参加者

  • 現在、修士論文に取り組んでいるが、文化人類学の手法を用いて、インタビューを行っている。最初に質問や基準を設定するが、インタビューする中で、10人に1人は想定とかなり異なった答えをする人がいる場合、基準から大きくずれた一人をどのように扱うかに悩んでいる。

飯嶋先生

  • 補足すると、彼女は、血縁地縁を重視する老華僑と、友達を重視する新華僑との違いについて研究している。

参加者

  • 美術史を専門としており、現在、大学に所属していないが、外の目から見ると、大学が、外の文科省からの評価に答えようとしているのは、大変だと思った。
  • 美術品の評価の良し悪しは、どう決まるのか、が自身の大きなテーマである。あの人が言うことだから信じる、という目利きの評価に美術品の価値は評価される。

参加者

  • 大学のコンピュータの授業で、学生の状況は、パソコンのみで管理し、自分自身がコンピュータになったような気分になった。学生対応は、メールのみであった。そもそも評価とは何なのか、考えさせられた経験である。出欠を機械的に管理することに疑いを持たずに教員が入っていくことは、どういうことなのか。
  • asset valueをどうとらえるか。南先生は、固有価値と訳されていたが、資産価値という意味も含まれているのではないか。資産であれば、交換のなかで用いられる。資産価値にしても、比較価値にしても、どちらも交換のなかで自分がどういう価値があるのか、という視点を持っており、表裏一体の部分を見ていかないと危ない。「価値ではないもの」が見えなくなる。「価値がない/価値がある」だけになってしまえば、価値に絡めとられてしまう。

南先生

  • Tamara Demboは、英語ネイティブではなく、assetをドイツ語で考えていたのではないかと思う。日本語の固有価値という意味で考えたほうがよい。

金子先生

  • 数的な評価を与えることは、力を持っている。評価を「健康診断」と表現されたのは、示唆的で医者も高い倫理性がないとバランスがとれない。評価は、上下関係ではなく、町医者のように相談できる「健康診断」であるべきである。評価とセットでないといけないのは、倫理性なのではないか。

1 Omidian, Patricia O. and Team 2017 Reaching Resilience: A Training Manual for Community Wellness. Createspace Independent Publishing Platform.
2 エヴェレット,ダニエルL.2012(2008)『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』屋代道子訳 みすず書房。数詞に関しては特にpp.167-168参照。
3 Kirschenbaum,Howard & Valerie E. Henderson eds.1990 Carl Rogers Dialogues.Constable and Company Ltd. マイケル・ポラニーとの対談はpp.153-175で対談自体は1968年に公になっている。“let’s forget about science”の発言はp.159にみられる。
4 ポラニー、マイケル1985(1958)『個人的知識―脱批判哲学をめざして』長尾史郎訳 ハーベスト社。特に第3章「秩序」を参照。
5 Dembo, T., Leviton, G.L., & Wright, B. (1975). Adjustment to misfortune: A problem of social-psychological rehabilitation. Rehabilitation Psychology, Vol. 22, No. 1.
6 Rogers, C. R. (1964). Toward a Modern Approach to Values: The Valuing Process in the Mature Person. Journal of Abnormal and Social Psychology, 68(2), 160-167. 伊藤博・村山正治(完訳)(2001).価値に対する現代的アプローチ—成熟した人間における価値づけの過程 『ロジャーズ選集(上)』,誠信書房,206-227.

 

 
2018年7月

「遊びと洗練」研究会

テーマ:英語構造の発生と伸張
日時:2018年7月6日(金)17:30~19:00
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部棟1階Café Hako
出席者:教員(飯嶋准教授、金子准教授)、学術研究員(大森)、および院生、学部生等、合計10名。

内容:
多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第三回研究会を箱崎キャンパス文学部棟1階Café Hakoで行った。ゲスト講師として、放送大学客員教授の佐藤良明先生を迎えた。
当日は、悪天候のため会場までお越しいただくことが叶わず、会場でスライドを示しながら、神戸市内から電話を通じて講義を行っていただいた。
冒頭に、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』のカニの甲羅の講義を引き合いに出し、「言語は生きた世界の断片であることを文法構造から証明できるか」というテーマが提示された。
ひまわりの発生の動画を視聴し、植物の成長では、一つのパターンが変形を伴って繰り返されることが示された。2枚ずつ同じパターンの葉が発生し、ある時点で萼ができ、花びらが形成される。このような植物の成長は、一つのパターンが変形を伴って繰り返される英語文の成長と類似していると指摘がなされた。例えば、“I got it.”という英文には、動詞の前後に“I”と“it”が現れ、文が発芽している。詳細を並べて(〜が、〜に、〜を、〜で)、相手との関係を慮って述語を置く日本語とは、異なる文の構造である。
日本の英語教育では、5文型(S-V, S-V-O, S-V-C, S-V-O-O, S-V-O-C)を教えるが、この文法は日本独特のものであることが指摘された。5文型の認識は、個別の要素の数を重視し、OとCを異なる要素として扱っている。しかしながら、SVCとSVOに構造の違いはなく、ネイティブ・スピーカーにとっても違いを認識しにくい。そこで、全体を発芽の形で、左右に葉が分かれていくものとして定義する必要があり、そう捉えれば、5文型でなく1文型で済むという。
オットー・イエスペルセンの<ネクサス>=連結の説明によれば、次のような文章はOの中に[SVO]が含み込まれていると捉えられる。I saw [her eat chicken]. このように主述が一つの目的語の中に含まれる構造は、葉が萼になる際に造りが単純化される植物のコントラクションと同じである。萼や花弁は葉ではあるが、葉ではない。「Aかつ非A」というのは自然の倫理である。例えば、“You make me feel good.”という文は、同様に主述のコントラクションが起きている構造なのであるが、5文型では説明することができない。成長が終わるはずの花軸からさらに伸びて葉や花をつけるように、文と節もthat , whenever, whether…といくらでもSVの文章が積み上がっていく。
次に、完了・未然・進行と現在時制・過去時制についての捉え方が示された。ネクサスの内部の動詞にも、以下のように未然・進行・完了の三態が機能している。

  • I’ll get [John to do it]. – John is going to do it. 未然
  • I see [John doing it]. - John is doing it.  進行
  • I’ve [got it done]. – It is done.  完了

 さらに、現在時制と過去時制が存在する。これらを掛け合わせて、6つの構造が英文には存在することになる。
未来形は時制ではない。ニュートン以前に時制を過去から未来へ向かう一直線として捉えることは一般的ではなく、英語に未来形は存在しなかったのである。未然にtoがつくのは「これから起こること」に向かう矢印の表現である。
すなわち、英語文法は、1文型(SVX+α)、2時制(現在と過去)、3態(未然、進行、完了)として捉え直すことが可能である。
逆に、英語習得のために5文型の学習が孕む限界として、「同じさが失われること」であると指摘された。機会と部品の認識論や、最小構成要素にこだわる思考ではなく、生きた世界を動かすパターンをみる視力を鍛えることの重要性が強調された。最後に、本研究会のテーマである「遊びと洗練」に関連して、今回の講義では、「遊び」を「ルールを作り変える自由」として捉え、学問のルールを書き換えるということ、ベイトソンを遊ぶことを試みたと締めくくられた。
その後、参加者からの質疑と議論が行われた。

  • 日本語のように助詞で文章をつないでいくような文章も、植物のメタファーで捉えることは可能か。
    • 日本語は、発芽しない。文をつないでいって、最後に相手の表情を慮る構造になっている。例えば、“Do not drink.”という英文に対して、日本語では「飲み水ではありません。」と表記される。命令、依頼は最後の言葉にかかっており、逆立ちしたような構造である。
  • フラクタル理論では、変形がどのようにして起きるのか十分に説明されていない。葉や萼に何が変化を起こさせるのか。
    • 原生動物は球の形をしている。情報が入ると対称に、さらに情報がはいると非対称のものが生成される。足が二本生えている奇形の昆虫に対して、「発生途中で情報が失われたから」という説明をベイトソンはするが、「情報」がパターンの繰り返しを調整すると考えていたようである。
  • 中動態(能動でも受動でもない)をどうとらえるか?
    • 中動態という言葉はあまり用いないが、英語は他動詞が多いので、無生物主語も多い。日本語であれば、主語は生物であることが基本だが、英語ではSに何でもあてることができる。
  • キリスト教以前に、他動詞的ではない世界はあったのか?
    • 英語も、もともとSVOが強かったわけではない。I think ではなくMe thinksと言っていた時代もあったが、徐々にSVOに変化してきた。
  • 解剖学者の三木成夫が、『胎児の世界』で、植物は内臓を反転させたものと語っていた。植物の形態と文法の進化論のイマジネーションは通じるところがあった。
  • 生物は、非対称を生み出すルールがなかったところに、外的な要因を受けて非対称を獲得し、進化してきたという話があった。英語において発芽する動詞が生まれ、非対称なものを切り分けることができるようになった外的要因とは何だったのか?
    • 実証的にやる必要がある。面白いのは、ドイツ語と英語は、元は一つの言語だが、完了形の使い方が異なる点である。ドイツ語は、haveが先に来て、動詞は最後に置かれる分離動詞である。英語的発想とどのような関係で起きているのかわかれば、英語思考の空間の変化を捉えることができるだろう。
  • 英語圏の方と日本人がコミュニケーションをとるための提案があれば教えてほしい。
    • 一方で日本人は英語を崇拝するが、英語を上手に話す日本人を許さない傾向がある。世間が日本人に英語を話させないようにしている。ルールをやぶることをすればコミュニケーションは上手くいくのかもしれない。

 

 
2018年6月

「遊びと洗練」研究会

日時:2018年6月15日(金)15:30~18:30
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部会議室
出席者:教員(南教授、飯嶋准教授、金子准教授)、学術研究員(大森)、および院生、学部生等、合計12名。

内容:
多分野連携プログラム「遊びと洗練」では、第二回研究会を箱崎キャンパス文学部棟4階文学部会議室で行った。ゲスト講師として、臨床心理士・住吉心理オフィスの羽下大信先生を迎えた。今回は、参加者の主体的な参加をメインとした、音楽を使ったワークショップを行った。冒頭に、音楽を聴く上で、注目すべき観点について説明があった。以下の観点が示された。
(1)何をどんなふうに聴いていたか、そのときの連想を言葉にしてみる。歌詞(何を言っているか)、音色(声や楽器の響き)、リズム、メロディ、特異の音やフレーズ。(2)浮かんできた風景。(3)音楽に伴って起きる体の感覚運動(どこが、どのように)。(4)好き/嫌い(どのように)。
(1)では、音の感覚を言葉にすること、(2)では、想像される風景を、(3)では、体がどう刺激されるか、(4)では、どのように好きか、嫌いかを意識しながら聴くことを念頭におくよう指示された。人によってどう違うか、違いを知る面白さがあると指摘され、参加者一人一人に上記の感想を聞いた。
各曲について出された意見の一部を以下に抜粋する。

Brian Asawa “The dark is my delight” (ソプラノ男性の歌曲)

  • 英語の歌詞だ、高音がつらい。
  • 頭の上あたりに刺激を感じる。
  • ピアノとのメロディの掛け合いを聴いていた。
  • 雲間から光が差し込んでいるイメージ。

Ru Cooder “Paris, Texas”

  • 危険でついていかない方がいい感じ。
  • 荒野。
  • 小動物が動くイメージ。
  • 酔いしれて演奏しているイメージ。
  • タイの寺院。
  • アフリカの原住民。
  • 荒野に立つかっこいい人。

Vinicius+Bethania+Toquinho “En La Fusa (Mar Del Plata)”

  • 乗り物に乗っていると過ぎ去っていくイメージ。
  • 耳に気持ちいい。
  • 体に引っかからない何も来ず、通り過ぎる感じ。

Dino Saluzzi “Cité de la Musique” モダンジャズ

  • 城下町で踊りながら女の子が歩いているイメージ。
  • 疲れてきた。
  • 暗闇で何かが蠢いているがよく見えない森のイメージから、突然開けて村にたどり着いたような情景。
  • 友人がアコーディオンを弾いているのを想像した。

ジェゴグ!「大地の響き」(神前での戦いの音楽)

  • 低音が何の楽器か、声かわからなかった。イメージは男性っぽい。
  • 中国の少数民族の音楽を、演奏者は自信を持って演奏しているが、周りの人は興味を持っていない情景を思い浮かべた。
  • 自分が演奏しているような感じがした。
  • ぐねぐねした宇宙のイメージ

King’s Singers

  • ビートルズのアレンジがいつもと違うので、気をとられた。
  • 渋谷のスクランブル交差点をイメージした。
  • 黒人の人が教会で歌っている風景が浮かんだ。
  • 何人が歌っているのか考えていた。
  • 原曲を知っていると物足りなさを感じる。
  • ロウテンポのときは黒人の労働歌、アップテンポになるとミュージカルのようだ。

最後に、参加者の感想のヒアリングが行われた。音を聴いてシェアすることの魅力や、同じ曲を聴いても人によって全く異なる感じ方をしていることへの驚きが共有された。絵画と音楽が比較され、絵画を言語化するよりも音楽は抽象度が高いため、共通の理解を得にくいが、同じ楽譜を見ても全く異なる解釈がありうるなどの可能性が示された。

 

2018年5月


「遊びと洗練」研究会

日時:2018年5月14日(月)17:00~18:30

場所:箱崎文系キャンパスCaféハコ

出席者:13名

内容:

(文責:飯嶋秀治)

多分野連携遊びと洗練では第一回研究会を箱崎キャンパス文学部棟1階Hako Caféで行った。ゲスト教師は九州大学芸術工学研究院の杉本美貴先生をお迎えし、参加者は全体で13名。うち、多分野連携担当の飯嶋秀治、金子周平、南博文先生に加え芸術工学研究院の古賀徹先生も参加いただいた。人間環境学研究学府の学生は4名、OB・OGが2名、外部からの一般参加も2名あった。
杉本先生からは「デザインについて」「行為とデザイン」「授業の紹介」の3点を60分ほどでお伺いした。杉本先生は芸術工学部を卒業し、パナソニックに20年ほど勤め、年間20前後の製品をデザインするなかで博士号を取得。そののち九州大学芸術工学研究院教員として授業を行ってきている。そのなかでは学生を中心にしたノートの開発が2017年にグッドデザイン賞を受賞するなどの実績も上げている。

美には唯一絶対的な美がある訳ではないのだが、デザインには何かを表現することで問題解決や問題提起をする力があることを様々な実例を伴って紹介していただき、また授業では教員も学生もデザインをするという地点ではどちらが上も下もないという立場で行ってきたという。
お話の後には、飯嶋より人文学や自然科学とは異なり学問的な拘束性が強くないように見えるが、そのなかでも当たり外れのようなことはあるのかどうか、南先生からは100%ユーザーを理解しておらずともだいたいのところでデザインできることについて、金子先生からは行為の観察は無限にありそうなのでそのうちのどれが重要でどれが重要でないかはどのように判別するのかという点について質問があった。また古賀先生からは学生の質の違いについて質問が寄せられた。
教員との質疑で時間が尽きてしまったため、参加者からは1人1人質問をしてもらい、杉本先生の感性に引っかかったものを答えてもらうようにし、15分ほどの延長で終了していただいた。今回は「行為のデザイン」をテーマとして遊びと洗練を考えたが、次回は「言葉のデザイン」をテーマに遊びと洗練を行う予定である。

 

2018年3月

「共生社会のための心理学」2017年度ミニシンポジウム
テーマ:個と集団
日時:2018年3月9日
場所:九州大学箱崎文系地区 文学部会議室
出席者:教員(杉山教授、古賀准教授、光藤准教授、池田准教授、内田講師、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計29名。


趣旨説明:光藤宏行
人間環境学府はさまざまな学問領域を扱っていて、心理学にもいろいろある。その心理学のさまざまなジャンルを集めたミニシンポジウムを例年開催していて、今回は「個と集団」というテーマを扱うという企画趣旨が述べられた。


仕事における他者志向の効果:有吉 美恵(行動システム専攻 心理学コース)
ワークモチベーションを規定する要因としての他者志向に焦点を当てて質問紙やインタビューで検討を行った。定型業務では他者への貢献が感じられないことや自己の成長、達成感が感じられないことでワークモチベーションが低下することが示された。また、仕事の中で役に立てたと感じる、他者とうまく連携できることがワークモチベーションにつながることが示された。上司からの褒めや感謝が有用であることも示された。さらに、他者への役立ち経験を振り返る取り組みをすると、部分的にではあるが社会的貢献感が高まることが示された。


スポーツ指導者の「集団」を考慮した「個」へのアプローチ:神力 亮太(九州工業大学)
SL理論(Situational Leadership Theory)ではフォロワーのレディネスを意欲、能力それぞれの高低の組み合わせで4種類に分けている。このレディネスの観点から運動部活動における指導のあり方について検討を行った。選手個々人のレディネスによって、教示的なリーダーシップと支援的なリーダシップを使い分ける必要があるとのことである。実際に関わっている運動部ではレベル別にチームが分かれており、チームによって目標が異なり、個人によってレディネスが異なるため「どのチームの、誰」ということを考慮に入れることが大切であるという観点が示された。


男性の育休取得を阻んでいる一因とは?-間違った思い込みから生まれる心理的壁-:宮島 健(行動システム専攻 心理学コース)
男性の育休取得が進まない背景として「多元的無知」が働いているのではないかという仮説を検証した。つまり「自分は育休を取ることに肯定的だけれど他の人たちは否定的に違いない」といった誤った思い込みがあるのではということである。20代~40代の既婚男性を対象にした質問紙調査はこの仮説を支持した。取得を促進するためには教育が効果的であることや「多くの人が取得したいと思っている」という正しい認識をフィードバックすることが有用である可能性が示唆された。


進化心理学の視点から考える第三者罰:森本 光一(行動システム専攻 心理学コース)
誰かを不当に扱う者を無関係な第三者が罰すること(たとえばかつあげの現場に介入して犯人を取り押さえるなど)を第三者罰という。第三者罰とそれに対する報復についてシミュレーションで検証を行った。その結果、報復することによる利得が大きくなるほど、報復する個人が増えるだろうことが示唆された。報復することで相手のリソースを自分自身のものにできる、報復をすることにより「あの人は強い」という評判を形成することなどが報復の理由としてあり得る可能性が示された。


ファミリー・グループにおける参加者の心理的プロセスに関する研究 ―期待と評価に着目して―:新村 信貴(人間共生システム専攻 臨床心理学指導・研究コース)
ファミリー・グループ(FG)とは子どものいる家族が集まって3泊4日で自然体験活動、レクリエーションなどを行うエンカウンター・グループの一種である。このFGについて画像などで紹介が行われ、またそれについて保護者がどう感じたかについてのアンケート結果とその考察が述べられた。ファミリー・グループは子どもの親としての保護者と、個人としての保護者、その双方に価値(FGを体験して良かったこと)を提供できること、その価値はグループ内の経験それ自体として認知されるものと、参加によって何らかの心理的な変化が得られるというものとがあり、またそれらの価値やその背景にあるグループの構造には、主催者側が計画したものと、グループ内で無意図的に自然発生したものとがあることが示された。


発達障碍のある人への支援における「個」と「集団」:五位塚 和也(大阪大谷大学)
発達障碍のある人の「現存する他者」と「表象としての他者」に焦点を当てた取り組みが紹介された。表象としての他者とはたとえば「下の兄弟と喧嘩が絶えなかったので年下の他者は苦手」というようなものであり、現存する他者との関わりに影響を与える。発達障碍のある人への「個」へのアプローチと「集団」でのアプローチの事例二例が報告された。「個」へのアプローチでは表象としての他者に働きかけることで現存する他者への認識の変容を促し、「集団」でのアプローチでは現存する他者との関わりを通して表象としての他者あり方の変容を促すことが示された。


総合討論
フロアの方々や当プログラム担当教員の方々により下記のような話題で活発な討論が展開された。
・研究結果を現場の研修(上司と部下など)にどのように持ち込むか。そのような場では具体的な答えを求められることが多いがどのように答えるか。
・レディネスについて、指導者評価と自己評価に齟齬がある場合は。
・レディネスの自己評価以外の評価方法は。
・個々のパフォーマンスの集積でチームとしてのパフォーマンスが測れるか。
・どういう集団が強いと言えるのか。チームとしての総合力と、その中での個々人の役割との関連性とは。
・研究者は「これがいい」と言いたくなる性質があるが「いい」とは何か、多様な人を見ないといけないというジレンマを抱えながら生きていかないといけない。

個と集団 個と集団

個と集団 個と集団

個と集団 個と集団

2018年2月

「通学路の研究」研究会  [担当:元兼正浩・南 博文・田北雅裕・志波文彦]
タイトル:災害と通学路の安全
 
 《 対談 》
熊本県上益城郡益城町立益城中学校   校長 松本 正文
熊本県上益城郡益城町立益城中央小学校 教頭 松永 陽一
                   ×
福岡市立堅粕小学校        校長 入江 誠剛         
福岡県那珂川町立岩戸小学校 校長 福島 隆幸
                     (※福岡市立舞鶴小中学校 校長 武田 祐子氏急病のため代理)
◇司会 人間環境学研究院 教育学部門 教授 元兼正浩

日時:2018年2月20日15:00-16:30
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階 教育学部会議室
出席者:教員(元兼教授、南教授、神野教授、田北講師、志波助教)、学術協力研究員(藤原)テクニカルスタッフ(大沼)、院生・新聞社他、合計27名。


内容:司会の元兼先生が多分野連携プログラムの趣旨説明と「通学路研究」の三年間の振り返りを行い、登壇されている4名の教員の紹介をされた後、益城町の2名の教員から報告がなされた。続いて、福岡県の2名の教員からの質疑応答、その後、フロアから意見や感想が述べられた。
まず、松永陽一教頭から勤務校の被災の実態と学校再開の過程について報告された。益城中央小学校は、330名余りの児童のうち、被災しなかった児童は20名という極めて大きな被害を受けた地域にある。従前から、コミュニティ・スクールとして地域の人々との交流があることが大きな特徴であり、学習支援、環境・食育等各分野で年間延べ3,000人もの地域の方々がボランティアとして児童と関わりを持ってきたという土壌があった。今回の熊本地震では校舎、通学路とも大きな被害を受けたことが多くの現場写真と共に紹介された。また、すぐ隣で被災した木山中学校、第五保育所が同居することになったことの困難性があった一方、学校が避難所となったが、避難者の人たちが避難所を自主運営してくれたことで、教員が学校の復旧に注力することができて、学校側(教員)の負担が軽減され、避難所は大きな混乱もなく8月に閉所されたことなどが報告された。
また、学校再開における課題を、1)水の確保(下水)、2)通学路の確保、3)児童の心のケアと位置づけ、通学路に関しては、危険箇所を通らねばならない地区の児童のスクールバス使用が決定されたこと、親による送迎を認めるようになったこと、登下校時の安全を見守るボランティアを募ったこと、さらにそれらの実施を巡る諸問題やその解決策等について詳細に報告された。なかでも、保護者の児童の送迎において、学校周囲の農道が役に立ったという報告は地域特有の利点であったといえる。
さらに、スクールバス導入の問題点としては、1)乗り遅れ、2)友だち間のトラブル、3)添乗者の確保、4)時間の打ち合わせ、5)駐車場、乗り降りの安全、6)スクールバス担当者の決定、7)目的外使用の要求等、多種多様な問題が明らかにされた。加えて、学校待機児童のために放課後の活動に制約があること、付き添い職員のために、全教員揃っての職員会議や職員研修ができにくいという問題点が指摘された。通学路は、現在、工事だらけの状況であるが、コミュニティ・スクールとしてのボランティアも復活してきており、本年度は1,000名近くの協力者があった。最後に、避難所を閉所するに当たって避難者の方たちからお礼の気持ちを示されたこと、児童の心のケアはまだ必要な状態が続いていることが述べられてしめくくられた。
次いで、松本正文校長から勤務校の被災の実態について報告がなされた。益城中学校は前震と本震の震源地の中間に位置しており、地盤沈下が激しく、建物は1棟(7教室)が使用禁止になり、6教室はプレハブの仮校舎を使用、校舎建て替えのため、現在、グラウンドにプレハブ校舎を建設中で、3月に引っ越しの予定である。
まず、地震後の取り組みで意識したこととして、‘校内の意思統一’、‘方針や指示の明確化’、‘気持ちを前に向ける’、‘心のケア’等があげられ、具体的に(1)地震直後の取り組みでは、生徒・教職員の安否確認、校舎の被害状況把握と修復、地域の被害状況の把握、支援団体との連携などが挙げられたが、町全体で毎週一回校長会が開催され、発信を統一したことがスムースな学校再開に繋がったとのこと。また、(2)学校再開後の取り組みとしては、職員研修の後、生徒の心のケアに取り組み、登校時間を段階的に早くして、生徒たちの生活リズムを徐々に元に戻し、中学校では特に重要視されている学校行事も延期しつつも実施するなど、日常を取り戻すことを重視されたことを述べられた。通学路に関しては、多くの現場写真と共に「安全な道はどこにもない」ことを示され、車送迎、バス通学、自転車通学の申し出に柔軟に対応したことに加えて、「子どもたち自身が危険性を判断し、考え、回避する行動」が重要であるとの話は中学校ならではの指導姿勢であろう。
また、学校が川に挟まれているという立地条件から、周辺のかなり多くの道路が全面通行止めとなり、その復旧工事に伴い、通学路の変更や生徒が出入りできる校門の位置の変更を余儀なくされた状況について詳細に報告された。そして学んだこととして、1)自然災害への備えの大切さ(「まさか」への準備等)、2)学校(組織)の雰囲気と教育活動の積み重ねの大切さ(職員室のよい雰囲気づくり等)、3)町行政や町教育委員会、組織間の連携は重要、4)生徒・教職員間の危機意識が生み出す力、心のケアは大切、5)人のつながりや支援に頼る、6)ピンチはチャンスであり大切なものに気づく、と纏められた。なかでも、‘頼る’ことの重要性に関しては、日本人特有ともいえる他人に迷惑をかけることに対するマイナスイメージを払拭すべきということを意味するともいえる。
小、中学校を比較すると、小学校では、児童の心や身体のケアに重点がおかれたのに対して、中学校では、心のケアに加えて、生徒が学校行事や部活動に取り組むことを支援する、すなわち、生徒たち自身が目標を掲げ、困難を乗り越え、達成感や自己肯定感を高めることを目途とした方向性が大きな成果を得たことの報告は、平常時の指導にも示唆を与えるといえる。なお、益城中学校の吹奏楽部は、地震が発生した2016年も含めて連続優勝して3連覇を達成しており、地域の方々に大きな勇気を与えたと報告された。
お二人の報告を受けて、入江誠剛先生が松永先生へ「通常、難しいと言われる避難所の自主運営は珍しいが、どういう土壌があったのか」という質問、松本先生へ「保護者からの要望はどういうものがあったのか」という質問を投げかけられた。これに対して松永先生は「健康な人は大半が車中泊で、避難所には車イスや高齢者が避難していたが、互いに顔見知りでコミュニケーションがとれていたこと、リーダーシップを取る人がいたことで円滑に運営されており、ときには、被災した教員が支援物資を頂くこともあった」と回答され、松本先生は「学校の校舎は安全なのか、簡易給食では足りないのではないかといった声があったが、放課後、学年ごとに学校見学会を開催し、その後、学級懇談会を開催して、保護者が校舎を確認する機会を設けた。また、心のケアは重要で、県外からのSCの応援や養護教員の加配は極めて効果的であった」と回答された。
次いで福島隆幸先生が、地震が発生したときのことを想定する際に、これまで‘通学路’という発想はなかったと述べられ、地域に子どもが見えることの大切さ、学校とは地域づくりの拠点である、地域に元気を与える機能があることに気付いたとして、学校と通学路を心臓と血管に喩えてコメントをされた後、2名の先生に「学校を再開して地域はどのように変わったか」という質問を投げかけられた。これに対して、松永先生は「地域の人たちが活動していた公民館がすべて被災したため、学校がその機能を代替し、茶道や書道、生け花等、地域の方々の力を発揮できる場になっており、子どもたちの支援活動を通して、学校に通ってくる人たち自身も、まだ学べる、活躍できるということに気づいた」と述べられた。また、松本先生は「復旧への歯車が回り始めた。子どもたちが学校に通うことで、従来からコンクールで高い成績を収めてきた吹奏楽の練習の音が響き、地域の人が元気づけられ、日常生活を取り戻す気持ちになった」と回答され、昨年の卒業式での生徒会長の答辞が読み上げられた。また、支援者を支援することも大切として、教員達とおもちゃ作りを通じて、教員同士で癒しのイベントを実施したことが報告された。
その後、フロアからの質問やコメントの時間となり、下記のような話題が展開された。
南先生:心理学の視点から、通学路を通じてルーティンの重要性が、それが途切れるという契機を通して見えてきた。学校の役目は「社会関係資本」であり、顔見知りという人間どうしの「関係資本」が培われていたことが、益城では避難所が立ち上がることで可視化され、地域復旧の拠点として学校が機能したが、都心部で地震が起きたときには同じようにはいかないのではと問題が投げかけられた。これに対して、入江校長からは、熊本地震時に、博多駅に極めて近い勤務校でも避難所開設の指示があったが避難者はなかった。しかし、東北の事例では650人の収容能力の小学校に2,500人が押し寄せたというケースもあり、また、ビルが多いという状況で、果たして、益城町のように子どもを守れるのかという不安もあると回答された。
田北先生:通学路を子どもが学校に通う道という以上の意味があることに気付いた。また、通学路が復旧しないと学校が復旧しないというプロセスとしての考え方もあることに気付かされた。被災を通じて、これまで学校と接点がなかった、すなわち、学校と新しくつながった方々にとっての「通学路」としての観念が見いだされたとも考えられ、新たなエネルギーの源にもなり得る。そういう気づきが得られたことに感謝したい。災害時だけでなく日常の風景を注意深く眺めることが重要であることに気付いた。
志波先生:「日常を取り戻す」という言葉から、子どもの通学風景やブラスバンドの音色を作り出す装置や空間としての通学路の重要性を感じた。これまで、子どもの道草や通学路における防犯をテーマに取り組んできたが、今回は、通学路の主たる利用者ではない者にとっての意義をあらためて確認する機会となった。
元兼先生:日常のつながりの大切さという視点で通学路を見直してゆくことが必要である。子どもたちにとっての未来への‘希望の道’として通学路を位置づけてきたが、通学路を使う児童生徒だけでなく、地域にとっての通学路の重要性を確認することができた。また、研究室における研究活動においても、学校再開というターニングポイントとしての捉え方の必要性を感じた。今回は通学路という切り口の重要性を共有し再認識することができて、意義のある研究会となったと纏められた。
なお、本研究会は、西日本新聞(2018.2.21付朝刊)、毎日新聞(2018.2.28付朝刊)に掲載された。

通学路研究会

通学路研究会 通学路研究会

通学路研究会 通学路研究会

通学路研究会

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:呪いと祈り
日時:2018年2月16日15:00-17:30
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階教育学部会議室
出席者:教員(坂元教授、野々村教授、ヴィッカーズ教授、橋彌准教授、藤田准教授、岡准教授、山田(祐)准教授、池田准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計36名。


内容:最初に中分遥先生(Univ. Oxford/九州大学)が「宗教と道徳の認知的基盤:民話を用いた文化進化論的アプローチ」と題して話題提供を行った。まず「宗教の認知科学」として、宗教とは何か、なぜ人は宗教を持つのかということについての研究史の概観を説明された。これまでの研究でも宗教と道徳の認知的基盤はあまりよくわかっていないとのことである。それを受けて、ご自身の研究紹介を行った。多くの民話を分析することで「超自然的存在」と「道徳」とは結びついて伝達されるのかを調べるというものであった。結果としてそれらのあいだに有意な関連は見られなかったことで、「超自然的存在」と「道徳」とはそれぞれが人気があるので民話として伝わってきたのであって両者には関連性がないという仮説が支持されたことが示された。最後に、宗教と人間の社会的階層についての関連性について現在考えていることを述べられた。
次いで、浜本先生(九州大学)の「悪い言葉:ケニア・ドゥルマ社会における呪詛と妖術」と題した話題提供に移った。浜本先生はご自身のフィールドワークの経験を元に、ケニア・ドゥルマ社会において呪詛と妖術がどのように行われているかについて紹介された。さまざまな超自然的な力を頼る行為の中での妖術と呪詛の位置づけ、また呪詛にはどのような種類があるのかということについて表で整理して詳しく述べられた。呪詛はその手段、誰がターゲットになるか、その解除方法などによって細かく分けられる。また、呪詛の効果を信じていることを反映していると思われる現地住民からの聞き取り内容も紹介された。また、ドゥルマとは異なる、ルグバラにおける呪詛のあり方についても詳しく紹介された。ルグバラでは共通の祖霊を祀る人々という出自集団があり、その中で何か悪いことがあると、長老の怒りに祖霊が応えたものと捉えられているということである。
これらの話題提供を受けて飯嶋先生(九州大学)がコメントを述べられた。宗教はどの程度普遍に語れるのかという問題意識の元で宗教史を概観し、普遍論と相対論について紹介された。その上で中分先生には「宗教の中には道徳的な人ばかりではないのでは」浜本先生には「祈り、祝いの文脈においたときの呪いの論理とは」という質問を投げかけられた。
中分先生はそれに対して、宗教の発祥には統合失調症的なものもあり、それがどうやって道徳性を備えてゆくかという視点を提示された。浜本先生は、ドゥルマの祈りの言葉には乞う言葉がない、祈りは希望の表現であってそれを叶えるエージェントとしての神などは想定されていないことを述べられた。
その後も「『宗教心』と『宗教』はどのように考えられるか」「ドゥルマでは個人からの呪いなのか悪霊のしわざと考えるのかについての判断に何か違いはあるのか」「昔の人と今の人では本当に共通の認知基盤があるのか」といった話題で活発に討論が行われた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」公開研究会

タイトル:健康な学校と健康な子ども-19世紀後半から20世紀初めにおけるドイツの学校衛生
日時:2018年2月3日(土)

報告者:梅原秀元氏
慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程単位取得退学
デュッセルドルフ大学哲学部歴史学科
同大学医学史学科に留学、Dr. phil.(ドイツ近現代史)取得
現在、慶應義塾大学経済学部 講師(非常勤)など

14:00~16:00 講演会
16:00~17:30 ディスカッション
於:教育哲学教育史合同研究室(予定)

 出席者:教員2名、博士課程院生3名、修士課程院生2名、研究生1名、計8名。

本講演では、19世紀から20世紀初頭におけるドイツの学校衛生の歴史について、ドイツ西部のライン=ルール地方の中心都市デュッセルドルフ市を事例に、ここでの学校衛生の歴史を解明した博士論文をもとに、その展開が紹介された。19世紀から20世紀初頭のドイツにおける子ども、とくに就学義務年齢の子どもの社会福祉領域-学校教育、救貧、医療衛生-の専門知がどのように形成されたのか、それに基づいた実践がどのように推移したのかを詳細に解明される。初期においては学校や教室の衛生状態、明るさ、机や椅子など、学校自体の衛生が議論されていたが、次第に、生徒個々人の健康状態や衛生問題を医学(小児科学や精神医学)的、衛生学的な測定、予防へと学校衛生の議論の大勢が変化したことが指摘された。そのうえで、学校衛生は、健康な子どものために、健康な学校を実現し、健康な国民の育成に貢献する、そのための専門知と専門家の集積および、実践とその実践のための装置と人、それらの集合体、ネットワークとしてとらえることができるということ、そしてそれらの結びつきや重なり、緊張関係こそが重要である、ということが結論として提示された。
さらにディスカッションの部で、講演内容について、それらの実際、経緯、当時の子どもをめぐる生活、疾病の状況とその対応などについて質疑応答がなされた。その後、ドイツの学校衛生の歴史的検証から得られることをもとに、学校衛生史研究の可能性や、それを含めた教育や児童福祉などの領域研究について活発な議論を行った。
文責:野々村

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて公開研究会 子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて公開研究会

2017年9月

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」公開講義

タイトル:近代家族規範の中の優生思想、児童養護 -子どもを産むこと、保護することをめぐる戦後史-
日時:2017年9月5日(火)16:00-17:30
場所:箱崎文系キャンパス講義棟207室
出席者:教員(野々村教授、藤田准教授、飯嶋准教授、山下准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生、学部生他、合計26名。
内容:徳島大学の土屋敦先生の集中講義の一部を公開講義とするという形で行われた。
まず、これまでの研究経歴などの自己紹介が行われた。脳研究などを含めてさまざまな研究に関与してきたが、その中でも優生思想と児童養護が軸となってきたとのことである。「産むこと」の規範の逸脱に関与する優生思想と、「育てること」の規範の逸脱に関与する児童養護とは接点があるという視点を示され、そのような規範の成立やそこからの排除が起こってきた過程を批判的に検証するという立場であることを述べられた。
次いで、優生思想と児童養護に関して、近代の動向を概観しつつ、戦後の日本のあり方を中心にデータや資料を図示して解説された。優生思想はむしろ戦後に一般に普及したこと、戦災孤児という親を失った子どもの受け入れ先であった養護施設が、家庭内の問題によって育てられない子どもの受け入れ先へと変遷していったことなどが紹介された。
そのような数多くのトピックの中で、1950年代以降、家族計画が「量から質」へと変わっていった過程、また1960年代以降、胎児期からの健康管理が強調されるようになったり「不幸な子どもの生まれない運動」といったスローガンが各地に定着していたりしたという状況について特に詳しく述べられた。
その後、下記のような話題について質疑応答が行われた。
・戦前、子どもの育て方、捨て子に対する対応には、地域による違いがあったのか(西日本と東日本など)。
・児童養護施設は宗教系のところもある。児童養護と宗教との関係とはどのようなものか。
・優生思想と児童養護の状況について「批判的に検証」の「批判」はどのようなスタンスなのか。
・優生思想と児童養護はどのような関係にあると考えて研究されているのか。
・相模原事件のように社会に噴出する優生思想と、医療者と親とのあいだでの閉じられた優生思想という「見える/見えない」の両極端があると思うがそのような点についてはどのように考えるか。
・アナ・フロイトとボウルビィが児童養護施設の子どもについて研究した結果がよく知られているが、それらはたとえばその後の犯罪率などのデータを巻き込みながら検証されたのか。
・優生思想と経済との関係性は。産む・産まないなどの選択に経済が関わる状況についてどう思うか。
・「産む」「育てる」ということと「将来をよりよいものへ」ということとの連続性についてどう考えるか。
・1900年代初頭から「実母が育てるのが望ましい」という規範が強まった理由は。
特に「批判」ということについて、大文字の権力ではなく、社会通念、社会制度に形成され内在化している差別の構造を解明し、自覚的、自発的、内なる差別意識や思考を問う、宙づりにするということを念頭においているという説明があった。子育て、教育について考えるとき、良きものが無前提で語られることがしばしばある。そのこと自体を一旦立ち止まって考えることの重要性を改めて自覚させられる講義であった。

土屋先生著書

 

2017年7月

「遊びと洗練」2017年 第1回研究会

タイトル:環境にローンを返そう -エコロジカル・アプローチの形而上学-(関係のサイエンスとアート 人間と環境の原理を考える)
日時:2017年7月14日16:00-18:00
場所:箱崎文系キャンパスCaféハコ
出席者:教員(菊地教授、南教授、末廣准教授、橋彌准教授、藤田准教授、倉田准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計21名。
内容:
高千穂大学の染谷昌義先生を招聘して開催された。
まず、染谷先生が著書『知覚経験の生態学 哲学へのエコロジカル・アプローチ』に沿って話題提供を行った。生物は周囲(環境)を資源として、周囲に作られ、周囲を使用して生きている。従来、人間の中に周囲を認識するメカニズムを求めるという、人間の主体に負荷をかけるような考え方が主流であった。しかし周囲の側にその負荷を返すべきではないかというのが先生の主張である。それはJames J. Gibsonが切り開いたエコロジカル・アプローチを根拠にしている。Gibsonのアプローチでは、知覚の成立を、人間が頭の中で環境の青写真を作る過程ではなく「空気中に充満している刺激(情報)を、身体を動かしてとりに行く過程」と見なす。また環境内には行動を動機づける「アフォーダンス」が豊かにある。認識と行動の主要な根拠は環境にあるとする見方である。
話題提供を受けて、参加された先生方が、自身の研究の紹介を織り交ぜつつ、エコロジカル・アプローチやアフォーダンスという概念について思うところを述べ、討論を行った。
・飯嶋先生:人類学の視点。狩猟採集民の日常生活、児童福祉施設での暴力調査、被災地における環境の持続性が変化した場合、それぞれのアフォーダンスに思い当たる。これを具体的に教育の場面で活かせないか。
・倉田先生:哲学の視点。自分としては社会的文化的な世界はアフォーダンスで説明できないのでは、と思うが、染谷さんの大学院時代の葛藤を話してもらえたら院生にも学ぶところが大きいのではないか。
・末廣先生:建築学の視点。建築が設計時に考えていなかった使われ方をされることがある。そうした場面でアフォーダンスを持つものを作りたいというところがある。
・南先生:環境心理学の視点。人の実感に基づく「はかりきれない単位」とアフォーダンスの関係。ある町の情景を切り取った写真に見られるアフォーダンスで説明できるところとしにくいところ。「ない」ということをアフォーダンス論で拾えるのか。
・橋彌先生:進化心理学の視点。アフォーダンスという概念がなくてはいけないのか。エコロジーやアフォーダンスといった概念が拡散していないか。
・菊地先生:建築の視点。この30年間、建築学でアフォーダンスの考え方を取り入れた問題意識の盛衰がある。
・藤田先生:哲学の視点。アフォーダンスは相互作用として見るというのが妥当ではないか。
上記以外にも話題は多岐にわたり、活発な意見交換が行われた。

遊びと洗練研究会 遊びと洗練研究会

 

.}2017年4月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:The hows and whys living in groups: Perspectives from birds and apes(集団で暮らすことのHowとWhy:鳥類と類人猿の研究から)
日時:2017年4月11日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(橋彌准教授、上田准教授、當眞教授、谷口教授)、院生他、合計14名
内容:
講演及び質疑応答はすべて英語で行われた。
まず、”wisdom of cloud(群衆の知恵)”という概念について、例をあげながら説明が行われた。例えば、アリの群れが迷路の先にあるエサへのルートの最適解を見つけ出すことなどが挙げられた。その後、「なぜ集団に所属するのか?」という問題を提起され、その答えとして、「知識の共有」「大規模な建築」「大きな獲物の狩猟」などが考えられるだろうと話された。また、その問いを受けて、Biro先生の行われた2つの研究について紹介が行われた。
1つ目はハトの研究で、ハトの背中にGPSをつけ、ある地点から巣へと飛ぶルートを調査するものであった。ハトは何度も飛ぶうちに自らのお気に入りのルートを確立するが、集団になると、さらに他個体のルートへの追従などが行われ、個体よりもより直線的なルートが確立されることが紹介された。また、集団が大きくなると意思決定にヒエラルキーが生まれ、ミスリードをしたリーダーは排除されるとことが話された。こういった多様性が有益であるとき、それは「文化」であると語られた。
2つ目はチンパンジーの研究で、チンパンジーによる「ナッツ砕き」が文化的行動として紹介された。ナッツ砕きはアフリカに住むチンパンジーの中でも地域によって行われたり行われなかったりする文化で、集団の中で大人から若者へ伝えられていくことが話された。一方でイノベーション(未知のナッツを砕く)は若者の方が頻繁に行うことや、外来者(違う群れから来た個体)が知識を拡散していくことなども語られた。
講演後は、文化の一般化、文化を持つ他の種、外来者はマイノリティだがなぜ知識が拡散するのか(マジョリティを好むという前提で)等、活発な質疑応答が行われた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

進化心理学研究会 進化心理学研究会

 

2017年3月

「共生社会のための心理学」2016年度ミニシンポジウム

テーマ:何が良くなる?!スキルアップし感性を磨く心理学
日時:2017年3月9日
場所:九州大学箱崎文系地区  文・教育・人環研究棟2階会議室
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、金子准教授、池田准教授、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計31名。

趣旨説明:光藤宏行
人間環境学府では多様な学問領域を扱っており、心理学だけでもさまざまなジャンルがある、それらが集まる場にしたいという企画趣旨が述べられた。

阿吽の呼吸で行われるチーム活動:秋保 亮太(行動システム専攻 心理学コース)
現代社会であらゆる領域にあるチームワークに関して、近年注目されている「暗黙の協調」に焦点を当てた研究の紹介が行われた。理論ベースの研究が先行しているため、実証研究を行ったとのことである。大学祭の模擬店を出した団体へのアンケートによる研究、および実際にゲームによる協力場面を作って実験を行った研究により、暗黙の協調が備わるには、メンタルモデル(そのチームワークに関する体系化された理解、知識、イメージ)の共有が重要であること、チームで活動を振り返ることが必要であることの可能性が示唆された。

名画と駄作の潜在的評価:長 潔容江(行動システム専攻 心理学コース)
人は純粋に名画を好んでいるのか、それとも「名画」とされているから好むのか。絵画作品の評価について調査する場合、顕在的な意識をみる質問紙法が使われることが多いが、知識や文脈などさまざまなバイアスが混入する可能性を排除できないため、潜在的な評価や態度を測れるImplicit Association Test(IAT)を用いて研究を行ったとのことである。名画と駄作に対する顕在評価および潜在評価を測定する二つの実験の結果、顕在的にも潜在的にも名画が選好されている可能性が示唆された。

社交不安傾向と家庭養育環境の関係性:古賀 なな子(実践臨床心理学専攻)
他者からの批判を極度におそれ、他人を避けるという社交不安症についての、大学生および患者に対するアンケート調査による研究が紹介された。大学生における結果では、家庭の愛情が低く、過干渉であったと認識している人ほど社交不安傾向が高いことなどが示された。患者の自由記述においては、学齢期以前の家庭や生活歴、病院を受診する経緯、発症のきっかけといった記述が多いことなどが示された。これらの結果から親への心理教育や子どもへの認知の変容の促しなどが必要なことが示唆された。

イップスに対する動作法を用いた臨床心理学的アプローチ:向 晃佑(人間共生システム専攻)
スポーツ選手が通常できていた動作ができなくなるイップスについて、臨床心理学の見地から動作法を用いてアプローチした研究を行ったとのことである。動作法は脳性マヒの治療から他の領域にも使われるようになった方法で、過剰な緊張をゆるめ、思い通りに動かすことを推進する方法である。野球選手に対して、まず面接での聞き取りを行い、次いで動作法を用いて症状の解消をはかった事例研究が紹介された。まだ取り組み中の事例ではあるが、動作法の効果が出つつあるとのことである。また、この事例ではイップスの発症に他者からの影響の受けやすさが影響している(きびしい指導によって萎縮した)可能性が示唆された。

イップスの経験を通したスポーツ選手の心理的成長:松田 晃二郎(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)
イップスについて、先行研究では原因や対処方法を主に扱ってきたが、イップスという経験の意味が心理学的に捉えられていないという観点から行った研究が紹介された。五つの大学の野球部員に対して行ったアンケート調査により、イップスの経験は「自己把握」「自律的達成傾向」「精神的安定性」「身体的統制感」に影響をもたらすという結果が示された。これらの結果から、選手はイップスを克服することにより、イップスという経験への肯定的な意味づけが行われ、それによって心理的成長がもたらされるという過程をたどることが示唆された。

大学生スポーツ選手の動機づけスタイルとアスリート・バーンアウトとの関係性:池本 雄基(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース)
スポーツ選手のバーンアウト問題が深刻化している現状を受けて、動機づけスタイルとバーンアウトとの関連性を明確にするべく研究を行ったとのことである。従来大きく「外発的」「内発的」と捉えられていた動機づけを細分化し、大学の運動部に所属する選手に行ったアンケート調査の結果、高動機づけ、非統制的動機づけ、他者回避動機づけ、無動機づけの四つの動機づけスタイルがあること、スタイルにより異なるバーンアウト傾向があることが示された。このことにより、スポーツ選手の動機づけについて多面的に捉えてゆくことが必要であることが示唆された。

総合討論(司会:古賀聡・金子周平
下記のような話題で活発な討論が展開された。
・スポーツのチームと社会場面でのチームとの違いは。
・イップス独特の心理的成長とは何か。
・たとえば臨床心理学の現場では、状況によってチームの性質がさまざまだが、そこにはどのようなプロセスがあるのか。
最後に金子先生が全体に通じるテーマとして「効率化の裏表、プラスマイナス」という視点を提示され、また古賀先生が「症状や問題の消去ないし緩和と、スキルや感性をアップすることとの関係性」という視点を提示されてしめくくられた。

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

共生社会のための心理学ミニシンポ 共生社会のための心理学ミニシンポ

 

2017年2月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」研究会

タイトル:感覚間一致の比較認知科学
日時:2017年2月21日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(浜本教授、橋彌准教授、山田准教授、山本講師)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計16名。

内容:
京都大学霊長類研究所の足立幾麿先生が、豊富な画像等を含めたパワーポイントを用いて講演を行った。
まず京都大学霊長類研究所の簡単な紹介が行われ、次いで比較認知科学とは「ヒトを知るためにヒト以外の動物との比較をする」という学問であることが説明された。先生は主としてチンパンジーを対象に各種研究を行ってこられたということである。
次に今回のテーマである「感覚間一致」について説明が行われた。その内の一つ「共感覚的知覚」とは、明るい色と高い音、暗い色と低い音がイメージ的に結びつきやすいといったものである。もう一つの「概念メタファー」とは、地位といった抽象的な概念を高い低いなどの空間を指す概念であらわすといったことである。これらは言語との結びつきが強く、人間の言語と共に進化してきたと従来考えられてきた。
しかし、先生が手法を工夫して実験を行ったところ「チンパンジーにも明るい色と高い音、暗い色と低い音の結びつきがある」ことが示唆され(アカゲザルには見られない)、さらに「チンパンジー個体間の地位の上下は空間的な高低と結びついて表象されている」ことも示唆された(アカゲザルにも見られる)。
このことから「共感的知覚は、言語と共進化したわけではない。チンパンジーやヒトは感覚が未分化な状態で生まれてきて、それが分化してゆく『刈り込み期』があるが、その刈り込み期に分化しきれず残ったものである」という可能性が示された。また「概念メタファーも言語に基づいているわけではなく、進化の過程で社会的順序などの抽象的な情報を処理する必要が高まったために生じてきた」という可能性が示された。
講演後は、チンパンジーやヒトが未分化な状態で生まれてくることの進化上の意味、抽象的概念を空間であらわすのは時間系列にも及ぶのか、社会的地位がはっきりしていない動物種ではどうなのか、共感覚的経験は脳内のどこで起こるのか、共感覚や概念メタファーは普遍性のあるものなのか文化固有性があるものなのか、地位については自分との相対関係が重要なのか、暗い色と高い音というように普通とは逆に連結するケースはあるのか、地下や水中の生物では地位と空間の概念は変わるのか、共感覚の発達的変化は、など、さまざまな話題について活発な討論が行われた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

 

「通学路の研究 -家庭から校門までの長い道のり-」講演会

タイトル:通学路の安全をかんがえる
講師:吉村英祐氏 (大阪工業大学教授:建築人間工学、建築安全計画)
日時:2017年2月17日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1階 教育学部会議室
出席者:教員(元兼教授、南教授、志賀准教授、田北講師、志波助教、兼安助教)、テクニカルスタッフ(大沼)、学術協力研究員(藤原)、院生等、新聞記者1名、合計20名。

内容:
まず、研究会代表の元兼先生から、多分野連携プログラムの趣旨説明、「通学路の研究」プログラムの紹介、および講師の吉村英祐先生の紹介がなされ、その後、参加者全員が簡単な自己紹介を行った。
次いで、吉村先生が、阪神大震災や池田小学校事件を契機に‘学校’が研究対象に加わった経緯を含めて自己紹介をされ、その後、詳細なデータおよび豊富な画像のパワーポイントおよび配付資料を用いて講演が行われた。
ヨーロッパでは小学生が1人で登校することは考えられないが、自動販売機の設置が海外からは驚かれるほどの高い安全性を持つわが国でも、近年、通学中の交通事故や児童を狙った犯罪が発生している現状を受けて、M市教育委員会から調査依頼を受けた報告書が今回の発表とのことである。M市では2つの小学校が統合され、さらに2年後に中学校と統合されて小中一貫校になるのに伴い、児童の通学路が変化して幹線道路の横断の必要が生じてきたということが調査の背景にあった。アンケート用紙は、2つの小学校の児童経由で保護者に一所帯一部を配布し、70%台後半から80%台後半という高い回収率をを得た。調査項目は通学路の「交通不安」、および「犯罪不安」についての保護者の認識を問うもので、具体的には交通安全要素と防犯資源要素の五段階評価の後、上の2つの「不安」を感じる場所を通学路が示された白地図にそれぞれマッピングさせ、その理由を選択肢から選択させた。アンケートの集計結果は、白地図に個々の不安箇所が重ねられて、回答数が多い箇所は色が濃く示されており、その道路の写真と共に詳細かつビジュアルなデータが示された。
まず、「交通不安」については、不安箇所が交差点、特に直角に交差していない道路や幹線道路の交差点などに集中していること、理由としては、車・自転車の交通量の多さや急な飛び出しがあげられ、その他には信号がない道路、路側帯のみの道路、歩道橋、車線の多い道路があげられている。事故対策としては、集団登校や見守り活動などのソフト面に加えて、歩道、スクールゾーンで安心感が促進されることなどが示された。
次いで、「犯罪不安」については、公園、細い街路、鉄道の高架下、歩道橋や入り組んだ街路、六差路などがあげられ、さらに不法投棄や落書きのある箇所などが指摘され、その理由として、人気がない、見通しが悪い、夜間暗い、不審者情報があるなどがあげられ、小学校周辺道路も夜間暗いことや若者がたむろすることで不安箇所にあげられている。ここで、商店街が「不安のない場所」として浮かび上がってきたことから、街路に対して開かれている店舗などからの自然な状態での見守りの効果の大きさが指摘され、住宅街にも一定数の店舗の混在の必要性が示された。さらに、地域一斉パトロールや防犯声かけパトロールの参加者へのヒアリング調査も示され、防犯対策としては、「交通不安」と同様に、集団登校、付き添い登校・見守り活動に加えて、調査仮説の「店舗や住宅からの見守り」、すなわち地域施設による自然監視の効果が立証され、まちづくり計画にも示唆を与えるといえる。今後の課題として、店舗内部と道路のつながり、ファサード、業種、開店時間との関係等があげられた。
最後に、アンケート調査の実施方法や質問項目作成時の注意点などについても触れられた。具体的には、仮説を立て、分析方法から設問を決め、文字の大きさや配布方法にも配慮しなければ、高い回収率と信頼できるデータは得られないこと等、アンケートの設計方法にも話題が及び、研究領域を超えた意義のある講演であった。
講演後は、学校の統廃合が進むことなどからの通学距離と通学時間の増加がみられるなか、保護者の体感と実際の危険箇所のずれがあるのではないかとの問題提起がなされ、以下のような活発な質疑・討議が行われた。
○昨年の水月氏の講演にみられたように子どもが道草で好むタイプの道と安全性との関係
・怖いけどおもしろいと感じる子どもの視点…保護者の不安マッピングとの関係性
○朝と夕方の通学路の危険の性質の違い
・登校時:交通事故(ドライバーの責任) ・下校時:犯罪不安、交通事故(子どもの責任)
○安全・安心マップ   ・アンケートは通学路に限定した
○子ども110番の家の安全性  
・犯罪者には抑止力となるが本当に安心か  ・保護者は効果があると認識している
○24時間営業のコンビニ店の安全への効果  ・減少傾向にある、犯罪を誘発する可能性も
○見守り活動と地域の特徴との関係性
・卒業生を含む保護者以外の方…保護者が気付かない問題点を指摘している
○アンケート調査の設計、調査に対する関係者や学校の教師の反応
・地域からの信頼もあったし、結果を地域に還元すべきと考えている
・充分な事前調査の後にアンケート作成をすべき ⇒ 今回は仮説が立証できた
・今回はワークショップに関与していたために、アンケートの回収率が高かった
・複数回答はクロス集計を想定して選択肢を準備している
・学校の教師は不審者やセキュリテイなどの校内環境には関心が高いが、校区外に住む教師が多い事もあり、まちづくりに熱心とはいえない
最後に南先生が「通学路」は多面性を持つが、「子どもの安心・安全」に的を絞れば、議論が可能である。商店街は道草にも関連があり、その建物が通学路の安全、ひいては、街や学校の安全につながるという今回の実証研究は極めて意義深い。すなわち、「通学路」は人間の環境にとって象徴的な場所であるという総括のコメントを述べられ、また元兼先生が通学路研究の今後の展望を述べられてしめくくられた。

通学路の研究 通学路の研究

通学路の研究 通学路の研究

通学路の研究 通学路の研究

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」研究会

タイトル:ドイツにおける教育福祉専門職の発展とその養成課程―ゾツィアルアルバイター(ソーシャルワーカー)職とゾツィアルペダゴーゲ(社会的教育者)職の統合をめぐって―
日時:2017年2月5日
場所:箱崎文系キャンパス人間環境学府教育系会議室
出席者:教員(野々村教授、松﨑教授、高野教授、岡准教授、山下准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生、学部生等、合計13名。

内容:
京都府立大学の吉岡真佐樹先生が、配付資料を用いて講演を行った。
まずご自身の研究分野や勤務先である京都府立大学公共政策学部福祉社会学科の成り立ちなどに関して、先生の自己紹介が行われた。現代の日本では教育福祉の観点から子どもや青少年を援助する統一的な職種がない、あるいはそのための統一的な養成制度がないという問題点がある。他方ドイツでは、そういった職種の資格・養成制度が確立しており、その経緯や現状について報告したいということであった。
次いで、ドイツの教育福祉専門職について下記の順序でお話しされた。
1.ドイツにおける青少年育成・制度
2.ゾツィアルペダゴーゲの4つの沿革
3.第2次大戦後の福祉職の養成・資格制度の発展
4.ゾツィアルペダゴーゲあるいは「総合社会活動職」の職務と養成
5.ゾツィアルペダゴギークの学的性格をめぐって
6.ゾツィアルペダゴーゲあるいは「総合福祉活動職」の特徴と意義
[補]「社会的教育(学)」か「社会教育(学)」か
ドイツならではの歴史的条件や、ドイツは各州に文部省があるなどの制度的特徴、ドイツの教育制度は能力・適性に応じて進路が決まり職業資格をとる形になっていることなど、非常に多岐にわたる内容を含んだお話であった。
講演後は、ドイツの教育福祉と関係学会のあり方、ドイツでの教育福祉専門職のカリキュラムの実際や就職との結びつき、またそれらについての日本の状況との比較、教育における家庭の責任についての捉え方の日本とドイツの違い、日本でのスクールソーシャルワークのあり方、青少年を「社会で面倒を見る」という方向に今後日本は進むのか、などについて活発な討論が行われた。

子どもの育ち研究会 子どもの育ち研究会

 

2016年11月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて」共催研究会

タイトル:優生思想と教育の歴史─20世紀転換期イギリスを中心に─
日時:2016年11月15日
場所:箱崎文系キャンパス教育学部棟1F会議室
出席者:教員(野々村教授、橋彌准教授、藤田准教授、董助教)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、高校生3名、合計17名。
〔なお,本研究会は各プログラム代表者の了承のもと,教育学部主催の高大連携事業「高校生のためのリサーチトライアルin九大教育学部」に参加した高校生の参加を可とした。〕

【発表要旨】

■小学教員から精神分析家へ:
エラ・F・シャープの階層横断と優生思想を乗り越える<演技>
松本由起子(北海道医療大学)

エラ・フリーマン・シャープ(1875-1947)は、前半生を教員、後半生を精神分析家として生きた、戦間期英国精神分析界の重鎮である。知名度は低いが、生前刊行された著書 Dream Analysis (1937)はフロイト派夢分析のすぐれたマニュアルとして「古典」であり、フランスの分析家ラカンが注目し引用したことでも知られる。しかしシャープの伝記的情報は少なく、相互に引用しあう状況にあり、本人が意図的に挿入・改変したと見られる誤報も混ざる。そこで史料調査によって十九世紀末のテンペランス運動におけるコーヒーハウス運動と小学教員養成を背景にシャープの動きを辿り、中産階級による啓蒙と効率性の追求が上層労働者階級の向上心と手を結ぶ場に育ち、労働者階級に根ざしながら中産階級的倫理と振る舞いを求められる小学教員界に身を置いたシャープが、どのような演技を求められ、優生学的言説を背に、どのように自己犠牲を称揚する愛国教育に向かったか、また、その後の展開に照らして、どのように他者の欲望を<演じる>ことを捉えていたかを考える。

■20世紀初頭イギリスにおける優生思想の展開と子ども
-優生教育教会の活動に着目して-
草野舞(教育システム専攻博士後期課程2年)

本発表は、「よく産み」「よく育てる」といった、子どもを産み育てる際の自明性が形成され始める際における優生学の役割の一端を解明するものである。
周知の通り、優生学は人種の改良を目指す「科学」として、フランシス・ゴルトンによって1883年に提唱されたものである。イギリスでは1907年に優生教育協会(Eugenics Education Society)が設立された。国民一般に対する優生学的知識の普及を目的として設立された協会は、1909年創刊の機関誌『優生評論(the Eugenics Review)』や講演会を通じて、啓蒙運動や政治活動を活発に行っていたとされている。本発表では、20世紀初頭のイギリスにおける優生学の展開に着目し、優生学的知によって「よい産み方」「よい育て方」が規定され、それが国民一般に普及されようとする過程を明らかにする。
史料としては、優生教育協会の年次報告書(1908)や『優生評論』(1909)を用いる。協会のなかでの子どもの産み方・育て方の語られ方や、その実現のために協会が必要としたものに着目し、その分析を行う。この分析によって、当時の優生学なるものの「科学」の曖昧さや、その曖昧さを協会がどのような論理を用いて克服しようとしたのかが明らかとなる。
教育という営みを考える際にはすでに子どもの存在が想定されており、子どもは「よく産むもの」「よく育てるもの」であるということは自明視されている。しかし、なぜ「よく産み」「よく育てる」ことが当然であり規範となっているのか、そのプロセスについては充分に解明されていないといえる。本発表は「よく産み」「よく育てる」という、子どもを考える際の前提となっているものがいかにして構築されてきたのか、その過程を優生学の展開とともに検証するものである。

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内容:
発表①
北海道医療大学の松本由起子先生が「小学教員から精神分析家へ:エラ・F・シャープの階層横断と優生思想を乗り越える<演技>」と題して、豊富な画像等を含めたパワーポイントを使用して発表された。
エラ・F・シャープはイギリスで、教員から精神分析家となり両大戦間の時期に活躍した人であるが、両親ともに労働者階級の出身であるという生い立ちについて語られた。両親は最初エイバーヒルで絹織物に関係する産業に従事していたが、ノッティンガムに移動して飲食業で成功をおさめ、実質中産階級の仲間入りを果たしたとのことである。エラは当時の労働者階級出身の女子として唯一中産階級を目指す道として開かれていたピューピル・ティーチャーという職につき、実力が認められて校長相当の立場となり、その後精神分析に転身した。しかし自らの出自や親(特に父親)について経歴を詐称していたと思われる記録が残っている。エラは中産階級に適応するべく<演技>をしたが、自らが納得できていれば現実でも幻想でもいいのだといった趣旨の言葉も残している。こういったエラの背景には、当時のイギリスの階級意識やそれに関連しての教育のあり方などが複雑に関わっているということである。イギリスにおいては「優生学」は人種の問題ではなく、階級の人口分布問題として捉えられていたのである。
発表②
人間環境学府の草野舞さんが「20世紀初頭イギリスにおける優生思想の展開と子ども   -優生教育協会の活動に着目して-」と題して、配布資料を使用して発表された。
イギリスに今世紀初頭に設立された優生教育協会、およびその機関誌『優生評論』についてまず紹介がされた。また、当時のイギリスでは、国家的危機を背景に「子ども」に着目する動きが高まったことが次いで紹介された。国民の「質を低下」させないために優れた子どもを産み育てるという観点から優生学が推進されたとのことである。
次いで、草野さんの研究について紹介された。優生教育協会の唱える「科学」が多様な学問の雑多な寄せ集めだったこと、また、国民に対して啓蒙をする際に、科学的と言いつつも、「人間の本能」の規定や、それを「親の本能」に結び付け親のあり方を啓発しようとする論の流れには矛盾や不正確さがあったということを指摘された。
発表後には、本能という言葉の当時と現在の使われ方、精神分析で子どもが対象になるのはいつ頃からか、精神分析と優生学の分岐点、優生学が成立した当時の科学のあり方、優生学を創始したゴルトンとダーウィンの関係、積極的優生学と消極的優生学の分水嶺はどういったところか、生物学と優生学との関係、国家を家族と見なすメタファーの古さはどのくらいか、優生学が推進された頃から現在の「皆平等」という観点にどのように入れ替わったのか、障害児教育はどういう方向に向かうのがよいのか、等について活発な意見交換がなされた。

進化心理学子どもの育ち共催研究会 進化心理学子どもの育ち共催研究会

進化心理学子どもの育ち共催研究会


 

2016年10月

「遊びと洗練」2016年 第2回研究会「家・小屋と私‐あなたを呼ぶのはどれか‐」

日時:2016年10月28日(金)14:00-17:00
場所:箱崎キャンパス21世紀交流プラザⅠ
出席者:教員(南教授、三島准教授、飯嶋准教授)、金子准教授他、合計11名。

内容:
臨床心理士でありアーティストである羽下大信先生をお招きしてワークショップを開催した。
最初に、飯嶋准教授より企画趣旨の説明があり、人間環境学府、多分野連携、第1回の概要を説明し、三島准教授と南教授から自己紹介、研究紹介、このワークショップに対する質疑や期待が述べられた。
講師の羽下大信先生からは、何を感じかという課題を出すと言葉にしにくい人も、対象があると言葉にしやすいこともあり、家や小屋の写真を観察して、自分をひきつけるもの、という主題にしてみた、とお話しがあった。
前半は、10枚ほどの写真が壁面に掲示され、しばらく観察したあと、そのうち数枚、自分が惹かれるものを選び、一つ一つの写真について、それを選んだ人になぜそれを選んだのか、また、選ばない人にも何をどう見出したのか、を共有していった。
複数の人間で、同じ写真を見ていると、自分が見ていた特徴以外を見出す参加者がおり、自然に笑いもこぼれるようになり、前半の「ウォーミングアップ」を終えた。
10分ほどの休息の後、壁には前半とはまた異なる10枚ほどの写真が壁面に掲示され、今度はそのうち1~2枚を選び、自分がその家や小屋に住んでいる、あるいは使っているということを想像してその家や小屋の物語を書く、という主題が出された。
その後、1人1人が物語を読みあげ、共有してゆくのだが、11名の参加者のうち、5名が同じ写真を選ぶことになり、しかもそれぞれが長短のみならず、家や小屋との接し方、距離の取り方が異なっており、笑いがこぼれた。
最後に、南教授から、全体のワークショップを振り返るコメントをもらった。もともと人間環境学が生じた時には神戸の大震災とオウム真理教事件かあり、人間と環境との関係を大きく見直しを迫られることが起こったのだが、今日こうしてワークショップに参加しそれぞれのコメントを聞きあうと、そこから逆に自分が出ていると感じるところがあり、気恥ずかしいものもあったものの、この場そのものが人間環境的であることを実感した、との言葉があった。

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

遊びと洗練 遊びと洗練

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2016年 第1回研究会

概要:東京大学のTeresa Romero先生をお招きして講演が行われた。
タイトル:The Role of Oxytocin on Cooperative Associations and Sociality
(協力的連合および社会性にオキシトシンが果たす役割)
日時:2016年10月20日
場所:箱崎文系キャンパス教育心理研究棟2階心理演習室
出席者:教員(橋彌先生、當眞先生、山本先生)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、医学部からの参加も含め合計15名。

講演及び質疑応答はすべて英語で行われた。
まず、Romero先生の研究テーマは動物の社会的行動や社会的関係であること、研究手法は観察と実験であることが紹介された。
次いで、オキシトシンというホルモンが動物の社会的関係に及ぼす影響については母子間や男女間について多く研究されているが、それ以外の関係にも影響があるのではないかという視点について話された。その視点に立って、Romero先生が行った実験とその結果が紹介された。最初に紹介された実験はイヌとその飼い主、および仲間のイヌを実験室内に置いて相互のAffiliationを調べ、オキシトシンとの関係を見るものである。結果として、オキシトシンはイヌの社会的絆を促進することが示されたとのことである。次に紹介された実験は、イヌにとっての不公平状態の解消という状況を作り出すものであった。ここでも不公平状態の解消とオキシトシンとは関連していた。
さらに、オキシトシンと、向社会的傾向の個体差に着目したニホンザルでの研究が紹介された。グルーミングの頻度と、オキシトシンとは関連があったということである。
講演後は、オキシトシン以外のホルモン産生と行動の関係、イヌとオオカミのヒトとの関係性における相違点、飼い主のタイプによる違い、乳幼児の発達との関連について等、活発な質疑応答が行われた。

 

2016年6月

「遊びと洗練」2016年 第1回研究会「見知らぬ知覚体験へ」

日時:2016年6月24日
場所:総合研究博物館展示室→本館二階
出席者:教員(南教授、三島准教授、飯嶋准教授)、テクニカルスタッフ(大沼)、院生他、合計22名。

内容:
サイエンス&アート研究者・芸術政策研究者である石黒敦彦先生を招聘して開催された。
まず、総合研究博物館展示室にて、総合博物館を自由見学してもらった後、石黒先生の紹介が行われた。石黒先生からは導入に、博物館展示のあり方への問いかけがされた。
次いで、本館二階の一室に移動し、ワークショップとトークが行われた。
ワークショップでは、サッカーボール型の炭素の分子構造(フラーレン、カーボンナノチューブ)の模型、さらに同じ六角形と五角形の構造である測地線ドームを紙で作る作業を通して、材料科学=幾何学=デザイン=民俗学が一挙につながる学際的な「ワークショップ」の可能性を学んだ。さらに後半には「回転する円の現象学」として、最初期のアニメーションから現在のストロボ照明まで使われる、円板上の画像と視覚の関係を体験した。
①白黒のみでパターンが描かれたコマや円盤を回すと錯視で色が見えたり、②コマに点滅する色光をあてることで円板上に生まれる効果、③スリットがあって模様のついた円板を鏡の前で回しスリット越しに鏡を見ると絵が動いて見える作画などが行われた。
この他、竹を組み合わせた立方八面体のフレーム「ベクトル平衡体」の中に舞踏家が入ってそれを多様な立体構造に変えながら踊る舞踏「シナジェティック・ダンス」のビデオ(鎌倉近代美術館「B.フラー展」2001)や、百人の子どもを対象にした「四角を十字に」という創造的な幾何学のワークショップのビデオが提示された。
トークは、参加者の質問やコメントに回答するという形で行われた。まず石黒先生が学際的な時代に対応する「ワークショップ」の意義について、集客目当ての教育普及の枠に押し込めるのではなく、もっと創造的な、参加する子どもたちの創発性を促す体験として提供するべきであり、体験した内の一人でも将来の発明や発見につながる何かを見つけるきっかけになればいい、という見解を述べられた。そのあと、探究するサイエンスに対しそれを人類社会を広く統合する文系という人文系の存在意義が話題となった。「あやとり」という人類最古のテクノロジーと高度な数学との結びつき、人間の高い直観のレベルとコンピュータ技術とのバランス、障害者に対するアートセラピーの意味、色や形のセラピー効果、幾何学と日本文化の中の五・六芒星形、ゲーテの色彩論・錬金術を追試することの重要性、A.ポー「メールシュトレーム」における科学と文学研究の共鳴など、石黒先生の幅広い興味と知識の幅を反映した多彩な話題が展開された。
最後に第二部10月28日羽下大信先生による音楽と言葉のワークショップが告げられた。

石黒先生研究会 石黒先生研究会

石黒先生研究会

2016年3月

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~ 研究会「戦後の子ども問題と教育福祉を考える」

日程 2016年3月27日(日)10:30~17:30
場所 教育学系会議室 九州大学箱崎キャンパス貝塚地区 教育学部棟2階243号室
参加者:10名

本研究会は、現在、教育学分野において再び注目を集めつつある教育福祉論について理解を深めることを目的に開催された。3名の発表をもとに、戦後の教育と福祉がどのように議論され実践を捉えてきたのか、あるいはそうした議論を受け、実践を支えてきたのかについて議論を行った。

午前の部:10:30~12:00
田中友佳子(九州大学人間環境学研究院)
「教育福祉の系譜について」

「教育福祉」は戦後使われ始めた言葉である。しかし、教育と福祉に関する着目は、すでに戦前においても存在した。社会問題の解決策として、一部の要保護者の慈善救済から一般民衆の社会教化へと拡大したことが、戦前期の特徴といえる。日清・日露戦争以降工業化が進み、社会問題と治安問題が噴出した際、井上友一をはじめとする戦前日本の内務官僚は、公的救済を極力抑えた教化中心の社会事業を志向したのである。そもそも社会保障において国家が不在であり教育がそれを埋めていた状態から、戦後日本の教育と福祉の関係が始まったといえる。
戦後、最も早い時期に教育福祉について書かれた論考として、石川二郎「教育福祉とその戦後における展開」(『文部時報』文部省編, 第961号, 1957年9月号)が挙げられる。文部省官僚である石川が権利保障を基礎にして、教育の機会均等の実質的保障の必要性を論じていることは興味深い。一方で、教育福祉の実施内容は就学に関することに限られ、また教育福祉の対象となる多様な子どもにいかに対応すべきか述べられていない。限定的ではあるものの、戦後教育福祉論の先駆けとして位置づけられる。さらに、1960年代以降の教育福祉論の主要な三派について説明を行った。①小川利夫による学習権保障論、②市川昭午 ・持田栄一による福祉国家論(の見直し論)的教育福祉論(午後の稲井発表の中で詳しい説明がなされた)、③村上尚三郎の学校社会事業である。三者の論点の比較と認識のずれについて紹介し、理解を深めた。

午後の部①:13:00~15:15
稲井智義(福井大学)
「教育福祉論のアンラーニングから持田教育学の方へ―1970~80年代日本教育学史試論」
 
持田栄一(1925-1978)は、戦後日本の教育学者である(東京大学教育学部教育行政学科助手~教授)。持田の理論については、教育行政学における「忘れられた理論」と言われるとともに、近年「見直しの機運がある」 という。日本で1970年代以降に台頭する教育福祉論の分野においても「忘れられた理論」と言える、持田による教育と福祉に関する理論構想とその思想史的意義を素描することが本発表の目的であった。
まず冷戦期教育学における福祉国家と公教育をめぐる論争に関する確認が行われた。1970年前後の堀尾・持田論争の論点は、「国民の教育権・子どもの学習権」が「私事の組織化」によって保障することができるかという点にある。堀尾の理論構想に対して持田は、国家を支える家族・学校イデオロギーを批判的に捉え、それすらも組み替える必要性を提起した。また、1970年代から福祉教育論を展開した小川利夫に対しても、子ども・青年の学習権・教育権保障を中核とする教育福祉論であると批判的に捉えていた。
学習権論、福祉国家論が盛んに主張された時代に、持田はこれらを批判し、独自の理論を打ち立てていく。その具体例であり、また持田が1970年代前後に「中核的な課題」とみなすようになった幼保一元化問題を本発表は最後に取り上げた。持田は、実践を直接担う教師と園経営者を区別する「重層構造」を批判し、園経営の集団体制の確立を「幼保一元化」への道の必要条件と位置づけた。親と教育専門家・市民が共同して子どもの教育にあたるための「ひろば」が構築されることと、幼保一元化という大きな課題の解決を、持田は一貫するものとして考えていたことが確認された。

午後の部②:15:30~17:30
久米祐子(九州大学大学院博士後期課程)
「障害児教育・福祉と教育-占領下の日本の障害児教育」

1950年代日本における障害児統合教育の言説変化に関する説明の前に、まずはアメリカの統合教育の歴史についての概説がなされた。1970年代アメリカでは「全障害児教育法」が制定され、障害児全員の就学、統合教育が実現した。障害児の通う特殊学校から普通児の学校へという流れではなく、施設における分離保護から地域の学校教育への移行が目指されたのである。アメリカでは「カスケイドシステム」に基づく統合教育が推進された。カスケイドシステムとは「可能な限り早く普通児と共に教育を受けられるようにし、大いに必要な時のみ分離し特別な学校で教育を行う」という教育方針である。
アメリカの統合教育は1970年代に実を結ぶものの、戦後日本において統合教育と類似した勧告が1950年第二次米国使節団報告書においてなされたことは注目すべきである。その勧告は“Extended Educational Opportunities and Additional Services”という項目の中にあり、英語の原文と日本語訳の意味が微妙に異なっている。原文ではできるかぎり普通学校の教育に参加すると書かれているものの、日本語訳では「正規の学校教育計画に参加する」という不明瞭な内容であった。こうしたアメリカからの(おそらく本国に先んじる)統合教育の流れは、戦後教育を創ろうとした人々に少なからず影響を与えた。中央教育審議会委員で特殊教育や給食実施に携わった遺伝学者・医者の木田文夫もその一人と考えられる。木田は1951年度第1回日本教職員組合教育研究全国集会の中で「普通教育のなかの特殊教育」というタイトルで講演を行った。戦後教育の生成期におけるアメリカの統合教育の影響について、今後の研究が期待される。

戦後の子ども問題と教育福祉を考える 戦後の子ども問題と教育福祉を考える

 

「共生社会のための心理学」2015年度ミニシンポジウム

テーマ:身体の動きと、こころの働き
日時:2016年3月10日
場所:21世紀交流プラザ共通講義室2
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、内田講師)、テクニカルスタッフ(董)および院生等、合計45名。

趣旨説明(行動システム専攻・光藤宏行)
人環は、教育学、心理学など様々な分野によって分かれており、その上さらに様々な分野が専攻ごとに分かれていることを紹介し、本シンポジウムの企画趣旨は専攻ごとに分かれた心理学分野に対して、学問的な交流の場を設けることであるとの説明が行われた。また今回は第2回目の企画であり、前回はテーマを設けなかったが、今回はシンポジウムのテーマ「身体の動きと、こころの働き」を設けたことも話した。

受傷アスリートにおけるリハビリテーションアドヒアランスに影響を及ぼす要因の検討(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース・髙井 真佐代)
本発表は、リハビリテーションアドヒアランスに影響を及ぼす要因を時間経過を捉えながら検討し、受傷アスリートのリハビリテーションアドヒアランスの向上に有効な心理的サポートのあり方を提案した。具体的には、リハビリテーションを4つの期間①受傷期②回復期③運動充実期④競技復帰期と分けて、①では受傷に伴う負の影響の認知が阻害要因となり、その時期については、競技目標の設定をすること、復帰までの見通しの認識が可能なリハビリテーションを計画作成すること、および現状に適応するための認知的再評価の促しのあり方が提案された。②ではリハビリテーションの継続を促す心理的サポートとして、心身の状態に即したリハビリテーションプログラムのコントロール能力の向上、リハビリテーションに関する情報サポートの強化、自身の状態への気づきを高めることがあげられた。③では競技復帰に対する過度な焦燥を感じている人に対しては、いま何ができるかに目を向けさせ、今後にどう生かすかに焦点を当てること、またポジティブな言葉や思考により、焦りや不安を解消することが提案された。

イップスを経験した野球選手の心理的成長プロセス(行動システム専攻 健康・スポーツ科学コース・松田 晃二郎)
イップスを経験した選手の心理的な変容を調べた先行研究はネガティブな心理的側面のみに着目してきたことに対して、本研究はイップスを経験した野球選手の心理的成長プロセスを検討することを目的とした。その心理的成長のプロセスを解明するために、ナラティブ・アプローチ(各選手がスポーツの中で経験する出来事をいかに語り、いかに意味付けるかを調べることが重要)という手法を用いた。結果は、イップスを発症した直後の選手には先行研究と同様にネガティブな情動の喚起が確かめられたが、選手がそのネガティブな感情と向き合う過程で、心理的成長につながっていくという一連のプロセスを明らかにした。

脳性マヒ児の動作と情動のコントロールを目指した動作法 ~集中宿泊療育キャンプの事例を通して~(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース・岩男 尚美)
まず動作法の誕生及び発展について紹介した。本報告において非対称性緊張性頚反射(ATNR)を有するアテトーゼ型脳性まひ児を対象に4日間の動作療法を行ったことが紹紹介された。その事例療法の経過より、座位課題のための環境調整の在り方の重要性、動作のコントロール感の獲得と言語面及び対人面の発達の関連の可能性が指摘された。

マレーシアにおける動作法の展開 ~比較臨床心理学の視点から~(マレーシア国立大学・人間環境学府附属総合臨床心理センター外国人客員教員・ガン チュンホン)
発表の前に、古賀先生がガン先生を紹介した。ガン先生は主にマレーシアにおける動作法の広がり状況やその問題及び課題を紹介された。1990年日本人研究者がマレーシアの障害者施設に動作法を紹介した。しかし住み込みの施設という限られた場所での実践であったため、長い間その動作法を広められなかった。また、マレーシアでは福祉局の施設では、一般的に発達障害の子どもに心理療法を用いていた。近年になって発達障害の子どもに動作法を導入したという。また地域で動作法を導入する試みもあり、動作法が広がりつつあるという。発表のなかでは、天災によって子どもの遊び場を無くした小学校に動作法を導入した例を挙げて、動作法は心理療法ができなかったことを可能にするというメリットを指摘した。しかし、宗教によって、男性が女性の体に触れることが禁止されている現実があることも指摘した。

高齢者を対象とした健康動作法グループの実践報告(人間共生システム専攻臨床心理学指導・研究コース・清島 恵)
まず動作法の適用対象が、脳性まひ児・者以外の発達障害児の療育や精神疾患の治療などへ広がったことを紹介した。本報告は参加者の内省報告と参加者に対する支援事例から、高齢者への健康動作法の会の意義を検討することを目的としている。参加者の内省報告の検討を通して、身体と向き合うことや人にあわせてもらうことで自分を労わる場としての意義、情報交換や他者に受け入れられることの交流の場としての意義が確認された。そして参加者に対する支援事例から、身体機能の改善のみならず、高齢者の抱える心理的な課題にアプローチできる可能性が示唆された。

目を閉じることが記憶に与える影響(行動システム専攻心理学コース・内山 朋美)
出来事の想起時に目を閉じると、目を開けたままでいるときよりも記憶成績が高くなることを閉眼効果という。本研究では、閉眼効果の生起要因を調べた。具体的には、記銘時と再認時の情報の呈示モダリティを操作して実験を行った。その結果、視覚再認課題時は、記銘情報の呈示モダリティに関わらず、目を閉じると成績が向上した。一方、聴覚再認課題時は、記銘情報の呈示モダリティに関わらず、目を閉じると成績が低下した。これらのことから、閉眼は視覚化を促進し、リハーサル時の視覚的再符号化を促すことが示唆された。

行為がもたらす感情と感情がもたらす行為(行動システム専攻心理学コース・佐々木 恭志郎)
思考や感情などの抽象的なものは身体で体験可能な感覚や運動と心内で結びついている(心的メタファ)。そのような心的メタファの一つが上下の空間と感情の快不快の連合である(上=快,下=不快)。本研究では、上下の空間と感情が心内でどのように結びついているのかを解明することが目的であった。具体的には,感情と上下方向の運動感覚が双方向的に影響を与え合うかを実験により検討した。その結果,感情は上下方向の運動感覚に影響を与え,さらに上下方向の運動が感情に影響を与えることが明らかになった。さらに,このような感情などの抽象概念と感覚や運動などの具体的な表象の双方向的な連合の形成過程について身体化認知の観点から考察され,両者が共起体験の学習を通して結びついたことが示唆された。

総合討論(司会:古賀聡・内田若希)
・行為あるいは行動が感情に影響をもたらすと指摘しているが、実際どの程度の大きさで影響を及ぼすのか。
・イップスの対象者について教えてほしい。また、心理的成長が見られたその結果は、実際どういうふうに身体の改善と結び付いているのか。
・内山さんの発表に論じられた記憶作成が、スポーツ学習の場面においてもあったりするのではないか。
・文字をみるまたは読むことが、体が根になっている。感情の上下というのも、体がなければ上下という概念も誕生しなかった。そういう意味で今回の発表者皆がテーマに沿った発表を行われたと思うし、卒業生である私にとってとてもいい体験をさせていただいた。

ミニシンポジウム ミニシンポジウム

ミニシンポジウム

 

2016年1月

「通学路の研究 -家庭から校門までの長い道のり-」講演会

タイトル:通学路での道草が人生を豊かにする
日時:2016年1月25日
場所:教育系会議室
司会:志波先生
出席者:教員(元兼、南、志波、田北)学術協力研究員(藤原)テクニカルスタッフ(大沼)他、院生等、合計19名

挨拶:元兼先生
これまで学際に携わってきた経緯について述べられ、さらに、今年度から立ち上げた多分野連携プログラム「通学路の研究」について、通学距離で規定されていた通学区に‘通学時間’が追加されたことから通学の実態が変化するなど、今、通学路を研究する意義についての説明がなされ、講演会の口火がきられた。
講師紹介:南先生
講師が本学の人間環境学府に在学当時の指導教官であった南先生から、ご著書の「子どもの道くさ」の紹介とともに道草研究者としての水月氏、宗教家としての水月氏の2つの顔を持たれる講師の多才な活動について紹介された。
講演内容:
まず、水月氏から、自己紹介がなされ、その中で主な研究テーマが「無用の用」であると述べられた。そのことが、子どもの道草研究をはじめとして、ALS患者についての研究や、『高学歴ワーキングプア』という本の出版などの多彩で多様な活動に繋がったと語られた。
次いで、本題に入り、「通学路」の魅力について、ご自身が撮影された多くの写真によって実例を紹介しながら講演が進行されていった。道草の効用とは「子どもは身体によって街を記憶している」「道草の中で考え、精神力を鍛えている」「道草を通して社会化されている」「地域の大人たちとふれあう貴重な機会」という点にあるとのことである。しかし、近年、子どもが巻き込まれる事件が相次いだことから、安全・安心を重視する声が高まった。その結果、子どもは監視されるようになり、通学路での子どものあいだで成立する遊びの文化が危うくなってきた。その実例としては、よい行為という意味ではないが‘ピンポーン・ダッシュ’がある。また、行政が整備した公園は、子どもの遊び場にはなりにくい。いわゆる「遊びの3間」、すなわち、‘仲間’‘空間’‘時間’が揃っていないことによるが、道草は、その条件を満たしている。道草と安全・安心が対立している構図から、水月氏はフィールドでの調査を行う動機を得たとのことである。子どもがどんな道を好むのかについて、通学路の整備の前後に実際に子どもと行動を共にして調べたところ、大人が安全・安心を考えて整備した通学路より、むしろ子どもは、臨時の通学路である狭かったり曲がっていたりする雑然とした道を楽しむことがわかった。また、道草の軽視は地域環境の軽視につながる、地域と子どもが離れ、子どもの発達のサポートが失われるという視点も示された。そして、キーワードとして「地域と道草と原風景」を挙げられた。事例として紹介された40代のある女性と、その女性が子ども時代を過ごした町を一緒に歩く調査を行い、電柱をきっかけに思い出語りが始まったことなどから、子ども時代の思い出倉庫としての場所や環境という捉え方が示された。
最後に、道草は無駄ではなく、発達のサポート、遊び文化、記憶装置、原風景、社会問題を考えるフィールドとして存在するのだということを指摘されて、講演をしめくくられた。
発表後は参加した院生や学生、コメンテーターの田北先生、参加された先生方からの下記のような質問、話題をもとに活発な討論が行われた。
・なぜ通学路というテーマにたどり着いたのか。
・学校でも家でもない通学路という空間には特殊性がある。
・子どもが自然に危険かどうかを学べるような通学路があるとよい。
・大人にとっては安全安心が大事だが、子どもにとっては何が大事なのか。
・ふるさとへの愛着概念についてもっと知りたい。
・通学路以外にも道草はあると思うが、通学路である意味は。
・道草とはそもそも何か。定義できるのか。ほどよい道草というものがあるのか。
・大人になって、道草はできるのか。
・子どもたちとのフィールドワークでは、子どもたちに研究の趣旨を伝えていたのか。 研究に適する対象学年は。
・大人が関与する方法は変えることができる。
・無用の用を、環境をどのように作るかという計画論に持ち込めるのかという究極の問いがある。
・建築の人間はいわゆる「遊び場」「通学路」を作ってしまうが、大人が考えたものを子どもの想像力は飛び越えてしまう。‘もの’を作ってゆくうえで、今日お話しされたような価値観を知っているかいないかでは違いがある。
最後に学術協力研究員の藤原さんがお礼の言葉を述べて閉会した。
講演終了後、立ち去り難い雰囲気もある中、参加者からは、「大人と子どもの視点の違いは興味深かった」「子ども時代を懐かしく思い出した」「道草の教育的意味を考えさせられた」「卒論に向けて勉強するいい機会になった」「道草を通じて社会化されていくということが印象深かった」などに加えて、留学生からは「日本の学校の周囲にある『止まれ』や『通学路』等の表示に関心があった」などの多くの感想が寄せられた。少人数ながらも、予定時間をオーバーした盛り上がった講演会を象徴しており、今後の活動への期待が感じられた。

水月先生講演会 水月先生講演会

水月先生講演会

2015年11月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて」2015年 第2回研究会

タイトル: 犯罪加害者臨床のフロンティア -刑事司法と医療・福祉・教育の連携-
日時:2015年11月4日
場所:教育学系会議室(教育学部2階)
出席者:教員(野々村教授、岡准教授、藤田准教授、飯嶋准教授、田北講師、田中助教)テクニカルスタッフ(大沼、董)合計9名。

内容:
パワーポイントを用いて話題提供が行われた。参考資料も配付された。
まず、柴田先生の建築分野における研究として、住宅地の安全安心、コミュニティのあり方等に関する活動内容の紹介が行われた。
次いで、メインの話題である犯罪加害者臨床についてのお話をされた。犯罪加害者について、近年は厳罰化を求める世論が強まってきている。そのため、加害者の更生・社会復帰を重視する“人権派弁護士”等との間で、対立軸が生じている。しかし柴田先生は、たとえばDVやストーカーにおいては、厳罰化だけでは犯罪を防ぎきれない、被害者を守るためにこそ罰とは別の手段での加害者対策が必要との思いから、心に歪みを抱えた加害者のカウンセリングなどについて、専門家を繋ぐ活動を行っている。加害者臨床を行うことにより、加害者の社会復帰をとおして被害者を守るような第三のミチを模索しているとのことであった。
一方で、日本のカウンセラーとの対話をとおして、カウンセリングをうける加害者の情報を一般のカウンセリングと同様の守秘義務として守るのではなく、被害者の安全を再優先し時には加害者に関する情報を被害者側に伝える必要があることを訴え、そのあり方を模索している。
話題提供終了後は、お話の内容についてのみならず、研究者としての視点の持ち方や研究の位置づけのあり方など、様々な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

柴田先生研究会 柴田先生研究会

 

2015年10月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2015年 第2回研究会

概要:
人間環境学府行動システム専攻の橋彌先生が講演を行った。
タイトル: 自然淘汰概念の継承と展開:進化を「きほんのき」から振り返る
日時:2015年10月7日
場所:教育学部会議室
出席者:教員(南教授、浜本教授、坂元教授、谷口教授、當眞教授、野々村教授、藤田准教授、田中助教)テクニカルスタッフ(董、大沼)および院生等、合計23名。

内容:
ここでの「きほんのき」とは、ダーウィンの「ノートB」に描かれた系統樹のことである。ダーウィンの経歴や業績について簡単な紹介をおこない、それに絡めて、一般的によく図などに出るサルからヒトへの直線的な進化のイメージは間違いであり、進化は分岐的になされてゆくこと、進化は単純なものから複雑なものに進むというわけではないことなどが説明された。
その後に、ダーウィン以前の進化についての考え方(生物は神の創造であり進化はない/キュビエの天変地異による変化という説/ラマルクの用不用説)の概略が紹介され、その後ダーウィンの「自然淘汰」の基本原理が示された。有利な形質を持つ個体が平均的に多くの子を残し、その形質が次の世代に引き継がれるものであれば(当時は遺伝という概念はまだなかった)、集団内でその形質をそなえた個体の割合が高くなる。これが「種の起源」であるということである。ただし、環境が変化すればそれまで適応的だった形質がそうでなくなる場合もある。すなわち進化には目的や方向性があるわけではなく、物質があらゆる存在の基盤であるとした点で、ダーウィンの理論はラディカルなものであったということである。
まとめとして進化≠進歩であるということが確認された。進化は社会や集団の「ために」起こるのではなく、過程であり価値を含まないということである。
さらにダーウィン以降の進化論についても様々な学者の研究をとりあげられた。20世紀の進化論は個体と環境の相互作用のみでなく個体間の相互作用を対象にするようになった。社会や文化に遺伝子淘汰の理論的枠組みを適用することから起きた社会生物学論争などの話題にも触れられた。
その上で、1990年代以降の「進化心理学」の出現について述べられ、橋彌先生ご自身の「自他がまざるシステム(共感)」というものへの関心、それを調べるための子どもの表情認知の実験について説明されて締めくくられた。
講演終了後は下記のような話題について活発な質疑応答、討論がなされた。
・テレビなどでは進化という言葉はよい方向に行っているというイメージで使われている。
・価値を含まない進化論を、どのように価値を含む社会的なことに適用するのか。
・進化という言葉の価値的なイメージから逃れる必要がある。人は意図や方向性のあるものの方が解釈しやすいという性質がある。
・18世紀に人種をランキングするという考え方があった。スペンサーの社会進化論を森有礼が参考にしている。
・イギリス史では、人間を自然の一部とする進化論はドラスティックな変化だった。
・野生児を人間に組み込むかどうかが問題にされたことがあった。
・脳科学でなされている共感の研究との関係は。共感尺度のあり方とは。
・共感回路はどのような条件下でシャットダウンするのか(同胞の虐殺などの文脈で)。
・内集団と外集団の区別にはあやうさがある。
・人は状況に物語をidentifyすることで共感と結び付ける(ライオンが主人公のテレビを観ているとライオンの狩りが成功すればいいと思い、インパラが主人公だとライオンに狩られるとかわいそうだと思う)。
・共感は生物学的なものか、社会的なものか。
・幼い子どもが表情の動画を見ると真似る実験があるが、静止画ではどうか。
・ジェンダーと生物学的、社会学的条件との関係は。
・自閉症の子どもを使った共感実験の際、アイコンタクトをしない子どもにはどのように対処するのか。

橋彌先生講演会 橋彌先生講演会

橋彌先生講演会

 

2015年9月

子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて

日時:9月22日(火)13:00~15:00
テーマ:「教育福祉援助職の問題から教育と福祉のあいだを考える ~アメリカ20世紀前半のビジティング・ティーチャー(SSWの前身)の歴史から~」(*SSW=スクール・ソーシャル・ワーカー)
講師:倉石一郎先生(京都大学)
場所:講義棟204号室
参加者:31名
概要:
パワーポイントを用いて、先生ご自身の著書『アメリカ教育福祉社会序説:ビジティング・ティーチャーとその時代』(春風社、2014年)の内容を中心に発表が行われた。発表資料も全員に配布された。
著書は序章と終章を含めて6章から構成されているとのことである。ビジティング・ティーチャー(Visiting Teacher  SSWの前身  以下VT)とは、革新主義期のアメリカ合衆国において誕生し、学校に基盤を置きながら、長期欠席や怠学、学業不振、家庭の貧困や親による放棄、疾病や障害、文化間葛藤や差別、非行など種々の困難に苦しむ子どもたちの救済、ケア、支援に奔走した人たちであり、誕生以来長く、女性が占める割合が非常に高かったという。
先生は、なぜVTに魅せられたのか(あるいは著書の意義)について、以下のように、理由を三つに分けて説明された。
まずは「教育と福祉の間」という境界領域への関心があることを取り上げられた。Reese(1986/2002)は、革新主義期(20世紀初めから第一次大戦まで)、アメリカの四つの都市(Toledo、Rochester、Milwaukee、Kansas  City)を舞台に、冷たい改革(教育行政の集権化、エリート専門家による支配)とあたたかい改革(学校機能の福祉化、ソーシャルサーヴィスの拠点化)が緊張をはらみながら接合していくありようを活写している。そして先生は、VTは20世紀初頭のこうした新秩序成立のキーマンあるいは立役者という存在ではなく、その役割はもっとつつましいものであったが、逆に言えばこうした動向の主要な局面のどこにおいても万遍なく顔を見せていると指摘する。つまり、VTの姿を追うことで、福祉と教育の接合断面が鮮やかに浮き彫りにできるとのことであった。同時に、福祉と教育の関係は、順接的、相補的なものばかりではなく、対立的、逆接的な面もあることを指摘した。また、本書で取り上げられたRochesterはVTの公費雇用が最も早かった都市の1つであったという。
そして、二点目の理由を、SSWの前身として専門職と呼ぶにはまだ未分化な存在であった草創期のVTには、その未熟さ故に、豊かな可能性が宿されていたことにあると述べた。VTの名に“teacher”を冠しているが、それは「教育について経験や見識を持つ人物」というほどの意味であり、自身が授業をすることはない。しかし、単に児童福祉に携わるソーシャルワーカーというだけの存在でもなかった。学校に根をおろし、学校のあり方を揺さぶり、変容させる力のある存在だった。具体的には、もともとは市民活動家による学校への訪問から始まったが、PEA(ニューヨーク市公教育協会)が仲介をはかり、次第に家庭、地域の訪問へと広がり、より組織的な活動に発展していく。そしてVTの機能も、子どもたちが学業を進めていく上で正常、あるいはより有益となるよう、個々の生活条件を調整することを担うようになった。このように、VTの役割の一つは「学校の常勤スタッフを『社会化(socialize)』すること、即ち子どもたちの「不適応」原因の多様性に、教師がもっと「敏感になる」よう促すこと」であった。教育と福祉が未分化(福祉専門職が未確立)な時代だったゆえに、教育や学校のあり方について臆せずモノは言えたこと、VTがまだ教育行政に完全に取り込まれていないために学校・教師との間に適度の距離、緊張感があり、異文化、異者としての学校、教師からVTが何事かを「学ぶ」というモメントがあったことがVTの未熟さゆえの豊かさであったとのことである。
三つめの理由として「全体主義社会に対する警鐘として意義」があることを指摘した。VTの活動により、子育てといった「私的なるもの」が「公共的関心」の対象となった。こうして私たちの生活世界が「「社会的なるもの」によって真綿で首を絞めるように取り巻かれた状況」になったのである。つまり、教育と福祉との接近、相互浸透化という現象は危機に瀕した体制が、社会の全構成員を巻き込んでの何らかの秩序の再編、再構築に乗り出す際のサインのようなものと解釈できるかもしれないとのことであった。
最後に、先生が、今日の社会に教育と福祉の連携がうたわれ、SSWに熱い視線が注がれていることを、「何らかの「全体主義的状況」到来の前兆かもしれない」と予見し、この「全体主義」に亀裂を入れるような葛藤、緊張感の存在、そこにこそ、未熟で混沌とした初期のSSWの歴史を参照する理由があるとして講義を締めくくった。

◯発表後は以下のような話題で活発な討論が行われた。
・自身の児童福祉施設でのアルバイト経験の中で、明らかに学校に適応できない子どもであることが分かっても、学校に戻させようとした例がある。この時期のアメリカに似たような例があったのか。
・当時、学校以外(例えば労働に行かせること)の方向への対策を考えられていなかったのか。
・福祉と教育との接近という時代をどう捉えられているのか。
・福祉と教育という領域のあいだに、接合―分離―接合という複雑な流れがあったのではないのか。
・教育と福祉について、「教育」とは何を指すのか、「福祉」とは何を指すのか。それは、領域と機能を指しているのか、あるいは視点のことを指しているのか。
・福祉国家体制が増幅していく時代の中で、福祉国家の結晶ともいうべきものは「社会的なもの」が確立されていくことである。それに対して、「監視」的な眼差してみているのか。

倉石先生著書 倉石先生著書

 

2015年7月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2015年 第1回研究会

概要:
自治医科大学の永澤美保先生をお招きし、研究を紹介していただいた。
タイトル: イヌの社会性 -ヒトとイヌとの絆形成-
日時:2015年7月29日
場所:教育心理学棟2F 心理演習室
出席者:教員(黒木教授、橋彌准教授、藤田准教授)テクニカルスタッフ(大沼)および院生、学部生、職員等、合計14名。

内容:
動画も含めたパワーポイントを用いて話題提供が行われた。
まず研究対象となっているイヌ(普通に飼われているイヌたち)の紹介が行われた。次いで家畜としてのイヌの歴史についても簡単に触れられた。イヌは最古の家畜であるが、1990年代後半からようやく社会的認知能力についての研究が盛んになってきたとのことである。先行研究によって、イヌの先祖であるオオカミや、人間に近いとされるチンパンジーが持たないようなコミュニケーションスキルをイヌが持っていることなどがわかっており、ヒトとイヌとは寛容性の高さ、恐怖をあまり感じない性質などを共有することから、同じ環境を共有して共生するように進化してきたことが示唆された。
続いて、先生ご自身の、ヒトとイヌとの「絆」についての研究の紹介が行われた。実験的手法を用いて、ヒトとイヌの行動やオキシトシン(愛着、養育行動と関係する)分泌などを見ることによって、同種の親子や配偶者間に見られるような絆(Biological Bonding)に相当するものがヒト(飼い主)とイヌのあいだにも見られるケースがあることが示された。
また、付加的な話題として、アジア犬種は遺伝子の面でオオカミに比較的近く、実験結果もそれを裏付けていることについても述べられた。
話題提供終了後は、イヌとヒトとに、ヒトどうしでは見られるような「共同注視」はあるのか、目の形態的な違い(白目の有無等)は視線によるコミュニケーションにどう影響するか、ヒトからイヌへの愛着行動としてもっとも意味があるのは視線なのか接触なのか、さまざまな犬種による違いや、ヒトとイヌとの関わり方の文化の違いについても検討する必要があるのでは、他、様々な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

進化心理学研究会 進化心理学研究会

2015年3月

「共生社会のための心理学」2014年度ミニシンポジウム

日時:2015年3月23日
場所:講義棟103教室
出席者:教員(古賀准教授、光藤准教授、内田講師)、テクニカルスタッフ(董、大沼)および院生等、合計38名。

趣旨説明(行動システム専攻・光藤宏行)
人環では5つのコースで心理学が扱われていることが紹介され、学問の細分化は悪い意味での伝統芸能化、社会からの遊離を招くという見解が述べられた。そういったことを回避し、心理学の広がりを楽しむことが今回の企画趣旨であるとの説明が行われた。

自閉症スペクトラム障碍児の対人認知の特異性とその支援(人間共生システム専攻・五位塚和也)
自閉症スペクトラム障碍(ASD)の、人との関わりに困難をきたす特徴等が紹介された。会話場面の吹き出しにせりふを記入させ、発話の意図を問うという手法を用いた実証的研究により、ASDは他者の心を理解する際に、他者と共有されにくい主観を手がかりとし、関係性を手がかりとしないことなどが示された。また、象徴遊び(見立てを用いた遊び、ごっこ遊びなど)を用いた事例研究により、象徴遊びをうまく展開してゆくことによって対人関係も発展してゆくことが示された。

脳性マヒ者の生涯発達支援としての心理リハビリテイション(総合臨床心理センター子ども発達相談部門主任・細野康文)
脳性マヒは脳の病変による運動や姿勢の異常であることが説明された。九州大学で開発された、言葉ではなく動作を行うことにより心理的に働きかけを行う動作法、またそれを用いたキャンプなどの活動が紹介された。次いで、脳性マヒ者の加齢に伴う問題(身体的な不自由度が増す、心理的に将来への不安が増すなど)が説明された。加えて、二件の比較的年長のクライエントについての事例研究が報告された。いずれも、動作法を行うことによって、過緊張や緊張の慢性化に気づき、身体の感じを明確化できたという良い効果が得られたものであった。

大脳半球の左右差が空間性注意機能に与える影響(行動システム専攻・古川香)
リハビリテーション療法士の仕事の中で空間性注意機能の障害の患者さんを対象としているとのことである。その中で半側空間無視は、右脳損傷者に多く見られ、左側を全く無視してしまうという症状が出る。その症状はBITというテストにより診断されるが、有効視野課題により、より細かく左右大脳の機能を検討したいという目的で実施した研究が紹介された。画面の四隅に提示された数字を検出、同定できるかという課題を用いて検討した結果、空間性注意機能障害には右脳の影響が大きいという従来の説が支持された。有効視野課題が空間性注意機能障害の評価方法として使える可能性も示唆された。

凶器注目効果と有効視野の関係(行動システム専攻・原田佑規)
事件などの目撃場面で凶器が存在すると犯人の顔などの記憶成績が低下するという凶器注目効果の概念が紹介された。この効果は有効視野の狭窄が原因となっているという仮説があるが実証的研究は少ないとのことである。凶器を含んだ画像または含まない画像を見た直後、注視点から一定の角度離れた位置に出現する数字を検出、同定できるかという課題を用いて行った研究の結果、凶器がある条件ではない条件より有効視野が狭窄していることが示唆され、仮説が支持されたことが示された。

運動・スポーツ場面での主体的な学習者—自己調整学習の視点から—(行動システム専攻・須﨑康臣)
報告者は、学習方略と動機づけを統合した理論である自己調整学習について説明をした。そして、この自己調整学習を用いて、先行研究で指摘されていた大学生における留年、休学、退学の増加問題に対する方策について説明をした。その方策は、大学生の学校不適応問題は学校適応感の低さが関連しており、この学校適応感と関連する対人関係面と学習面の2つの側面を含む体育授業を用いたものであった。そして、学校適応感を促すための体育授業の在り方として自己調整学習の視点から説明を行った。具体的な内容としては、体育授業における自己調整学習方略の使用と体育適応感との関連についての調査と分析であった。分析の結果から、自己調整学習方略の獲得を促すための学習支援が重要であることを指摘し、さらに大学への不適応に対する改善アプローチとして、体育授業が有効である可能性を提示した。

学校臨床における臨床心理学的コンサルテーション(人間共生システム専攻・中村美穂)
コンサルテーションの必要性または有用性を強く感じたことが、一度学校現場で働いた報告者が再び大学に戻って勉強する契機となった。それは報告者が臨床心理士として現場をよく分かったからこその志であったとのことである。報告者が目指す臨床心理学的コンサルテーション過程とは、児童生徒・学生保護者と教師、臨床心理士による協議、試行、点検というサイクル化(円環的かつ統合的なコンサルテーション過程へと発展する)であっった。

福祉実習による心理変化~福祉学部大学生へのインタビュー調査を通して~(行動システム専攻・小松智子)
報告者は、「福祉実習におけるどのような体験が、どのような心理変化をもたらすかを、インタビュー調査により質的に整理」し、「また心理変化に影響を及ぼす他の要因、福祉実習で測定可能な自己効力感を探索的に検討する」ことを研究の目的としている。そのために、N大学社会福祉学科に在籍し、社会福祉士養成にかかわる相談援助実習を終了した男女学生12名を調査の対象とした。調査の結果は、先行研究と類似する指摘も得られたが、学生らが実体験や観察することを通して、福祉職に求められる資質やスキルを学んでいたことが明らかとなった。一方、進学動機が受動的で気遣いしやすい者は、福祉職に対する自信が低くなったり、不安が高まったりしていたという結果も得られた。また、実習で体験する学びに対する自己効力感を測定する尺度を作成し、進学動機や進路意志との関連性について、データ数を増やして明らかにしていくことにより、学生の個別性に応じた福祉実習教育に貢献する資料が得られる可能性があると指摘した。

総合討論(司会:古賀聡・内田若希)
・半側空間無視者は、誰かの促しによって自覚できるのか。
・自覚がない患者と医者の間で支援策は難しいのでは。
・ASDに対する支援の困難さとは。
・大学適応感を促すには、対人関係面と学習面の2つの側面からの支援が重要と主張しているが、この報告にはあまり対人関係面について説明されていないと思うが。
・大学に体育授業は必要だと思う。では、「大学の体育授業とは何か」を考えられているのか。例えば障がいがある人等、大学では様々な学生さんがいる。今後どのように体育授業を考えられているか。またどのように進んでいくか。
・最後は報告者全員が今回のミニシンポに参加した感想を一言ずつ話した。

ミニシンポジウム ミニシンポジウム

ミニシンポジウム 

2014年11月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて」2014年第2回研究会

概要:SFD21JAPAN代表の小野本道治氏およびメンバーの宇薄拓海氏を招聘して、SFD21JAPANの活動について紹介していただき、またその活動の中での経験や思いについてトークバトルをしていただいた。

タイトル:元非行少年! 言魂トークバトル「福岡市西区における非行少年の立ち直り支援について」
日時:2014年11月7日
場所:教育学系会議室

内容:
まず小野本氏がパワーポイントを用いて、SFD21JAPANの経歴、活動内容について講演された。最初は体力増進を目的とした任意団体として始まったが、ある母親から息子をみてほしいと頼まれたことがきっかけとなり非行少年との関わりが始まったとのことである。非行少年の居場所作りということに携わるようになり、平成16年にNPO法人SFD21JAPANとなった。非行少年にははっきりとした組織作りが必要なこと、いろいろなことに参加してもらい役割を与えることが大事なこと等が説明された。また活動の実際として、他団体との交流、農園、ボランティア活動、ジムなどが紹介された。とりわけアームレスリングに関しては好成績をおさめているということである。そのような話の中で、非行少年は人どうしとしての関わりを求めていること、かかわってくれた人のためにはがんばることなどがポイントとして示された。少年たちからのメッセージや活動の様子を示したビデオも紹介された。
次に、小野本氏と宇薄氏のトークバトルが展開された。主として宇薄氏自身の非行少年としての経歴およびSFDに関わるようになってからの経験にからめて、小野本氏がそのときどきの気持ち等を尋ねてゆくという形である。老人ホームでのボランティアや、学校との関わり方、警察との関わりの中である人ととてもよい交流ができたこと、少年院から出てきた少年が再犯するのはなぜか、糸島地区での九大生とのバイトの口をめぐる競争関係、地域との交流のあり方等、話題は多岐にわたった。その中でもやはり重要なポイントは、きちんと人として関わる人の存在、居場所があるということが大切になるということだと思われる。
トークバトル終了後は、宇薄氏がSFDに参加してから人との関わりがどう変化したか、宇薄氏の将来の夢はどのようなものか、非行少年の親の交流会はどんな場か、学校の先生と小野本氏との関わり方、アームレスリングが得意でない子はどうするのか、兄弟の関係性と非行との関連、SFDの運営上の課題、他世代との交流、他、多様な話題について活発な質疑応答、討論がなされた。

出席者:教員(野々村教授、松﨑教授、岡准教授、稲葉准教授、田北講師、柴田助教)、テクニカルスタッフ(大沼)および院生等、合計13名。

小野本先生研究会1 小野本先生研究会2

2014年10月

「建築災害と生理・心理」2014年 第1回研究会

概要:
東北大学大学院工学研究科の久田真先生にお願いして、東日本大震災で発生した災害廃棄物の処理と有効活用の実例ならびに今後の展望について講演いただいた。
タイトル: 東日本大震災で発生した災害廃棄物の処理と利活用の推進
日時:2014年10月30日
場所:箱崎理系キャンパス 建築1番教室

内容:
久田先生は、東日本大震災で発生した災害廃棄物処理を「がれき処理コンソーシアム」代表として実際に指揮する立場の方であり、本講演会では、その立場から実態と実例、問題点、今後の課題と展望について話していただいた。
講演の概要は以下の通りである。
◇新聞記事等でみる発災からの変遷
◇災害廃棄物処理の経過と実態
◇新たに開発された技術
◇再生利用推進のための課題
◇骨材・コンクリート需要への対応
◇学協会の取組みについて
◇震災廃棄物の処理計画の有り方
新聞記事等による発災からの変遷については、主に地方新聞紙『河北新報』にこの三年間記載されたがれき処理関係、資材調達関係、その他(復興まちづくり、仮設住宅、最終処分)に関する記事から数字を挙げて紹介した。また、がれきの処理が3年間を要すること、がれき処理にかけた金額の問題、資材不足による調達の難しさ、仮設住宅の老朽化などの記事から読み取れるこれらの課題を指摘した。
前例の関東大震災と阪神大震災のがれきは埋立ての処理をとったが、東日本大震災のがれき処理に関しては、環境省が資源性廃棄物を徹底利用することで最先端の循環ビジネス拠点として東北地方を再生することを方針とした。近年の建設業界の流れからも、東日本大震災の震災がれきを有効利用することの可能性が十分にあった。ゆえに資金と時間をかけてでも再利用を選択したという。
がれきは自治体が自ら処理することになるので、地域の状況によって処理の違いが大きい。久田先生が紹介したように、岩手県は太平洋セメント(株)が大船渡市に,三菱マテリアル(株)が一関市にセメント工場を稼働させていたが、宮城県にはセメント工場がなかったため専用の焼却設備を多数建設する必要があった。がれきの分別は、手作業で丁寧に行われ,また、写真や個人所有物は出来るだけ所有者に戻るよう配慮がなされた。一方で、こうした取組みの中で、新たに開発された技術もいくつかあった。例えば、現地処理が必要な震災がれき―コンクリートがれき、がれき焼却残渣、津波堆積土砂の有効利用に関する技術開発である。また、久田先生は、震災がれきの有効活用技術の例もいくつか画像で紹介された。さらに、再生利用推進のための課題には、ニーズとシーズのマッチング<時間>(利用時のために資材化がれきの保管が必要)、ニーズとシーズのマッチング<場所>(運搬費用の発生による天然資材との拮抗)、ニーズとシーズのマッチング<組織>(ニーズとシーズの出会い)をあげられた。がれき処理コンソーシアムの体制についてはwebで公開されている。
骨材・コンクリート需要への対応に関しては、以下のような知見が示された。良質な天然資源等をいかに効率よく利用するか、生コン、プレキャスト製品など、事業規模拡大を最小限にしていかに需要に応えていくか、環境基準等の制度を順守しながら、いかに品質を確保していくかなどである。また、「学」のシナジー効果については各々学協会の取組みを紹介した。
がれき処理・利活用を通じて得られた教訓とは、東日本の2000万トンのがれき処理が、3年の時間と1兆円の費用を費やしたことである。南海トラフに関しては、最大2億トンのがれきが予想され、同じ規模で処理すれば30年が必要、10倍の規模で処理すれば10兆円が必要とされる。取組みによって得られた山積する課題のなかで、震災廃棄物処理計画の有り方が課題であると指摘された。また、日本での処理技術を輸出する方法も考えるべきとの見方が示された。
発表後は、セメント工場が西日本は福岡に6工場、大分に1工場あるが、その可能性について、廃棄物処理業者にとってメリットがあるのかなど、多様な話題について活発な討論がなされた。

出席者:教員(久田教授、清家准教授、小山准教授、光藤准教授)、テクニカルスタッフ(董)および院生、学生等、合計17名。

久田先生講演会 久田先生講演会

 

「学校トイレで多分野連携アプローチの可能性をさぐる」講演会

概要:
NPO法人日本を美しくする会の相談役で、イエローハットの創業者でもある鍵山秀三郎先生を招聘して、ご自身の生き方を通じて、これまで取り組んでこられた掃除の活動やその意義等についてご講演いただいた。

タイトル:凡事徹底 –トイレ掃除は心磨き-
日時:2014年10月24日
場所:人環研究棟2階会議室

内容:
まず、ホワイトボードを用いて、鍵山先生ご自身の生い立ちや職業経験を背景に「凡事徹底」の意義についてお話しいただいた。「何もないこと」を武器に、つらい経験もプラスにとらえて乗り越えてきたことをディズレーリの言葉「如何なる教育も逆境から学んだものには敵わない」等を引用されながら紹介され、「大きな努力で小さな成果」という信条や「誰にでもできる簡単なことを誰にでもできないほど続けてきた」というご自身の実体験に基づいた説得力のあるお話しをいただいた。
次に、豊富な画像のパワーポイントを用いて、先生が実践なさってきた「掃除道」の実際を詳しくご紹介していただいた。掃除道具を事前にきちんと整えておくこと、グレイチングやごみ置き場の掃除の実際、落ち葉を集めて堆肥にすること、トイレ掃除の方法、日本各地に加えて海外でも始まっている「便教会」の活動、基地周辺や河川敷の清掃活動等々、具体的で多様な活動内容が紹介された。それらに交えて「凡事徹底」の意味(特に大事なのは言動一致ということ)、「割れた窓」理論(大きな問題解決の前に、目の前の小さな問題解決を図る方が先決)を意識すること等、人生における大切な心構えについてもお話しいただいた。
最後に「三つの幸せ」についてお話しいただいた。もらう幸せ、できる幸せ、あげる幸せの中で最上のものはあげる幸せとのことである。
掃除の範疇を越え、世の中をよくするのは一人一人の心がけが大事というのが全体に通底したメッセージであったと思われる。講演後は、トイレ掃除に素手を推奨する理由、反対運動やいやがらせをする人を変えることはできるのか、学生をうまく掃除に集めるには、掃除はどのくらいの時期から意識的に始められたのか、等の活発な質疑応答が行われた。

昼食をとりながらの座談会では、参加者の方々と大学側のスタッフが自己紹介し、その後、それぞれ自身の経験(研究、仕事、生き方など)と実感的に結びつけた感想を述べ、それについて鍵山先生がコメントをされた。

出席者:約80名(福岡市教育センター、小中学校教員、他大学関係者、福岡便教会会員および一般参加者を含む) なお、学内の学生・院生は他学部も含めて40名が参加し、座席を追加するほどの盛会で、それぞれに意義が大きかったことが感想文等からもうかがえた。※座談会は14名(学外3名)の参加。

学校トイレ研究会講演会 学校トイレ研究会講演会

 

2014年9月

「人間諸科学における進化心理学の位置」2014年 第1回研究会

概要:
総合研究大学院大学先導科学研究科の中尾央先生をお招きし、研究を紹介していただいた。
タイトル: Ready to Teach or Ready to Learn: A Critique of the Natural Pedagogy Theory
日時:2014年9月29日
場所:教育心理学棟2F 心理演習室

内容:

本研究会では、中尾先生が今年Rev.Phil.Psyc誌に発表されたタイトル論文についてお話を頂きました。出席者には事前にこの論文をメール配布し、各自で読んだ上で開催された研究会であったため、アットホームな雰囲気の研究会となりました。
中尾先生は、近年 CsibraとGergelyが提唱し、進化心理学、発達心理学分野を中心に活発な議論が繰り広げられている「ナチュラル・ペダゴジー説」に対して批判的な立場から、ナチュラル・ペダゴジー説を支持すると考えられている実験の解釈についても、様々な問題点を指摘しました。
ナチュラル・ペダゴジー説によると、ヒトはヒト以外の動物には見られない、教育に特化した認知的適応形質(ナチュラル・ペダゴジー)を進化させてきたとされます。さらに、この適応形質の進化なしには、数百万年前からその使用が拡大し始めたと考えられている複雑な道具が、忠実に次世代へ受け継がれていくようなことがありえなかっただろうとも考えられています。中尾先生は,このようなナチュラル・ペダゴジー説が主張する明示的なシグナルostensive signalsが子どもの模倣学習を喚起するという図式に対して,そのシグナルが誰から発せられたかということ,さらにはどのような振る舞いとともに発せられたかによって,模倣学習の度合いが異なるということを述べられました。
発表後は、18ヵ月の子どもと3-5才の子どもを対象とした実験をとりあげつつ、新生児模倣のようなmimicとimitationによる模倣学習との間に違いがみられるかどうか、あるいは模倣学習における教える側と受け方側の「ずれ」などにナチュラル・ペダゴジー説は応えることができるかという問題など、多様な話題について活発な討論がなされました。

出席者:教員(浜本教授、橋弥准教授、藤田准教授)、学術協力研究員、テクニカルスタッフ(董)および院生等、合計14名。

 

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 2014年第1回研究会

概要: 人間環境学府人間共生システム専攻の山下亜紀子先生にお願いして、本研究会で研究を紹介していただいた。

タイトル:発達障害児の母親の生活実態に関する社会学的研究
日時:2014年9月16日
場所:教育学系会議室

内容:
発達障害児の母親の生活実態はどのようなものかについて、山下先生が宮崎県都城市にある発達障害児の親の会における茶話会の会話を録音し、分析した内容が発表された。分析の結果、母親の生活困難として「障害児の言動による生活の困難」「子育てモデルがなく、日々模索し、試行錯誤している状況」「支援環境との物理的心理的距離感」「良好ではない周囲との関係性」「日常的に生じる心理的負担感や葛藤」の5カテゴリーが導き出された。これらのカテゴリーの詳細な内容も一部紹介された。また、同じく茶話会でのデータをもとにソーシャル・サポートについて質的分析を行った結果、「家族」「インフォーマルな関係性」「専門機関」「その他」の4つに分類される計13のサポート源があることが判明したが、これらは数としても少なく、サポート内容にも限定性があるということである。総括として、母親自身の抱えている困難さは、子どもの問題を前に潜在化してしまいケアが行き届きにくいこと、母親へのサポートが少なく非常に孤立しやすいことが述べられた。最後に、録音された音声の一部も紹介された。
発表後は、親の会の存在の意義やあり方、研究者としての現場への関わり方、この研究では直接見えてきにくいサポート源の存在の可能性、父親の側の悩みへのサポートの方法、育児の負荷が母親に偏るようになっている社会構造の問題など、多様な話題について活発な討論がなされた。

出席者:教員(野々村教授、田上教授、岡准教授、藤田准教授、田北講師、柴田助教)、テクニカルスタッフ(大沼、董)および院生等、合計12名。

2014年4月

「共生社会のための心理学」特別セミナー 報告

タイトル:“Oh great!”: You don’t have to be British to understand sarcasm?
日時:2014年4月18日(金)15:00〜16:00
場所:文学部心理学演習室
講師:Maki Rooksby (Lancaster University)
概要:
イギリス・ランカスター大学のMaki Rooksby先生に、本研究会で研究を紹介していただいた。子どもの皮肉の理解において、文化の異なるイギリスと日本では違いが見られるのか。Maki Rooksby先生はぬいぐるみのキャラクターを用いたストーリーを子どもたちの前で演じることによって実験を行った。その結果、以下のようなことが示された。イギリスの子どもも日本の子どもも同じように皮肉が理解できる。しかしその一方でいわゆる「心の理論」(キャラクターの勘違いを理解できるか)については理解が不十分であり、また、その点についてはイギリスの子どもたちより日本の子どもたちの方が若干理解が遅い傾向がある。加えて、皮肉の理解と「心の理論」との間にはリンクが見られなかった。
発表後、15分程度にわたって活発な質疑応答が行われた。

出席者:實藤准教授、光藤准教授、テクニカルスタッフ(大沼)および学生、合計15名。

 

2013年5月

水俣を通じて人間と環境の関係を考える
飯嶋秀治・岡幸恵・當眞千賀子

文脈
1956年の水俣病の公式確認から2013年で57年にもなる。熊本県内では小学校時代に訪問し、しばしば報道もされる水俣も、熊本県外では「過去の事件」のように考えられていることが多い。ところが「工場の環境汚染によって食物連鎖を通じて起こったこと」「胎盤を通じて胎児性水俣病が発生したこと」で「人類史上初の事件」[原田2004:12、13]と言われる水俣市には、57年生き続けてきた胎児性水俣病患者の人びとが暮らしてきている。
問題は一面的ではない。
水俣市には山間部もあり、この事件に「水俣」という地名がつけられたことに迷惑感を持つ市民もいる。実際に水俣は山林や温泉も豊かな土地である。他方で加害企業とされる現JNC(Japan New Chisso)の主要生産品である液晶は、時計やコンピューター、ディスプレイの形で日本中の人々が恩恵に預かっているといってよく、私たちは身の周りの製品を通じて、この問題に連なっているのである。
こうした問題の一つ一つをどのように扱ってゆけばいいのか。
パウロが書いた「コリントスにある神の教会へ、第一」の手紙には、「あなた方をおそった試練で人間的でないものはない。神は真実であって、あなた方が耐えられないような試練をあなた方に容認することはない。試練とともに、それを耐えることができるような出口を用意して下さるであろう」[田川2007:44-45](第10章13節)という言葉があるが、試練が人間的なものである限り、出口は自動的に実現されるのではなく、人間が関わり続けることのなかで姿を顕わすのであろう。実際、これまで水俣病をめぐって多数多様な関わりがあった。写真、文学、研究、映像、絵画、芝居、能、彫像などは、そうした関わりのなかで生まれてきた多様な表象の群れである。
この多分野連携では、水俣病を核としてそこから生じた様々な余波(illness experience of Minamata disease)の断片を、人間(科学)、教育(学)、建築(学)それぞれの立場で人間環境の未来に向けて考えてゆきたいと思う。

実施プログラム実績
①5/7(火)6時間目、Cafe Haco:事前ディスカッション(学内参加者5名)
②5/12(日)午後、九大箱崎キャンパス中講義室:「水俣・福岡展協賛企画映像セミナー 水俣から人間環境の未来を学ぶ」(学内外参加者102名)
③5/15(水)6限目、Cafe Haco:②を受けてのディスカッション(学内参加者8名)
④5/15(水)-27(月)、JR博多シティ:水俣福岡展(チケット240枚配布)
⑤5/24(金)、6時間目、Cafe Haco:④を受けてのディスカッション(学内参加者10名)

映像セミナー概要およびアンケート・コメント等(PDFファイル)

内省‐人間環境学の視点から
「人間環境」という言葉が国際的に広く認知され始めたのは1972年国連の人間環境会議がストックホルムで開催され、その直前にローマ・クラブの『成長の限界』が報告され、日本からは水俣病患者が出かけていった時からであったであろう。その意味で、「人間環境」という言葉の核の一つに、水俣病はあった。
こうした人間環境問題が持ち上がった時、厳しい批判に晒されたのは、近代科学の核にあった「還元論」であり、当時はその対極として個々の要素に還元できない「全体論」が称揚され、その個々の要素に還元できない全体としての性質を齎すプロセスとして「相互作用」が注目されたのであった。こうした経緯から振り返った時、人間環境学はその重みをしっかりと受け止めていると言えるかどうか。
本イベントの評価は複数の視点からなされねばなるまい。まず福岡西部地区五大学連携講座の一環として、西南学院大学や福岡大学からの履修者が出たくらいであったので、殆ど評価はし難いと言えよう。次に、九州大学P&Pに採用された「フィールド人間環境学プログラムへの基礎的研究」(代表:飯嶋秀治)の公開会議としては、対外的には評価されたように思われるので、まずまずの評価がされよう。しかし、人間環境学府多分野連携プログラムの一部としては、その前後のイベント参加者が、10名以下であり数的にはあまり評価はし難い。ただし、そこに教育学部門、人間科学部門、都市・建築学部門のみならず、ユーザー感性サイエンスの学生などが集ったので、質的な相互作用には一定の評価がされよう。
水俣では確かに、人間と環境の相互作用の累積が、水俣病を生み、地域の断絶を生み、地域を超えた連携を生み、新たな環境と人間との相互作用の芽を生んだ。けれども、学問としての人間環境学は、いまだにそこには追い付いていないように思われる。フィールドから頂いた「大きな宿題」(當眞)を果たすにはどのように、そしてどこから私たちの学問をやり直すべきなのか。それがこれからの人間環境学の課題となるであろう。

 

水俣映像セミナー1 水俣映像セミナー2

水俣映像セミナー3

2012年12月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」

2012年度 公開講演会&研究会

2012年12月15日  於:教育システム専攻 社会人演習室
「地域包括支援ネットワークの現状と課題 大牟田市の事例から」
特別養護老人ホーム鐘ケ丘ホーム 岡山隆二氏
(元大牟田市役所中央地域包括支援センター)

 今回は、公開研究会として、元大牟田市役所中央地域包括支援センターの岡山隆二氏をお招きし、大牟田市での活動事例をもとに、高齢者を中心とした地域包括支援ネットワークの成果についてお話しをうかがいました。
本研究会では、子どもの育ちを社会的に支えるために必要な環境、その存立、維持条件などについて検討を重ねてきました。子どもは、異世代の多様な人々が暮らす地域のなかで生活し、成長し、その地域を支える一員となっていきます。しかし、このいわば当然のことが、なかなか実現できず、子どもは家族や学校のなかに、いわば閉じ込められている事態となっているようです。子どもだけに限らずそれぞれの世代が、ごく小さな範囲のなかで閉塞し、個人化状況が進む中で、大牟田市では、これまで高齢者だけの問題として捉えられがちであった認知症の方々を、多世代の交流を図りながら地域全体で支える取り組みを進めています。岡山氏は、絵本を使った子どもたちの認知症理解を深める取り組み、小中学生も参加する高齢者等SOSネットワークによる徘徊模擬訓練といった取り組みを紹介されつつ、認知症コーディネータという独自資格制度、小規模多機能型施設と地域交流施設の併設など、認知症に対する理解を深める取り組みを構造的に支える体制づくりが展開されてきたことを強調されました。
こうした取り組みは、地域包括ケアのモデルとも考えられています。地域包括ケアは、個別のニーズに対応した生活を支えるサービスが提供されること、保健医療と福祉サービスの福祉専門機関の連携はいうまでもなく、町内会自治会、老人クラブ、婦人会などの地域組織、学校、企業、ボランティア、NPOといった中間集団が関係を深めていくこと、そして、地域に暮らす人々が地域の福祉課題に気づき、自らの問題として考えていくこと、などによって実現されると考えられています。岡山氏は、これらの点をふまえて、認知症問題はあくまでもきっかけであり、地域社会の再構築を図ること、いわば、認知症を柱にしたまちづくりが求められていると指摘され、大牟田市の地域包括ケアの方向性を提示されました。報告後の質疑応答でも、実に様々な論点が提示されました。
大牟田市は、石炭産業の衰退に伴う急激な人口流出によって、いわば強いられたともいえる高齢社会状態にあるといえますが、こうした社会的な背景のなかで、子どもを含め様々な世代の参加と協働をキーワードとした地域包括ケアの現状と課題が浮き彫りとなる貴重な機会となりました。

公開講演会1 公開講演会2

公開講演会3

 

2012年11月

「学校トイレで多分野連携アプローチの可能性をさぐる」
古川浩代先生をお招きしての講演会

2012年11月8日 箱崎文系キャンパス講義棟204教室

「学校トイレの環境学」

学校トイレの環境学チラシ 

2012年7月

「子どもや地域を犯罪から守るための異分野連携研究」
小泉令三先生・大上渉先生をお招きしての講演会

2012年7月21日 国際ホール

「子どもと犯罪を考える心理学」

子どもと犯罪を考える心理学ポスター 

2011年10月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」
日置真世氏をお招きして -公開講演会&研究会-

2011年10月15日  於:九州大学人環会議室/教育系会議室

「子どもの育ちを支える協同関係の構築とは ―地域の声から始まる“場づくり”の実践から―」

10月15日、初の県外講師として日置真世さんをおまねきし、第一部:公開講座、第二部:研究会、第三部交流会と終日にわたる研究協議の場をもたせていただきました。日置さんは北海道釧路市で、長女の障がいをきっかけに親の会活動にかかわり、その延長上で2000年NPO法人地域生活支援ネットワークサロンをたちあげ、数々の市民活動や事業に携わってきた方です。本NPOは現在20拠点・年間予算規模5億まで拡大しています。
彼女の活動の特徴を一言で言うなら「場づくり」そして「まぜこぜ」。属性や役割による縦割りを排除し、人々の多様な想いをつなぎながら市民活動からビジネスモデルまで多様な実践をおこしていく「場づくり」をあらゆる場面で実践してこられました。また平成23年3月まで3年間、北海道大学の助教としての活動では、研究の世界と活動の世界をつなぐ役割にも踏み出されています。
既に各方面から注目されている日置さんの話を聞こうと熊本や北九州からも一般参加者が集まった当日、彼女の冒頭の一言は「子どもをというより、人を育てる場を」でした。彼女いわく自分の地域づくり実践のポイントは<①あきらかざるをえない状況からの、ニーズの顕在化><②たまり場(異なる文化の対話・協働の機会づくり)><③実験事業><④人・制度・お金・つながりを活かす>とのこと。とりわけ「たまり場」(≒共有の場)について、それは場所でなく人が育つ「しかけ」または「機会」であるとして、対等な対話を重んじた人と事業を育てるメカニズムが明快に語られました。また私たちの研究会に関わり深い実践として「コミュニティハウス冬月荘」、特に中3生支援の「みんなで高校行こう会」が紹介され、ビデオの向こうの中学生たちが自分の変化を語る声が印象的に伝えられました。
彼女の実践や発想は「球」のような多面性をもつだけに、まさに「多分野連携」の議論にふさわしく、講演後の質疑応答も、またその後の研究会も、組織への基本的な考え方、マニュアル化の問題、スタッフの働き方、ビジネスとの接点、果ては日置さんの生活背景まで非常に多様な論点や質問が出されました。福祉から教育まで、実践から研究まで、立場を問わずそれぞれが現在足元でかかえる課題や関心が日置実践を通して透かしだされて、思わず聴かずにいられない、といったタイプの発言が多かったのが個人的には非常に印象的でした。さらに今回同行されたNPOスタッフの高橋さんはまったくの異分野から参加し短期間で第一線スタッフへ成長したリアルモデルであり、その声は今回の会に貴重なものとなりました。

当日議論の中で何か集約的な論点が浮かび上がったわけではありませんでしたが、それぞれの生活・研究実践の深いところに迫ってくるものがあり、いったんそれぞれが時間をかけて自分の頭と手足をくぐらせてから再度議論すると新たなものが生まれていくのでは?そんな感をもった研究会となりました。

日置講演1 日置講演2

 

2011年9月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第4回研究会

2011年9月27日(火)13時~16時       於:子どもの村会議室

木村康三さん(福岡市里親会会長・たんぽぽホーム代表理事)
「子どもと共に育つ」 

今回は、福岡市小学校、養護学校の教員を退職後、2006年里親登録以降6名を受託、2010年小規模住居型児童養育事業たんぽぽホームを設立された木村康三さんにお話しを伺った。
たんぽぽホームは、養育者3名、補助者7名、ボランティア数名のもと、児童相談所、里親会、関連NPOとの連携のなかで活動されている。最も大切とご自身が強調されたのが、ホームを擁する自然そのものである。のどかな里山、そこに生きる動植物や昆虫。子どもも大人も、里山の命と触れあい、命を育む。のどかな風景ではあるが、山の木々は手を入れずに野放しで保全はできない。里山に住むとは、そうした自然への関わりが必要なのである。ネグレクト(耕作放棄)された里山は、荒れてしまう。子どもも同じなのである。
それぞれが深刻な問題(過去)を抱えている子どもたちにとって、里親を始め周りの人々との関係を新たにつくることが重要である。「『つながり』の再構築」として提示されたのが、たんぽぽホームを囲む様々な人々や関係機関のネットワークである。まずはホームのある地域に住む人々。高齢化が進む地域ではあるが、またそれ故にそこで生活する子どもが増えることをとても喜び、地域の子どもとして共に育ててくれる大切な存在である。また、近隣の児童養護施設との連携、合同行事、要保護児童対策地域協議会、児童相談所、民生委員、木村さんご自身が会長をつとめられている「福岡市里親会(つくしんぼ会)」の「すだちの基金」やサロンなどの活動、「子どもの村福岡」、「青少年の自立を支える福岡の会」による自立援助ホーム「かんらん舎」、青少年自立支援室「いっしょふくおか」子どもシェルター「そだちの樹」、など、社会的養護の下にある子どもたちとその自立を支える様々な団体や機関との連携、協同は、福岡の特筆すべき特徴であるとのことである。
子どもたちとの日常は、綱渡りのような凄まじさを孕んでいる。それを素晴らしいものにしていかなければならない。文化や自然に触れさせ、学習支援をし、対人関係等様々な能力を身につけさせる。実親の抱える問題をも丸ごと受け止め、その子どもに最も望ましい関係のあり様を模索しつつ、関わる。里親になるとは、自分の度量、器の大きさ、懐の深さが問われることだという言葉からは、その厳しさと共に、改めて木村さん、そして木村さんと共に養育に携る奥様やご子息、関係の方々の人間力の大きさを感じた次第である。
実親との関係、子どもの気持ちやその現れの実際など様々な具体について、また関係諸機関との連携などについて質疑が行われた。学校の教師の「君は輝いているよ!」という言葉によって救われたA君の話は、非常に深く私の心に刻まれている。

参考:木村先生によるパワーポイントの資料1 資料2 資料3 資料4

木村先生講演会1 木村先生講演会2


2011年7月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2011年度第2回研究会

日時: 7月26日(火) 17:30-19:30
場所: 教育心理棟2F 「心理学演習室」
話題提供: 平石界 先生
(京都大学・こころの未来研究センター)
タイトル: 「進化心理学における遺伝と個人差」

参加者 教員4名(取組教員3名、他1名)
学生他14名 計18名

概要:ヒト以外の動物を主たる対象に、進化的視点から研究する行動生態学(Behavioral Ecology)の発展は、いわば必然的に人間行動研究へと拡張され「進化心理学」と「人間行動生態学」という二つの流れを生みだした。この二つのアプローチのうち、特に前者においては「人間の心の仕組みの普遍性」が強調される傾向が強かった。しかし近年、進化心理学においても個人差への注目が高まりつつある。こうした動きは、人間行動の個人差に生物学的アプローチをする行動遺伝学との連携にも繋がりつつある。本報告では、進化心理学と人間行動生態学について簡単なイントロダクションを行った上で、報告者が「進化」「遺伝」「個人差」の境界で進めている研究を紹介し、聴衆の皆さんと議論したい。

最初に進化心理学についての簡潔な紹介の後、平石先生自身の研究が紹介された。
「知能や性格が遺伝する」という言い方があるが、それは正確に言えば、知能や性格(開放的、協調的、外交的 etc.)における個人差の何パーセントが遺伝的差異にもとづくという意味であることであり、ダーウィン型の進化が淘汰によってむしろ遺伝的な個人差を縮減するアルゴリズムであることを踏まえると、こうした遺伝的な個人差が消えずに残り続けていることの方がむしろ説明されるべき問いなのだとされる。こうした遺伝的な個人差が残りつづけることを説明するさまざまな仮説が紹介され、検討された。
また一般的信頼度の個人差が、性格の個人差と関係がある(後者が前者の原因)という可能性が示された。
発表に対しては会場から活発な質問が出され、個人差と文化差の関係などをめぐって突っ込んだ議論がなされた。
研究会後、講師の平石先生を囲んで懇親会が開かれた(参加者8名)

次回、合同研究会の予定は10月中。
霊長類研究所の山本先生による話題提供になる予定。

 

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第3回研究会

2011年7月25日18時~21時 於:感性学府会議室

田北雅裕先生(九州大学)
「まちづくりと子ども」

今回は、まちづくり、人が住む風景のデザインに取り組んでこられた田北雅裕先生のお話しを伺った。
まず、建築・土木、ランドスケープなどの専門領域を学びつつ、ご自身の原体験である故郷の「橋の下」のデザインという目的を追求すべく、活動を続けてこられた軌跡から紹介された。そのなかで、田北先生が強調されたのは、トリビア(trivia)、他人(自分)からみるとちっぽけだが、自分(他人)にとっては大切な風景に目を向け、専門性にとらわれずにその風景をつくっていくということである。
まちづくりという概念は、1960年代からの急激な都市化の中で、トップダウンのハード整備ではなく「住民自治」「住民参加」の社会運動の推進において使われるようになり、浸透してきたという。そのコンセプトは、①まちの住民となり、「自然(環境・人・風土)」に生かされている諒解の下に、次の世代に希望をつなげる協同の実践、③適正規模、住民の「幸せ」を育て、見守り、共有し続けることを目的として、目指すべき状況と他者の在り方から手段と協働主体を決定する、②特に小さき側の立場に立つこと、そして全ての価値判断が人間の感情に基づく以上、コミュニケーションの在り方に重きを置く。杖立温泉や、南阿蘇えほんのくに等、沢山の田北先生によるデザインの数々の魅力の原点は、このような住民、なかでも声の小さな住民の声を聞き取り、それに応える手法や人間力(まなざし、共感、コミュニケーション…)とデザインの創造にある。
熊本慈恵病院「こうのとりのゆりかご」の相談窓口ウェブサイトデザインも、このコンセプトによって取組まれているところである。新生児相談という本来の業務を重視し、複雑な援助の仕組みを把握したうえで、一次接触メディアとしてのウェブサイトの強みをいかに活かせるかということに留意されている。相談者の感情、交流や共感への誘いも含め、理解しやすくかつ精確な情報伝達のデザインは、福祉とデザインを繋ぐ可能性として大きな意義をもっているといえよう。相談に関わるウェブサイトのデザインによる、相談窓口の組織や業務体制のデザイン自体への提案、行政の福祉体制とのコラボレーション、インターネットであれば悩みを打ちあけられるというニーズへの応答の重要性、また、田北先生の活動の次世代伝達の方法や、まちづくりのなかでの専門領域化の問題などについて、活発な意見交換が行われた。

※田北先生の報告内容についてご覧になりたい方は別途コーディネータまでご連絡ください。


2011年6月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第2回研究会

2011年6月15日17時~20時 於:教育学系会議室

田上哲先生(九州大学)
「授業・教育実践と子ども-小中連携や家庭・地域との連携を見据えて」 

第2回めは、個を育てる授業分析、授業研究に取り組んでこられた田上哲先生に、ご自身が関わってこられた学級づくり、授業づくりに取り組む多くの実践事例をもとに、その研究の軌跡をお話しいただき、子どもの育ちを支える協同関係の有り様を探った。
まず、田上先生の授業研究の背景である、重松鷹泰と上田薫の研究の視座と、その意志を受け継ぐ「社会科の初志をつらぬく会(個を育てる教師のつどい)」の活動経緯について紹介があった。田上先生は、当会西部地区代表でもある。この会は「問題解決学習」によって「個を育てる教育」をめざすという志のもとで、53年間の活動を継続させてきた。
「問題解決学習」とは、それぞれの子どもの切実な問題、課題を、学級のメンバー皆で考えていくという方法である。教師は、個々の子どものくらしの深いところまで理解し、その子どもの課題探究と解決へのプロセスを助けていく。例として、休日の朝食というテーマの実践が紹介された。子ども達のこのような表現が可能とするには、教師がともかく子どもの話を聞くことが何よりも重要だということだった。個々の切実な問題を学級の皆で考えていくというプロセスは、ときに子ども同士の厳しい対話を生まれさせることも多い。信頼関係がなければ成り立たない、このような「聴く」場、集団づくりについて議論があり、朝の会での聞きあいの活動等についての紹介があった。
この、個々の子どもの問題に深く関わる授業実践は、重松鷹泰の授業分析の手法にその源流があるとのことである。重松の授業記録は、生徒の個人名が明記されている。その子どもがどこでどのような発言をし、授業に参加したのか、ということが分析の対象となるわけである。子どもの学級での役割は偏りがあり、それこそが学級運営の主要な要素となるが、その様子を明らかにするような授業データの提示方法が摸索されている。
子どもは、学校、家庭、またその他の場所で、いろいろな顔を持ち、生活をしている。子どものそうした多面性の尊重、また、そのための、教師(権力関係から逃れることが困難)や親(宿命に支配される)との二者関係だけではないナナメの関係の重視、子どもが自立し大人になっていくことを支える関係性の構築、ネットワーク化などについての議論が出された。地域という言葉は、このような関係構築においてよく用いられる。しかし、地域とは何を指すのか、地域との連携とは誰と繋がることなのか。

次回は、この地域を考える手がかりを、まちづくりに関わってきた田北先生に伺う予定である。

参考:田上先生による発表資料(PDF)

2011年5月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2011年度第1回合同研究会

日時: 5月10日(火) 18:30~20:00
場所: 文学部・心理学演習室
話題提供: 箱田裕司 先生
「進化心理学と領域固有性・一般性」

出席者:教員6名、学生他15名

認知心理学の立場から、認知心理学と進化心理学は、同じ頂(解明すべき問題)を目指してそれぞれ山の反対側から登ってきて、出会ったのだという見解が示されました。人間の心(脳)は、特定の領域を対象とした作業に特化した複数のモジュールからなるスイスアーミーナイフに喩えられ、こうした領域固有性の存在について、いくつかの事例をあげて説明がなされました。それぞれの領域固有な心の働き方には、独特の癖(制約)があり、それらがダーウィン的進化の産物であることが指摘され、最後に先生自身の研究が紹介されました。ある画像を変化させたとき、何かを元の画像に付け加えた変化と、何かを元の画像から削除した変化のどちらが気づかれやすいかという問題をめぐり、一般的に見られる付け加え変化の方が気づかれやすいという傾向性が進化から説明できることが明らかにされた後、ネコと鳥の画像についてのみ、削除の方が注意を引きやすいという先生の研究の結果が報告され、そこに感情的要因(哀れみ)が大きく関係していることが示唆されました。
その後の質疑応答では、最後の点についてとりわけ突っ込んだ議論が交わされました。

2011年4月

「子どもの育ちを支える協同関係の構築にむけて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~」 第1回研究会

2011年4月6日14時~18時 於:「子どもの村福岡」たまごホール

松﨑佳子先生(九州大学)
「地域における子どもへの支援 子どもの村福岡の試み」 

第1回は、松﨑佳子先生にご自身が関わってこられた「子どもの村福岡」が設立されるまでの背景や経緯、そして現在までの取組についてお話しを伺った。
まずは、社会的養護のなかで里親制度が着目される背景、制度的推移、養護形態の現状として、諸外国に比べて里親委託への関心と児童数が少ない日本の状況を説明された。国連子どもの権利条約(1989)、国連「子どものためのオルタナティブ・ケア(代替的養育)ガイドライン」(2010)等の国際動向により、日本においても関心が向けられつつある。
児童福祉相談所ご勤務時代より関わっておられる、「子どもNPOセンター福岡」の「新しい絆プロジェクト“ファミリーシップふくおか”」のご経験をもとに、NPO法人「子どもの村福岡を設立する会」を設立、「子どもの村」(SOSキンダードルフ:1949年オーストリアチロル地方のインスブルグに設立)日本支部としての動きとともに、「子どもの村」設立にむけた後援会等の組織、人材養成研修、地域住民の方への公開フォーラムやチャリティコンサートなどを重ね、2010年4月の開村に至った。専門家(小児科医、精神科医、臨床心理士、社会福祉士、幼児教育家、保健師など)、企業(賛助、協力)、建築家(村の家の建築設計)などによる企画、支援のための組織化はもとより、「子どもの村」を支える児童相談所、児童養護施設、医療機関等とともに、今津という地域に子どもと養親が生活をしていくためには地域住民との共存は欠かせない。これまで徐々に時間をかけて築いてきた地域の自治組織や委員、住民の人々、福祉村とのネットワークを引き続きあたため、今後につないでいく活動に取り組んでいる。地域の行事への参加等も重要である。現在、設立経緯を冊子にまとめている最中である。
オーストリアの本部、またベトナム等の組織や取組の紹介もあり、今後の課題、方向性についての展望も示された。
育親(里親)になるために必要とされること、そのための研修、マッチング問題、実親とのつなぎ方の問題、行政機能との関係性等について、活発な質疑応答が行われた。なかでも、学校との関係は非常に重要なポイントとなることは明らかである。「子どもの村」がどのように学校と連携していくかという方向のみならず、むしろ学校が、地域の子どもたちの多様な生活をふまえた学校・学級づくり、カリキュラム開発をはかっていく契機ととらえる方向性が示された。次回(5月)はそのテーマで田上哲先生にお話しをいただく。

参考:松﨑先生によるパワーポイントの資料    感想集

20110406研究会1 20110406研究会2

2010年12月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第5回合同研究会

日時: 12月22日(水) 15:00-17:00
場所: 教育システム「社会人演習室」
話題提供:土戸 敏彦(人間環境学研究院・教授・教育哲学)
       宮川 幸奈(教育システム・M1)

タイトル:「ダニエル・デネットの哲学的進化論」

参加者 教員4名 学生他13名 計17名

概要:ダニエル・デネット著『ダーウィンの危険な思想』をめぐって、 デネットの進化論的アルゴリズムの考え方を紹介し、彼の議論の 中で人間主体の超越性がどのような位置を与えられているかを中 心に、批判的な検討が行われた。
発表後のディスカッションでは、議論を最終的には遺伝子のレベル に落として考える進化心理学の傾向について、さまざまな立場から意見が交換された。
終了後、人環学際サロンで発表者を囲んでの懇親会が開催された。

研究会画像

2010年10月

「建築災害と生理・心理」 科学研究費補助金への申請

科学研究費補助金挑戦的萌芽研究に2件応募申請を行いました。

・生理・心理学的要因を考慮した建築災害の低減に関する研究
 清家規・光藤宏行・小山田英弘
・生理・心理学的要因を考慮した夏期の建築施工品質低下の抑制研究
 小山智幸・林直亨・光藤宏行

「人環の叡智で学校の危機を管理する」報告書の発行

2010年度前期に実施した「人環の叡智で学校の危機を管理する」プログラムの実践報告書(PDF)が発行されました。

2010年9月

九州大学大学院人間環境学府多分野連携プログラム「建築災害と生理・心理」
+(社)日本建築学会九州支部災害委員会
合同研究シンポジウム「建築分野における災害研究」

日本建築学会災害委員会と合同で研究シンポジウムを開催しました。

日時:2010年9月28日(火)14:30~17:00
場所:文・教育・人環研究棟2階会議室
対象:九州大学人間環境学研究院教員、(社)日本建築学会会員、災害研究を行う学生等

司会:九州大学 助教 友清衣利子
1.開会挨拶  九州大学 教授 前田 潤滋
2.研究報告
 1)自然災害時の避難と復興
  防災とヒューマンファクター
   九州大学 准教授 山口 裕幸
  豪雨による浸水被害からの復興
   九州工業大学 准教授 徳田 光弘
  玄界島の震災復興計画のあり方
   佐賀大学 准教授 後藤隆太郎
  第一部 意見交換
2)労働災害と現場環境、生理
  建設労働災害について
   九州大学 助 教 小山田英弘
  コンクリート品質に及ぼす建設作業環境の影響
   九州大学 准教授 小山 智幸
  高所作業における視覚情報処理について
   九州大学 講 師 光藤 宏行
  第二部 意見交換
3.総括   九州大学 教授 浜本 満

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第4回合同研究会

概要:
文学部の集中講義に来られた、東京大学・総合文化研究科・教授の長谷川寿一氏にお願いして、本研究会で研究を紹介していただいた。

タイトル:「こころの進化 ―人間はどのように特別なチンパンジーか―」
日時:9月8日(火)
場所:文学部2F・心理学演習室

内容:
遡って見ることのできない「こころの進化」をどのようにとらえるのか。霊長類との比較研究、発達・障害研究、文化比較を通じての普遍性の発見、進化理論に基づく仮説検証研究などの方法論について紹介された後、特に第一の比較研究を中心に、チンパンジーとヒトに共通し他の類人猿には見られない特徴、ヒトには見られるがチンパンジーには見られない特徴を手掛かりにすることによって、ヒトのこころの特徴が共同繁殖社会における適応の産物であることが説得的に提示された。
その後30分にわたって活発な質疑応答が行われた。

出席者:
教員(本取組メンバーの箱田教授、土戸教授、谷口教授、坂元教授、橋彌准教授、浜本の6名に加えて、三浦教授、中村准教授、光藤講師ら多数。)および学生、合計33名。

研究会画像

2010年7月

「建築災害と生理・心理」建築現場見学会(博多駅)

学部と合同で,現在建設中の博多駅建築現場の見学を行いました。品質や安全に関して討論を行いました。

日時:2010年7月13日(火),20日(火)13:30~16:30
場所:博多駅工事現場
参加者:教職員9名 学生:(修士)15名,(学部生)67名,他大学2名

見学会画像 見学会画像

見学会画像

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第3回合同研究会

日時 2010年7月17日(土) 15:00〜17:00

場所 文学部棟2F比較宗教学演習室

テーマ 文化人類学からの理解と疑問—進化と文化のインターフェイスを考える—

発表者 (1)後藤晴子(文化人類学・博士課程) 「家族の作られ方」

    (2)清原一行(宗教人類学・博士課程)「宗教を生み出す心/宗教を生きる心」

    (3)浜本 満(文化人類学) 「進化のアルゴリズムと目的論的語り口」

参加者 19名(教員5名、学生その他14名)

進化心理学の外側から、進化心理学についての理解と疑問を提示する試みとして、今回は文化人類学の3名による話題提供がなされた。(1)では1976年にアメリカの人類学者サーリンズによってなされた「社会生物学」批判を紹介し、家族、血縁制度の領域で、進化心理学がカバーできる領域と文化人類学の議論との境界が考察された。(2)では、近年の文化人類学における進化心理学再評価のさきがけとなったボイヤーの研究を取り上げ、宗教的諸概念を人間が進化の過程で獲得した脳の情報処理系(推論システム群)の産物と見る見方を評価しつつも、そうした説明だけでは実際の生活や人生のなかでそれらの概念が生きられ、生活や人生を意味づけていく仕方の理解には不十分であることが論じられた。(3)では、進化理論の強みである非目的論的アルゴリズムが、一種の比喩的な目的論的語りと並存していることの問題点について、進化心理学が文化的制度の説明においてしばしば陥る議論を例にとって論じられた。その後の質疑応答では、生態学的説明の性格についての確認や、目的概念について、哲学的な立場からの進化理論の理解についてなど活発な議論が展開された。

研究会画像

 

2010年6月

「人間環境実践知の構築」合同研究会

福祉社会学会のシンポジウムをふまえた合同研究会を開催しました。

日時:6月19日(土) 13:00~16:00
会場:教育システム専攻 社会人演習室
参加人数:40名(教員含む)

受講生によるレポート(予め全員に配布済み)を中心に、シンポジウムテーマである「小規模・高齢化集落(「限界集落」)の現状と課題」を軸に、研究の前提、現状や課題のとらえ方、研究者の集落への関与の仕方、さらに、学際的な視野とは何か、社会と大学との関係はいかにあるべきか、等々の問題について、主に受講生を中心とした活発な議論がなされました。
さらに、後期の「『動的』指導体制」(昨年から続く)、およびインターネットを利用した議論の案内をし、引き続き、学際的なネットワークの重要性を確認しました。それは、専門分野を超えた自由な語らいの場をつくり、他の研究者、他の専門分野の意見に触れ、触発され、自分の思考の枠組を揺さぶられ、自らの課題に向かい直すエネルギーに転換するという、いわば「知の共同体」を楽しむ空間です。
実践知の構築もまた、そうした自由な発想と動的な関係を大学のなかにつくりだしてこそ可能になるのではないか。このようなことを確認してひとまず散会した次第です。

 

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第2回合同研究会

日時 6月5日(土)15:00-17:30

場所 教育心理棟2F 心理学演習室

話題提供 坂口菊恵 先生(東京大学教養学部附属教養教育高度化機構・助教)

タイトル 「男女関係を進化心理学で考える」

参加者 26名(教員5名、学生他21名)

話題提供概要 ヒトの性行動や男女間の葛藤について進化心理学・内分泌行動学のパラダイムで検討を行ってきた。なぜそういった研究を志すに至ったのか自己紹介をかねて述べ、進化心理的なアプローチのユニークさについて論じる。次に、発表者がこれまで行ってきた研究内容の概要と、関連する著名な先行研究を紹介し、こうした研究成果を一般社会に伝える際に生じる問題点について述べる。さらに、昨年著書「ナンパを科学する」を出版した際の経緯と、出版社・マスコミ・一般読者の反応を紹介する。最後に、進化心理学はこれからどこに向かうのか、展望と懸念について論じたい。

研究会概要 著書「ナンパを科学する」(東京書籍)の内容を中心に、遺伝的にコードされた、ヒトにおける二つの異なる配偶戦略について、最先端の進化心理学・内分泌行動学の見地から説明がなされた。これについて参加者から文化的制度との関係、ジェンダー・アイデンティティ、意識などとの関係などについて突っ込んだ質問がなされ、予定時間を超えて活発な討論が行われた。また、研究会後、講師の坂口先生を囲んで懇親会が開かれた(参加者8名)。

2010年5月

「人間環境実践知の構築」研究会

福祉社会学会のシンポジウムに参加しました。

日時:5月30日(日) 13:30~16:30
会場:101教室(九州大学 箱崎文系キャンパス)
司会:杉岡直人先生(北星学園大学)
報告者:
1.過疎高齢者の生活構造と社会参加活動   高野和良(九州大学)
2.小規模・高齢集落の高齢者と地域福祉-長野県泰阜村の高齢者生活調査から-
                     小磯明(日本文化厚生農業協同組合連合会)
3.『生活農業論』と『T型集落点検』    徳野貞雄(熊本大学)
討論者:永井彰(東北大学)
参加人数:40名(教員含む)

シンポジウムの趣旨は、人口減少社会、縮小型社会の「縮図」としての小規模・高齢化集落(限界集落)の現状と課題を確認した上で、「限界」「消滅」といった一面的な見方ではなく、農業経済的な視点では見落とされてきた生活の場としての集落を維持するために必要な方法論を検討するものとして企画されたものです。上記の三人のシンポジストによる報告をもとに、集落の維持を可能にする条件と、それらを支える具体的な方法論について検討がなされました。
シンポジウム開始前に、多分野連携プロジェクトの趣旨を説明させていただきました。シンポジストの先生方の熱意あふれるご発表に、参加者一同感謝いたします。
受講生は、この議論をふまえたレポートを6月9日締め切りで提出、合同研究会に備えました。

「異分野交流・学際教育研究の促進される大学キャンパス」打ち合わせ(26日): 第一回目の会合を行いました。

2010年4月

「人間諸科学における『進化心理学』の位置」2010年度第1回合同研究会

日時 4月24日(土)13:00-15:30

場所 教育心理棟2F 心理学演習室

話題提供 橋彌 和秀先生

タイトル 「進化心理学前夜 -ダーウィンの自然淘汰理論と20世紀におけるその展開-」

参加者 25名(内訳:学生他19名、教員6名)

ダーウィン以降の進化理論の展開、とりわけハミルトンの包括適応度の概念、血縁淘汰の理論、その後のメイナード・スミスらによるゲーム理論の導入などによる、一大革新について分かりやすい説明がなされ、その後、進化心理学の主張と、他の人間諸科学の主張との関係をめぐって学生からの質問も交えて、予定していた時間を超えて活発な議論が交わされた。

研究会終了後、教員のみで集まって、今後の研究会の日程や進め方について意見交換があった。

 

「建築災害と生理・心理」第1回ワークショップ

当プログラムのキックオフミーティングとして,担当教員各自の研究テーマの紹介と討論を行いました。

日時:2010年4月15日(木)12:30~14:30
会場:工学部建築学科2番講義室
司会:小山智幸
参加者:教員8名,3名

1.開会
2.担当教員の研究テーマ紹介(五十音順,*はコーディネータ)
  空間システム専攻(建築施工学)        小山田 英弘
  都市共生デザイン専攻(強風防災)      友清 衣利子
  空間システム専攻(建築生産学)        蜷川 利彦
  行動システム専攻(身体適応学)        林  直亨
  都市共生デザイン専攻(強風防災)      前田 潤滋
  行動システム専攻(知覚心理学)        光藤 宏行
  行動システム専攻(集団力学)          山口 裕幸
  都市共生デザイン専攻(災害情報管理学) 清家 規*
  空間システム専攻(建築材料学)       小山 智幸*
3.ディスカッション
4.閉会

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